第10話・赤く染まる景観
「……シャーシは液冷、ミドルウェアにはオンメモリデータベースを採用し、売買注文1件あたり1ミリ秒でこなす超高速処理を実現します」
空調が唸る微かな音、ひんやりとした空気、オフホワイトで統一された清潔な壁や床。
まるで手術室のような地下室。
「これが当社の誇る次世代型株式売買用システムサーバ、
手術室と違うのは、まずは広さだ。
圧倒的に広い。合間に柱もあるが、ほぼ館の下部全てが地下室になっていると言っていいだろう。
「……なろう? 小説家にでもなるのか?」
そしてなにより部屋の主人用であるベッドが無い。
その主人を照らす、あの特徴的なライトも無い。
その代わり、同じ意匠の大きな金属製の箱が十数個、部屋のほぼ中央部に鎮座している。
「なりません」
金属製の箱からは太い電線ケーブルが数本とジャバラのホースが4本出ており、箱の傍らに立っている大きなスタンドラックに繋がっていた。
ラックには沢山の小さなLEDランプが付いた計測器のような箱が重ねて置かれている。
それらは忙しそうに点滅していて稼働状態であることを示していた。
「ギャフン」
スタンドラックの後ろに部屋の金属チックな雰囲気から浮いたピンク基調のチェアとテーブルが二組。
そのテーブルの上には30インチクラスのディスプレイが各々3台、三面鏡状態で置かれている。
それにシースルーキーボードと花柄マウス。
「……リアルでギャフンっていう人、初めて見ました」
以前テレビのニュースで見たことがある、スーパーコンピュータそのものだった。
それも確か宇治通が作ったか、いや、ライバルメーカーの
まあどちらにしても、恐ろしく金と手間暇がかかってそうなのは素人の俺にもはっきりと分かる代物だった。
「加治屋、変」
裏庭に専用の搬入口があるとはいえ、こんな大きなものを設置するのは大変だったろうと思われた。
だがそこは祖業が運送会社、宇治通の社員たちだけで東京の研究所から持ち込んで難なく設置したそうな。
「うちの会社じゃあ慣用句なんだよ、美原さん。ほら、数人で一つの仕事やるから、素直に退くのが必要な場面が多いんで」
それにしてもモノがモノだ、セキュリティは万全にする必要があった筈。
宇治通も当初はそう考えたが、こんな山の中で厳重な警戒をしてもそれは目立たせるだけで、逆に悪人を呼び寄せる要因になるとも思われた。
「そのたびにギャフンって言ってんの? 昭和のギャグマンガじゃあるまいし」
そこで、宇治通と東証それに法帖老の間で討議され、徹底的に秘匿する事になったと。
表向きは法帖老の別荘兼某社の保養所とする。
建設時、地下室の存在は、積雪時の館内でのリクレーション用空間と建築業者には説明したらしい。
「ツンノミ課長はうるさいよ」
竣工しサーバの搬入も終わって、さて仕事を開始と思ったところで問題が発生。
館の外観の派手さにつられて、近くの保養所や別荘の管理人たちが足しげく見学にやって来だしたというのだ。
それがなくとも、ご近所から怪しまれないように普通の警備会社と契約はしていたし、月に二回は館の内外の掃除や庭木の維持管理などを業者に委託していたため、当初の想定以上に部外者の出入りがあるということが判明した。
「ツンノミ? 加治屋、変なうえに変な言葉作ってる」
金持ちの老人の別荘という館の中で、スーツ姿のおっさんたちが忙しく働いていたら胡散臭く思われるのは当然。
そこで館には必要最低限の人数それも女性社員だけ入ることにして、服も館の召使いっぽいものに変更することが決定されたのだとか。
だから彼女らは、俺が正式に契約するまでその職務をひたすら隠していたのだ。
「チビッ子メイドもうるさいよ」
光ケーブルによる専用回線の恩恵もあって、システムの動作確認と運用試験も順調に消化。
スケジュール的には、外部からベンチマーカーを入れて性能測定をするまでになっていた。
「まあまあ加治屋さん。それよりも午後からのトレードは如何でしたか?」
