第44話 ヴィクトル・カレリン

 山中にある洞窟。


 ここは有史以前、遥かな太古に建設された魔導文明の名残である。


 数万年を超える年月で遺跡は完全に自然と同化しており、その存在はこれまで誰の目にも留まることは無かった。


 しかし現在。その入口の周囲には真新しい爆破痕が痛々しく残っている。ロシアン・マフィア『ギドゥラ』により強引に空けられた空洞には、複数の投光器が点々と設置され、内部を眩い光で照らしていた。


 その奥にある広い空間では、簡易テーブルや軍用コンテナの上にノートパソコンやモニター、無線機など様々な電子機器が設置され、それらを運用している者、銃器や弾薬の点検、整備を行っている者など、戦闘服を着た兵士達が忙しく動き回っている。


 その一方、壁際にはギドゥラ日本支部のマフィア達が身を小さくしてその光景をただ眺めていた。周りにいる兵士達と違い、黒や紺のスーツに派手なシャツ、ゴツイ時計や指輪、ネックレスなどをこれ見よがしにジャラジャラと身に付け、この場では完全に浮いた存在だった。


 ここにいる兵士達は皆、ギドゥラの実行部隊『ジラント』の中でも元特殊部隊スペツナズの精鋭を集めたアルファ部隊出身者である。全員が将校で構成され、手段を選ばず任務を遂行することで知られる精鋭中の精鋭だ。繁華街では誰もが道を開ける強面のマフィア達も、彼等の前では蛇に睨まれた蛙のように壁際で縮こまっていた。


 その彼等の視線が一斉に集まる。


『侵入者だと?』


 ロシアン・マフィア『ギドゥラ』の頭領ボス、ヴィクトル・カレリン。


 ヴィクトルは部下の報告を受け、眉を吊り上げる。身長190センチ、体重100キロ以上の筋肉質の巨漢。短く刈り込んだ金髪と碧眼、厳つい顔には無数の傷跡があり、まさに歴戦の猛者といった風貌の男だった。


 軍を辞して傭兵会社を立ち上げ、武力を背景にロシアン・マフィアを吸収したヴィクトルは、軍時代に培った国際的ネットワークを駆使し、紛争地域に傭兵や兵器、麻薬、人身売買で組織を巨大に発展させた。


 一代でそれを成せた背景には、幼少時にあの九条彰と出会ったことの影響がある。ヴィクトルは魔力の扱いは勿論、異世界の魔導科学文明による肉体改造を受けており、実年齢八十を越えても三十代のような若々しい肉体を保っていた。


『はっ! 侵入者は一名。自爆ベストを着用し、こちらに接近中とのことです。如何致しますか?』


 ヴィクトルの部下である現場指揮官は姿勢を正し、ヴィクトルにそう報告する。


『自爆ベスト? ふん、さっさと始末しろ』


 ヴィクトルは日本という国では予想していなかった状況に一瞬眉を顰めるも、即座に部下に命令を下した。


『はっ!』


 命令を受け、指揮官は無線機を手に取り、現場の部下に繋ぐ。その一方、ヴィクトルは不機嫌な表情を露わにした。


『中佐め、しくじったか……あのが』


 数名の部下を率いて追撃に出たトレチャコフ中佐をそう吐き捨てる。敵がこの場に来るということは、トレチャコフがやられたということを意味していた。


(それにしても、自爆ベストか。榊原のデータにあった人間は全員日本の学生だったはずだが……)


 自爆ベストによる攻撃は、何も狂信者だけが行うものではない。紛争地域や戦場では劣勢のゲリラや犯罪組織が使う手段でもある。自爆に限らず、民間人を肉の盾にすれば正規軍は迂闊に手が出せないことを利用した卑劣な戦法だ。


 異世界帰りの要注意人物たちは皆、若い学生と聞いていたヴィクトルは、目の前の状況との繋がりが見えず違和感を感じる。


(だが甘いな。どこで覚えたのか知らんが、そんな見え透いた手が通用すると思っておるのか? ……少々調子に乗らせたようだな)


