第64話 凶行
一体、何が起きている?
習志野駐屯地の駐屯地司令は奇妙な事態に首を傾げていた。深夜にも関わらず司令室にいたのは、とある事情によるものではあったが、別段に珍しいということでもない。しかし、そんなことよりも、少し前から建物内のどの部署にも内線が通じなかった。断線してるわけでもなく、どこへ掛けても誰も受話器を取らないのだ。これは異常なことである。
(……テロ?)
一瞬、その考えが浮かぶも、軍事基地である以上、外部の攻撃に対し、あらゆる想定をしている。もし、何かしらの攻撃を受けているなら、誰からも報告が無くここまで静かであるはずが無い。
そう思い、駐屯地内にいるであろう他の部下を呼び出そうと、スマホを手に取る。
そこへ、机の上の電話機が鳴る。外線ランプが点灯してるが、駐屯地内の別の建物からの内線だ。
単なる思い過ごしかと、ホッとして受話器を取ったその時……
コンコンッ
ドアがノックされる。しかし、こちらの返事を待たずにドアは開かれた。流石に外部の者が簡単に入れる建物ではないので、部屋に鍵は掛けていない。そのことに内心舌打ちしながらも、無礼にドアを開けて入ってきた女を見た瞬間唖然とする。
「失礼しまーす。あ、こんな時間まで残業ですか? お疲れ様ですー 司令室ってドアに書いてあるから、あなたがこの基地の一番偉い人でいいんですよね? 制服に沢山パッチついてるし、あってますよね?」
「なっ!」
いきなり部屋に入ってきた若い女。スーツを着ているが、ワイシャツや両手が血で汚れている。その異様な姿と言動に、司令官は咄嗟に受話器を持ったまま机の上に視線を走らせ、武器になりそうなものを探した。銃は持っていない。駐屯地司令といえど、平時に銃を常時携帯することなどしないからだ。引き出しに隠してあるようなことも、当然ない。
ペン立てに入っていたペーパーナイフを見つけるも……
ポタリ
それを手に取る前に、司令官の鼻から血が垂れた。
「なん――」
がふッ
直後に血を吐き、目からも出血して視界が真っ赤に染まる。やがてすぐに力尽き、ドサリと机に倒れ込んだ。
「じゃ、失礼しました~」
ドアを閉め、何事も無かったかのように部屋を後にした広永麻里。廊下の先には至る所に血まみれの自衛官達が転がっている。そこを鼻歌でも歌うように悠々と歩いていく。
「はい、この建物もO~K~っと。……あ、山崎さんのこと忘れてた」
…
……
………
習志野駐屯地、とある建物の一室。
「敵は何かしらの毒物、
ロッカールームのような部屋で、男達が慌ただしく濃緑色の防護服を着こみ、その上からガスマスク、ヘルメット、プレートキャリアを装着。袖や裾をダクトテープで塞ぎ、お互いに気密漏れがないか確認し合っている。
部屋の中央にあるテーブルには弾薬に手榴弾、その他装備品が積まれており、おのおの無線機や暗視ゴーグルのチェックをしながら、胸のプレートキャリアのポーチと腰のタクティカルベルトにそれぞれ装備を収納していく。
現場がすぐ近くということもあり、通常よりも弾薬は少なく、戦闘以外の装備は最小限だ。
最後に消音器を装着したH&K社のアサルトライフル、HK416のスリングを肩に回し、指揮官の前に集まった。
彼等は陸上自衛隊の特殊部隊『特殊作戦群』の隊員達だ。通称『特戦群』と呼ばれる彼等はゲリラや特殊部隊の攻撃に対処するための専門部隊であり、米国のグリーンベレーやデルタフォース、英国のSASなどの特殊部隊を参考に設立された陸自最高峰の精鋭部隊である。隊員達の装備も一般の自衛隊に配備されたものとは異なり、銃器を含めて米軍の特殊部隊と同等の装備を有している。
また、隊員達の素性は勿論、使用銃器や装備品、訓練内容から活動まで、隊の詳細情報は高度な機密管理下に置かれ、一般には勿論、自衛隊内や政府閣僚にすらほとんど公開されていない。
そんな秘密の精鋭達の前には、隊員と同じ装備に身を包んだ中村の姿があった。
「敵は広永麻里、二十七歳。警視庁の刑事で拳銃と未知の化学兵器を所持している。発見次第、発砲を許可。即座に無力化しろ」
「「「了解!」」」
西野は驚異的な体力と精神力で、力尽きる前に中村に一報を入れていた。
連絡を受けた中村は急いで装備を整え、西野を発見。遺体の状況から証言どおりに化学兵器を使用されたと思ったが、いくつか疑問が浮かんでいた。
西野の言葉どおりに広永が化学兵器を使用したなら、身を守る防護服やガスマスクなどの防護処置をせずに毒物を散布するのはあり得ない。現行ではノーリスクで使用できる毒ガスや細菌兵器は存在せず、ワクチンがあったとしても生身で扱えるような強力な化学兵器は中村の知識になかった。
