第11話・ラノベチックな陰謀史観

 

 壁や床に這う電源コード。

 それらを片っ端から引き抜いて、映るのはテーブルの上の三面鏡状態のディスプレイ、その真ん中の一枚だけにした。


「ふう、やれやれ」


 ラノベの主人公っぽいため息をつきつつPCも一台だけ立ち上げる。

 簡単な調べ物をするだけなので、それで充分だからだ。

 貧乏性なのは否定しない。


「さてと……」


 宇藤たちは部屋から追い出した。

 思ったよりもあっさりと帰ってくれたので助かった。

 念のために部屋の中に隠しカメラとかないか探してみた(無かった)。

 ……まあ、そこまでする必要はないのかもしれんが。


「法帖 文光、っと」


 入力して検索。

 我を知らんとは世間知らずか、みたいなことを豪語してたからな、あの老人。

 どれだけ世間一般で知られた名なのか調べてみようと思ったのだ。

 だが……


「う、げっ」


 もの凄い量の検索結果。

 トレードやFPSでもビクともしなかったPCが一瞬固まったくらいだ。


「……うわ」


 個人でウ■キに載ってるのか。

 これなら確かに、知らんのか、と言われても仕方ないレベルなのかもなあ。


 それらネット情報によると、法帖老は今年80歳で戦後軍医だった父親の跡を継いで医者となり、東京区内に病院を建ててその経営で財を成したらしい。

 その後、その病院に勤務していた青年医師と共に製薬会社を設立し初代会長となって現在に至る、と。


 そういえば、バイオ系での起業の先駆けとして有名な会社が、たしかHJPという社名だったか。法帖ファーマシーの頭文字とかか?


 更にネット情報では、法帖老は投資術に長けており資産家の中でもトップクラスの資産額を誇るという。

 また証券業界でも有名人で、某経済新聞の『あたしの履歴書』でも連載を持ったことがあるとか。


「うひゃあ」


 典型的な成功者じゃないか。

 しかし、ここまで成功してるのなら、もう普通に隠居してこの館も自分専用にしてノンビリ過ごせばいいだろうに。年も年だし。

 何故こんなに株式相場に固執するんだろう?


 と思ったところで、何故かHJPという社名が気になった。

 何というか、どこかで見たことがあるというか。


「よし……」


 検索してみた。

 簡単に情報が手に入る。ビバ、ネット社会!


