第69話 幻魔

「ハッ ハッ ハッ」


 ロバートの後方から大五郎が駆けてくる。夏希の指示どおり、フロアにいた他の兵士達を始末してきたのか、前脚や口元には血がべったり付いていた。


 そして……


 ジョロロロロ


 ついでとばかりに、倒れているロバートの顔に片足を上げ、小便をかける大五郎。


「ハフ~ン」


「こ……の」


 ロバートの顔が怒りに染まる。だが、思うように身体が動かず、大五郎の人を小馬鹿にした行いを黙って受け入れることしかできない。人間の生存に必要な臓器をいくつも失い、不整脈も起こっている。ロバートの命はあと数分もないだろう。


「「「……」」」

 

 一連の出来事に他の者達は理解が追い付かない。夏希が何をしたのか、ロバートに何が起こったのか誰も分からなかった。一つ言えるのは、夏希が一方的にロバートを圧倒したということ。


 そして、新宮の裏道場で修行経験のあるエディは青ざめていた。


(オーマイガッ! あれはコクウ!? 幸三マスターの奥義をあの歳で? 一体どんな地獄のトレーニングを……うっ、想像したら吐き気が……)



「飲みなさい大輔。あの男の得体の知れない回復薬だけど」


 夏希が大輔にレイの回復薬を手渡す。


「あ、ありがと……夏希さん、なんか前にも増して凄くなったような……」


「別に何も変わってな――」


 ふと、夏希が振り返る。その視線の先には左目の眼帯を取ったロバートがいた。



「……まさか、コレを使うハメになるとは」


 ロバートの左目に浮かんだ魔法陣が光を帯びる。



 ――幻獣召喚『不死鳥フェニックス』――



 突如、ロバートの前に炎の巨鳥が出現した。欠損した腹部がみるみる再生していき、ロバートが立ち上がる。


 ロバートは銃を投げ捨て、聖槍ロンギヌスを両手で構えた。


「殺す」


「……一撃で仕留めないと、こいうこともあるっていうのは分かっているけれど、中々思うようにはいかないわね」


『あの小太刀を置いてくるからでありんす』


「街中で刀なんか持って歩けるわけないでしょ? ……それに、即死させなくて良かったかもね。私達にとっては、だけど」


「?」


 ブワッ


 召喚された『不死鳥』の纏う炎が瞬く間に通路に広がり、高温の空気が夏希達の元に押し寄せてきた。


 ロバートの衣服は燃えていない。召喚主には影響はないようだ。しかし、周囲の壁や天井は燃え上がり、あまりの高温に空間が歪んで見える。


「大輔、先に下に行ってなさい。大五郎も」


「夏希さ――」

「クーン……」


「いいから」


 大輔はジャネット達を連れてエレベーターに乗り込んだ。夏希に対して、下手に食い下がるのは悪手だ。これまでの経験からそれを分かっていた大輔は、夏希の言葉に素直に従う。



 ――暗黒鎧召喚――


 夏希は能力で鎧を纏い、高温に対処する。


「不死と再生の幻獣フェニックス……か。以前、古代遺跡で見たモノよりサイズは小さいけど、まさか地球で見るとは思わなかったわ」


『不死鳥程度で夏希とわっちに勝てると思ってるんでありんしょうか?』


「さあ? 単純に傷を治したかったんでしょ。普通の手段じゃあの傷は癒せないし、一応、理に適ってるわ。ただ、あの男がどうやって魔法陣……召喚の術式を手に入れたのかは聞き出さないとね」


『どうしてでありんすか?』


「魔力自体は誰でも持ってるし、地球にも魔素の濃い場所はある。仮に魔法陣の画像がネットにアップでもされたら、いずれ事故が起きるからよ」


『確かに。素人が浅知恵で呼び出したら、自分が死ぬだけでは済まないかもしれんせんね。異界から召喚された者が素直に制御されるとは限らないでありんすから』


 召喚士の能力を持つ太田典子が、主に植物系の召喚を多用するのは訳がある。召喚の仕組みや本質を理解する者なら、ある程度自分の目的に沿った召喚を行えるが、呼び出したモノと契約できるかどうか、制御できるかどうかは実は賭けに近かった。


 人とは異なる価値観を持つモノや、知能が人間よりも高いモノは、召喚者の意図せぬ行動を取ることがある。代表的な例でいえば、冥界に棲むとされる『悪魔』だ。悪魔が命令を聞くのは己よりも強者に対してのみで、召喚者の実力が低いと判断されれば、命令を聞かせるどころか命を奪われる。


 魔法陣には命令を強制させる術式を組み込むことができるものの、呼び出した召喚物の能力が低下する上、召喚者に対して悪感情を生んでしまう。相手が人間よりも高位の存在であれば、命令を強制できるだけでは制御は不可能である。


 最悪なのは、呼び出したモノが制御出来ず、世に放たれることだ。


 高次元のモノは、魔素濃度の高い場所にしか存在できず、基本的には短時間しか現世に留まれない。故に、召喚する者の魔力や呼び出す環境が重要になってくるのだが、稀に理に反して現世に留まり、世に災厄をもたらすことがある。


