目には目を ~僕を捨てた幼馴染がすり寄ってきたのでざまぁした結果……僕は絶望した~
神門忌月
目には目を ~僕を捨てた幼馴染がすり寄ってきたのでざまぁした結果……僕は絶望した~
当時、平凡を絵に描いたような高校生だった僕──
幼稚園から高校まで一緒に過ごしてきた僕らは、もはや家族のような親密さだった。
幼い頃は女の子の方が肉体的にも精神的にも成長が早い。
もともと世話好きの有紗は、すっかり僕のお姉さん役に収まっていた。
大人からは、よく『まるで姉さん女房』とからかわれた。
でも、いつしか僕は有紗をひとりの女の子として好きになっていた。
だからあの日、下校途中の夕焼けの道で、僕はその恋心を告白したのだ。
しかし、その結果は散々だった。
「え? いやいやいや、むりむりむり。だってタッくんは弟みたいなもんだもの。恋愛対象として見れないよ」
満面の笑みでそう言われた。
「それよりさー、きのう、お母さんったらねー、──」
何事もなかったように日常の話題に戻ってしまった有紗に、僕は絶望する。
これっぽっちも異性として意識されていなかったことを思い知らされた。
すぐ隣りにいるはずの有紗の声が、やけに遠くに聞こえる。
二人連れなのに、ひどい孤独感にさいなまれる。
僕は宵闇が濃くなる道をとぼとぼと歩き続けた。
翌日から、それまで一緒に登校していた有紗を待つこともなく、僕はひとりで早めに登校することにした。
その数日後、有紗が高校の先輩と付き合い出したことを知った。
僕の中で、決定的な何かが壊れる音がした。
それ以降、僕は有紗を徹底的に避けるようになった。
有紗は最初、なぜ自分を避けるのかと僕につめよってきた。
その理由がわからない有紗に、それを僕に聞いてくる有紗に、僕は憎しみさえ覚えた。
僕は有紗を一切無視するようになった。
そのうち、有紗も先輩と過ごす時間が増え、だんだんと僕にかまわなくなっていった。
有紗と疎遠になる一方で、僕はひとりのクラスメイトと仲良くなった。
「実はわたし、前から唐沢くんとお話してみたかったんだよね」
「そうなの?」
「うん。唐沢くん、よく図書館から本を借りてるでしょ? 多分、クラスで一番の読書家だよ。だから、本の感想とか聞いてみたくて」
読書は僕の唯一の趣味だ。
けれども、休み時間まで読書に費やすほどではないし、お小遣いが足りないので蔵書も多くはない。
「でも、クラスいちの読書家は間違いなく安住さんでしょ? 自覚ないの?」
「あ、そうか。へへへ。これは一本取られた」
本を読んでいる姿が目立つため無口な印象が強かった彼女。
でも実際は、結構なおしゃべり好きだった。
「もっと早くに声を掛けてくれたらよかったのに」
「ええー! 無理だよ。だって唐沢くんの隣にはいつも剣持さんがいたもん。あんな天衣無縫完全無欠の美少女オーラを身近で浴びたら、わたしなんて滅却されて灰になっちゃう」
そして、言葉選びが少し変だ。
ほどなくして、僕と菜々緒ちゃんは付き合うようになった。
それと時を同じくして、有紗が先輩と別れたという噂を聞いた。
それは、菜々緒ちゃんとの初デートの帰り道で起こった。
楽しい時間を共に過ごせた高揚感に包まれ、菜々緒ちゃんと並んで歩く僕。
その前に、有紗が現れたのだ。
「……タッくん」
有紗がすがるような目で僕を見る。
楽しい気分を害されて、僕は一気に不機嫌になった。
「行こう、菜々緒ちゃん」
「え? でも」
とまどう菜々緒ちゃんの手を引いて、僕は有紗の横を通り過ぎようとする。
「タッくん! わたし、先輩と別れたの!」
有紗が僕の服のそでを掴んでくる。
「だから……明日からまた、一緒に登校しよう?」
「触るな!」
僕は有紗の手を振りほどいた。
有紗をにらみつけると、彼女は驚いたように目を見開き、固まっている。
「もう二度と、僕に構うな!」
有紗の目から涙がこぼれ落ちた。
それを隠すように、彼女は両手で顔を覆う。
「ごめんね。わたし、タッくんのこと傷つけちゃったね。全部わたしが悪いの。タッくんとの関係が変わるのが怖くて……。下手にそういう関係になって、気まずくなったどうしようと不安になって……。本当に……ごめんなさい」
「知るか! そんなの僕には関係ない」