ベンチマークを行うトレーダーの手配は、法帖老の担当となった。
人脈により、人材にはたくさんの当てがあった。
何故なら、ネット証券の興隆により、他職種への異動や転職を余儀なくされた証券マンが多数いたからだ。
彼らの多くは慣れない職場で困っているだろう。
そこへ割のいいバイトがあると声をかければ、良質な人材がいくらでもベンチマークに就いてくれるに違いない。
と、法帖老は高を括っていたのだが……
「ああ、あれから例のピコピコは見えなかったよ。残念ながら、ね」
ところが、実際に声をかけられた元証券マンたちは、元々は海千山千の相場師たち。
株式相場では数々の一流企業の大株主として名の知れた法帖老からの誘いで、且つ那須の山奥で内容不明な仕事に従事、と、その内容に胡散臭いものを感じるのを禁じえなかった彼らは、館の前に着くと同時に回れ右。
酷い者になると、新幹線の駅を降りたところで温泉街に方向転換してそのまま行方不明になったりした。
「やっぱりアンタの見間違いじゃないの」
いつまで経ってもベンチマークを開始できないことに業を煮やした宇治通と東証は、法帖老にコンピュータソフトの関連会社から人材を招聘することを提案。
法帖老はそれを受けて、コンピュータ関連の会社に転職した元証券マンから相応しい人物を選び出し、呼びつけたのだ。
それが梶谷氏であり、そして何かの手違いでそれが俺になってしまった、と言うのがこれまでの大雑把な経緯だ。
「いいえ課長、サラちゃんによると、午前中の該当銘柄の板データの中にちょっと妙なデータがあるのは確かなようです。午後からももっとそのデータを拾えれば詳しく解析するのも可能だったのだけど……」
契約書にサインしてから、一気に館の中の空気が柔らかなものに変わった。
(あくまでも俺の主観だが)
まずは待望(?)の名刺交換。
宇治通の二人の名前は知っていたが、職務は初めて知った。
と言っても大雑把なものだが、サラがソフト系で美原さんが通信系+簡単なハード一般。
二人は同い年だとのことなので自動的に美原さんも24歳ということに。
「そ、そうなの? ……じゃあ明日に持ち越しね、ブツブツ」
そして東証の課長。苗字は知っていたが、名前は初見。
フルネームで、
ツンノミにはもったいない名前だ。
因みに推定30歳。
最後に、法帖老の後ろに居た青メイドさんだが。
と思ったところで、地下室の端の出入り口が、重苦しい音を立てて開かれた。
そこに居たのは……
「皆さん、夕食の用意が出来ました」
法帖老のお孫さんで、祖父の身の回りの世話の為に来たという、本来の意味でのメイドさんだ。
…………
皆と連れ立って食堂に入る。
先に行った祢宜さんは、料理をテーブルに並べているところだった。
「「あっ♪」」
上座に居る法帖老の傍らから俺に気づき駆け寄ってくる、二体のビスクドール。
いや、ドールというよりもゴシックミサイル?
なんせロックオンされた奴は、金縛りになる以外の行動をとれなくなってしまうのだから。
「ああこら」
法帖老の制止もなんのその、俺めがけて更に加速。
……こういう場合普通の男子なら、駆け寄ってくる幼女が自分の体に触れる前に、その両脇に手を差し入れて掬い上げてやるものだろう。
そーれたかいたかいー、とか言って。
そうすれば幼女は確実に喜ぶだろうし、自分は幼女のオモチャにならずに済むし、それになんといっても周囲の目に好男子ぶりをアピールできる。
「「わーい」」
だがそれは無理なのだ。
思い出してほしい、このゴシックミサイルは2体一組なのだということを。
1体ならば、掬い上げるどころか頭の上まで持ち上げたり、両手を掴んでメリーゴーラウンドよろしくグルングルン振り回してやることも容易いだろう。
しかし2体となると。
それも同時にしなければならないとなると。
(どちらか一方だけにすると、もう一方が差別されたと誤解するし、ひょっとするとそれがトラウマとなって人格形成に重大な影響を与えてしまうかもしれないのだ!)
