第5話・必要となる客観

 

 変身したのは例の女だけではなかった。


「加治屋、遅い」

「サラちゃんたら、もう」


 部屋を出たところに、黒いドレスのメイド服を着た二人が立っていた。


「出たなチビッ子」

「ああ、加治屋さんまで」


 こちらの二人の変身具合は、例の女ほどではなかった。

 が、それなりに化けるもので、タクシーの中での一般人とした印象からはだいぶかけ離れたものを感じた。

 馬子にも衣裳と言ったら怒られるだろうが。

 

 美原さんは中肉中背だが、サラも背丈の割にはそれほど違和感なく見える。

 少なくとも小学生の演芸会みたいな感じでは全然ない。

 ドレスの縦横比率が、他の人と変わらないせいなのかもしれない。


 あ。

 変わらないと言えば、ドレスやエプロンなんかのデザイン自体は、さっきの青いドレスのメイドさんのそれと全く同じだ。

 ドレスの色が青から黒になっただけで全然別物に見える。

 おまけに廊下は薄暗いので、黒いドレスだとその中に埋もれて見えて、館の使用人然とした印象を尚強くする効果があるようだ。


「加治屋、遅いうえに失礼」


 気づけば舐めまわすような視線になってしまっていた。

 だが、こういう風になったのには原因がある。


「スマンな、でも説明不足だからだよ」


 途中から目線を美原さんに向けて。

 こういう状況なら、案内してくれた人間がチュートリアルしてくれるのが普通。

 エロゲなら、特徴の薄いモブキャラがよく担う役だし。


「え、わ、私ですか?」


 目をぱちくりさせながら。


「説明したいのは山々なんですが……」


 と言ったところで。


「それを今からしてあげようというのよ、早くいらっしゃい!」


 ホールの端、広い階段の前まで行ったところで例の女が。

 まあそうだろうな、と思って黒メイドの二人を見るのだが。


「……?」


 二人とも歩き出そうとしない。

 …………

 ああそうか、俺の後をついてくるってのか、この二人は。


「それじゃあ行くとしますか」


 言って、例の女が待ってる方へ歩き出す。

 すると、思った通り二人は俺の後ろをついてきた。

 (ついでに、さっきの天然系青メイドが茶器とかを乗せたカートを押してホールを横切るのが見えた。こちらも俺が動き出すのを待っていたようだ)


 つまり、例の女と黒メイド二人は、俺を挟み撃ちにして護送するつもりなのだ。

 全然信用はしてないよ、と。

 なるほどねえ……


 …………


 ……


 玄関から向かって左側の棟、その2階部へ移動した。

 長い廊下、ところどころにある窓からやっと入ってくる日の光で、かろうじて見えるレベルの明るさだ。


「こちらよ」


 丁寧なんだからぶっきらぼうなんだかよく分からない言葉を吐いて、例の女が厳めしく大きなドアをノックする。

 すぐに、内側から返事らしい声が聞こえた。


「失礼します」


 厳めしいドアを開け、俺に対するのとは大違いの背筋の伸びた姿勢で軽く一礼し、部屋の中に入っていく例の女。


「加治屋様をお連れしました」

「うむ……」


 部屋の中から重々しい声が。

 同時に、女がこちらに目くばせをする。入室しろという事か。

 いやしかし緊張するな。

 こういうのは、8年前に今の会社の面接を受けた時以来だから。


 と学生みたくモジモジもしてられないので、ここは社会人らしく堂々と。


「失礼します」


 部屋に一歩入って軽く一礼。

 部屋の中は、廊下の石造りな感じのするものと大きく違って、壁紙も絨毯も落ち着いた色合いの模様が施された凝ったデザインの物だった。

 特に絨毯は、革靴の高さ三分の一が埋まりこむような上質なものだ。


「帝浜アートワーク設計2課の加治屋 九郎と申します。本日業務をご一緒させて頂きます事を楽しみにして参りました」


 新幹線の中で寝ずに考えておいた口上を述べる。

 うん、引っかからず上手く言えた。つもりだ。

 さて……


「く……くろう?」


 思ったよりも広くない室内(それでもざっと20畳はあるだろうが)の向こう側は、大きな掃き出しの窓、その上にも欄間風に小さな飾り窓がある。

 それらの両脇には開かれ畳まれたカーテン。それもまた壁紙やじゅうたんに合わせられたデザインの、上質そうなものだ。


 部屋の左横には大きくて古そうなサイドボード、右側には部屋の割に大き目の暖炉が。

 そして、部屋の中央部には、アンティークなデザインの応接用ソファー4点セット。

 これらも恐らくは輸入品なのだろう、座面や背もたれのサイズ感が日本人向けのそれとは微妙に異なる、大き目な感じのするものだ。


 その椅子の後ろに車いす。

 白髪の老人男性が座ってこちらを見ている。

 年齢は、パッと見で80台中盤か。

 窓からの逆光で表情まではよく見えない。


 その更に後ろには、青いドレスのメイドさん。

 こちらも逆光なのだが、その小首をかしげる仕草には見覚えがあった。

 さっきの青メイドだ。

 いつの間にここまで……?


