第8話・人の数だけの価値観
「きゃはははっ」
核家族が日本のデフォになって、更に親戚間の付き合いも希薄になってかなり長い年月が流れてるはずだから、きっと俺のような奴は多いに違いない。
正直に言おう。俺は小さい子供が苦手だ。
男も30にもなれば、それなりに雰囲気も出てきて、そこらのガキンチョどもに説教したり尊敬されたりするのが本来の姿なのだろう。
つうか、それが普通だったはずだ。たぶん昭和までは。
「あーん、フリツだめだよー」
しかし今は(2008年)平成で、しかも21世紀ときてる。
一人っ子で育って、親戚や近所の幼子の相手なんかもしたことがないってのは、別に珍しくない時代だ。
だから、いざ相手をするとなると、非常に困る。
奴らは何を考えてるのかさっぱり分からないし、なにより理屈が通じないと来てる。
小さいし、けたたましいし、ちっともじっとしていない。
まるで何かの小動物のようだ。
「あっ、ヤシャずるーい」
しかし、だからといって迂闊に押さえつけたりすると、即座に犯罪者扱いだ。
ほんの少しのスキンシップでもマズい。
最近では、声をかけるだけでも事案扱いだ。
と、長々と言い訳をしてきたが、そんなワケだから、二人の幼女にいいようにされてる現状は、決して俺に問題があることの証明などではないのだ。断じて。
「ずるくないもーん」
考えてもみろ、山深いところにある謎の洋館で、契約書を作るからそれまでの間飯でも食ってろつって広い食堂に押し込まれたんだぜ。
どこにも逃げようがないのに、そこへゴシックロリータな服に身を包んだ幼女二人が現れて纏わりつかれたら、どういう態度をとればいいのかを!
しかも、その子らは明らかに双子で、その上すこぶる付きの美形ときた。
「ずるいもーん」
身長は110センチくらいか? 透き通るように白い肌。両くくりにまとめられた美しい栗色の髪、大きく印象的な鳶色の瞳。
それを、黒基調のゴシックロリータな服や靴が包む。
黙って立っていたら、きっとビスクドールに違いないと信じるレベルだ。
「あたしのー」
そんな美幼女に袖口を引っ張られている。
食堂の椅子に座ったままで。
その両脇から。
「あたしのよー」
この子らは……いい加減に……
「こらー、ヤっちゃんフーちゃん、静かにしなー」
隣の厨房から、コックの石上さんの奥さんがやって来た。
「えー、だってヤシャがー」
「えー、だってフリツがー」
やはり双子だな。顔もそっくりだがリアクションまでもが瓜二つだ。
「もう、静かにしないとゴハンあげないぞ」
割烹着(かなりふっくらとした)の胸を張って警告する。
それは幼児には最高レベルに効果的な内容のようで、即座に俺の縛めは解かれた。
「すみません、助かりました」
お礼を述べる。
この食堂での先客たちは、あまりにも騒々しすぎた。
「普段はもっと大人しい子たちなんだけどねぇ」
そうなのか? と思ったところで。
「若い男の人が珍しいんではしゃいでるんだろ……あ、食事お待ちどう」
と、40絡みのおっさんが大きな皿と小さな皿二つを器用に持って、目の前の広いテーブルの上に置いた。
若いって、俺はもう30なんだけど。
「お年の方が来られると聞いて、あっさりしたメニューを準備してたんで、こんなもんしか出来なくてスマンね」
「ああいえ、お気遣いなく」
石上の旦那さん。
俺が食堂に入って、幼女たちが大騒ぎしたんで、何事かと隣の厨房から様子を見に来てくれたのだ。
それで、その時に自己紹介は済んでいる。
ちなみに出されたのは、かなりボリュームがありそうなローストビーフとアボカドの冷製パスタだった。
「はい、お水もどうぞ」
奥さんが、グラスとスプーン・フォークを置いてくれる。
「ほら、ちゃんと椅子に座るんだよ」
旦那の方が、どこかから幼児用の高い椅子を持ってきた。
そしてそれを俺の両脇に据える。
「これなら大人しくするだろう」
そうだろうか?
