第34話 移動

 夏希が大五郎に連れられ洞窟に入る数時間前。


 渋谷駅前、建設中ビルの屋上。


『ッ!』


 ニコル・トレチャコフ少佐は、目が覚めるとレイに片足を握られ、ビルの屋上の端から逆さに吊るされていた。


『起きたか? 少し前にここから出て行ったランクルの行き先と『ギドゥラ』の拠点を言え』


 ビルの高さは二百メートル以上。この高さから落下すれば、屈強な軍人であろうと肉体は衝撃に耐えられない。治癒能力があっても癒える間も無く即死する。


『お前は一体何なんだッ!』


 しかし、ニコルは既に死を受け入れているのか、動揺する素振りもなく、レイに噛みつく。


『何だっていい、さっさと質問に答えろ』


『はんッ! このアタシが命惜しさに喋るとでも? そこらのカス共と一緒にしてもらっちゃ困るわね』


『流石は元特殊部隊スペツナズってとこか。これ以上は無駄だな』


 先程の銃撃や爆発で複数のパトカーが集まってきており、拷問する時間は無い。それに、特殊作戦を行うような兵士は拷問や尋問に対する訓練を一通り受けている。ロシアの特殊部隊員なら簡単に口を割らないと分かっていた。


 わざわざニコルを屋上に連れてきて聞いたのはダメ元だ。


『ガキが知ったような口を……けど、覚えておきなさいッ! ギドゥラに手を出した者に未来は無い! お前も! お前の家族も! どこに逃げても組織が必ず見つけ出す! 死んだ方がマシだと思える苦痛を味わって死になさぁい!』


『ふぅ~ん』


『強がりやがって……お前がどんなに強くとも家族や恋人、親しい人間全てを守れるわけはない! アタシを殺せば終わりよ! ……オラ、どうした? 殺れよ? 殺ってみろよこの――』


『そうする』


『へ?』


 レイは掴んでいた手をあっさり放すと、ニコルは真っ逆さまに落ちていった。


『はぁう、おわぁああああああーーー』



 グチャッ



 何も出来ずに地面に衝突したニコル。手足があらぬ方向に曲がり、片足が吹き飛び、頭から脳が、腹から内臓が飛び散った。


 驚き慌てる警官達がニコルだった肉塊に駆け寄っていく。レイはそのまましばらく様子を見るも、ニコルが復活する様子は無い。


「再生能力があっても吸血鬼並ってわけじゃないな。まあ、魔素の薄い環境ならこんなもんか」


 警官達がビルの屋上を見るも、レイの姿を見れる者はいない。


(だが、認識を少し改める必要があるな……)


 レイはニコルの能力で一瞬のうちに凍らされた自身の腕を見る。既に治癒済みだが、新調した装備が無ければ危うかった。生身のまま頭部や心臓部に直接食らっていれば、いくらレイでも死んでいたかもしれない。


(こっちの連中は、呪文や詠唱がないから発動が早く、威力も高い。異世界人と地球人のイメージの差だな)


「だが、魔法戦闘に慣れてない所為か、コントロールは大雑把で持続力も無い。まあ、不可視の超能力みたいなもんだからな。魔力量も少ないし、一晩で回復もしない。発動すれば勝ちが確定するなら銃やナイフのように普段から鍛えることはしないか……」


