第12話・道徳的な幽霊観

 

 徹夜をしたら辛いのは次の日の午前中ではなく午後だというのは、皆さんよくご存じの事だろう。

 もちろん仕事にもよる。外回りの営業とかなら体全体で覚醒を維持することもそれほど難しくないだろう。

 (もちろんそれなりにはしんどいだろうが)


 しかしもしそれがデスクワークだったら。

 しかも単純作業で。

 それも単なる板の監視だったりしたら。もう最悪。


 だからほんの一瞬意識を手放してしまったとしてもそれは言うほど責められるべき事柄でないのは……


「って、言ってる端から寝てるし」

「はっ……」


 呆れ顔の宇藤。俺の顔を覗き込みながら。


「仕事で来てるんでしょう? ならもうちょっと緊張感を持って……」


 ここは、なろうヘッドがある地下室。

 時刻はザラ場引け後の15時半。


「もちろん、そうしてるつもりだ、が……」


 俺は今、部屋のほぼ真ん中で簡易な丸椅子に座らされて、黒衣装組から吊るし上げを食らっている。

 座っているのに吊るし上げ……


「いまツマンナイこと考えたでしょ」


 ! こ、このニセ執事は読心術でもやってんのか?


「そんなことはアリマセン」


 すると宇藤は疑わし気な目を向けてきたが。


「……じゃあ何故そんなに眠たいの」


 と、矛先を変えてきた。


「だから、枕が変わると寝れないって……」

「そんなタマじゃないでしょアンタ」


 言下に否定された。

 つうか、何故こんなに俺のことについて詳しいのか、ある程度は想像がついているんだが。

 まあ今はそれを問題とする場面じゃないだろう。

 

 そう思って、本当の事を言った。


 昨夜、気になって法帖老の事を検索したこと。

 HJPに行き当たり、それも調べたこと。

 HJPは、怪しい治験をしていること。

 俺は、館ぐるみでクスリを盛られているかもしれないと思い至ったこと。

 それで気になって寝れなかったこと。


「呆れた……」


 文字通り呆れた顔で、宇藤。


「加治屋、論理の飛躍がある」


 我慢できない、といった風で突っ込んでくるサラ。


「まあ、憶測の域を出ないものであるのは認めるが」

「でも、加治屋さんがそんな目で私たちを見ていたのは、ちょっとショックです」


 少し残念そうな顔で、美原さん。

 いや、そんな頭から悪者扱いはしてないが……


「でも、キミらも祢宜さんの淹れた紅茶は飲んでないし、おまけに朝食も断ってるようじゃないか?」


 他人の事が言えるのか? と、問い返した。

 すると、サラがそれに返答してきた。


「それは加治屋の思い込み。紅茶も朝食も、私たちが断ってるのは今朝加治屋が言ったのと全く同じ理由から」


 ん? あの『待遇が良すぎて居心地が悪くなる』って、アレか?