これだけ広いテーブル(椅子が20脚はある)なんだから、今俺がいる下座からもっと遠くに配置してくれればいいのに。
と思ったのだが。
「「いただきます、わぁ?」」
意外と大人しく、各々の椅子に座った。
おまけに食事時のマナーについてのご指導まで。
「ああはい、いただきます」
石上夫婦は、微笑みながら厨房に戻った。
目の前に置かれた鮮やかな配色の昼食。
考えてみれば、夕べの夜食から何も食っていなかった。
空腹もいいところだ。早速いただく。
「むう、これは……なるほど……」
有り合わせで作った、という割には本格的なお店のお味。おいしい。
この石上さん夫婦は、こんな謎の洋館で働いてるだけあって、ただならぬ腕の持ち主のようだ。
そして、料理の腕前もだが、子供たちの扱い方も一流のようだ。
傍に居るから落ち着くのか、各々食事に専念しているようだ。
あ、ひょっとして夫婦の子供なのか?
ともかく、それでやっと静けさが戻って……
「両手に花、でお食事かしら。結構な御身分ですことね」
食堂の出入り口、そのドアの前に宇藤が突っ立っていた。
「これが優雅に見えるのか」
やっと得た平穏を、この女は……
「見えるわね。それとも価値観の違いかしら? 設計屋さん」
「価値観だって? カチンとはきたけどな」
館の左側の棟にはエレベータがある。
例のPCルームから食堂に来るのに、青メイドさんに導かれて使った。
それで、青メイドさんが俺らよりも先に応接の部屋に着いていた謎は解けた。
「あらあら、それはカンチガイじゃなくて?」
皆で一緒に降りた。
エレベータは、館に合わせて昔ながらのデザイン(落下防止のドアが斜め格子の鉄柵だ)だが、最新の人荷用のようで、全員で乗っても余裕の広さと静かさだった。
「ナイスガイならここに居るぜ。それよりアンタは昼めし食わないでいいのかい」
1階に着いた後、青メイドさん以外は、みんなエレベータホールの奥のドアの方に向かって行った。
その近くにある窓との位置関係からして、どうも外への出入口のように見えた。
俺のトレードに関する事で、外に出る必要があったのだろうか?
そうだとしたら何故?
「私たちはナイスガイの件が済んでからでいいわ。それにまだ早いし」
言うね、と思いながらケータイで時間を確認する。
それがまだ11時半だったのを確認したのと、エレベータが2階に着いたとのベルが鳴ったのが、全く同じタイミングだった。
意外にも、例の双子はパスタを食うのが遅かった。
俺は、出入口の宇藤からの視線で急いだのもあったが、それにしても量が多かったし、同じぐらいで食べ終わるだろうと思ってたのだ。
しかし、俺がパスタを完食してグラスを飲み干したときにも、まだ双子の皿は半分ほどだった。
で、それは好都合だった。
食事中に立ってはいけないというキチンとした躾がなされているのだろう、俺が皿を厨房へ持っていくべくテーブルを離れても、双子は騒いだりせず静かに食事を続行していたのだ。
(少し恨めしそうな顔は向けられたが←二人同時に)
もしあるのなら、夕食時にはどんな騒ぎになるのやら。
と思ったところで、応接室の前に着いた。
「失礼します」
今度も先に宇藤が入る。
俺もその後について入室した。
「かけたまえ」
トレード前と同じ位置関係。
車いすの法帖老、その後ろに青メイド。
違うのは、その両脇にサラと美原さんが立っているということだ。
「失礼します」
軽く会釈し、手前側のソファの横へ進み出る。
横幅はけっこうあるが、直前の低いテーブルの真ん中に書類らしいものとペン立てが置かれていたので、ソファの真ん中に座った。
「待たせてすまなかった。早速その契約書にサインを貰いたいところだが……」
昼に近づいたせいか、窓からの光は減り、逆光状態では無く表情がよく見える。
その柔和さを見て、てっきり昼食の話題を振られると思ったのだが。
「内容を読んで契約できないとなっても、その内容には守秘義務が発生することを肝に銘じてくれ」
それは、契約には普通の事柄だ。
だから特に気にすることなく。
「分かりました。では先ずは内容を拝見させていただきます」
と言って見始めた。
A4大の用紙で3枚。
1枚目は表題。そして俺の情報が。
名前と年齢はともかく、住んでるアパートの住所やケータイの電話番号まで。
これは、個人情報にあたるのでは?
逃げても追いかけるぞ、という意思表示なのか?