 レイは下で騒いでいる警官達を他所に、光学迷彩を施したままその場を後にした。


 …

 ……

 ………


 ガチャ


 数十分後、レイは西新宿のビルにある『ゾディアック・デルタ』社のオフィスのドアを開け、ジャネット達の元に帰ってきた。


「「「ッ!」」」


 護衛の傭兵達が驚き、慌てて銃を向けるも、レイはそれを無視してジャネットにメモを投げる。


「なんで、いっつもそんな簡単に入って来れるのよッ! ってか、何これ? 車のナンバー? まさか、これを調べろって? アンタね、私は便利屋じゃないの!」


 ジャネットは護衛達に銃を下ろすよう手で合図を送った後、レイから渡されたメモを見て文句を捲し立てた。


「大体、単なる警備会社の私達が日本の車のナンバーなんてすぐに調べられるわけ無いでしょ!」


「あのー、単なる警備会社は拳銃なんて持ってないと思うんですけど……」


「シャラップ!」


 ボソリと呟いた丸川にジャネットが叫ぶ。


「おぅふ……ソ、ソーリー」



「丸川、お前なら調べられるだろ」


 ジャネットに一喝され、小さくなった丸川にレイが言う。


「え? いや、何言ってんだ兄ちゃん、無理だよ」


「できるだろーが、何勿体ぶってる?」


「だって、俺のパソコンは無いし、ウチに戻っても多分燃えちまってるし、仮に無事だったとしても、あんな警官がウヨウヨいるとこに取りに行ったら捕まっちまうよ。勘弁してくれ」


「そこにあるだろ」


 レイはテーブルの上にあるキャバクラで奪ったノートPCを指す。


「いやいやいや、これマフィアのだろ? 起動したらまた襲われるじゃねーか!」


「もう襲って来ない」


「「「……え?」」」


「まさか……本当に潰してきたわけ?」


「とりあえず、ハインド三機分の人員は減らしてきた」


「嘘でしょ? まだ一時間しか経ってないわよ?」

 

