第63話 脱出
それぞれの間隔を五メートル程開け、横一線で森に入る警官達。
暗視ゴーグルの視界は非常に狭く、小まめに首を振りながら周辺を索敵していく。雑草が生い茂り、視界がクリアといえど身を伏せている人間を見つけるのは簡単ではない。
静かに、かつ、ゆっくりと歩を進め、僅かな変化、景色の違和感に注意を払う。相手は手負いの人間を一人抱え、こちらが有利という考えが頭にあるものの、向こうも銃を持っている以上、油断はしない。
四人共、構えたH&K製MP5の安全装置は解除されている。発見次第、射殺するつもりだ。
地面にあった大量の血痕を見つけた警官が立ちどまり、右手を振ってその場にしゃがむ。血はまだ新しい。雑草の中、引き摺ったような痕がその先に続いていた。
無線は使わず、ハンドサインで目標の方向を指し示し、他の仲間に伝える。左右に展開している二人が頷くのを確認するが、一番左にいるはずの仲間の姿が確認できない。
(……?)
トシュッ トシュッ
乾いた炸裂音。どこからともなく、消音器を装着した銃器特有の射撃音が鳴った。
(何ッ!?)
慌てて近くの木の裏に隠れる警官達。だが、身を隠せたのは二人だけ。先程の銃撃で一人が首を二発撃たれ、声も出せずに地面に沈んでいた。
(馬鹿な!)
視線の先に、ピクリとも動かなくなった仲間の姿が見える。相手が撃ってきた方向は当然分かっている。だが、相手の姿はおろか、視線も何も気づけなかったことに驚愕する。そっと木陰から周囲を見渡すも、気配の欠片も感じない。こんなことは初めてのことだった。
(狙撃後すぐに移動した? いや、それなら分かるはずだ。こんな雑草と枝木だらけの場所で音も無く動けるわけが無いッ!)
もう一人の仲間も木の陰から辺りを窺っている。耳を澄ませ、動くものや気配を必死に探す。
(ッ!)
そして、暗視ゴーグルの視界に映ったのは、一番左にいたはずの最初に消えた仲間の姿。喉を掻っ切られ、大量の血を流して絶命していた。
(クソッ!)
四人の内半数を瞬く間に殺され、相手の夜間戦闘能力、ならびに野戦技量が格上だと理解する。遺憾ながら撤退するべく僅かに腰を浮かせる。
ズッ
シュパッ
立ち上がろうとした矢先、背後から首にナイフが差し込まれ、そのまま前方に押し斬るように刃が抜けていった。
咄嗟に左手で喉を押さえる。声も出せず息も出来ない。銃を手放し、慌てて両手で押さえても無駄だった。
ドサッ
地面に倒れ、何故? いつの間に? どうやって? そんなことが頭に過ぎりながらも、何も分からないまま息絶えた。
パパパパパッ
警官のMP5が火を噴く。仲間の倒れた音で自分が最後の一人だと察した警官は、ヘルメットごと暗視ゴーグルを投げ捨て、
一瞬で30連弾倉を撃ち切り、近くの木に滑り込んで素早く弾倉を交換する。相手が銃撃を避けるように一瞬で闇の中に消えたのを視界に捉え、おおよその位置は把握していた。
だが、このまま戦っても勝てる見込みはない。警官は再度MP5の引金を闇に向かって引く。牽制射撃をしながら駐車場のパトカーまで走った。
森では位置がバレるので無線は使わなかったが、一連の連射で狙撃班に状況は伝わってるはずだ。走るこちらを敵が銃撃しようと森から身体を出したところを狙撃させる。例えそれが無理でも、敵は狙撃を警戒して追撃出来ない。
その考えは正しい。
だが、その戦法が有効なのは、狙撃手がいればという前提の話だ。
…
……
………
(はぐ……)
PSG1を構えたまま、狙撃手の男は何が起きたか理解不能だった。突然、背後から口を塞がれ、同時に脇腹に鋭い痛みが走った。敵に襲われたとだけ理解できるも、どうやって接近されたか、何故、自分も観測手も気づかなかったか分からない。
あっという間に刃が心臓に達し、なすすべなく床に沈む。最後に目に映ったのは同じように倒れていた
(後方が安全地帯と思って警戒が甘い。野戦の経験が少ない?)