「梶谷氏のことがあったのでな、儂の方からそちらの社長さんに直接連絡をとらせてもらった」
俺の眉間にしわが寄ったのを見て取ったか、法帖老が細かいことまで書いてある理由を説明し始めた。
「情報は社長さんから貰ったもので、期間の事に関しても快諾を得たよ」
言われて、期間の項目を探す。
それは2枚目にあった。
……当初の一週間から、一か月に変更されてる。
実は自分でも会社に連絡をとった。
食堂に行った際に。双子に纏わりつかれながら、ケータイで。
思った通り、盆休みまでに仕事を終わらせられなかった連中が会社に出てきていた。
「……そうでしたか」
そいつらの一人(職場の隣の席の若手だった)に、社長の連絡先を調べて教えてくれと頼んでおいた。
あとで連絡が来るだろう。
厳密に言うと、俺からも確認してからでないと契約は出来ない。
「君のケータイにも、直接連絡を入れると言っていたぞ」
2枚目には、仕事の内容に関しての記述もあった。
それは予想通り、株のトレードに関する事だった。
だが、主目的が意味不明だった……
「質問があるかね?」
3枚目を開いたのを見て、法帖老。
2枚目を見れば、当然、質問が来ると思ってたのだろう。
だが、先に3枚目も見ることにした。
そこに、2枚目の疑問に対するヒントや答えが書いてあるかもと思ったからだ。
だが3枚目には、業務契約によくある約款(守秘義務や怪我・疾病時の保障など)の定型文が箇条書きされているだけだった。
「質問と言いますか、まず私が会社と確認をとってからでないと、いち従業員が勝手に業務の」
契約は出来ません、と続けようとしたところで、胸ポケットのマナーモードになってるケータイが盛大に振動を始めた。
「確認できるのではないかね?」
少しびっくりした。
が、その振動はすぐに終わったので、誰かの掛け間違いか、もしくはメールの着信と思われた。
「失礼」
ケータイを開く。
振動の原因は後者だった。
「…………」
メールの発信者は、指摘の通り社長だった。
簡単なタイトルと必要最低限の本文。
そして、このメールの本体たる添付ファイル。
それは、軽いデータ量の.jpegだった。
「……ふっ……」
業務指示書に殴り書きされた、出張を命じる簡易な文面。
出張前に会社で受けた、持ってきているそれと違っているのは、その期間だけだ。
一週間から一か月に延長する、とある。
「ふふふっ……」
それは確かに、赤の他人と仕事の契約をするには、それなりにキチンとした契約書が必要になるだろう。
法的にも問題のないそれを準備して、相手に納得してもらった上で契約するのが、世間一般の常識に違いない。
だが、社畜が業務指示を受ける場合はまた別だ。
こんな小学生のイタズラ書きみたいな単ビラ一枚で、そこが実際に何をするところか分かりもしないのに送り込まれる。
そこが例え、命を落とすかもしれない戦場の真っただ中でも。
こんな単ビラ一枚(の、しかも10kb程度の圧縮画像データ)で!!
「ふふふふふ……」
なんか笑けてきた。
「すみません、こちらからもう一度発信を」
「ああ、ゆっくりおやり」
了承を得て、ケータイでメールをしたため、送信する。
相手は、職場の若手だ。
『さっきはありがとう、社長の連絡先は不要になった。仕事頑張って』と。
「……えと、それでは2枚目の事なんですが……」
と、質問に移ろうとしたその時、またもケータイが胸の中で振動を。
「す、すみません」
と、みっともなく頭を下げながら、ケータイを開く。
それは若手からの返信メール。
文面はこうだった。
『表題の件、了解しました。先輩の出張の仕事も早く片付くことを祈ってます』
…………
いかん、今度はなんか泣けてきた。
「加治屋さん……」
「加治屋、ドンマイ」
「元気出してください……」
通じるものが有るのか、俺の正面に居るサラと美原さん、それに青メイドさんまでもが、口々に慰めの言葉をかけてくれる。
だが、後ろのツンノミは……
「何してんの、質問があるならさっさとしなさいよ」
と、冷酷に言い放つ。
「あのさあ、この状況見て何か感じるものはないのか?」
無いんだろうが。
まあいい。おかげでシンミリした気分はすっかり飛んださ。
「お待たせしました。お聞きしたいのはただ一か所です」
「……ふむ」
居ずまいを正して、問うた。
「主目的の『相場の神を現出させる事』とは一体どういうことなのでしょうか」
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