 単なる口から出まかせだったんだが。


「それでも、キミらが老人と結託してない理由にはならないだろ」

「理由?」


 ちょっと呆気にとられた表情になるサラ。

 そのまま続けて。


「わざわざ別の会社という後ろ盾がある人間を、誘いこんで陥れようとはしないもの。リスクがあり過ぎるから」


 そりゃそうか。どうしてもというなら、そこらのフリーターを誘う方がよほど手っ取り早いからな。


「まあ、そりゃそうだが」

「そして、私たち宇治通の人間としては、やっと仲間になってもらったベンチマーカーを手放すわけにはいかないのです」


 美原さんが受け継いで。

 それもハイレベルな現役の設計士、とお褒めの言葉まで頂いて。


「それに、加治屋の言う通りなら昼食や夕食も自作しないといけなくなるし、そもそも食材の安全も担保できてないし」


 サラがとどめを刺すように。


「いやそれは大丈夫だろ、あの双子たちにも同じものを食べさせてる時点で」


 いくらなんでも、あんな小さな子たちを治験の被験者にはしないだろう。

 法帖老がどんなに海千山千の妖怪でも、ねえ。


「だから朝食を、祢宜さんを疑った、と?」


 宇藤が横から。

 む、そういう風に言われると……


「まいった、降参だ」


 十字砲火ならぬ三方向からの攻撃に両手を上げた。

 白旗があればなお良しの状況だ。

 しかし。


「加治屋、降参、じゃなくて」


 サラに指摘される。

 ああ、こんなことにも気づけない俺の脳はいま、ホントに回ってないんだな。

 それをやっと実感できたので。


「ゴメン、美原さん、サラ、宇藤。ちょっとでも疑ってしまった。悪かった」


 立ち上がって頭を下げた。

 謂れのない疑いをかけられたのだから、いい気分ではなかっただろう。


「加治屋、ちがうよ」


 ちょっと引き気味になったサラが。


「そういう時は、ギャフン、なんでしょ?」


 宇藤が後を継いで。


「……違いない」


 ギャフン、と付け加えた。

 わたしもいつか使おう、と美原さんがこぼしたのが可愛かった。


 この件、祢宜さんにはわざわざ言う必要は無いか。

 明日の朝から朝食を作ってもらえば済むことだからな。

 楽できるし。


「しかしそうなるとだ」


 ついでにこの際、気になってることをぶっちゃけることにした。


「例のピコピコの正体が、ますます不明になって不安なんだが」


 いっその事、盛られたクスリが原因の幻覚だった、ってのならわかりやすくて良かったんだが。


「だからそれはアンタの見間違い……」

「いや課長、案外そうでもないのかも」


 急にシリアスな表情に戻って、サラ。


「実は今日の後場、私も似たようなものを見たんだ」


 え!? あのピコピコを?


「って、この地下の環境でもフル板を見れるのか?」


 あれは、一般人側のPC用アプリケーションの筈。

 こんなスーパーサーバに入れてていいシロモノじゃない筈だが。


「違う。私が見たのは、加治屋と課長を映すモニターで……」


 ここで溜めを作って、サラ。


「二人の頭の上を、中学生くらいの女の子が横切ったとこ」

 

「なにそれ怖い」


 俺よりも早く宇藤が反応した。

 眉毛の上あたりに縦線がたくさん。


「ちょっとサラちゃん、それ……」


 オタオタと美原さん。

 サラのドレスの腰の部分をクイクイと引っ張ってる。

 口外するなと言う事だろうか?


「なんだよそれ、藪から棒だな」


 正直な感想を述べる。

 女の子? 頭の上を通った? ワケワカンネ。


「それこそサラの幻覚とか見間違いじゃないのか」


 いままで散々言われてきたことを、サラにぶつけてみる。

 すると。


「そうかもしれない」


 と、意外にもあっさり折れてきた。


「そ、そうよねー。そんな幽霊みたいなものが出てきたなんて冗談じゃ……」


 この手の話には弱いのか、宇藤が否定しにかかる。

 しかし。


「でも園実も見た。はず」


 とサラが状況を追加。


「あわわ……」


 まるで幽霊を見るような目で宇藤に見られて、挙動不審になる美原さん。

 両手を開いて胸の前で振りはじめる。


「……見たの?」


 両手の否定も虚しく、宇藤から追及を受ける。


「み、見たっていうか、チラッとそんなものが見えたような気が……」

「見たのね」

「いえあの、どっちかっていうとサラちゃんの声に驚いた方が」

「なによハッキリしないわね」


 いきなり不機嫌になる宇藤。

 なんだ、そういう話は苦手なんじゃないのか?

 よく分からん奴だな。


「しかしなんだ、上を通ったんなら……見上げれば見放題……?」


 中学生ならセーラー服だろ。

 セーラー服ならプリーツスカートだろ。

 中は当然、白パンツだろ!


「なんですぐに知らせてくれなかった? サラ!」


 なんか急に目が覚めてきた。

 これがザラ場中にあれば居眠りなんてしなかったのに!


