第68話 窮地

「待ってくれぇぇぇぇーーー!」


「丸川さん! 走って! うぐッ」


 大輔はジャネットとエディを両腕に抱えて走っていた。その後ろを丸川が半泣きで追いかけている。


(ううぅ、痛い……でも、今は逃げなきゃ……)


 槍で貫かれた傷は浅くはなく、激しい痛みと出血が続いていた。しかし、足を止めることはできない。あの槍の前では戦っても自分はおろか、ジャネットや丸川達も殺されると分かっていた。


 地球では勿論、異世界でも大輔の『重鎧』が物理的に破壊されることは殆ど無かった。だが、自分の事を無敵だと思ったことは一度も無い。自分よりも上位の能力、『聖剣』や『聖刀』には敵わないと知っていたからだ。


 ロバートの持つ槍はそれらを超えている。


 そう察した大輔は、戦って勝つよりも、知人を守ることに頭を切り替えていた。



 大輔はエレベーターホールに辿り着き、エレベーターのボタンを押す。


(早く早く早く……)


 階下から上がってくる表示をもどかしく見つめる大輔。だが、ボタンを押すよりも早く、エレベーターが上がっていたことには気づいていない。


「大輔、私を下ろして」


 抱えられていたジャネットが大輔に言う。


 ジャネットは上着のポケットから電子キーを取り出し、大輔に渡した。


「地下の駐車場に私の車がある。大輔、あなたはそれで逃げなさい」


「え?」


 ジャネットは腰裏のホルスターから小型の拳銃グロック26を抜き、肩に銃弾を受けて碌に動かない手を震わせながら、強引にスライドを引いた。


「私のせいでごめんなさい。迂闊だったわ」


 自分が大輔を飲みに連れ出さなければ、ロバートは来なかった。今の状況は自分の迂闊な行動が招いた結果だとして、ジャネットは責任を感じていた。


 例え、ロバートを止められなくとも、時間稼ぎをして大輔を逃がすくらいはするつもりだ。


「ダイスケ、私も下ろして下サイ」


 エディも同じように大輔から離れ、ズボンの裾を上げて足首に装着していたシースナイフを抜いた。


「子供を守るノガ、大人というものデス」


 ニカッと大輔に笑顔を見せるエディ。だが、その顔半分は無残に腫れ上がり、着ているスーツはボロボロだ。とても余裕があるようには見えない。


「ジャネットさん、それにエディさんも……そんな体で無茶ですよ! 一緒に逃げましょう!」



「逃がすと思うか?」



 廊下の奥からロバートが現れる。『聖槍ロンギヌス』を携え、悠々と歩いてくる。


 パァン パァン


 ジャネットのグロック26が火を噴く。


 だが、銃弾はロバートの前で空中に停止するように止まった。


「え?」


「無駄だ。俺に銃は効かん」


「電磁バリア……? まさか、実用化されてたなんて」


 ジャネットが呟く。眼前で起こった現象をどこかの実験映像で見た記憶があったのだ。


「ほう? よく知ってるな。だが、分かったところで意味は無い」


 ロバートはグロック19を構え、銃口をジャネットに向ける。どうやらバリアの内側からは攻撃できるようだ。都合の良い兵器に思えるが、この世に無敵の装置などあり得ない。当然のようにこの装備にも弱点はあるが、ジャネットがそれを見抜き、突破することは難しいだろう。


