第70話 恐怖
(な、なによこれ……)
エレベーターで一階に降りてきたジャネット達。その眼前には、『エクス・スピア』の兵士、十数人の死体が横たわっていた。
通りに面した正面玄関のガラスには激しい銃撃の痕が残っているが、兵士達のいるフロアに破壊痕はない。状況は兵士達が一方的に攻撃したことを示しているものの、全滅しているのは兵士達の方だ。それに、転がってる死体には血が一滴も流れておらず、どれも奇妙な欠損があるだけだった。
「あ、あの子がやったの? この人数を一人で? 一体どうやって?」
「最新の強化重装兵デス。それが一個小隊……あ、あり得ナイ……」
ジャネットとエディはゴクリと息を呑む。死体の奇妙さもあるが、強化外骨格と重装甲を纏った兵士十数人をたった一人で、それも正面から無傷で殲滅するなど、二人の常識外のことだ。考えられる装備と戦術を駆使しても到底不可能である。
「夏希さんは凄く強いですから……」
二人の後ろから大輔がボソリと呟く。大輔ら『エクリプス』のメンバーにとって、この程度のことには驚かない。重武装のハイテク兵士が何人いようが、夏希とクヅリに勝てるわけがないのだ。
ポンッ
大輔の肩に仁王立ちした大五郎が手を置いた。まるで「お前、わかってるな」と言わんばかりの態度で頷いている。
「ガウガウ」
「え? なに? なんなの?」
大五郎に戸惑う大輔。
「あれも何? なんで熊が――」
「シッ! ダメですジャネット、見てはイケマセン!」
エディが小声でジャネットを注意する。
「え?」
「……アレハ、大五郎ベアです」
「だいご……何? エディ、知ってるの? 熊っていうのは分かるけど、あの子のペットか何か?」
「ペットぉ? そんなワケないデショウ! アレハ、モンスター! 悪魔デス! 何度、煮え湯……いや、小便を飲まサレ――」
「ガル?」
「はうッ」
大五郎が振り向き、エディは咄嗟に目を逸らす。
それに気を留めず、大五郎はフロアの隅にいる丸川に視線を向けた。
「はひぃ!」
チンッ
そこへ、もう一つのエレベーターが開く。
「何してるのかしら、大五郎? 大輔?」
肩を組んでるように見える大五郎と大輔を見て、エレベーターから出てきた夏希が言う。その足元には手足を『
「「「えッ!?」」」
ロバートの顔は恐怖に怯え、涎を垂らしながら小刻みに震えている。
(((誰?)))
そのあまりの変貌ぶりに、ジャネット達は目の前にいる男がロバートと同一人物だとは思えなかった。
「ひっ」
視線を向けられ、ロバートが小さく悲鳴を上げる。
「ちょっと、ミスったわ」
(((ミス? ……ちょっと?)))
地獄を見た者の末路。比喩ではなく本物の地獄だ。現世に生きる全ての生物が本能で恐れ、拒絶する世界。想像を絶する恐怖と苦痛を体現した光景は、見た者の脳裏に深く刻まれ、今もロバートを蝕んでいる。
それから逃れる為、自ら命を絶つこともロバートにはできなかった。死は決して楽にならず、むしろ逆だ。死ねばその世界に行くことになると、本能で察しているロバートは、死ぬことを過剰に恐れるようになってしまった。
最早、ロバートに安寧が訪れることは永遠にないだろう。
「ふぐっ」
ロバートが突然泣き出し、身体を丸めた。怖くて堪らないのだ。今まで見てきた、経験したどんな事よりも恐ろしい体験。あの時、死ねば……あの光景を見る前に死んでいれば……そう後悔しても、もう遅かった。
(これがあのロバート・マクダネル? 一体何があったらこんなになるのよ?)