事切れた狙撃手の脇腹からナイフを抜き、狙撃手の持っていたPSG1を拾い上げたのは中村だった。
森を大きく迂回するように走り抜け、狙撃手達の背後に回ってきた中村。そのスピードは驚異的であり、決して素人ではない
それに、よく見れば中村のシャツには狙撃手達以外の血が付いている。迂回する道中、森で遭遇した別の警官のものだ。
中村はPSG1を構え、スコープを覗きながら無線機のスイッチを入れた。
「状況は?」
『三名排除。残りはパトカーの背後にいる一名だけです』
「了解」
西野からの返答を受け、中村はPSG1の安全装置を解除。パトカーの背後、つまり、中村から見て身体を晒している警官に照準を合わせた。
自分が調整した銃、スコープでなくても、二百メートルの距離にいる
ドンッ
パトカーのボディに血飛沫が飛ぶ。
PSG1から発射された7.62x51mm NATO弾が警官の顔面を貫通し、血と脳漿をぶちまけた。
糸の切れた人形のようにその場に沈んだ警官。何が起こったか考える間もなく即死だ。
「クリア。このままヘリを待つ。だが、警戒は怠るな。別動隊がまだ近くにいるはずだ」
『了解』
遠くからヘリの音が聞こえる。
北宇都宮基地の航空科部隊、第十二ヘリコプター隊所属のUH-60JA。米国のUH-60Aブラックホークを改造した多用途ヘリコプターで、航続距離が長く、赤外線暗視装置や気象レーダー、GPS、慣性航法装置による自動操縦など様々な機能を搭載し、想定されるあらゆる任務に対応する。
中村は衛星電話で連絡を取り、着陸ポイントを指示。自身は屋上を離れ、残敵を索敵しつつ、西野と合流した。
…
「習志野に向かってくれ」
山崎をヘリに収容後、中村はヘッドセットを被り、パイロットに行き先の変更を指示した。ヘリのローター回転による爆音で通常の会話はかき消されるため、ヘリ内での会話はヘッドセットにて行う。
指示を受けたパイロットは中村の言葉に困惑する。
普通なら所属基地に帰投するか、緊急性が高ければヘリポートのある近くの病院に行く方が早い。今いる場所なら入間にある自衛隊病院が最も確実で、その予定でパイロットは命令を受けていた。
だが、敵に自分達の動向が漏れている以上、中村達は信用のおける基地に向かう必要があったため、命令を変更した。
パイロットは後部を振り返り、要救助者の容態がもつかを心配する。ヘリに同乗していた医務官が点滴を打ち、バイタルを確認している。その医務官もヘッドセットは装着しており、中村の指示は聞いていた。医務官はパイロットに頷く。いけるだろうとの判断だ。
「了解しました」
不安げながらも指示を了承したパイロットは、全員が乗り込んだことを確認し、ヘリを離陸させる。
その間、離陸後もしばらくドアを開けっぱなしで周囲を警戒していた中村と西野。敵はまだ周辺にいるはずだが、追撃を諦めたのか襲撃も狙撃も無かった。
(山崎さん達を始末するのが目的じゃないのか……?)