どこかのとてもアメリカンなプロレスラーでもなければ、到底無理な注文だ。
だから、どうしていいか分からず、金縛り状態に……
「つっか」
「まえたー」
狙ったように、前方からみぞおちに、背後からキドニーに、幼女の拳が叩き込まれる!
「ぐヴふっ」
……つか、キミら今、つかまえたとか言ってなかったか?
それが何故ジャンプ+強パンチ……
「ああっ、加治屋さんがまるで朽木のように!」
「加治屋、モロい」
「あらあら……いい気味だこと(笑)」
くっ、黒衣装どもめ覚えとけよ(とくに宇藤)……
…………
……
「いただきまーす」
う、な、なにか川のようなものが見えて……
「ねえ石上さん、今日の料理の食材は?」
「兄ちゃんの歓迎でね、栃木の名産品尽くしだよ」
「おお加治屋よくやった」
ああ、そこに居るのはばあちゃん、死んだはずのばあちゃんじゃないか……
「メインディッシュのステーキは、那須の山でとれた鹿の背ロースだ」
「流行りのジビエ料理ね」
「
「ああ、スープの中にさりげなく」
ん? なにやら楽しげな声が……
「デザートは、那須の牧場でとれた生乳と、この館の庭でとれたバニラの実で作ったバニラアイスだ」
「うわすごい、とくにこの上に乗ってるイチゴが!」
「それも栃木特産の、夏にとれるイチゴ“なつおとめ”だ」
「ほんとうにホッペが落ちてしまいそう」
しかも良い匂いまでしてきて……
「こっ、ここは」
目が覚めたら、そこは食堂のテーブルの末席だった。
「ワタシにちょうだい」
「私にも頂戴」
「わたしは、メンドクサイから、車ごとちょうだい」
「とも、言われております(喜)」
見ると、上座の一帯で法帖老を中心に女性たちが夕食で盛り上がっているようだった。
というか、既にデザートも終わりかかってる……?
「はっ!」
デジャブな感覚に突き動かされ、両脇を見る。
すると、思った通りに双子が黙々と食事中だった。
しかし、彼女らの前の皿はすっかり空になってるのに……
「ノ、ノオオオオオッ!」
俺の分が食されつつあった。
よせ、いくら幼女でも食い物を奪うのはシャレにならん!
で、両脇の双子からの攻撃を退けつつ、食事を開始した。
「よお兄ちゃん、気がついたかい」
「あ、石上さん……」
旦那の方だ。
奥さんは、上座の方で女性たちと何やら楽し気にしている。
「ほれ、兄ちゃんの分だよ」
料理の皿の間に、イチゴの乗った真っ白なアイスのグラスが置かれる。
それはまるで、オオカミの群れの中に放り込まれた子ヤギのようで。
あっという間に双子の(文字通り)餌食となってしまった。
「……わ、わたしは、面倒くさいので、オジサンごとちょーだい?」
「とも、言われており……ねーよ(笑)」
…………
……
見下ろす右手に西那須野の街の明かり、左手には黒磯の街の明かり。
空気が澄んでるんだろう、とてもきれいな夜景だ。
空には星。それも降ってきそうなほど大量の。
昔の人は星の明かりで本を読んだそうだが、これならあながちホラとも言えない。
しかも東の空には10日くらいの月まで登ってきた。
シャワーを浴びた後、2階のテラスに出ている。
避暑地だからと、寝間着は春の物(グレーで長袖のTシャツに、オリーブグリーンのカーゴパンツ)を持ってきて着てるのだが、外ではそれでも寒いくらいだ。
標高は1000メートルを超えてるみたいなことを石上さんが言ってたが、どうやらそれに間違いはないようだった。
それを思い出して、ブルッときたので部屋の中に戻る。
そこはPCの部屋。
奥には、オシャレな天蓋の付いたシングルベッドがある。
夕食の後、祢宜さんから色々と聞いた。
風呂や寝室、洗濯の段取り、など生活に関わる事を。
それで、俺に宛がわれたのは、このPCルームだと知った。
数時間居たのに、ベッドの存在に気づけなかった自分に、驚いて呆れた。
「よっこらしょ、っと……」
トイレと風呂は、PCルーム兼寝室の隣にある。
反対側の隣の応接と合わせて、豪華なスイートルームとなっている。
本来は、館の主の為の部屋なんだろう。
「ここを、繋いでと……」
祢宜さんたちは、館の向かって右側の棟で寝泊まりしているんだそうな。
(宇藤から、しつこく“絶対来るな”と釘を刺された=誰が行くかっ)
なんだか申し訳なくなってくるほどの好待遇だ。
「読み込めよ……」
俺の荷物は、館の裏の駐車場に止めてあった、例のワンボックスに積んであった。
宇藤は、所定の場所、と言ってやがったが。
つまり、追い出す気満々だったんだな。
ファック!
