第24話 素養

「……ウッサイ」


 そう一言呟くのが精一杯だった夏希。


 片足を失った大輔は、美紀と典子の肩を借りてなんとか道場まで辿り着いた。その大輔も目の前の光景に声が出ない。


 美紀は大輔が地雷を踏んだのは自分の所為。典子は何もできなかったことを悔やんで大輔を手伝ったが、その二人も言葉を失っている。



 道場では、レイが門下生達相手に稽古をつけていた。


 しかし、到底稽古とは言えない凄惨な光景。床には門下生達が何人も血だらけで倒れており、短刀を手にした門下生達がレイを囲んでいる。夏希と美紀にはしてやられたものの、『エクリプス』を翻弄した者達が必死な形相でレイと相対していたのだ。


 その異様な光景に『エクリプス』の面々は何事かと息を吞む。



 ――新宮流修練法『千滅夜行』――


 新宮流の修行の一つ。戦場における多対一の乱戦を想定した荒行で、四人一組で一人を攻撃し、どちらかが戦闘不能になるまで続けられる。


 本来は個人技量と集団連携、その両方を鍛える修練法であるが、言うまでもなく指導役の一人には卓越した技量を求められ、必然的に集団を鍛える修練となる。無論、集団側にも相応の技量が無ければ成立せず、武器の使用は勿論、実戦同様に真剣が使われる。


 レイは生前からこの荒行を主導できる数少ない一人であり、異世界で十年研鑽を重ねた今ではその技量に更なる磨きが掛かっていた。


 しかし、そのような常軌を逸した荒行など知らない夏希達は、何が起こってるのか理解不能だ。


 混乱している夏希達を他所にレイが続ける。


「相変わらずチビ熊のままだな、大五郎。お前は俺のことを分からんだろうが、俺はお前をよく覚えている。いつも人間を小馬鹿にしていたクソ熊が、女を背中に乗せるなんざ、随分日和ったな」


 レイの視線が大五郎を射抜く。


 その怪しく光る灰色の眼を見た瞬間、大五郎はブルリと身を震わせ、夏希を背に乗せたままズルズルと後退った。レイの強大な魔力と、人であって人ではない、自分より遥かに上位の存在天使を見てパニックに陥る。


「なるほど。ジジイにしか手懐けられないわけだ……」


 大五郎を見て何やら納得したレイは、次に夏希に視線を向けた。


「おい金太郎。せめて怪我したそっちの小僧を乗せるだろ普通」


「誰が金太郎よッ! 仕方ないでしょ! 大輔を乗せて逃げられたらどうすんのよ?」


「それもそうか……まあ、丁度いい。大五郎そいつの面倒はお前が見ろ」


「嫌よ」


 ハフンッ!


 大五郎から情けない声が漏れる。


「それより、これは一体どういう状況?」


 夏希は大五郎を無視して、血を流して倒れている門下生達を見て言う。


「何って、稽古してるだけだ」


「「「け、稽古?」」」


 唖然とする夏希達。自分達に対しての今までの行いもあって、目の前の男は頭がオカシイのではと訝し気な顔でレイを見る。夏希達の常識では、血反吐を吐かせ、刃物で斬りつけるのは稽古とは言わない。明らかに度が過ぎている。


「お前らも何をボケっとしてる? 俺は手を止めていいとは言ってない」


 レイは門下生達が攻撃を中断していたことを責める。


 その言葉にハッとなった門下生達は、短刀を構え直してレイに襲い掛かった。


 襲い掛かる門下生達を、レイは流れるような動きで次々と短刀で斬り伏せ、掌底で骨を折り、血反吐を吐かせる。



「イカれてるわ」


 床に倒れた門下生達を見て夏希が呟く。


「夏希様、倒れた者達への気遣いは無用でございます。新宮流では深手を負ったとしても目的を果たす力を身に付けなくてはなりません」


 音も気配も無く、夏希の側に現れたチヨ婆。


 戦場において、生殺与奪の権利は強者にある。参った、降参などという言葉を弱者が吐いたところで助かる保証など無い。新宮流では怪我をしようが、死にそうだろうが、どうするかは強者が決める。