「加治屋、サイテー」

「まったくね」

「あ、あの、今のは私もその、ちょっとって……」


 三人同時に、眉間にしわを寄せられてしまった。

 オマケにちょっと引かれてしまう。


「そもそもなんで白限定なのよ!? 納得いかないわ!」

「そこかよっ!」


 つーか人の心を読むなって……っていかん、軌道修正しなければ。


「……それは、祢宜さんが映ってたとかじゃないのか?」

「ノー、祢宜さんは午後から席を外してた。それに」


 サラの否定。続けて。


「そのころ加治屋は爆睡中だったから」


 と、とどめを刺されてしまった。


「何時頃だったの?」

「14時になったころ」

「あー、その頃ね……」


 宇藤が頷いて。


「正直に言うと、私もちょっとボーッとしてたかも」

「なんだよオマエもかよ」

「なによ、私はアンタみたいにヨダレ食ってなかったわよ!?」


 まあとにかく、後場寄りで前場の空売りと買いを手仕舞いしていたので、ますます手持ち無沙汰な状態だったのだ。

 それでも、宇藤もウトウトしてたとは意外だったな。


「とにかく」


 間に入るようにして、サラ。


「これで目が覚めた?」


 下からじっと見上げてくる。


「あ、ああ……もう大丈夫だ」


 宣言する。

 軽くポーズもとって見せる。


「それなら、今日もよろしく」


 言って、さっさと自分の席に移動するサラ。

 昨日もやったが、今日もこれから夕食までサラの仕事の応援をするのだ。


 それは、サーバのログデータのチェック。それもデータの文字列そのものだ。


「数字とアルファベットの羅列に目が滑るなら、19,20,21桁目を基準にするといい」


 サラのアドバイス。

 なんでも、そこの3文字は何故かアルファベットで意味のある単語(AREとかGODとか)になる場合が多いらしく、目に留めやすいのだとか。


「分かった。頑張ろう」


 言って、座ってた丸椅子をサラの横に持って行って置いた。

 サラも転寝うたたねするような奴に手伝ってもらいたくないのだろう。

 それでさっきのようなヨタ話をしたに違いない。

 おかげさんで目はバッチリ覚めたが……


 ……ヨタだよな?


 ………………


 …………


「……寝れんぞ……」


 PCルーム、22時30分。

 明日は、今日のような醜態を晒さずに済むように、早寝することにしたのだが。

 夕方、サラが言ってたことがやっぱり気になって、寝れなかった。


 結局、それらしいエラーデータは見つからなかった。

 疲れ切った俺ら4人には、食堂で待っていた祢宜さんの笑顔が眩しかったのだが。

 (昼飯に続いて、夕食でも双子の攻撃をくらったが、もう反撃する余裕もなく好きにさせていた)


「……ぬうう」


 シャワーを浴びて、一緒に洗ったワイシャツをアイロンがけしたあたりまでは眠かったのだ。もうフラフラで。

 だが、その後歯を磨いてベッドに潜り込んだころには、すっかり目が冴えてきていた。


「出るなら出てみろ……」


 サラが言うところの女子中学生、宇藤が言うところの幽霊。


「下から覗いてやる」


 と強がってはみるのだが。


 カーテンの隙間から漏れてくる月明かりに浮かびあがる部屋の中に。

 静けさをいや増しにするような壁紙の白さに。

 いきなりJC幽霊が浮かび上がるんじゃないかと言う恐怖心が。


「そもそも、サラのヨタ話に決まってるし……」


 強がりや半端な理論防御を打ち砕く。


 …………


「……ああくそっ」


 起き上がる。

 強引に肉体を限界に到達させれば、頭で何考えようと眠れるに違いない。

 そう思って、昨夜のようにPCでFPSを立ち上げてプレイしようと思った。

 のだが。


「んんっ!?」


 横目に見える窓のカーテン。

 月の光に照らされたそれに、何やらヒトガタっぽいシルエットが張り付いていた。

 しかもそれは、普通の女の子くらいの高さときている……


「くっ、こ、こいつが……?」


 幽霊なのか? サラや宇藤が言っていた?

