第9話・ようやくの世界観

 

「それはだね……」


 法帖老が、まるで出来の悪い学生に諭す教授のような口調と雰囲気で俺の質問に答えようとした。

 まさにその時。


「しゅばっ!」


 俺の肩越しに手が伸びてきて、契約書を3枚全部奪ってしまった!

 妙なオノマトペ付きで。


「な、なにを」


 反射的に振り返る。

 すると、その手は思った通り宇藤で、契約書をマジマジと見ていた。

 しかも見る見るうちにその目が見開かれていく。

 そして。


「ないないっ!」


 くしゃくしゃに丸めて、自分の上着のポケットに突っ込んでしまった。


「なにしてんの、つか、何がないないだよ」


 という俺のツッコミに全く無反応で。


「…………!!」


 と、無言でアイコンタクトを前方に放った。


「……!」

「!……」


 それを受けたサラと美原さん、即座に行動に移る。

 サラは法帖老が持っていた書類を取り上げ、美原さんは隣の部屋に走った。


「おい……」


 困惑の声を漏らす法帖老。

 背後の青メイドさんも困り顔だ。


「はいこれ」


 凄い速度で隣の部屋から戻ってきた美原さんが俺の目の前にA4大の書面を置く。

 それはさっきの契約書だった。


「加治屋、よく見る」


 法帖老から取り上げた書類を小さくたたみながら、サラ。


「なんなんだ、いったい……」


 言われるままに中身を再確認する。

 すると、2ページ目及びそれ以降が先ほどのものよりも大幅に変わっていた。


「……こ、これは」


 細々したところも違うが、最も大きく違うのは目的の項目だ。

 それは実に真っ当なものになっていたのだ。


「なるほど、東証が導入する新しいシステムのベンチマークをしろと」


 どうやらこの屋敷の中にそのシステムサーバの試作品があるらしい。

 それの動作確認と性能チェックで、実際にトレードさせてチェックしようというんだな。


 この手の仕事は基板設計用CADでも何度かやったことがあるので、まあ要領は分かる。ちょっとホッとした。

 いや、相場の神がどうのこうのなんて、ワケ分からなくてどうしようかと思ったよ。


「む、いやその……」


 ? 法帖老の反応が芳しくない。

 これも違うというのか?


「さあさ加治屋さま、よくお読みになって3枚目にサインを下さいな」


 背後の宇藤が猫なで声で。

 酷くキモい。


「……なんで変えた?」


 肩越しに振り向いて訊く。

 すると宇藤は、さも当然といった表情で。


「先ほどのはサインを書く欄がありませんでしたので。こちらのミスで大変失礼いたしましたわオホホ」


 そういえば確かに3枚目には約款しかなかったな。

 だが、早口とオホホ笑いは嘘つきのサインと言う。

 騙されないぞ、このツンノミBBAめ。


「この内容で問題はありませんか?」


 と、法帖老に問うた。

 どうやら美原さんから同じものを渡されたようで、法帖老も書面を見ている。

 その表情がどんどん暗くなっていって……


「ああ、問題ない」


 最後には仏頂面になってしまった。

 それなのに返事は肯定。

 

 なんか変だ。

 そもそも、俺が問題ないかって聞くのが変。

 それに、主である筈の法帖老が、使用人である筈の彼女らに圧倒されている現状も変。

 オマケに、そんな大掛かりなシステムのベンチマークを、こんな田舎でやってるという事も不自然すぎて変だ。


「不自然すぎてサインは出来かねます」


 だから正直にそう答えた。


「そうか……」


 仕方なし、といった風の法帖老。

 だがそれに覆い被せるように。


「待って下さい加治屋さん」


 と、美原さんが声を上げた。


「なぜ私にチュートリアルの役を与えて下さらないのですか?」


 いきなり真摯な目と声で訴えられて、ちょっとビックリ。

 それで、お願いします、と応えてしまった。


 だがその返答は正しかっただろう。

 俺の見立ての通り、美原さんはその役に適したキャラクタを持った女性だったのだ。


 活舌が良く、耳あたりの優しい音質の声。

 相手が知りたがっていることを的確に押さえたネタ順。

 身振りや擬音、時には簡単なイラストも交えた解説。


 すっかり納得してしまった。

 それによると、こうだ。


 まず、今から10年ほど前に遷都の機運が高まったこと。

 その最も有力な候補地として那須が挙げられたこと。

 ほぼ時を同じくして起きたIT革命に乗って、光ケーブルの敷設が新幹線の線路を中心に行われたこと。

 それで先ず、官公庁のシステムサーバのバックアップサイトを那須に建設しようとなったこと。


 しかし、その後遷都の機運が急速に萎み、サイト建設は予算を得たものの、計画は実行されず宙に浮いたままとなったこと。

 その数年後、その計画を法帖老が安く買いたたいて手に入れたこと。

 法帖老は東証の大株主であり、その買い入れは東証の施設の一部(保養所とか)とする目的があったということ。


 その後、東証のシステムに不具合が連発、新システムの構築が決定されたこと。

 その役目は、コンピュータメーカーである宇治通うじつうに一任されたこと。

 那須はそもそもバックアップサイトとして計画されていたこともあって、先ずは那須の施設で作り、東証のシステムと仮に接続して動作を確認しながら完成させる段取りをとることになった、と。


 尚、自分(美原さん)とサラは宇治通の社員であり、宇藤は東証の中間管理職とのこと。

 つまり、宇治通の二人が外注としてこの東証の(法帖の)屋敷に入り、宇藤がその仕事を管理している格好だと。


 説明を終え、青メイドさんが用意したグラスの水を一気に飲み干す美原さん。

 見た目と違い、なかなかに男前だ。

 ねぎらいの言葉をかけた。


 しかし、これでよく分かった。

 今まで不思議に思ったこと、ほぼ全部。 


 俺の会社からの指示は、先方に従え、だ。

 そして、この美原さんの説明で、会社側(社長)に『これこれこういう事が危険なので断った』とは言えなくなった。



 それでも、法帖老の浮かない顔は気になる。

 しかし、彼から仕事の追加や変更の要求があったとしても、その時それを受けられるだけの余裕があれば、受ければいいだけの話だ。


 それはきっと先の話になるだろうし、今は目先の事だけで判断しても構うまい。


 そう思って、契約書の3枚目にサインをした――



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