中村は疑問に思う。敵は仲間をやられ、狙撃銃もRPGも所持してる。にも関わらず、応援の部隊が集まってくる様子もない。そのことが不気味だった。
…
……
………
ニ十分後、千葉県習志野駐屯地に到着し、山崎は担架に乗せられたまま医務室に運ばれていった。
「病院ではありませんが、ここにも十分な医療設備があります。心配とは思いますが、一般の病院には行けないことはご理解下さい」
中村は広永にそう言い、次に手を差し出してきた。
「それと、念の為スマホをお預かりします」
「え?」
「ここから先は機密保持のため、規則なので。それと、襲ってきた警官が本物の可能性が高いからです」
「本物? え? だって、そんなこと……」
「彼等の使っていた銃器は、現行で流通してるものとは考えられません。偽装する為にわざわざ中古品を用意したとしても、PSG1やMP5は整備が難しい部類の銃です。それがどの銃も手入れが行き届き、そして全員が使い慣れてる。製造番号や隊で割り振られたであろう使用者番号は消されてますが、間違いなく官給品とその使用者でしょう……言ってる意味、分かりますか?」
「まさか……」
広永の脳裏に、警察の対テロ部隊、
「SATが裏切ったってことですか?」
「まだ確証はありません。ですが、その可能性は極めて高いです。それに、本当にSATだとしたら、彼等が堂々と犯罪行為をする理由が分かりません」
「お金? いや、ひょっとしたら家族が人質に――」
「SATの一個中隊、約三十人全ての隊員のですか? 秘匿された対テロ部隊の隊員それぞれの個人情報を得るのは現実的ではありません。それに、仮にそうだったとしても、彼等は対テロ部隊です。犯人の要求を呑んであんな真似……素行が悪かったとしても無関係な一般人を処刑するような真似ができるでしょうか?」
「それは……」
広永は落ち込んだように視線を下に落とす。例え、金銭であれ、人質であれ、警察官ならできないことだ。
「分からないことはまだまだあります。あの場所で一般警官に偽装していた理由も、我々の行動が把握されていたことも分かりません」
中村は広永を改めて見る。山崎の傷を押さえ続け、手も服も血だらけだ。
「……ですが、今は少し休みましょう。ここなら安全です。西野、広永さんを客室に」
西野は頷き、気を落とした広永を駐屯地の宿舎へ案内する。
二人を見送り、中村は山崎と広永から預かったスマホを手に、別の建物に向かって歩き出した。そのポケットにはビニールに入れた狙撃手と観測手の親指が入っている。
(警察上層部が関与してるなら、指紋を調べても何も出てこないかもしれない。それに、SATのギドゥラ掃討作戦自体が偽装の可能性もある……だが、何故だ? どんな目的があって何をしていた? ……これから何を起こす気だ?)
「くそ……」
ギドゥラの問題に加えて、警察も信用できなくなった。おまけに、特殊訓練を受けた警官が街に紛れて暗躍している。中村はその対処法がすぐには浮かばず、頭を抱えた。
…
「広永さん、申し訳ないですが、案内した部屋以外には入らないようにお願いします。先ずは部屋に……広永さん?」
「……あ、はい? 何か言いました?」
「いえ、先に宿舎の客室に案内します。着替えは女性自衛官に用意させますので」
「ありがとうございます……ところで、ここって、第一空挺団とか特殊作戦群のいる駐屯地ですよね?」
「……? そうですが、よくご存じですね」
「じゃあ、やっぱりお二人は特殊作戦群の人なんですか?」
「いえ、自分達は情報部の――」
「あ、もうそういうのいいんで」
「は?」
「名刺に書いてあった部署が名前だけで実態がないのは知ってるんで。調査部別班かなーとも思いましたけど、あの戦闘能力の高さからすると、特戦群で合ってますよね。でも、強過ぎじゃないですか? 特戦群の人ってみんなそうなんでしょうか? ……まあ、もうどうでもいいですけど」
ポタリ
西野の鼻から血が垂れる。次第に流れる量が増え、目や耳からも出血しだした。
「ごはッ!」
続いて大量の血を吐き、身体に力も入らなくなった西野は、片膝を着き、正面にいる女を見上げる。
そこには眼鏡を外し、つるを咥えて怪しい笑みを浮かべる広永の姿があった。先程の落ち込んでた様子は微塵もない、まるで別人のようだ。
「本当はもっと後……自衛隊の動きとか色々分かってからの予定だったんですけど……折角来れたんで、ね」
「な、なにを――」
「邪魔なんですよ。あなた達が」
「ごふッ――」
「とりあえず、西野さんは死んでください」
ドサッ
西野は崩れ落ち、床一面に血が広がった。
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