 ヴィクトル達は正規軍ではない。国家への忠誠を捨て、武力を己の利益の為に使う集団であり、プロの傭兵でもある。囮の人間が民間人であれなんであれ、容赦などしない。


 囮を即座に排除し、同時にその隙を狙ってくるであろう本隊を補足、排除する。ヴィクトルが何も言わなくても部下達は当たり前のようにそう動いていた。



『おい、あいつらは何だ?』


 ヴィクトルはふと部下の一人を呼び止め、視界に映った壁際で小さくなっているマフィア達を見る。


『日本支部の者達です。陣地構築に必要と思い招集しました』


『もう必要無かろう。丁度いい、こいつらを使え』


『はっ! 了解です』


 ヴィクトルは部下にそう命令すると、側近の部下を引き連れて洞窟の奥へと向かった。


 その命令を受けた部下はマフィア達を見て冷酷な笑みを浮かべる。


『お前達、こっちに来い。仕事をやる』


『『『……?』』』


 …


 部下を引き連れ、洞窟の奥に来たヴィクトル。


 のっぺりとした一枚岩のような壁。ノートパソコンの画面を見ながら部下達が壁を調べている。


『どうだ?』


『はっ! どうやらここで間違いないようです。Mr.榊原のデータどおりかと』


『昔から考えの読めん奴だが、誤情報を寄こすほど馬鹿ではないからな』


 そう言って、部下が調べていた壁に手を当て、魔力を流すヴィクトル。すると、壁一面に奇怪な文様が浮かび、岩壁が霧散するように無くなってしまった。


『『『おおっ!』』』


『行くぞ。ついて来い』


 そう言って、ヴィクトルは更に奥へと進んだ。


 …

 ……

 ………


 遺跡周辺の山中。


 レイの探知魔法はレーダーのように動く物体を捉える魔法であり、動かない者には反応しない。しかし、優れた狙撃手なら何日も動かず狙撃体勢を維持できるとはいえ、全く微動だにせずに射撃できる者は存在しなかった。


 レイは僅かな反応も見逃さないよう神経を研ぎ澄まし、次なる獲物を狙う。


 二人一組で狙撃体勢を取っている敵兵に忍びより、警戒役でもある観測手を背後から音も無く殺す。異変に気付いた狙撃手が振り向いた時には既に、レイの短剣が喉を滑った後だ。



 ギリースーツなどの擬態服や、草木を纏って景色に溶け込む狙撃手を見つけるのは至難の業であり、普通は狙撃される瞬間まで察知できるものではない。


 現在では赤外線による熱探知で狙撃手を発見することもできるが、対策として熱探知されない素材や装備も同時に開発されている。つまり、時代が変わり、技術が進歩しても、狙撃手を見つけるには戦場を長年生き延びた者の経験と勘が必要となってくる。


 気配のコントロールが出来て当然の新宮流。それも、新宮幸三の直弟子であるレイにとって、隠れ潜む狙撃手を感知するのは魔法を使わずともそれほど難しいものではなかった。


 昔から傭兵としてのレイの専門は潜入と近接戦闘である。単独で敵地に潜入し、密かに敵を無力化する。気配を断って忍び寄り、一撃で即死させる技術に秀でており、特殊部隊で高度な訓練を受けた者でさえ、一対一の隠密近接戦闘ではレイには敵わない。


 複数の効果を付与した光学迷彩魔法と身体強化。地球の防弾ベストなど難なく斬り裂く魔金製の短剣の前に、ジラントの傭兵達は一人、また一人と命を狩り取られていく。


 ズッ


(妙だな……)


 殺した兵士の身体から短剣を引き抜きながら、レイは違和感を感じていた。


 配置された人員に何人も無線が通じない者が出れば、当然、部隊全体の動きは変わる。防御陣形を維持する為の人員の再配置や増員、それと同時に侵入者を排除する為、指揮官は追加の兵を送るか、砲撃などの大胆な手を打ってくる。


 しかし、そういったセオリーな動きがみられない。まるで陣地を防御する気がないように、増員の気配も無く静かだった。


(ここを放棄するつもりか? いや、そうじゃないとすると、内輪で何かあったか? 既に儀式に入ってるわけはないが……) 


 レイの見立てでは、遺跡を動かし、地球世界と異世界を繋ぐなら、最適な時期はまだまだ先だ。魔素の薄い地球では、それに必要な魔力を捻出するのは惑星直列による魔素の増大を利用する以外にない。


 つまり、遺跡を利用する気ならこの場所をもうしばらく秘密裏に占拠しておかなければならないはずだ。侵入者を排除する為に人員を動かさない理由がレイには見当がつかなかった。


(まさか、俺の知らない魔力の捻出方法があるのか? だが、それなら遺跡は必要は無い。ここに陣取る理由も無いはずだ……)


「まあ、どの道、全員始末するんだ。結果は変わらない」


 …

 ……

 ………


 一方の大輔は何も起きないまま、ひたすら夜の山道を歩いていた。


 レイの指示されたとおりにガードレールで封鎖された道の突き当りまで進み、足を止める。


「……えーと、ここからどうするんだっけ?」


 フラッシュライトで周囲を照らすも、雑木林が広がってるだけで特に何が起きるわけでもない。


 耳に着けた無線機も沈黙したままだ。


 しかし……



 ガサッ

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