第6話・大人の授業参観

 

「…………」


 そう来るとは思ってなかったのか、法帖老は車いすを自分の手で止めて、意表を突かれたような顔を見せた。

 だがそれもほんのわずかな間で、すぐに先ほどまでの重々しい雰囲気を取り戻す。


「提案はありがたいが、君には無理だろう」

「何故ですか? 何故私には無理だと?」


 少しムッとした。

 そりゃこの老人からしたら、俺なんて若輩者もいいところだろう。

 甘さも目に付くんだろう。

 しかし、俺が何をしてる人間かも知らずに、いきなり無理だはいただけない!


「無理に決まってるでしょ、何考えてんのよ」

「どうしてそう言い切れる!?」


 呆れ顔の宇藤に言い返す。

 そのタキシードの後ろ、黒メイド二人が見える。

 彼女らも同様に、無理筋を指摘するような目をこちらに向けていた。


「……ふむ、では訊こう」


 青メイドによって、車いすの向きが再びこちらに変えられる。

 そのメイドの目は、話題に興味を示してるようには見えなかった。


「君の職業、の業界で、いわゆる有名人というのは居るかな?」

「は、はい……え?」


 てっきり職業を聞かれると思ったんだが、業界内の有名人?

 なんでそんなことを訊いてくる?


「えっと、その、それは業界内での有名人という意味でしょうか?」


 電気回路を載せる基板の設計というものは、歴史が深そうで実は浅い。

 故に世間一般でも知ってる人が多い有名人という者は存在しない。はず。

 だから業界内限定でも可かと訊いた。


「ああ、それでもいい。居るのか?」

「は、はい居ります」


 すこし苛立ちをにじませた法帖老の問いかけに、慌てて返事をした。

 その時頭に浮かんだ該当者は数人。それらは皆、会社の上司や先輩たちだ。

 世間では決して有名人ではないが、実績もある実力者たちで、業界内ではけっこう売れた名だ。

 もし、彼らを知らないものが居たら、業界内では素人扱いされるだろう。


「もしその人たちを知らないという人間が居るとして、その人間がその業界の仕事をまともにできると思うか?」

「! そ、それは……」

「君は、私の名前を初めて聞いたのだろう?」

「…………は、はい……」


 そうか、そうだったのか!

 だから自己紹介の後にあんなジロジロと!