「…………」


 だがその結果は少し意外なものだった。


 見たことがあるのは当然だった。

 この会社は、俺が大学に入学した頃に出来たようで、よく学生課の掲示板にバイト募集が貼られていたのだ。

 で、その内容が『治験』。


 当時は貧乏学生だったため、その割のいいバイトに何度か申し込みそうになった。

 それは、当時の俺が治験と言うものを良く知らなかったせいだ。

 そんなもの知らずな俺を見かねてか、友人がアドバイスしてくれた。『よほど体力に自信が無い限り、手を出さない方が良い』と。


「………………」


 治験とは、新薬や新たな治療方法を実際に人体に使って試験することだ。

 ぶっちゃけると合法内での人体実験と言っていい。

 そんな治験のバイト募集を、このHJPは未だに行っているのだ。


「……………………」


 無論、治験自体に問題があるわけじゃない。

 事実、他の製薬会社も頻繁に行っている。

 しかしこのHJPのそれは評判が悪いのだ。

 それは今でもそうらしい。

 『HJP 治験』で検索しただけで、いきなり悪評の束が表示されるのだから。


「…………………………」


 これだけ評判が悪ければ、バイトも集まらず、治験もうまく進められないだろう。

 それでも治験は、新薬の開発には必須の事柄に違いない。

 だから正式な知見は得られなくとも、イレギュラーな形で何らかの実験を行ってるかもしれない……


「そ、そういえば……」


 祢宜さんは法帖老のお孫さんだった。

 その祢宜さんは俺に紅茶を淹れてくれたな。

 それはとても美味しいもので、契約のサイン後、3時のおやつ時、それに夕食後にも振舞ってくれた。


 そしてそれは、よく考えてみると俺一人にだけだったな……


 更に申し訳なくなるほどの好待遇……


『相場の神を現出させよ』


 ………………


「……うぷっ」


 いきなりこみ上げてくるものを感じ、俺は急いで隣の洗面所(トイレはその中に在る)へ駆け込んだ。


 ………………


 …………


 ……


「あ、おはようございます」


 祢宜さんの明るい声が朝7時の厨房に響く。


「朝ごはんは8時からと言ったつもりだったんですが……」


 昨日と同じ、青いメイド服だ。

 相変わらずかわいい。


「お、おはよう、ございます……」


 巨大な冷蔵庫を開け、適当に朝飯になりそうなものを物色してる最中に声をかけられたので、金縛りになってしまう。


「あ、もしかして、加治屋さんは朝ごはんを食べない人なんですか?」

「え、いや、そういうわけでも」


 仕事柄(二交代制だ)、生活のリズムが一定しないってのはある。

 しかし、一日に三度は必ずちゃんとした食事をとるようにしてる。

 労働者は体が資本だからな。


「じゃあ、なぜ……」


 流石は石上さんが管理してる冷蔵庫なだけあって、開封して直接食えるようなものは一切入っていない。

 それでも探して、なんとか半切のフランスパンと大きなビン入りの牛乳を掴みだしたところだったのだ。


「私の作る朝食を、皆さんは避けるんでしょうか」


 肩を落として、見る見るうちに悲し気な表情になっていく祢宜さん。

 こ、これはいかん!


「いえその、あまりにも待遇が良いので、つか良すぎて逆に居心地が悪くなって、というか」


 これは本音だった。

 ただし昨夜HJPをネットで検索するまでの事だが。


「それに普段が一人暮らしなもんで、寝起きには朝食作る、ってルーチンが体に染みついちゃってて」


 と言いながら冷蔵庫のドアを閉める。

 が、すぐに横から伸びてきた手によって再び開けられた。


「加治屋さんも、皆さんと同じことを仰るんですね」


 ドアを閉めた手の持ち主を確認しようと振り向くが、同時に、持っていたパンと牛乳を別の手によって取り上げられてしまう。


「皆さん、って、え?」


 今度こそ完全に振り向く。

 するとそこには、昨日と同じ服に身を包んだ黒衣装三人組が居た。


「おはよう、祢宜さん」


 三人と祢宜さんが朝の挨拶を交わす。

 閉じられる冷蔵庫のドア。

 そして、美原さんがレタスっぽい野菜と塊のハム、サラがマヨネーズっぽいもの、をそれぞれ持って料理台の方に向かった。


「目の下が黒いわよ、睡眠も仕事のうちなんじゃないの?」

「枕が変わると寝れなくなるんだ。こう見えてけっこうナイーブなんでね」


 実際、寝れなかった。

 あんなフカフカのベッドや寝具も初めてだし、広くて静かな部屋も初めてだし。

 それになんといっても祢宜さんの事が気になって……


 呆れた、という感情を隠そうともしない顔をして、宇藤は俺から奪ったものを持って料理台の方へ行った。

 

 そうか、あいつらも同じことを考えたんだな。

 それで朝食は自分らで作ってる、と。

 あ、昨夜あいつらが俺の部屋に来たのは、ひょっとしてHJPのことを教えようとして……?


「パンが無くなっちゃいましたね」


 手ぶらになった俺を見て、祢宜さん。

 少し嬉しそうだ。


「朝はパンと決めてるんでしょうか? それなら」


 と、祢宜さんがもう一つの冷蔵庫の方に行く。


「丸のままの食パンがここに」


 三斤はありそうな長いパンを取り出して、微笑んだ。


「あ、ありがとう、祢宜さん」


 その後、二人で簡単な卵サンドを作った。

 といっても、卵を扱うのは俺で(卵料理なんて、薬品を混入するにはもってこいだし)、祢宜さんにはコーヒーを淹れてもらうことにした。


 コーヒーなら大丈夫だろうと思ったのだが、それでもやはり気になる。

 それで、ミルを使う祢宜さんを横からじっと凝視してしまったり。


 ……やっぱメイド服は青がいいな。かわいらしさが倍増するよ……


「あ加治屋さん、卵が焦げて」

「え、おおっと」


 素早くフォロー。

 何とか助かった、が……


「加治屋、ヒューヒュー」


 サラが中学生みたいに囃し立ててくる。


「サラ、てめえ……」


 見ると、三人組がハムサンドを食べながらニヤニヤ顔でこちらを見ていた。

 くっ、てめえら後で覚えとけよ……

 