「ジャネット、お前には後、これだ」


 レイは手に持っていた軍用ラップトップをテーブルに置く。先程奪った『ジラント』のものだ。


「これって……」


「中身を調べるのは任せる。それと車を一台用意しとけ。情報と車が揃ったら連絡しろ」


 そう言って、レイはオフィスを出ていってしまった。


「あっ、ちょっと! 待ちなさい!」

「行っちまったよ……」

「ぼ、僕はどうしたら……」


 あまりに身勝手なレイにそれぞれ思う所はあっても、誰にもどうすることもできず、ジャネットと丸川は渋々言われたとおりにするしかなかった。


 …


 数時間後。


 西新宿のビルの下では、黒のSUVを前にレイ達がもめていた。


「免許がないだと?」


「はい……えっと、何か変ですか?」


 大輔に運転させようとしたレイが呆れた顔をする。


「お前、二十歳だろ? なんで車の免許を持ってないんだ?」


「まあ、最近の若いモンじゃ珍しい話じゃないわな~」


 その隣では会話を聞いていた丸川がウンウン頷きながら言う。


「ちっ、仕方ない。おい丸川。お前が運転しろ」


「何言ってんだよ。俺だって免許取ってから何十年も運転なんてしてないよ。無理無理。っていうか、なんで一緒に行くことになってんの? 絶対嫌だよ!」


「あのー レイさんは?」


「今の俺に戸籍は無い。運転免許もだ。当然、運転は出来るが、警察がうろうろしてる中、どこで検問に遭うかも分からん。無免許運転はなるべく避けたい」



「しょうがないわね~ 乗りなさい」


「「「……」」」


 そこへ、何故かジャネットが運転席に座り、皆に乗れと声を掛けてきた。


「あ、じゃあ、失礼しまーす」


 先程は、行かないと言っていた丸川がそそくさと助手席に乗り込む。


「ふざけんな! お前ぇーはトランクにでも入っとけ!」


「ええっ! ヒドイっ!」


 またもジャネットに厳しい言葉を浴びせられる丸川。


「……でも好き」


「タカシ、コイツ殺していい?」


「別に構わんが銃は使うな。それより、なんでお前が運転する?」


「何でって、コレ一応、米国大使館の公用車だし、外交官ナンバーよ? あなた達だけじゃ、怪しまれて止められるかもよ?」


「なんでそんな面倒な車を持ってくる?」


「なんでって、防弾仕様はこれしか用意出来なかったのよ。ロシアン・マフィアの拠点に乗り込むのに普通の車で行くつもり? 蜂の巣になりたいの?」


「俺と大輔は平気だが?」


「あのね、盗難車じゃないんだから車を使い捨てないでよ! 壊れて放置された車両が調べられたら私達が困るんだから! 分かった? なら、さっさと行くわよ!」


「ちっ、仕方ない」


「あ、あのー……レイさんの転移は使わないんですか?」


「「転移?」」


「行ったことのない場所には使えない。それに、それなりに魔力を消費するからな。節約だ」


「「魔力?」」


「そ、そうですか……」


「「おーい」」


 丸川とジャネットの疑問の声を無視し、レイが助手席に座り、丸川と大輔が後部座席に乗る。


 …


 車を走らせ、しばらくするとジャネットが口を開く。


「そうそう、今の内に色々報告するわね。頼まれてたウチの精鋭は米軍の輸送機で本国を出国。明日には日本に到着するわ」


「まだ演習場所が未定だ。着いたら待機させとけ」


「はあ……まあいいわ。それと、預かってる光学迷彩服と手袋だけど……」


「どこのだ?」


「まだ確定じゃないけど、米国製の可能性が高いわね」


「その根拠は?」


「素材ね。どんな製品も、素材からある程度、他の製品との類似性や特徴があるものなのよ。特に、繊維系のベースとなる素材はメーカーの特徴が出やすい。それに、手袋に使われてた刃鋼線はNASAで開発された米国製だったわ」


「「へーー」」


 ジャネットの説明に後部座席の二人が感心する。


「米国製でもZOD社が把握してない新兵器か……そんな代物が日本のチンピラに流れてる……流出しても構わないくらいの旧式の技術なのか、それとも、どうでもいいと思ってるか……」


「実戦に耐える光学迷彩服なんて、米軍の特殊部隊でもまだ実験段階よ? 旧式の技術なんかじゃない。アレもウチで買い取らせてもらいたいぐらいよ」


「好きにしろ」


 車は甲州街道から外苑東通りを経由し、六本木方面に進む。


「もうすぐ着くわよ」


 目印となるディスカウントストアの目立つ看板が見えてくる。今向かっている目的の場所は、その店の向かいの商業ビルだ。複数のフロアにそれぞれナイトクラブがあり、一階や地下にも飲食店の看板が出ていた。


 新宿や渋谷にパトカーや警察官が集まってる中、六本木は平日にも関わらず、普段通りに人で溢れている。


「その辺に停めて待ってろ。大輔はここで待機、ジャネットの護衛だ」


「え? あ、はい」


「自分の身は自分で守れるわよ」


「いくら防弾仕様でも窓ガラスの厚さ的にクラスⅢってとこか? これじゃあ、50口径は防げない。対戦車ロケットRPGなら一発であの世行きだぞ?」


 一口に防弾仕様車といっても、ボディアーマーのようにランクがある。拳銃弾からライフル弾、大口径ライフル弾まで、防弾性能によって防げるレベルが変わる。それに、どんなに高性能な防弾仕様車でも、爆発物に対しては脆弱で、対戦車用のロケットやミサイルを撃ち込まれれば、中に乗った人間はひとたまりも無い。


「まさか、こんなとこで――」


「連中は新宿でハインドの対地ミサイルまで飛ばしてる。ここがどこだろうと構わず撃ってくるぞ?」


「……」


「丸川、ランクルの位置は?」


「え? あ、ああ。えーと、まだ……移動中だな」


 丸川は膝の上でノートパソコンを操作し、二台のランクルの位置を捕捉していた。パソコンは『ギドゥラ』のもので、起動している以上、内部のGPSでマフィア側にもこの端末の位置はバレているはずだ。


「ここを潰して、すぐにそっちを追う。エンジンは切るな。怪しい奴がいたら、俺を待たずにすぐに車を出してそっちに向かえ」


 ジャネットにそう言って、レイは一人、道路を渡り人混みの中に消えていった。



「おいおいおい、ホントに行っちまったぞあの兄ちゃん。ギドゥラの事務所だろ? 死にに行くようなもんじゃねーか。ジャネットちゃん、止めなくていいの?」


「誰がジャネットちゃんだッ!」

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