「理解できたのかしら? なら、さあ」


 そんな有名人だったのか。

 そりゃ確かに、素人にその業界の仕事を任せる気にはならないわな。

 まいった、俺が浅はかに過ぎたんだ。

 後ろの黒メイド二人も、行き違いだから仕方ないよ、と、異口同音に慰めてくれる。


「お帰りはこちらよ、お客さま」


 冷や水を浴びせられた気分で、踵を返す。

 が、どうにもこの宇藤の言う事にはムカついてしまう。

 だから。


「仰られたこと、よく分かりました。知らずとはいえ非礼あった事をお詫び申し上げます。ですが」


 再度踵を返して、法帖老と向かい合う。


「私も会社員として、何も情報を得ずに帰社するわけには参りません。少なくとも、梶谷に引き継げる程度の内容は手にしないと。子供の使いではないつもりなので」


 冷えた心で絞り出すように言った。

 が、それを嘲笑うような宇藤の鼻笑いが背後から。


「充分に子供じゃないのよ」


 と、再び火をつけるようなことを言った。


「なにをっ」


 肩越しに宇藤の顔を睨みつける。

 いかん、これじゃさっきの二の舞だ。


「落ち着きたまえ」


 そして再び助け舟を出される。

 ああ、自分の無能が恨めしい。


「ふうむ、分かった、そこまで言うのなら」


 言って、法帖老は背後の青メイドに目くばせをする。

 すると、青メイドは車いすを再び横のドアに向けて進め始めた。


「ついてきなさい」


 今度はしっかり振り返って、宇藤を見る。

 自分でも口の端がニヤリと吊り上がってるのが分かった。

 それに反して、宇藤のはへの字になっていたが。


「はい」


 ドアは車いすの目の前になった。

 青メイドは流れるような動作で車いすにブレーキをかけ、ドアを#向こう側に__・__#開けた。


 その後につく。

 宇藤と黒メイド二人もついてきてるのが気配で分かった。


「入りたまえ」


 先に部屋に入った法帖老の声に促されて。

 入ると、それまでいた部屋とは反対側の壁に数多くのPC用ディスプレイが貼り付けられるように配置されていた。


「これが何か分かるかね?」


 ディスプレイの壁の手前には広めの、キッチンテーブル状の台が。

 その更に手前には、長時間の使用も快適そうなハイバックのアームチェア。

 それらの横手には、ディスプレイを表示させるためと思しきデスクトップ型のPCが数台。

 しかし、法帖老が問うているのはハード的なことではなく、ディスプレイに表示されている内容だろう。

 それは一目で分かった。


「これは、株式のトレードツールですね」


 正確には、株売買の為のシステムと、値動きを表示するチャート図や、ニュースサイト(無論経済関連に特化したものだ)等だろう。


「そうだ。取引の経験が?」

「一昨年までに2年間ほど」


 そう、したことがあるのだ、株のトレード。

 悪友である川上に4年前に唆されて、ネットの株口座を開設し、2006年まで小遣い稼ぎをした経験が。


「そうか、それではこの席に座りたまえ」


 言われるままに、台の真ん中にあるアームチェアに腰を下ろす。

 すると、ちょうど操作しやすい位置にマウスとキーボード。

 更に台の上には、発注用のPCの為と思しきディスプレイ(一枚が24インチくらいか?)が縦ローテートで3台、各々ピッタリと引っ付けて三面鏡のように置かれていた。


「時刻はいま10時前か。相場は動いている。口座には現金でとりあえず1千億円入れてある。君の好きなように売買してみたまえ」


 え、そんな急に言われても……


 戸惑ってしまう。

 背後からは法帖老たちの刺すような視線が。

 これじゃまるで、授業参観を受けてる小学生みたいじゃないか!

 

 真ん中のディスプレイには、何かの銘柄のボードと歩み値。

 右側のディスプレイには、分足、時間足、日足と三種類のチャート。

 左側には、売買の為のシステム画面が表示されていた。


 銘柄は、宝くじで有名なメガバンだった。


 圧倒されるのは、左側の残金額や右側のチャート図の反応速度ではなく(いや、それらも見たことのない金額やスピードで思わず見入ってしまうのだが)、真ん中のボードの表示だ。

 上下に30段ずつはある。

 

 試しにマウスでカーソルを操作してみると、上はストップ高(50円高)、下はストップ安(50円安)まで表示された。

 制限値幅によって段数も増減するのだろう。いわゆるフル板というやつだ。

 証券会社か取引所でないと拝めない筈のもので、普通の、一般人が使うツールではせいぜい上下5段ずつしか表示しないのだ!


 それにしても、と、チラと後ろを見る。

 1メールほど距離を開けて、法帖老たちが横一列になってこちらを注視していた。

 (青メイドだけは法帖老の後ろだが)


 この老人は、相場の達人かなんかなんだろう。

 口座に入ってる金額だけでも、相当な資産家であることがうかがえる。

 でも、それなら何故?

 何故、他人にトレードをさせようとする?


 しかしこの状況に至って、法帖老が梶谷さんをリクエストした理由ははっきりした。

 あの人は証券会社あがりだからだ。

 年齢的に言って大口トレードの経験もあるだろうし、俺のような一般人よりもずっとマシなトレードができるに違いない。


 だがそれなら、普通に現役の証券会社の社員を呼んで来い、って話だ。

 なんでわざわざ基板設計会社の社員から選び出す必要がある?


「何か分からないことでもあるのかね?」


 背後から法帖老の声。

 考える時間はもらえないのか?


「え、あ、えっとですね……」


 急いで、左側のシステム画面をカーソルで適当にいじる。

 自分の口座のツール(マーケットスライダーって奴だ)に酷似しているのだが、端々の表示が違ってる。

 そこで、何か不明な箇所が無いかと探ってみたら、手数料の表示があるページがいくらまさぐっても出てこなかった。

 これはラッキーだ。


「手数料はどこを見ればいいですか?」

 

 これがシステムの不備なら、それを修正する間に考える時間が……


「手数料は考えなくていい。発生しないからな」


 即座に、しかも驚愕の回答を頂戴した。

 え、手数料は無し、いや発生しない?

 それじゃホントに証券自己のディーリングルームそのままじゃないか!