 …………


「今朝のトースト、美味しかったよ」


 PCルーム、俺の背後に陣取った法帖老がご機嫌で。


「あ、はあ、恐れ入ります」


 背中で返答する。

 ザラ場は既に開場しており、目の前の板表示は目まぐるしくピコピコしている最中だ。

 目が離せない。


「しかし、契約に朝食作りなどは入ってなかった筈だが」


 背後の法帖老、今は普通の椅子に座っている。

 車いすは無く、祢宜さんもその横に立ってニコニコしているだけだ。

 契約のサインをした直後、おもむろに車いすから立ち上がり、かくしゃくと歩み寄ってきて握手を求められたときは、少し驚いたが。


「ああ、はい、まあ日頃の癖と言うかそんなワケで」


 隣に座ってる宇藤が、チラとこちらを見る。

 それほんと? というような横顔で。

 まったく、この女は……


 とにかく、契約さえしてしまえばこちら側の人間になったのだから、もう芝居をする必要はなくなったと言われたのだった。


「日頃? キミぐらいの年齢なら、朝は食べないとかせいぜいコンビニで菓子パンかじるとかじゃないのかね」


 それはかなり偏った思い込みに思えた。

 しかし、館の老主とくれば車いすに乗ってるもの、と思い込んでるくらいだから、それもまあ無理もないかとも。


「え、ええ、実はそうなんですよ」


 だから話を合わせておくことにした。


「コンビニの菓子パンって、なんか癖になるんですよね」


 確かに、菓子パンはカロリー補給には適している。

 それに、設計データの作成は頭脳的な体力仕事だからな。

 甘いものはすぐ脳の燃料になると言われてるし、その実感もある。


「だから朝は、もっぱらコンビニで買ったもので済ませてます」


 将棋の対局で、棋士が甘そうなケーキとかをバクバク食ってるのを見たことがあるだろうか。それはたぶん同じ理由なんじゃないかと。


「そうかね、ふむ……」


 もう少し話を伸ばすかな、と思ったが、法帖老はそれ以上は突っ込んでこなかった。

 それで少し気になって振り向いてみたのだが、その時は法帖老が傍らの祢宜さんに目くばせをしているところだった。


「ワタシです。はい。もうすぐ今日の銘柄が決まりますので……」


 隣の宇藤、テーブルの端にある内線電話を使い始めた。


「フォロー、よろしく」


 横目で俺を見ながら。

 それは、地下に居るサラ・美原コンビに言うのと同時に、俺にも言ったように感じた。

 つまり、雑談は止めて仕事を進めろと言う意味で。


「銘柄は、昨日のETFともう一つ」


 昨日のザラ場終了後に、サラにPCのアプリケーションをイジってもらっていた。

 今日は2銘柄のフル板が同時に見られるようになっている。


「例のメガバンクだ」


 昨日、俺が銘柄を変える前に表示されていた銘柄だ。

 サラも、それが関係しているかもと言っていた。


「聞こえた? じゃあ、動作監視の方よろしくね」


 銘柄は、昨日と同じく出来高の多いものから選ぶつもりだった。

 しかし、今日も出来高トップは、このETF。

 選択の余地は無かった。


「時刻も今ぐらいだったろ」


 受話器を持ったままの宇藤に向かって。

 時刻は10時3分前。

 このタイミングで俺が両建てをすると、板の両端がピコピコし始めたのだが。


「そうね」


 真剣な表情で首肯して、宇藤。

 本気モードになってるようだ。

 俺もそれに合わせることにする。


「では行く」


 昨日と変わらず、ティック抜きの餌食になって過熱気味な板に、両建ての注文を送り出す。

 今日は13350円(空売り)と13340円(買い)からスタートだ。


「……よし」


 今日も簡単に、1段ずつ1枚ずつの両建てが成立。

 まあ、両建てはこっからが本番なんだが。


「注文が約定、そっちに変化は? ……え?」


 宇藤が地下から何か言われてるらしい、なにやらテーブルの奥の方をゴソゴソ探り始めた。

