第23話 大五郎③

 全速力で森を駆ける大五郎。


 いつものように、自分の縄張りに侵入してきた余所者を排除したはいいものの、側にいた人間達の中に、自分では決して勝てないと本能で察した者がいた。


 あの新宮幸三以来の衝撃に、大五郎は自然と走っていた。



 ――『ほう? 珍しい熊じゃな。どれ、ワシが世話してやろう』――


 

 生まれて間もない頃、親熊に育児放棄され飢え死に寸前のところで新宮幸三に拾われた大五郎。幸三に懐いていたのは育ての親だからというだけではなく、成獣となった後も幸三には決して勝てないと理解していたからだ。


 しかし、それ以外の人間、裏道場の門下生を含め、武器を持った人間だろうと、大五郎には貧弱な生き物としか映らない。


 自分を害するなら葬るだけであり、媚びるつもりも遜る気も起きない。


 幸三がいなくなった後も餌には困っていない。自分で木の実を採ったり、獣や魚を捕獲する必要も無かった。腹が減れば、チヨという老婆の元に行けばいいのだ。そう思い、日々を悠々と過ごしていた。


 しかし、突然、得体の知れない存在が縄張り内に現れる。


 見た目は人間だが、それとは違うナニカ。大五郎はその得体の知れない存在に幸三以上の脅威を感じ、近づこうとはしなかった。その存在も自分に近づく気配はなく、しばし様子を伺うことにした。


 だが、またもや脅威が現れる。


 今度は見た目も臭いも正真正銘の人間の雌。しかし、自分は決してこの人間に敵わない。一目見て、そう大五郎は思った。


 

 ――追ってきている……――


 大五郎の鼻から先程の人間の臭いが離れない。距離はあるが、確実に自分を追跡して来ている。人間が何故追って来れるのか? 自分なりに痕跡を残したつもりのない大五郎は疑問に思う。


 ならばと、大五郎は走る速度を落とし、あるエリアへと向かった。


 …

 ……

 ………


「まずった……」


「なにが?」


 急に立ち止まり、周囲を見渡した美紀の呟きに典子が尋ねる。


「途中から怪しい痕跡が目立ってきたから追いついてきたと思ってたけど、逆だった。嵌められたかも……」


「誰に?」


「たぶん、あの熊」


「「「は?」」」


 野生の動物が人間を謀るなど想像してなかった一同。しかし、自然界では熊に限らず、ウサギやキツネ、イタチなど、追跡をかく乱する為に自分の足跡をトレースしながら後退し、追跡者を誘導する動物が存在する。


 その上、魔獣といってもどこか地球の動物だと油断のあった美紀は、まんまと大五郎の策に嵌められてしまった。


 周囲にはチヨら、門下生達も知らない様々な罠が張り巡らされている。


 だが、大五郎は美紀が思っている以上に人間を知っていた。日々、裏新宮の門下生達を相手に自由を謳歌していた熊である。美紀が騙されたのは無理もないことだった。


「美紀さん、どうす――」


「大輔! 動かないでッ!」


 美紀の後ろにいた大輔が、一歩足を踏み出した瞬間……


 カチリッ


 大輔の足下から小さな音が鳴る。その直後……


 ボンッ


 くぐもった爆発音と同時に、大輔の左足が吹き飛んだ。


「「「大輔ッ!」」」


 爆発の衝撃で倒れ、放心状態の大輔。その後、激しい出血と共に、徐々に激痛が襲ってくる。


「あぁぁあああーーー!」


 無くなった足と痛みで混乱し、悲鳴が上がる。


(地雷ッ!?)


 そう思うも、大輔の重装鎧を吹き飛ばすなど普通では無い。地雷に関して多少は知識のあった夏希は、そのあまりの威力に驚く。


「典子! ダメっ!」


 大輔に駆け寄ろうとした典子を美紀が制止する。他にも地雷が埋まっていれば、典子も大輔の二の舞になる。


「大輔! 回復薬を飲みなさい!」


 夏希が叫ぶ。


「はっ はっ はっ……」


 大輔は爆発のショックで息を乱しながらも、震える手でなんとか回復薬の小瓶を腰のポーチから取り出す。


 迂闊に動けない中、全員が大輔の動向を注視する。出血が激しい。回復薬の効果次第では、大輔を担いで急いで撤退すべきだ。


「んぐ、んぐ……」


 一口二口と呷り、残りの液体を傷口に掛ける大輔。すると、出血がピタリと止まり、みるみる傷口が塞がっていった。

 