「そうだよね。馬鹿だなぁ、わたし。怖くなって先輩に逃げちゃった。だけど、すぐに先輩にも呆れられちゃった。『俺をダシに使うな』って振られちゃった」
「振られたから、僕のところに戻ってきたのか!? 最低だな、お前!」
「うん。最低だね。……それでも、わたし、タッくんの側にいたい」
「僕はもう、側にいたくない。二度と僕の前に現れるな!」
すとんと、有紗が足から崩れ落ちた。
「お願い……。お願いだから……」
地面に座り込みながら、有紗が肩を震わせている。
「行くよ、菜々緒ちゃん」
「待って! 剣持さんが……」
「行くんだ!」
僕は菜々緒ちゃんを引きずるようにして、その場を後にした。
それから、有紗は僕につきまとうようになった。
つきまとうとはいっても、僕の行く先に待ち伏せするだけ。自分からは近づいてこない。
うつむいたまま、僕から声をかけてほしそうに、ずっとたたずんでいる。
そんな有紗を僕は無視し続けた。
そのうち、僕の家の前に立ち続ける有紗の姿が近所で噂されるようになった。
特に、土砂降りの中で立ち尽くしている姿は、人の目を引くには十分だった。
誰かが警察を呼ぶ事態になり、僕も事情を聞かれることになった。
僕はストーカー行為にあっていると警官に告げた。
数カ月後、有紗の家族はどこかへ引っ越してしまった。
それ以来、有紗とは会っていない。
「と、まあ、高校の時、そんなことがあったんだよ」
長い話を終えると、僕は乾いた喉をビールでうるおした。
今日は友人宅で二人きりの飲み会だ。
その友人──
加賀は僕と同じ市内の出身だった。同じ学校に通ったことはなかったが、それでも昔話が通じやすい相手だ。
だからだろう、酔った勢いとはいえ、有紗の話をしてしまったのは。
僕の話を静かに聞いていた加賀は、手にしたビールを一気に飲み干した。
「そりゃ最低だな」
「だろ? ほんと最低な女だったよ」
「いや、お前がさ」
「へぁ?」
一瞬、言葉の意味が理解できずに間抜けな声が出た。
加賀の顔を見ると、そこには言いようのない無表情が浮かんでいる。
「お前、楽しんでただろ? 傷ついて、それでも自分にすがってくる彼女の様子に、優越感を抱いていたんじゃないのか?」
その声には、怒りも、不愉快さもない。
ただ、淡々と事実を確認しようとしているように聞こえる。
「いや、──」
とっさに反論しようとした僕は、そこで言葉を飲み込む。
楽しんでいた? 僕が? 優越感?
当時、僕が抱いていた感情はどんなものだったか?
「……楽しんでなんかない。腹が立っていただけだ。不愉快だっただけだ」
僕の言葉に、加賀は値踏みするような目を向ける。
「うっぷんを晴らすってのは、マイナスの気分をゼロに近づける行為だ。なら、それ自体は気分を上げている、つまり楽しんでいるのと同じだろ?」
ふと、僕の家の前にたたずむ有紗を盗み見ながら、薄笑いを浮かべている自分を思い描く。
驚くほど違和感がない。
あれ?
もしかして、当時の僕は気づかないうちに笑っていたのだろうか。
「彼女が傷ついていることには、気づいていたんだろ?」
加賀の言葉に、どきりとする。
僕はほとんど反射的に反論する。
「先に彼女が僕を傷つけたんだ! 僕は悪くない」
僕の言葉を聞いて、加賀はため息をついた。
「幼稚な理屈だな。例えば殴り合いなら、『〇〇ちゃんが先にぶった』なんて言い分が通るのは、感情を抑制できない小学生までだ。中学生同士なら喧嘩両成敗が当たり前だろ?」
加賀の言葉が飲み込めず、僕は呆けてしまう。
相手が先に仕掛けてきたのだ。やりかえして何が悪い?
『目には目を、歯には歯を』と言うじゃないか。
けれど、その考えを言葉に直す前に、僕の表情から何かを察したのか、加賀が口を開く。
「大人になれば、相手が先に殴ってきたとしても、殴り返した時点で同罪だ。普通に暴行罪が成立する。正当防衛なんて、逃げ場がなくて助けも呼べない状況じゃなきゃ成立しない。まあ実際は、お互いに被害届を取り下げて示談だろうけどな」
加賀の言葉を心のなかでゆっくりと噛み砕いてゆく。
有紗が僕を傷つけた。でも、僕も有紗を傷つけた。それは間違いない事実。
それなら僕らは同罪なのか?