「君は、くろうという名前なのかね」

「え? は、はい……」


 メイドさんに気をとられていて、館の主らしき老人が逡巡していることに気づかなかった。

 というか、俺の名前に何か問題が?

 子供は野球チームが作れるほど欲しいってんで、最初に生まれた子供にその決意を含めて九郎と名付けただなんて、俺の父親のいい加減な人間性を証明するものではあるが。

(それを容認した母親も相当だが)

 しかし今まで生きてきた中で、問題だと言われたことは一度もない。


「君の会社に、かじや ぜんじという人はいないかね?」

「え……?」


 会社に……は、俺と同じ苗字の人間は居なかったはずだが。

 あ、居るか。

 但し別の漢字で。


「は、はいおります。但し、漢字が木偏に尾っぽの梶に渓谷の谷ですが」


 そうだ、営業に居た。というか今も居る。

 たまに外線電話が回されてくる際に、間違って俺のとこに来る場合があったから覚えてる。

 確か中途入社で……


「弊社の営業に所属しております」


 言うと、老人は少し気落ちした表情になり、後ろのメイドさんに何かを要求した。

 するとメイドさんは予め分かっていたのか、流れるような動作で手に持っていた書類の束を老人に渡した。


「これを見たまえ」


 その書類の束の、一番上の書面を片手で突き出される。

 慌てて近づき、両手で押し頂いた。

 ……ここまで丁寧にする必要はないかとは思ったが、相手がこの年齢なら丁寧にするのが当たり前だろうと思い直した。

 それに、そういう風格みたいなものもあるから、この老人には。


 そしてその書面を見たのだが、そこには。


「……確かに、この者は弊社の梶谷で間違いありません」


 免許証にあるような顔写真、50過ぎの疲れたおっさんのそれ。

 名前と年齢・住所。

 その下の簡単な経歴には、前職が証券会社の営業だったと書かれている。

 これも聞いたことがある。なかなかのやり手だったとも。

 その梶谷氏が何故、帝浜アートワークに来たのかは知らないが。


わしは、この方が来られると聞いておったのだが」


 !! 名前違い!


「た、大変な失礼をしました!!」


 ここは頭を下げる。その一手だ。

 社内の誰がどういう風に間違ったのかなんて、今ここで考えることじゃない。

 ここで帝浜アートワークの人間は俺一人なのだから!


「完全に当方の落ち度です! つきましてはすぐに本社へ連絡をとりまして……」


 って、会社は先週の土曜日から盆休みに入ってたか。

 いや、昨日までの俺のように、終わってない仕事を片付けるためにズル出社してる奴が2~3人はいる筈。そいつらに社長の連絡先を調べてもらえば……


「あら、お間違いでしたのね。それはいけませんね、さあさ、さっさとお帰りに……」


 何とかしようと上着の内ポケットからケータイを取り出して、短縮ダイヤルを呼び出してる俺の右腕を、例の女が遠慮なしに引っ張る。

 つうか、オマエ……


「……そういやアンタは俺のフルネームを知ってたよな。何故だ?」


 それなのにこの館まで連れてきて。どういう了見だ?


「え、そ、それは……」


 掴んでいた腕を逆に掴み返されて、狼狽える女。

 目を覗くと、動揺を隠そうとするように横を向く。

 これは明らかに何かを隠してるな。


「まあ容赦してやってくれんか。こちらでも行き違いがあったようだし」


 老人が助け舟を。

 この場合、助かったのは俺の方だろう。酷い状況とはいえ女性に手を上げる寸前だったのだから。

 冷静にならねば。


「それにその宇藤うどうくんは、私の配下ではないのでな」

「そ、そうなんですか」


 これも驚いた。

 いままでの様子から、露骨なまでに老人専属の執事然としていたから。

 じゃあ、いったいどういう関係なのだ?


「ああ、まだ言ってなかったなすまん。儂の名は法帖ほうじょう 分光ぶんこう。この屋敷の主だ」

「は、はい、初めまして」

「…………」

「……?」


 なんだろう? 名前を聞いた俺の反応をめつすがめつするその表情は。


「そちらの社長さんには、儂の方から連絡を入れておくから心配は要らんよ。だから」


 帰りなさい、と言わんばかりに後ろを向く。

 すると、察した青メイドが車いすをゆっくりと左に向けた。

 そちら側にあるドアに向かうようだ。


「さあ、帰りましょう、加治屋くん」


 腕を更に握り返した宇藤が、少しうれしそうに。

 

 ……確かに、この状況なら帰ってしまっても問題は無いのかもしれない。

 いや、帰る前に、社長に連絡をとって顛末を報告してから後の行動を仰ぐべきだろう。

 それにしても、この館に長居する理由にはならないのだが。


 ならないのだが……


「お待ちください、法帖さま」


 思い浮かんだ梶谷さんの顔。

 あの人に、こんなよく分からない怪しげな仕事を押し付けていいのか?

 この状況。客観で考えて、どう行動するのか正解なんだ!?


「代わりに私がこの仕事を引き受ける、というのは如何でしょうか」


 とりあえず、目の前の老人にボールを投げてみた。



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