「チヨさん……」


「一見、酷い怪我に見えますが、お屋形様の手心で急所は全て外れております。重要な臓器や血管に致命の傷ついておりません。それに、皆、傷の手当は心得ております。助けは必要ありません」


 チヨは夏希と話しながらも、レイから視線を逸らさず言う。


 四方から連携して襲い掛かる門下生達は、レイの急所を狙っている。夏希達を相手にしていた時とは違い、本気で殺す気だ。


 新宮流の中では半人前でも、ここにいる門下生達は新宮幸三から指導を受けた元特殊部隊の兵士達である。全ての攻撃を防ぐのはレイでも不可能だった。門下生達の短刀が頬をかすり、腕や背中に斬撃を受ける。


 が、レイは気にも留めない。


 戦闘不能にさえならなければよい。それが新宮流の考えである。


 実際にそれを実践できるようになるには、人体への深い理解は当然、気の遠くなるような鍛錬が必須となる。しかしながら、後者においては現代社会で育った感覚や常識から脱することは難しく、執念にも似た覚悟や動機、もしくは、ある種の素養がなければ難しい。


 本人は気づいていないことだが、その特異ともいえるが父親から受け継がれているとは、夏希には知る由も無い。



 道着の帯を解き、止血をする者。

 折れた腕や、千切れかけた指を元の位置に戻そうと歯を食いしばる者。

 血を吐き、腹を押さえながら必死に呼吸を整えている者。


「敵の首を取ることよりも、己の身体を気に掛けるようでは、あの者達もまだまだ未熟でございます」


「「「……」」」


 チヨの言葉に全く共感できない『エクリプス』の面々。


「単独の敵に対し、同時に攻撃するのは四名が最適解。前後左右、一分の狂いなく時を合せて攻撃できればお屋形様とて躱しきれません。夏希様達もよくご覧いただくと良いでしょう」


「いや、でも普通に斬られてるけど?」


「動きを止められないのであれば無意味です。お屋形様を止めるなら、心臓の鼓動を一突きで止めるか、首を一刀で刎ねねばなりません」


(((いやいやいや……)))


「そんなの、出来たとしてもたかが稽古でやれるわけないわ」


「世間の常識で考えるならば、夏希様の言われることはごもっともです。ですが、それが出来る者が新宮の頂点に立たれます。お屋形様が先代様を殺し、この場にいるように……」


「チヨさん、なんでそのことを……?」


「お屋形様から聞いております」


「それを知っててなんで? あの人のこと恨んでないんですか?」


「強き者が、より強き者にとって代わるのは武の世界では珍しいことではありません。それが直弟子なら先代様も本望でしょう」  


「理解できないわ」


「ふふふ……長くを生き、多くの弟子を育て、一門の長となって達する境地があります。夏希様では理解出来ないのも無理はありません」


「……?」



 ゴファッ


 レイの掌底が門下生の下腹部に刺さり、そのまま突き上げられる。


 血を盛大に吐き、白目を剥いて床に崩れ落ちた門下生。辺りに立っている門下生はいない。その者を最後にようやく稽古が終わる。


「まだまだだな」


 そう言いながらレイは懐から小瓶を取り出し、頭からかぶる。全身にあった切傷がみるみる塞がっていく。


「そっちの小僧にはこれを飲ませておけ」


 レイは別の小瓶を取り出し、夏希に投げた。小瓶には回復薬とは違う金色の液体が入っている。欠損も再生できる『超回復薬エリクサー』だ。


「ちょっ、これ……」


「その小僧には後で仕事がある。そいつで足を治したら風呂に入って小綺麗にしておけ。それ以外は引き続き、門下生達こいつらと訓練だ。金太郎は大五郎の躾でもしてろ」


 ハフンッ!


「金太郎じゃねーって言ってんだろッ!」


 …

 ……

 ………


 数時間後。


「ど、ど、ど、どうしてこんなことに……?」


 大輔はレイに連れられ、新宿のキャバクラにきていた。

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