「よし、これでいい筈」
石上夫婦は、夕食の後片付けを済ませると、双子と共に下界(住居のある黒磯)へと車で降りて行った。
毎日の通いらしい。その都合で、朝食だけは祢宜さんが用意してくれるとか。
『簡単なものしかできませんから』なんて謙遜しながら言ってたが、あんな可愛い娘がつくってくれるのなら、たとえ焦げたトースト一枚でもご馳走ってもんさ。
「うん、繋がった!」
FPSネットゲームの雄、『DOOMO3(どーもさん)』!
壁一面とテーブルの上のディスプレイに映し出される、プレイヤー視点のゲーム画面。
何故かあったミニコンポから吐き出される迫力のサウンドと合わせて、派手の一言だ。
「さーてと、っと」
さっそくプレイに入る。
今夜のイベントは攻城戦だったか。
馴染みのプレイヤーたちがやって来て、チャットが始まる。
「天国から接続ナウ、っと」
馴染みたちが、即ツッコミのレスを入れてくる。
最近は1Kのアパートをそう言うのかい? とか、逝くの早すぎィ、とか(笑)
「そろそろイクよ」
賑やかなオープニングムービーの後、唐突にゲームが始まる。
俺らは、外から攻める方を選択した。
「そーれそれそれそれっっっ!!!」
守り側の兵士たちを、片っ端からヘッドショットで始末していく。
カーソルが出るのが速い!
おまけに狙いもぶれない。
なんせ視界が広い。つうか広すぎてどこ見たらいいか迷うくらいだ。
開始10分ほどで1段目の壁の守備勢をほぼ始末し終えたようだ。
他の攻め側のグループたちも、俺のあまりの強襲ぶりに唖然としている。
馴染みたちからの驚きと称賛の声がくすぐったい。
思った通りこの館のPCとネット環境は最強だ。
昼間にトレードしていて思ったね、これはFPSをやらない手はないと。
しかも、相場の大引け後に法帖老から、夜はこのPCは好きに使ってよいとの許可も得たし。
これは仕事の報酬をもらうのが申し訳なくなるほどに……
とか思ったところで。
「ちょ、ちょっと」
「きゃん!」
と、何か黄色い声が聞こえたと思ったら。
「ああんっ」
背後のドアが開いて、黒衣装組の3人が部屋の中に倒れこんできた。
「なに、してるんですか……?」
わざとイヤミたらしく訊いてみる。
すると。
「あ、あの、加治屋くんが何か変なものを見てるんじゃないかと……」
「変なもの?」
と、顔真っ赤の宇藤に訊く。
起き始めた彼女らは、色気の全くないスエットやジャージの上下といった出で立ちだ。
どこの修学旅行生だよ。
……いやまあ、いいんだけどね別にその格好で。
でも、昼間の服とのギャップがありすぎだわ。
「って、美原さんが言ってたから」
「ええっ! わたしですかぁ!?」
驚く美原さん。
いや、アナタじゃないのは充分わかってるよ。
「それにしても、加治屋、期待外れ」
袖と裾の余ったエンジのジャージ(に着られている)のサラ。
肩をすくめて首まで振りながら。
「もっと、エロいものを見るのがお約束のはず」
と言い放った。
「それは偏見に満ちすぎてるぞ」
だからそう言い返した。
いや、高校生の修学旅行じゃないんだからさ、マジで。
「エロじゃないけど、グロではあるようね」
宇藤の指摘に振り向くと、そこには敵から蹂躙されて、真っ赤に染まった俺の視界の画面が広がっていた……
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