第13話 北関東の気象観
館の近く。
複雑に敷き巡らされた人気のない私道。いくつもの信号のない交差点。
それらを教えられた通りに曲がり、進む。
センターラインは白の破線。基本的に下り坂。
操るクルマは、車検を一度通したという真っ赤なRAV4。
オーナーの趣味か、ルームミラーのステーには神社のお守りと可愛らしいマスコットが吊られている。
程なくしてセンターラインが黄色の道路との交差点に着く。
一旦停止し、左右確認の上でその交差点を右折する。
平日のせいか車の往来は少ない。
ここからはカーナビが使える筈と、センターコンソールのパネルを見る。
すると、それまで画面上でウロウロしていた矢印が太めの線の上を安定して進みだした。
目的地は、ここから南に35Kmの大田原市である。
道はすぐに緩い上り坂に変わった。
対応すべく、それまでの下り坂で楽をしていたエンジンに活を入れる。
ATが瞬時にシフトダウンし、少しガサツな音を立てながら3ドアのコンパクトな車体をゆっくりと加速させた。
この道路=那須高原スカイラインは、那須の山の南面中腹を東西に貫く観光道路だ。
真夏にしてこの涼しさ爽やかさ。澄んだ大気に青い空と白い雲、眼下には巨大な遊園地やいくつものゴルフ場。
なんとなれば、北の山の上には温泉場や歓楽街までも。
そんなリゾート地の要所を繋ぐこの道路を、ほぼ貸し切り状態で走る。
午後1時過ぎの夏の日の光が、白いガードレールを天空に続く雲の誘いに錯覚させた。
「このマスコット、外したら祢宜さん怒るかな」
紅白の衣装を着た巫女さんのマスコット。
ルームミラーの下でユラユラと。
目障りと言うほどではないが、少し気になった。
「……お守りも一緒だし、やめとくか」
祢宜さんの(初めて見せた)少し怒った顔を思い出して、思い直した。
そう、怒られたのだ。今朝。
昨夜、あれから美原さんたちはすぐに自室へ戻り、俺は十分な睡眠を得られた。
それで爽やかな気分で洗面・着替えをして、厨房へと入っていったのだが。
『おはようございます!』
満面笑みの青メイド・祢宜さんに迎えられた。
『お早うございます。今朝は早いんですね』
訊くと、昨日は俺より遅くなったのが内心悔しかったらしい。
それで競うように早起きだなんて。まるで小娘。
と内心苦笑しながら、今日からは朝食を作って貰いたい旨をどうやって伝えようかと思ったところで。
祢宜さんは冷蔵庫の方に行き、ドアを開いて……
『たんと召し上がれ!』
と、大量の菓子パンを料理台の上にぶちまけたのだ!
『こ、これはいったい……』
と言ったところで思い出した。
きのう法帖老に、“朝は菓子パン”とテキトー言ってしまっていたことを。
そこへ、黒衣装三人組が厨房へ入ってくる。
当然、料理台の上の菓子パンの山に目が釘付けだ。
そして、昨日の会話を思い出したのか、宇藤が祢宜さんに問いかけた。
すると思った通り、昨日の午後は麓のコンビニ数軒に買い出しに出かけたのだそうだ。
俺の朝食の為だけに!
菓子パン群の中、よく見るとハンバーガーやサンドイッチなんかの総菜パンもある。
いくら大金持ちの孫娘とはいえ、この金使いは荒すぎるだろう。
そう思って、言いたくはなかったが言う事にした。
『祢宜さん、賞味期限は確認しましたか?』
すると、それがよほど意外な質問だったのか、呆気にとられたような表情で。
『既製品のパンなんて、1か月くらいあるんじゃ……』
と、いかにも大金持ちの孫娘らしい返答を寄こした。
つうか、コンビニの菓子パンなんて庶民の食い物、食したことはないのかもな。
『ど、どうしましょう……』
台の上の菓子パンを数個とり、ラベルをみて自分のミスに気付いたか。
ニコニコだった祢宜さんの表情が、みるみる暗いものに変わっていく。
う、これは辛いな……
『ああ、祢宜さん、ほら……』
それまで横で聞いていた宇藤が、俯いた祢宜さんの傍らに行って、ハンカチらしいものを握らせた。
『加治屋、泣かせた』
『う……』
サラの指摘に、仕方ないだろ、とは返せたかもしれない。
でも、祢宜さんは俺の事を考えてしてくれたのだ。
ここは先ず、ありがとうと言うべきだったか……
『でも、加治屋くんも悪いのよね』
落ち込む祢宜さんを慰めようと、宇藤が。
当初は俺が祢宜さんを疑っていた事をぶちまけてしまった。
『え、そんなことが……』
祢宜さんが、戸惑う視線をこちらに寄こす。
チャンスだと、もちろん今は全く疑っていない旨を伝えたうえで。
『パンはありがたく頂戴します』
と言った。だが。
『そんなの当然でしょ。それより祢宜さん、コイツに何かやりかえしてあげなさいよ』
と、宇藤がけしかけてきた。
『おい、それはちょっと』
『まあまあ加治屋さん、パンは私たちも応援しますから』
と、美原さんに宥められてしまう。
むう、常識人にはこういう時かなわないな……
と思ったところで。
『えと、それじゃ、仕返しとかじゃなくてお願いなんですけど……』
と、オズオズと切り出してきたその内容が、このお使いだったのだ。
・大田原市の衣料品店にお願いしているものを、受け取りに行って欲しい
・時間が残るなら、自分の車のエアコンの調子がイマイチなので、車を買った店に行って直してもらって欲しい
の2点。
快諾した。
車の運転は、提携先へのCADシステムの搬入などで会社のバンをしょっちゅう運転してるから問題無い。
仕事の方も、例のピコピコは当面追いかけないことになって俺の作業は少なくなってるし(それは法帖老も知ってたので、この件も簡単に了承された)。
それに、館の中で一歩も外に出ずに仕事漬けにもそろそろ飽きがきてたところだったしで。
『承知いたしました、お嬢様』
と、少しおどけて付け加えたのだが。
『茶化す人、キライです……』
と、少し怒った顔でプイッと横を向かれてしまった。
いや、茶化したつもりは無いんだけど……
と、オタオタしていると。
『加治屋、オイシイ』
サラが。
いつの間にか牛乳を用意し、台の前の椅子に座ってサンドイッチを食べていた。
つうかそれ、味の感想か、それとも俺を茶化しているのか?