 大輔は素早く神盾を発現させ、ジャネットとエディを庇うように前に出た。


「大輔! どきなさい!」


「嫌です。女性を見捨てて逃げるなんてできませんよ」


 そう言って、大輔はジャネットに微笑む。その額には脂汗が浮かび、明らかに強がりだと分かる。脇腹の傷も出血が止まっていない。この中で一番の重傷は大輔なのだ。


 それでも大輔は引かない。勝てないと分かっていても、ここでジャネットを置いて逃げるなど、『エクリプス』の一員として受け入れるわけにはいかなかった。


「それに、そんなことしたら夏希さんに顔向けできないじゃないですか……」



 チンッ



 そこへ、到着したエレベーターのドアが開く。


「皆さんは先に行ってください。あの眼帯の人は僕が止め――」



 ――誰に顔向けできないって? 大輔?――



「は? え? な、夏希……さん? なんで?」


 開いたエレベーターから現れたのは、なんと夏希だった。


「ひぇぇぇーーー! くくく、熊ぁぁぁーーー!?」


 夏希の側にいた大五郎を見て丸川が腰を抜かして飛び退いた。


「ガルッ」


 牙を剥き出しにして丸川を威嚇する大五郎。ちなみに大五郎の牙と爪は、レイが置いていった回復薬を夏希が飲ませて治っている。自分が叩き折ったものの、だらだら血を流してるのを見かねて飲ませたのだが、再生されたのは予想外だった。


 無論、牙や爪が元通りになったからといって、大五郎は夏希を襲うような真似はしない。今や大五郎は夏希の言うことを聞く従順な忠熊と化している。


「はひぃぃぃぃ」

「「「――ッ」」」


 大五郎の顔が眼前に迫り、悲鳴を上げる丸川。熊としては小柄でも、大型犬を優に超えるサイズの肉食獣だ。丸川だけでなくこの場にいる誰もが息を呑む。


(((本物の熊? なんで熊が……?)))


 ジャネットが無意識に銃を大五郎に向けた瞬間――


「大五郎! 待て!」


「ハフンッ!」


 夏希に一喝され、ビクリと体を震わす大五郎。途端に大人しくなり、そそくさと夏希の元に戻っていく。


「用事があって、ついでに迎えに来たんだけど……来て良かったみたいね」


 夏希は大輔の脇腹の傷を見て眉間に皺を寄せる。仲間を傷つけられて怒っているのだ。


「用事? それにその熊って確か……」


「後で話すわ」


 近づいてきたロバートを見て、夏希は会話を止めた。大輔に傷を負わせた張本人と察し、ロバートに厳しい視線を向ける。



「ん? 見た顔だな? ……確か、帰還者の一人、ナツキ・リュウ・スミルノフだったか? 下にも部下共がいたはずだが……まあいい。ワタナベと一緒に始末すれば手間が省けるというものだ」


「始末? ……やったのはアイツで間違いないみたいね」


「夏希さん、あの人の槍は僕の盾でも防げない。それに魔法も使える……一旦、逃げ――」


「逃げる?」


 大輔は自分の迂闊な言葉に、ハッとして思わず口を押えた。


 夏希は後ろ向きな発言が嫌いだ。特に理不尽に対し逃げることを激しく嫌う。


「私達を狙ってる連中がいる。目の前にいるのがその一人なら、手間が省けるのはこちらの方よ」


「え?」


 夏希はそう呟くように言った後、ロバートに向かって歩いて行ってしまった。それに追従するように大五郎も後を追う。



「大五郎、あの男以外にもいくつか気配がする。下にいた兵士の仲間かもね。そっちは任せるわ……出来る?」


「ガウッ!」


 夏希の言葉を受けて大五郎は勢いよく吠えると、鼻をひく付かせて横の通路に消えていった。


 その様子を唖然とした表情で見送る大輔達。


「な、なにあの熊? それに、あの綺麗なねーちゃん誰だ?」


「僕の……仲間です。熊は――」


「兄ちゃんの仲間? ん? 水? あ、臭ッ! なんだこれ? 小便?」


 いつの間にか大五郎に小便をかけられていた丸川。


 だが、そんな丸川に誰も反応しない。誰もが夏希に釘付けだ。


 夏希の後ろ姿は、素人でも只者ではないと思わせるオーラが漂っている。大輔は夏希の雰囲気が以前とは別人に感じられ、目が離せないでいた。


 その後ろではジャネットが夏希の顔を凝視している。



(あの子の顔、どこかで見たことがあるようなないような……)