(欠損を再生する効果はない……か)


超回復エリクサー』や、レイの再生魔法を知っている夏希は、渡された回復薬の効果に内心落胆する。しかし、異世界の市場に出回る一般的な回復薬に比べ格段に即効性があり、不満は贅沢というものだ。


 その間に、美紀は地面に目を凝らし、安全なルートを急いで探す。


 自分達が歩いてきた道は安全なはずだが、注意してよく見るとそこかしこに罠と思わしき箇所がある。ここまで来れてしまったのは運が良かったか、追っていた熊の仕業かもしれない。


 しかし、何故見落としたのか?


 それは、目に見えない魔力による罠と、原始的な物理の罠が混在し、どちらかに注意すると、もう一方に気づけない仕組みになっていたからだ。地球で生まれ育った者なら魔力罠に引っ掛かり、異世界の者は物理罠に掛かるという訳だ。


 新宮幸三が異世界人を想定した罠を設置した理由は不明だが、それが分かったからといって、ここを無事に切り抜けるのは至難の業だった。美紀だけならともかく、『エクリプス』全員が安全地帯まで退避するには多くの時間と労力が必要だ。とても大五郎を追跡するどころではない。


「地図には載ってない罠のエリア……大輔、みんな、ゴメン。私のミスだ」


 地形図を見ながら美紀が申し訳なさそうに言う。


「美紀の所為じゃないでしょう? 責めるべきは、私有地だからって日本の山に地雷を埋めた頭のオカシイ人間よ」


 そう言って、夏希は前に歩き出した。


 暗黒鎧解放


「ちょっ! 夏希?」


 ビンッ


 夏希が草に隠れた極細の糸を引っ掛ける。


 直後、茂みから大きな丸太が襲ってきた。


 ゴッ


 丸太は勢いよく夏希にぶつかるも、夏希の身体は微動だにしない。



 ――『暗黒剣解放』――



 丸太は音も無く粉々に粉砕され、周囲一帯の木々も消滅した。


「「「――ッ!」」」


 光が反転した世界。


 陽の光が闇に変わり、闇が刃と化す。


 夏希が一歩踏み出す度に、視線を遮る木々や草花が塵となって消えていく。


 

 ――『反転世界 常闇』――



 その世界では夏希が全てを支配する。空間内にいる全ての生きとし生ける者の鼓動や息吹が光の波動となって夏希に伝わる。


 夏希の目は、大五郎の存在をはっきり捉えていた。


 カチリッ


 ボンッ


 地雷を踏み、足元が爆発しようとも、何事もなかったかのように歩き続ける夏希。


 大五郎が身を隠していた茂みが消失する。


 ギャヒンッ


 蹴られた犬のような悲鳴が漏れた大五郎。自分の命を握られた不快な感覚。逃げても無駄。戦っても無駄。そう本能で理解した。生まれて初めて味わう無力感と恐怖に、大五郎は身が震え、一歩も動けなかった。


 一歩一歩、近づいてくる暗黒の騎士。地面に埋められた罠や、張り巡らされた仕掛けを無に帰し悠然と向かってくる。


 その姿に大五郎は無意識に仰向けになり腹を見せた。新宮幸三にも見せたことのない服従のポーズ。


 チョロチョロチョロ……


 大五郎の股間が濡れ、刺激臭が夏希の鼻をつく。


「汚いわね」


 ハヒンッ


 またも情けない声が漏れる大五郎。夏希の手にした暗黒剣の切っ先が、ゆっくり大五郎に向けられる。


「私達を罠で殺そうとするとか、とんでもない熊ね」


 ガウガウ!


 頭を左右にブンブン振り、大五郎は夏希の言葉を否定する。


「あら。人の言葉が分かるのかしら?」


 ガウッ!


「なら、ただじゃ済まないことも分かるわね」


 ガ……ウ?


 …

 ……

 ………


 数時間後、裏道場に現れた大五郎。


 牙と爪を抜かれ、口と手足からダラダラと血を流している。首には漆黒の首輪と鎖。背中には鎖を手綱のように握った夏希が乗っていた。小柄といっても大型犬を上回る体躯の大五郎でも、成人女性を背に乗せるには些か無理のある光景だ。


 それを目にしたレイの一言。


「お前は金太郎か?」


「……ウッサイ」

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