「……どっちか分かんねーよ」
目の前の道路。
見た目は少しきつめの右カーブだが、カーナビは盛んに四つ角の交差点だと主張している。
そこを直進しろと。
「ここは無難に道なりで……んん?」
カーブの直前まで来たところで、カーブの奥にセンターラインの無い細い道が繋がってるのが見えた。
細い道の両脇を林が覆ってるので、遠くからでは分からなかったのだ。
更によく見ると、その左側にもまた細い道が。
「ホントに四つ角か」
カーブを曲がる気になってアウト側のラインに車体を寄せていたが、中央に戻す。
そして多めに減速をして、カーブの奥の、直進となる細い道に車体を突っ込んだ。
「……いいのか?」
カーナビを見る。
すると、矢印が画面下側に走る線に沿って静々と進んでいた。
どうやらこの道でいいようだ。
センターラインが無いとは言っても、そこは栃木の田舎道、たまに来る対向車とすれ違うには十分な道幅がある。
ちょっとホッとして周りを見回すと、先ほどの四つ角からいきなり周囲の眺めが変わった。
それまで雑木林や牧草地ばかりだったのが、稲田になったのだ。
まるで線を引くように。
「……そういえば、暑くなってきたな」
山からかなり下ってきていた。
カーナビの表示では、既に観光道路は終わっていて、今は普通の県道を走っているらしい。
もう、リゾート地ではないのか。
「エアコン、っと」
エアコンのスイッチを入れる。
調子が悪いと言ってたが、道も緩やかながら下りだし少し冷やすぐらいなら……
「って、なんじゃこりゃ」
吹き出し口から出てきたのは、温風と言うか熱風だった。
それも、すぐに冷たくなるだろうと思って待ってたのだが、1分たっても熱風のままだ。
むしろ温度が上昇している風ですらある。
よく見ると、熱風に黒っぽい色まで付き始めた。
「こういうのは、調子が悪いっていうんじゃなくて」
田んぼの中のまっすぐな道を走りながら、エアコンのスイッチ周りを色々いじってみる。
しかし状況は一切改善されなかった。
「壊れてるっていうんだぞ」
ルームミラー下のマスコットに宣言して、エアコンのスイッチを切る。
そしてパワーウィンドーで窓を全開にした。
マスコットは返答せず、ただ揺れを増すだけだった。
「ふう、外の風の方が涼しいだなんて……ん?」
謎の黒い熱風に較べれば、まだ外の大気の方がマシだった。
しかしなんだこの異様にベタつく感じは。
「夕立……にはまだ早いよな」
進行方向左側の空には真っ白い入道雲があったはずなのだが、いつの間にか真っ黒い雲にとって代わられていた。
「まさか、ね……」
嫌な予感に包まれながら進む。
道は、いくつかのきつめのカーブを過ぎると、センターライン(黄色)のある道路にぶつかった。
カーナビの指示通り左折。
黒い雲は、そろそろ頭上の辺りにまで進展してきたようだ。
日の光が無く、薄暗くなった。
そして、このセンターラインのある道路は結構交通量があるようで、対向車が多いのだが、その中の数台がワイパーを忙しく動かしていた。
なんだそりゃ? と思って通り過ぎた対向車を見ようとルームミラーに視点を移動した。
まさにその時だった。
いきなりの轟音!
「うわ! うわわわっ!!」
瞬間、巨大なダンプカーがすれ違ったのかと思った。
しかし違った。
フロントウィンドウには、巨大な雨粒が叩き割らんとするかのように打ち付けられていたのだ!
「くっそおおおおおおっ」
反射的にブレーキをかけ、ワイパーを動かす。
しかし、ワイパーはものの役に立たなかった。
もの凄い豪雨。
しかも、スピード感も奪われてしまった。
当然だろう。視界を無くし、タイヤ音やエンジン音さえ聞こえなくなったのだから。
「止まれええええええええっ」
ハザードをオン。
ハンドルを直進(それまで見えていた道路の記憶だけを頼りに)のまま、ブレーキペダルを踏み続けた。
まだ豪雨とその轟音は続いている。
そこで、あ、と思ってスピードメーターを見る。
それはゼロを指していた。
どうか他車にオカマを掘ってたり、掘られてたりしてませんように……!
それだけを、ハンドルボスの上で祈り続けた。
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