はじめは注射器や麻酔銃で毒物を撃ち込んだとも考えたが、西野の遺体にはそれらしい傷跡は見つかっていない。それに、あの広永が毒物を所持している理由も、西野を含め自衛隊内の施設にそれをバラ撒く理由も分からない。仮に、スパイだったとしても、この駐屯地に来ることになったのは予想できるものではなく、場当たり的な犯行と言わざるを得なかった。
いくら考えても答えは出ず、後は直接、本人に聞くしかない。
だが、建物内には西野と同様の死体が相当数出ている。連絡が取れなくなった建物は複数に上り、連絡がついた他部署にはBC兵器によるテロだと通達を出した。しかし、駐屯地司令と第一空挺団の現場指揮官も連絡がつかないため、指揮系統が混乱している。建物から離れ、駐屯地から誰も出さないよう指示するのが精一杯だった。
今現在、この異常事態に即応できるのは、待機中だった特戦群一個小隊のみである。
原因究明も急務だが、先ずは広永の凶行を止めることが最優先だ。
先程、内線で司令室を呼び出した時、受話器越しに広永の声を中村は聞いている。犯人が広永なのは確定していた。
…
……
………
「やっまざっきサ~ン」
医療設備のある建物。その手術室では医官達が山崎の手術を行っていた。
そこへ、軽いノリで広永が入ってくる。
「何だお前はッ! 手術中だぞッ!」
医官の一人が怒りを露わにし、広永に怒鳴った。手術中に部外者が入ってきたこともそうだが、それを易々と許した外の部下達への憤りも含まれている。
だが、そんな怒りも飄々とスルーし、広永は山崎の元に近づいた。
「あー 山崎さん、寝てるのか~ 残念」
「貴様、聞いて――」
シュパッ
広永は肩を掴んできた医官の首を、手術トレイにあったメスで斬り裂いた。医官に振り向きもせずに、一瞬のことだった。
「ちょっと邪魔しないでくださいね~」
ヒュッ
シュパ
直後に助手の医官二人の首も斬りつけた広永。助手達に逃げる間も、躱す間も与えない、恐ろしい程の速さと正確さだ。
医官達の傷は動脈まで達しており、噴き出す血になすすべなく、床に沈んでいく。医官の一人が力を振り絞り、同僚の傷を塞ごうと処置するも空しく、出血多量により力無く倒れた。
「お疲れ様でーす。山崎さんがいると困っちゃうんで、借りてきますねー」
そう言って、広永は麻酔で意識の無い山崎の足を掴み、手術台から乱暴に引きずり下ろした。
「はい、じゃあ行きますよー」
女とは思えない力で山崎を片手で引き摺っていく。
「山崎さんとの付き合いは一年ぐらいでしたっけ? 私の新米刑事役の演技ってどうでした? ゲロ吐くとか結構名演技だったと思いません?」
山崎を引き摺りながら、広永は独り言を呟きながら歩いて行く。
「やっぱ、有能とか無能を装うより、変人キャラの方が色々捗りますね。空気読まなくても、いるはずのないところいても深く探られないってのが最高でした。まあ、警察がゆるゆるってのもありましたけど……あ、なんでベラベラ喋るかって気になります? 漫画やアニメでもそういうキャラいますよね。私も昔は馬鹿だな~とか思ってましたけど、人に言えない自分の秘密や特技って、誰かに話したくなるんですよ。話した相手がすぐに死んじゃうなら別にいいかなって」
広永の言葉に山崎は反応しない。麻酔で意識が無いのだから当然だ。しかし、それにも構わず広永は続ける。
「結構、殺しましたけどもうすぐ夜も明けそうだし、そろそろ逃げないとなって思うんですけど、山崎さんが残ってると私が犯人って即バレじゃないですか。二人共消えればしばらくは誤魔化せると思うんですよね。まあ、すぐに私達のことなんて気にするどころじゃなくなると思いますけど。でも、もう少しだけ自由に動きたいんで、山崎さんをどこかに隠そうと思うんですけど、どこがいいと思いますか? ベタですけど貯水タンクか下水道に捨てれば大丈夫ですかね?」
広永は足を止め、階段を上がろうかしばし悩む。エレベーターを使うという考えはない。短い時間でも密室に閉じ込められるのは避けたいからだ。
「うーん、提案しといてなんですけど貯水タンクがあるか分からないし、やっぱり、下水道にしますね。マンホールならいくつか見ましたし……」
そう言って、広永は階段を降りはじめた。
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