まるで子供のように怯えるロバートと、そのロバートに何かしたであろう夏希に怪訝な表情を向けるジャネット。
「大輔がお世話になったみたいだけど、ここの傭兵会社の人でいいかしら?」
「あっ、夏希さん、この人は『ゾディアック・デルタ』社、日本支社代表のジャネットさん。その隣にいるのがエディさんで……」
「……はじめまして。夏希・リュウ・スミルノフといいます。大輔がお世話になりました。もう少し早く来ていれば、他の人も助けられたのですが……」
あのフロアに生き残ってた者はいなかった。優秀な傭兵でも銃弾の効かない部隊に強襲されればひとたまりもなかったのである。
夏希の丁寧な物言いに戸惑うジャネット。自分が早く来ていればという発言は、思い上がりとも捉えられるが、得体の知れない圧倒的な実力を突きつけられては、何も言えない。
「いえ、あなたが責任を感じる必要はないわ。全ての責任は私にあります」
「そうですか……。そう言えば大輔、アイツはどこ? いたらこんなことになってないでしょう?」
「アイツ? ああ……実は、レイさんとは数日前に別れたきりで、連絡も取れないんだ」
「数日前? ……どっかで死んでるんじゃないの?」
「いやいやいや、そんな不吉なこと言わないでよ! 大丈夫だよ多分……そ、それより夏希さん、あの熊がなんでここに……あっ」
大輔が大五郎を見ると、いつの間にか丸川の頭をパシパシ叩き、小さくなって怯える丸川の顔を覗き込んでいた。その様子はどう見ても不良が因縁をつけているようにしか見えない。
「「「……」」」
「大五郎ッ! やめなさい!」
「ハフンッ」
大五郎はビクリと体を震わせ、慌てて夏希の元に戻ってきた。
「置いてきたつもりだったけど、隠れてついて来ちゃってたのよね。車の荷台に入り込んでたのに途中まで気づかなかったなんて、我ながら情けないわ」
とはいえ、大五郎は察知能力に長けた近藤美紀をも手玉に取る熊だ。大五郎に悪意が無かったのなら、夏希が気づけなかったのも無理はなかった。
「なんか夏希さんに凄く懐いてるみたいだけど……」
「何故か、ね」
夏希はため息をつきながら大五郎を見る。大五郎の従順な態度に内心悪い気はしてないが、夏希以外の人間を小馬鹿にする大五郎の性格には困っていた。裏新宮の屈強な門下生に対しても大五郎の態度は変わらない。彼等も大五郎には敵わないのを知ってるので、大五郎の狼藉にただ耐えていた。
当然、元門下生のエディも大五郎を知っており、被害を受けていた。大五郎を制御できるのは新宮幸三だけであり、食事の世話をしているチヨは被害を受けないまでも、言うことを聞かせることはできなかった。
(あの人間のような振舞いに青い眼……間違いナイ……でも、あの大五郎が素直に言うことを聞いテル? このナツキという娘、何者ダ?)
大五郎は非常に賢く、人の言葉も完全に理解している。魔力を扱い普通の熊よりも身体能力に優れ、加えて何かしらの異能を隠し持ってるふしもあり、それらがある故に人間を下に見ているのだ。
「困った熊だわ……大輔、悪いけど大五郎と一緒に奥多摩に戻ってもらえる? 私はちょっと用事があるんだけど、これ以上、連れて歩くわけにはいかないし」
「え!? ちょっ、それは――」
「クーン」
大五郎が寂しそうな声を上げるが、夏希はそれを無視してポケットから車のキーを取り出す。しかし、何かを思い出してすぐにそれを仕舞った。
「「「?」」」
ビルの玄関の外に、銃撃を受けて穴だらけの車が見える。高級SUVが見る影もない。夏希が裏道場から乗ってきたものだが、ここに着いて早々、エクス・スピアの兵士に襲われたのだ。
「こいつらに弁償させたいけど無理そうね」
((まさか、アレに乗ってた? なんで無事なの?))