 …


「大輔をやってくれたようだけど、この世界を破壊しようとしてる連中の一人ってことでいいかしら? 下の連中といい、遠慮しなくて良さそうね」


「この俺に向かって偉そうな態度だな、小娘? 世界を破壊? 何を知ってるのか知らんが……それがどうした?」


「は?」


「お前はこの世界をどれだけ知っている? 有史以来、血塗られた歴史を繰り返す人類。一部の無能と愚民が支配する世界を壊して何が悪い? お前達、日本人は米軍我々が守ってやってるから平和な日常とやらがあるのを知らんのか?」


「傲慢ね……守ってやってる? 恩着せがましいわ。不満を言いたいなら私達じゃなくて、自分の国にしたら? 世界をどうこう言う前に、歴史を勉強した方がいいわ。自分以外の国の歴史をね。……自分のアイデンティティが国や民族に縛られてる人間に世界を決めつけて欲しくない。何をしたいのか知らないけど、自分達の問題は、自分達の力でするべきよ。異界の力を頼っても碌な結果にはならないわ」


「ふん。血を流さず、他国の争いで利益を享受してる人間が偉そうにほざくな。それにだ、使える力を使って何が悪い? 魔力や能力を使えるお前達がそれを言うのか?」


「私は自衛の為にしか力を使う気はないし、誰かの迷惑になることも、自分の欲望の為に使う気もない。それなりに自制してきたつもりだけど、あなたは違うみたいね。はっきり言って、迷惑だわ……それに、あなたは異界を甘く見てる。は人知を超えた世界。魔力を扱える程度で思い通りにいくと思ってるなら大間違い。後悔しても遅いわよ?」


「知ったような口を利く……所詮はガキだな。扱いきれない力を手にして臆したか? 後悔? そんなものは無能な人間がするものだ」


 ロバートは夏希を馬鹿にしたような笑みを一瞬見せた後、グロックの銃口を夏希に向けた。


「俺の邪魔は誰にもさせん」


「あなたみたいな人間には何を言っても無駄みたいね」


「死ね」


 パァン


 弾丸は夏希の心臓を正確に捉えるも、ネックレスに扮したクヅリが弾丸を容易く止めた。


「ん?」


 その現象にロバートは眉を顰める。どう見ても軽装の夏希は防弾ベスト等を着てるようには見えない。


 パァン


 不思議に思うも、すぐに頭を狙って二射目を撃つ。が、夏希のピアスが形状を瞬時に変えてその弾丸をまたも止めた。


『鉛玉なんか夏希には通用しんせん』


「なん――」


 ――新宮流『虚空』――


 夏希はロバートとの距離を瞬時に詰めた。


 厳密には夏希の歩く速度は変わっていないが、己の気配を絶つ『虚空』と古流武術の独特な歩法を混ぜ合わせ、ロバートの目には突然現れたように映っていた。


 夏希の手にはいつの間にか暗黒剣が握られ、即座に能力を解放する。


 ――暗黒剣解放『反転世界』――


 周囲の明暗が反転、そしてすぐに元の景色に戻った。


 ――『壊』――


 次の瞬間、ロバートの横っ腹が吹き飛んだ。


「は? な……に?」


 ロバートには何が起こったか分からない。手を当てると自分の横腹がぽっかり無くなっていたのだ。だが、出血も無ければ痛みも無かった。


 その不可解な現象に、しばし呆然とするロバート。


 ガクッ


 ロバートは床に膝を着きそのまま崩れ落ちる。重要な臓器を失い、もう間もなく死ぬだろう。


「何を……した?」


「さあ? ただ、そのまま大人しく死ねば、とだけ言っておくわ」


 夏希はロバートに背を向け、大輔達の元へ歩き出した。


 能力の反動で腹を抉り取られた痛みと恐怖をその身に受けているはずだが、強靭な精神力でそのような素振りを夏希は一切見せない。



「大五郎! 帰るわよ」

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