 もしそうならば。

 高さ的に下から覗くのは不可能だ!!


「それならっ!」


 下から捲りあげればいいだけの話。

 そう思ってカーテンを両手で思い切り開いたのだが。


「!!……ひ……」

「って、あれ?」


 そこ(掃き出しの窓の外)には、グレーのスウェット姿の美原さんが立っていた。


「ひいいいいいっ」


 ヤバい!

 美原さんの、悲鳴を通り越した本気で怯える声。

 倒れてしまう前に、窓を開けて飛び出し、美原さんの背中を支えた。


「だ、だいじょうぶですっ!」


 言った俺自身、何が大丈夫なのかさっぱり分からなかった。


 …………


「はあ、そうだったんですか」


 目を白黒させた美原さん。

 落ち着きを取り戻した後、なぜ自分がここに居るか、ぼそぼそと話してくれた。

 

 それによると、サラの話を真に受けた俺が、また今夜も寝れなくて明日の仕事に支障が出るかもしれない、と。

 そうなるのを防ぐために、サラの話は冗談なんだと断言して俺を安心させるつもりで来たのだそうな。


「とにかく、驚かしてしまってスミマセンでした」

「いえ、私も窓の外のテラスでウロウロしてて、不審者みたくなってましたし」


 何故か、PCルームのドアをノックするのを躊躇ってしまった美原さん。

 応接の掃き出し窓からテラスに出て、そこから中の様子を見て俺にアクセスしようと思ったらしい。

 だがしかし、カーテンは閉められ、中はどうも明かりも落とされている模様だと。


「でも、真っ暗の中から、いきなりカーテン開けられて顔出されたら、そりゃビックリしますよね」

「え、ええ、まあそうなんですけど」


 そこで美原さん、テラスの端に移動する。


「あ、ほら加治屋さん、星がこんなに綺麗に」


 言って両手を開く。

 降り注ぐ星の光を、全て受け止めようとするかのように。


「夏の大三角形がこんなにハッキリと見えるなんて……」

「あ、はあ……美原さんは星に興味があるんですか?」

「え、ええ。星というか星座の物語になんですけど。特にギリシャ神話とか」


 美原さんは、見た目そのままに少女趣味なとこがあるんだな。


「加治屋さん、ほらあの白鳥座、神話ではゼウスが変身した姿だって……」

「へ、へえ……」


 しかし、なんだろう、この妙なムリヤリ感は。

 なぜ俺に夜空を注視させたがる?


「あ、それと、あのベガ。七夕の織姫でも有名ですが、ギリシャでは琴の名手のオルフェウスが……」

「わーそーなんだー(棒)」


 それは多分、後ろを見せたくないからなんだろうな。


「そしてアルタイルには、あの美少年ガニュメデスの神話が……って!」


 美原さんのギリシャ神話紹介を無視して、いきなり後ろを振り向いた。

 すると。


「あ、バレた」


 サラが、テーブル前の椅子に座ってFPSゲームをしていた。


「ちょっとぉ、このキャラなんか変よ」


 宇藤までいる。

 つうかアンタらいつの間に?


「……どういうつもりだ?」


 画面を見ると、俺のキャラがやられまくっていて、画面全体がファイヤークラッカーレッド状態だ。


「園実の貞操を防御するため」

「アンタを犯罪者にしないためよ」


 なんて奴らだ。

 俺にはプライベートは存在しないのか?


「もう、サラちゃんったら……」

「おお、美原さん、一発ガツンと言ってやってくれ!」


 そうだ、こういう時にこそ常識人としてのモブキャラが引き立つというものだ。

 さあ美原さん、思い切って!


「リロードしないから弾切れのままじゃないの」


 ギャフン!



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