 と、驚いて反射的に後ろを振り向いた。

 すると。


「それは……」

「…………」


 何事か言おうとした宇藤が、法帖老の無言の圧力に晒されて萎縮してるところだった。

 ちょっと怖い。


「分かりました。それなら……」


 それなら、二つの推論が可能となる。

 ひとつは、手数料は発生するのだが、金額が少ない(つまり、左の画面の入金額1千億円というのはマヤカシ)ので些細な額だから気にする必要が無い、という事。

 もうひとつは、この表示自体がリアルではない=売買練習用シミュレーターなのだという事。


 それら二つに共通しているのは、トレーダーの負担が限りなく少なくなるということだ。

 つまり、トレーダーのセンスを確認する為の方策なのだろう。

 これは試験なのだと。


「……好きにやらせて頂きます」


 再びディスプレイに向き直り、今度は本気でトレードにかかることにする。

 そもそも、初対面の相手にいきなり1千億円を預ける酔狂者がどこに居るよ。

 そう考えると、今しがたの推論もかなりいいところをついてるような気がしてきた。

 それで一気に気楽に。


「まずは銘柄選定から」


 システム画面は、使い慣れたそれにホントによく似ていた。

 だから操作しやすいのだが、同時に、それを使っていた頃の事をも思い出してしまう。


「売買高が金額ベースで上位のものが適当っと」


 真ん中のディスプレイにフル板を表示なら、デイトレ、いや分トレしろと言ってるのと同じだ。

 だから、それには売買高の高いもの≒値動きが旺盛な銘柄を選ぶのが正解。


 ……とか考えてやってたんだよなあ、あの頃は。


 あの頃、つまり俺が平日休みの日にトレードしてた新興バブルの頃。

 特に2005年頃は、マザーズやヘラクレスなどは半狂乱だった。

 株式分割ですら上げ材料になっていたのだ。

 今でこそ、なんであんなバカなことをしてたんだろうと冷静に振り返れるのだが。


「このETFで行きます」


 銘柄をメガバンから変更し、返事を期待しない宣言をする。

 背後からは、せっつくような空気が伝わってくるだけだ。


 まあいい。

 結局あの頃の終焉は、某新興銘柄の社長の逮捕に端を発した、証券会社による信用掛け目ゼロが引き金となって、それまでに膨らみ切っていた新興バブルが一気に弾けたというものだった。


 俺は現物も買わずデイトレに徹していたおかげで、大した被害は受けなかった。

 まあその分、儲けも少なかったのだが。

 が、ほとんどの参加者は信用2階建ての買い専門だったので、その損額は莫大なものとなった。

 

 多くの破産者が発生した。

 そんな状況に嫌気がさした俺は、本業に集中することにして相場から降りたのだった。

 そして現在に至るのだが、まさかこんな形でまたトレードすることになろうとは。


「さて……デイトレの基本は」


 両建てだ。

 異論は多くあるだろう。当時でもそうだった。

 ■ちゃんねるの株式板での冷ややかなレスを思い出す。

 しかし、俺はコレなんだ。


「発注、っと」


 このETFは日経225という名前がついているだけあって、その値段も日経平均とほぼ同じものだった。

 値動きは10円刻み。

 いま、板の中心で売買が成立している値段は13250円だった。


 前日(つまり先週の金曜日)の終値が13170円。

 今日は上げ方向で来ている。


 だからといって片張りは危険。

 直観で相場を見立てるのはもっと危険。

 現金のみで現物株を持っていないのなら尚更だ。


 今、板は13260円の売り、13250円の買いだ。

 そこで俺は、13260円の板に空売りの注文を、13250円の板に買いの注文を入れた。

 各々は同じ株数だ。


「りょ、両建て……?」


 宇藤の呆気にとられたような声が聞こえる。

 なんだそりゃ、と言いたげな。

 しかし無視する。


「これでよし」


 各々の注文が出来て、いま値段表示は13260円になっている。

 買いは10円分儲けだが、空売りの方はプラマイゼロだ。

 仮にどちらかに大きく動いても、各々の損額を儲けが相殺するので、損はしない。


「何がよし、よ。これからどうすんの」


 宇藤がうざい。

 両建てという言葉が出てくるのに、これからどうするのか分からないのか?



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