「だって……許せなかったんだ」
あの頃の自分の気持ちを思い出しながら、僕はそうつぶやいた。
「だから最初に確認したんだ。お前は楽しんでたんじゃないかってな。もしそうなら、許せるはずがない。なにせ、相手を責めること自体が快楽なんだから。やめる理由がない」
あのときの僕は、有紗に永遠に悔いてほしかった。
そこに許すという選択肢はなかった。
僕は、有紗を傷つけることを楽しんでいたのだろうか。
「そんなのは、アオリ運転をする馬鹿と一緒だ。『相手が割り込んできたのが許せなかった』ってな。彼女は謝罪し、お前は許さなかった。許さないのはお前の勝手だが、それが彼女を傷つけていい理由にはならんと思うぞ」
謝罪? 彼女は僕に謝罪していただろうか。
ああそうだ。
僕につきまとうようになってから、彼女はすれ違いざまにいつも小さな声で謝っていた。
ごめんなさい、と。
それでも僕は無視し続けた。
彼女を傷つけ続けた。
「『目には目を』ってのはハンムラビ法典だったか? あれだって刑罰の重さを言っているのであって、私的な報復を肯定するもんじゃないだろ? むしろ過剰な報復をとがめてるんじゃないか? よくは知らんが」
さきほど脳裏に浮かんだ言葉が加賀の口から発せられ、どきりとする。
頭の中が混乱して、何が正解なのか、わからなくなる。
「……じゃあ、僕は、どうすればよかったんだ?」
「お前が彼女を振った時点で、お互い様だろ? 彼女の謝罪を受け入れて、その上で『今は気まずいから、しばらくは顔を合わせないようにしよう』って言えば、彼女も引き下がったんじゃないか?」
「……そうかな?」
「そうすりゃ、今頃は『お互い、あのころは不器用だったね』って笑い話にできてたかもな。俺にはお前がやりすぎたとしか思えん。だって、お前はすぐに別の彼女を作ってるじゃないか。その時点でお前の方は傷が癒えてんだろ?」
「癒えてない! ……癒えてなんかないんだ」
思わず言葉が口をついた。
あのときのことは、いまでも僕の中でくすぶっている。
そうでなければ、少し酔ったくらいで話題に出したりしない。
「まさか、お前まだ……」
『まだ、剣持さんのことが忘れられないんだね?』
加賀の言葉を追いかけるように、菜々緒ちゃんの言葉が脳裏によみがえる。
有紗の家族が引っ越してすぐに、僕と菜々緒ちゃんは別れてしまった。
『結局、剣持さんに勝てなかったね、わたし』
そう言って、彼女は僕のもとから去っていった。
「馬鹿だなぁ、お前」
ののしりではなく、まるで僕をなぐさめるような声色で加賀がつぶやいた。
「……いまからでも……有紗に謝ったら、有紗を許したら、やり直せるんだろうか?」
淡い期待が僕の胸を焦がす。
だが、少し悲しそうな声で、加賀が残酷な言葉を僕に投げかける。
「もう手遅れだ」
「はは。そうだよな。もう四年も前だ。それに有紗の居場所もわからないし」
「ちげーよ。なんなら引越し先の住所も教えてやれる。俺の兄貴なら知ってるはずだ」
驚いて加賀の顔を見る。
加賀は顔をしかめた。
「剣持有紗の兄が俺の兄貴の友人だ。お前が噂のタッくんだったとはな。世間は狭いな」
「あ……」
「やめろ! 期待のこもった顔なんてするな。手遅れだと言ったろ」
「手遅れ?」
「剣持有紗は死んだ。自殺だ」
「自殺……? 死んだ?」
視界の中で、加賀の姿が揺れる。
加賀の声がやけに遠くに聞こえる。
口の中にピールの苦い匂いが上がってきて、今にも吐いてしまいそうだ。
「遺書にはこう書かれていたそうだ。『タッくんを傷つけた自分を許せそうにありません』とな」
なぜ?
なぜ、有紗が死ななきゃならない?
自分を許せなかった?
なぜ?
ああ、そうだ。僕が彼女を許さなかったから。
だから、彼女は自分を許せなかった。
そうだ。彼女はそういう子だ。
知っていたはずだ。幼馴染なんだから。
分かっていたはずだ。本当はとても繊細な子だった。
気づいていたはずた。雨の中にたたずむ彼女が、どんなに追い詰められていたかなんて。
それを見て、僕は何を考えていた?
僕の存在が、そこまで彼女を追い詰めていることが嬉しかったんじゃないか?
そうやって、彼女にとって僕がどれほど大きな存在かを確認して、悦に浸っていたんじゃないか?
ああ、最低だ。そのとおりだ。
僕が彼女を追い詰めた。虚栄心のために。
僕が彼女を死に追いやった。自己満足のために。
僕のほうこそ、生きている値打ちもない。
僕のほうこそ、死ぬべき存在だ。
もし死んだら、あの世で彼女に謝れるだろうか?
もし、あの世で彼女に会えるなら、むしろ死んで──
「嘘だ! 悪かった。そんな死にそうな顔をするな。自殺なんて嘘だ!」
慌てたような加賀の声が、僕を現実へと引き戻す。
「ウソ?」
「嘘だ。彼女は生きてる。兄貴からはそう聞いている」
「本当に?」
「ああ、本当だ」
「……よかった。……ああ、よかった」
とめどなく涙があふれてきた。
ひどい嘘をついた加賀を怒る気にもなれなかった。
そんなことはどうでも良かった。
有紗が生きている。
それだけで、僕は救われる。
僕は彼女に謝ることができる。
僕は彼女にもう一度会える。
会いに行こう、彼女に。
謝ろう、彼女に。
そして、もう一度、幼馴染の二人に戻ろう。
そして、すべてをやり直そう。
後日、僕は加賀に教えられた住所を訪ねることにした。
そのときの僕は浮かれていた。
有紗と和解する自分を夢想していた。
訪れたその先で、本当の絶望が待っていることを、そのときの僕はまだ知らなかった。
完
目には目を ~僕を捨てた幼馴染がすり寄ってきたのでざまぁした結果……僕は絶望した~ 神門忌月 @sacred_gate
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