「そ、それなら、こいつらが乗ってきた車を使うといいわ。多分、地下にあると思うから。車の弁償なら後で私が『エクス・スピア』を訴えるつもりだから、ついでに請求しておく」
ジャネットが夏希達を案内する。このビルは警備上、地下の駐車場から上のフロアには直接行けない構造になっているので、必ず一階のロビーを経由する必要があった。自分の車に大輔を案内するはずのジャネットがここで降りたのもそれが理由だ。
…
「「「……」」」
別のエレベーターで地下駐車場に降りた一同は、先程とは異なる惨状にまたも絶句する。
一階とは異なり、地下にいたエクス・スピアの兵士達が血まみれになって転がっていた。元々いたビルの警備員が撃ち殺されていたのは上も同じだが、兵士達の死体は凄まじい力と鋭い爪で身体を引き裂かれており、辺り一面におびただしい血と肉片、臓腑が飛び散っている。
「うっ おえぇぇぇ」
その凄惨な光景を見て丸川が嘔吐する。
((確かにこれはキツイ……))
ジャネットやエディも思わず目を細めた。戦場の死体を散々見てきたはずの二人。ジャネットは軍のオペレーターとして画面越しにだが、実際に戦地に赴いた経験が多数あるエディでも、滅多に見ない酷い光景だ。今回ばかりは吐いた丸川を責められない。
「ひぃぃぃーーー」
拘束して連れてこられたロバートも悲鳴を上げる。死に対して過敏になっている今のロバートはまるで人が変わったようだ。
それに対し、夏希も大輔も平静を保っている。古代遺跡で散々、
「あ、夏希さん、これ全部鍵がついてるよ」
兵士達が乗ってきたと思われるハンヴィーと商用バン数台には全て鍵が付けっ放しだった。
「ラッキーね。流石にこの死体を漁りたくないなと思ってたけど、考えてみれば、一々鍵を閉めてから襲撃に行くなんて、想像したらシュールよね」
「確かにそうだね」
(((この二人、なんで平然としてるの?)))
「じゃ、私はこれで行くから大輔も適当に乗っていきなさい」
そう言って、夏希は軍用車のハンヴィーのドアに手をかける。
「でも、僕は車の免許を持ってないんだけど……」
「え? そうなの? ……じゃあ、そちらの二人にお願いできない?」
夏希はジャネットとエディを見る。しかし、ジャネットは肩に怪我を負っており、エディ―もボロボロだ。辛うじて運転はできるかもしれないが、ここから奥多摩までの長距離運転は厳しいだろう。
次に目に付いた丸川を見る。
「えーと、そこの人は?」
「かかか勘弁してくれぇぇぇ! 俺も免許なんて持ってないですぅぅぅ」
「……困ったわね。回復薬はもう持ってないし……」
「夏希さん、で良かったわよね? 申し訳ないけど、私もエディもここを離れるわけにはいかないの。後始末もあるし、警察の対応もしなくちゃならないから」
ジャネットは責任者としてここに残り、各対応をしなくてはならない。ZOD社は完全に被害者の立場ではあるが、警察が来る前に、社員が使用した銃器や、機密データは破棄する必要がある。大輔を送り届けたい気持ちは山々だが、この場を離れるわけにはいかなかった。
都心の真ん中で銃声が何度も響けば、すぐに警察が駆けつけてくる。あまり時間の猶予はない。しかし、警察のサイレンは一向に聞こえてこなかった。それに、応接室でロバートの放った言葉もあり、ジャネットは内心不思議に思っていた。
「この男がここを襲撃した理由って分かってるんですか?」
「え? どういう意味?」
「いえ、申し訳ないですけど、私達との関係があってこの男達が襲ってきたなら、ここに留まるのは危険かもしれない。敵はこの男だけじゃないらしいから」
「だから、どういう意味よ? 確かにそこにいるロバートは大輔がどうこう言ってたけど、敵って何? 私の部下や社員が大勢死んだのよ? 私達が巻き込まれたってことなら、全部説明してもらうわよ!」
「……」
夏希は話していいものか、しばし考え込む。
「夏希さん、ジャネットさんは信用できる人だよ。レイさんには怒られるかもしれないけど、お世話になった人が死んじゃったんだ。僕は……ちゃんと説明するべきだと思う」
死を見慣れていても、大輔は見知った人の死に何も思わない人間ではない。ここに来て世話になったのはジャネットとエディだけではなかった。他の社員や警備の人間にも大輔は親切にされていた。僅かな接点ではあったが思う所はあるのだ。
「そう……そうね。どの道、私達だけの問題でもないし、知るべきね。けど、話は長くなるし、信じてもらえるかは分からないわよ?」
夏希はジャネットを見た。
「構わないわ。でも、少しだけ時間を頂戴。警察が来る前に急いで処理しないといけないものがあるから」
「それじゃあ、私達も付き合うわ」
一同は再度エレベーターに向かい、上の階に戻った。
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