 だが、今はそれを気にしてる場合じゃない。


 今日は値動きが鈍い。

 いや、約定数は相変わらず多いのだが、昨日のようなある意味で意思を持ったような、値動きに明確な方向性みたいなものが感じられないのだ。


 基本は下げ方向か。

 しかし、2~3段とれたら撤退する口が多いようで、上は13370円、下は13320円の間でピンポン状態だ。

 これでは損切+建て直しすらできない……


「かじやっ!」

「うはっ!!」


 ビックリした!

 いきなり面前のディスプレイから俺を呼ぶ大声が!


「加治屋、こっち」


 声の主はサラのようだった。

 ビビりながらも音源を探す。

 それはすぐに、ディスプレイの真後ろに見つかった。

 昨夜FPSをやった時に使ったミニコンポだった。


「こっちを見る」


 いや、こっちと言われても。


「こっちってどっちだ」

「上よ上、壁のディスプレイ」


 横から宇藤。

 壁の、真ん中にあるディスプレイを指さしている。


「あ、おお、元気かチビッ子」


 壁のディスプレイ(両建てには多くの情報は必要ないので、今日はテーブルの上のしか使っていなかった)の真ん中下側の一枚に、下から覗き込んでるアングルでのサラが映し出されていた。


「チビッ子言うな」


 サラの横には、美原さんが居るのも見える。

 テーブルやキーボードは見えるのにディスプレイが見えないところを見ると、カメラはディスプレイについてるものを使ってるんだろうな。

 だから、こちらもサラが映ってるディスプレイに向かって手を振ってやった。


「見えてるぅ~?」


 昨日、PCをいじった時にこんな仕掛けもしてたのか。ミニコンポまで使って。

 チビッ子侮れず!

 しかしなんかこういうのって、少年の心が呼び覚まされるというかテンションが上がるというか。


「やってる場合なの? まったく……」


 呆れた声で宇藤、続けて。


「サラ、そちらに何か変化は?」

「今のところなにも無し」


 ディスプレイの中のサラが肩をすくめる。


「板の端のピコピコも、今日はまだ発生してないな」


 フル板の上端と下端を表示させた。

 しかし今日は、昨日のような注文数の増減は起きてなかった。

 気になって表示させてみたが、例のメガバンクの板も同じような状況だった。


「……いや、しかしまあ」


 抜き差しならない。典型的な両建て殺しの展開。

 手数料が無料なのが唯一の救いか。

 シミュレーションじゃないんだからな、気を入れていかなければ。


 そう、シミュレーションではないのだ。

 昨日、契約後に法帖老から伝えられた。

 もちろん1千億円という金額も。

 全てリアルであると。


 そんなワケだから、宇藤は東証の人間として、別の人間それも免許を持ってない人間にトレードを代行させてる現場を見過ごすわけにはいかないらしい。

 

 だから、法帖老にザラ場中は必ずPCルームに居るようにと要求したそうな。

 つまり、PCの操作だけを頼んでるんであって、あくまでもトレード自体は本人の意思によって行われてる、という体裁をとりたいらしいのだ。


 いや、四角四面で分かりやすくて非常に結構だ。


 だが実際のトレードが1枚2枚なら、そこまで几帳面な対応しなくてもいいとは思うが。

 別にすぐにゼロ円になるわけじゃないし、1段のロスはつまり1000円にすぎないのだから。


「まったく、小学いや小額投資はサイコーだぜ」


「小学生が、なんですって!?」

「加治屋、ロリコン?」

「加治屋さんって……」


 横と前方(それに恐らくは後方からも)から、一斉にクレームが付いた。

 いやちょっと待て、いくらなんでもその聞き間違いは無理ありすぎじゃね!?


「納得いかねえ!」


 因みに、例のピコピコは前引けまで発生しなかった……



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