 夏希は以前、太田典子と世界中にある神話や伝説、怪物の一部は、召喚に因るものじゃないかと話したことを思い出す。地球にも異界から召喚できる魔法陣や術式が残っているなら、呼び出すだけなら魔法や能力が無くても条件さえ合えば、誰でも可能だからだ。


 それに、典子曰く、強力な存在でなくても、虫や植物などは地球環境に適応してしまう恐れもあり、管理を徹底しなければならないらしい。使役後はきちんと召喚を解除し、元の世界に戻す必要がある。でなければ、異界の動植物が無秩序に現世に放たれかねない。


 地球に当たり前に存在する動植物の中には、ひょっとしたら異界由来のものもあるのかもしれない……。



『そもそも、高次元の存在は召喚にだけでありんす。強制的に呼び出される低位の存在と違い、単なる暇つぶし、気まぐれの戯れに過ぎんせん。幻界あっちは娯楽が無いでありんすから』


「あなたがその姿のままでいる理由だったかしら? 都合よく使われることの方がマシなくらいに退屈なの?」


『別に都合よく使われてる気はしんせん。わっちは夏希が好きでありんすし? 日本の文化も興味深いでありんす。夏希も人間を辞めて、仙人にでもなれば少しは気持ちが分かるでありんしょう。後は竜を産んでもらって竜母として幻界に行くという手も――』


「何よそれ、どれもゴメンだわ。それより、さっさと片付けるわよ。暑くてかなわないわ」


『おかしいでありんす。そんなはずは――』


「冗談よ」



「クックックッ……超常の現象を前に気でも触れたのか?」



 クヅリとの会話を夏希の独り言だと勘違いしたロバートが嘲笑する。


「反省しない人間のようね。さっきやられた原因が分かってないのかしら?」


「この力の前にはどんな魔法も能力も無意味だ。絶対の不死性が付与される『不死鳥』に、あらゆる物を貫く『聖槍ロンギヌス』。お前が何をしようが、今の俺を倒すことは不可能だ」


 そう言って、ロバートは槍を構えて前に出てきた。不死鳥は付き従うようにしてロバートの背後に回る。


「槍は業物みたいだけど、腕は大したことなさそうだし、さっさと終わらせるわ」


 新宮流槍術、免許皆伝の腕を持つチヨに比べれば、ロバートの所作は隙だらけである。どんな物も貫けるが故、技量よりも力とスピードを重視してるのだろう。その上、召喚獣により即時回復能力があれば、反撃を気にすることなく全力全速で打ち込める。


 だが、その戦法は夏希には通用しない。


「大したことない? ……フッ、どうやら本当に気が触れたようだな。一応教えておくが、召喚の時間切れを狙っても無駄だ。この目に蓄積させた魔力はそう簡単には無くならん。残念だったな。では、死ね!」


「あっそ」



 ――暗黒剣解放・幻魔世界――



 景色の明暗が反転、直後に元に戻った。


「……」


 ロバートの額には横一線に黒い傷が入っており、口を半開きにして白目を剥いて固まってしまった。


「あんまり使いたくない技だけど、傷が治っちゃうんじゃ、仕方ないわね」


『精神防御をしてない方が悪いでありんす。あのまま死んでれば、楽に死ねたでありんしょうに。馬鹿でありんすね』


 暗黒剣の能力の一つ『幻魔世界』は、クヅリが言うように精神攻撃技である。外傷ではなく脳を直接攻撃し、相手に現実と変わらぬ幻覚を見せるのだ。悪魔系の能力『暗黒騎士』が見せるのは悪魔の世界。つまり『冥界』である。


 かつて、『不死者の大魔導師モルズメジキ』が夏希に見せた地獄の光景。その光景は想像を絶する恐怖と苦痛が形となった世界であり、普通の人間なら見ただけで精神に異常をきたし、数秒ももたずに正気を失う。


 その世界を体感して夏希が生還できたのは、クヅリのおかげもあるが、暗黒属性に耐性があり、その世界を以前からこと。夏希自身の精神も強靭であり、耐える素養があったことが挙げられる。


 それらの無い者、精神防御のすべをもたぬ者がこの技を受けて、無事に生還することは無い。


 カランッ


 手から槍を落とし、ロバートは白目を剥いたままブルブルと震え出した。その表情は恐怖と苦痛に歪み、声にならない悲鳴を上げている。


 それと同時に召喚された『不死鳥』も消失。召喚主の精神が壊れた所為だろう。魔力の供給が途切れ、自然に幻界に還っていった。


「確か、ロンギヌスとか言ってたわね……本物?」


 柄が縮んでダガーサイズになった『聖槍ロンギヌス』を拾い上げた夏希。


『そんなばっちいモノ、捨てなんしッ!』


「聖属性の槍か……私達に相性が悪いからといって、捨てておくわけにはいかないでしょ? 誰かが拾ったらどうするのよ」


『わっちと夏希には脅威にならないでありんす』


「そういう問題じゃないの」


ロバートアレはどうするでありんすか?』


「聞きたいことがあったから。一応手加減したつもりだけど……もうダメかもね」

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