第17話 心配

 ラウンジにいる誰もが沈黙し、動かない。指揮権のあるジャネットの命令が無いこともあるが、その前にレイがどうやってエディに近づき、昏倒させたか誰も分からず、そのことに混乱していた。


 最早、客や従業員としての振舞も忘れ、皆ジャネットの指示を待っている。


「じゃあ、調査の件、頼んだぞ」


「待ちなさい」


 ラウンジを出ようとするレイをジャネットが呼び止める。


「肝心の依頼料について話してないわ」


「いつもどおり、俺の口座から勝手に引き落としとけ」


「いつもどおり? あなたが本物の鈴木隆だったとしても、書類上は死んでるのよ? 口座なんてあるわけないでしょう。それに、仮にあったとしても残高はゼロよ。どうやって支払うつもりかしら?」


「……チヨに請求しろ」


「呆れた。その前に依頼料がいくらの確認が先じゃないの? ホント、変わらな……」


 途中でハッとして言葉を止めたジャネット。昔もこんなやり取りを何度もした。鈴木という男は金銭に執着が無いのか、仕事の報酬額をいつも聞いてこない。傭兵なら誰でも優先的に気にするところだが、鈴木は報酬の額で仕事を選んだことはなかった。受け取るのも払うのも、金額を確認しないのだ。


「どうせ、チヨに請求するならついでにもう一つ依頼しよう」


「まだ何か?」


「ゾディアック・デルタの精鋭、一個小隊ユニットをフル装備で借りたい」


「冗談でしょう? 一個人がユニットをどうするつもり?」


「訓練で使う。と言っても、実弾使用の実戦形式でだ」


「実戦訓練? わざわざウチに頼まなくても、新宮でいくらでも精鋭を揃えられるでしょう?」


「今は別件で使えない。それに、連携の取れた部隊がどんなもんか、あいつ等に体験させたいからな」


「あいつ等?」


「お前には関係無い。訓練内容の詳細はチヨと話せ」


 そう言って、レイはラウンジを後にする。


「待って」


「まだ何かあるのか? こっちは色々忙しいんだが?」


「ちょっとついてきて」


 ジャネットは席を立ち、レイの前を颯爽と通り過ぎた。


「?」


 …

 ……

 ………


 新宿歌舞伎町。


 言わずと知れた日本一の歓楽街。昔に比べて街はいくらか小綺麗になったものの、相変わらず怪しく雑多な店が軒を連ね、街の住人や訪れる者達の性質は変わっていない。年齢性別問わず、皆、何かを求め、多くの者が欲望のままにこの街に引き寄せられる。


 そんな街の中、レトロな調度品に内装、落ち着いた雰囲気の昔ながらの喫茶店にレイとジャネットはいた。窓の外に見える風景とは違い、ここだけ時が止まっているかのようだ。


「一体どういうつもりだ?」


「あなたが本当にあの鈴木隆か、私なりに確かめたかった。けど、どうやら本物のようね」


 そう言ってコーヒーに口をつけ、ジッとレイの顔を見るジャネット。それに対し、レイは少々不機嫌な様子を隠すこともなく、コーヒーにも手を付けていない。


「飲まないの?」


「指紋とDNAを採取したいなら無駄だ」


 傭兵とはいえ、特殊作戦を請け負う者は高い信頼性が必要な為、ZOD社のデータベースには鈴木隆こと、コードネーム『レイブン』の詳細な個人情報が登録されている。指紋や唾液のDNAを照合すれば、いくら整形したとしても本人かどうか調べられる。


 だが、ラウンジでレイが使用したコーヒーカップはいつの間にか消えていた。


 部下からの無線でその報告を聞いていたジャネットは、意地でも目の前の男のサンプルを採取したかった。それに解せないこともある。


「分からないわね。自分が本物だってきちんと証明するつもりはないの?」


 レイには自分が鈴木本人と証明することよりも、生体データを取られることの方を気にしていた。純粋な人間ではない自分がどんな遺伝子を持つか? 個人的に興味はあるが、それを他人に知られて良いことなど起きようはずもない。


 この世界に長く居るつもりの無いレイにとって、自分の痕跡はなるべく残さない方がいいのだ。


「理由はある。鈴木隆は既に死んでいるからな」


「死を偽装した意味が無くなると?」


「俺を恨んでる連中は多い。生きてると知られれば、迷惑をかける人間もそれなりにいるだろうからな」


「そうね。例えばあの店とか?」


 ジャネットは窓の外を見て、無数の看板が並ぶ中の一つに視線を向ける。レイが生前営んでいたバーだ。


「表向きの偽装で開いた店だから、働いてる人間は俺の裏の顔を知らない。拉致して尋問しても何も出てこないが、可哀想だろ?」


「ふぅ~ん」


「お前もそうだぞジャネット」


「え? はーーー?」


 何故かジャネットの顔が赤くなる。


「ZOD社の窓口役の中じゃ、お前が一番接点があったからだ。俺の生存が拡散したら、マフィアやテロ組織だけじゃなく、米国政府もお前から情報を聞き出そうとするかもな。精々気をつけることだ」


「……なんで米国政府が?」


「そりゃ、俺は米国政府要人の暗殺も引き受けてたからな」


「なッ!」


「まあ、この類の話は調べるだけで消されるだろうからここだけの話だ。無線越しに聞いてる人間にも釘を刺しておくんだな」


「こっちが知りたくないことをシレっと言って巻き込むとこ、ホント変わってないわね」


「別に巻き込んでるつもりはないが、これが大人ってもんだ。小娘」


「誰が小娘だ! もう三十越えてんだけど! 言わせんな!」


「もうそんな歳か。結婚はしてないのか?」


「するわけないでしょ」


「そうか……いいもんだぞ」


「は? え? はーーー? なにそれ? どういう……」


「話は済んだ。俺は忙しい。あとの連絡はチヨにしろ」


 そう言って、レイは強引にジャネットを振り切り、店を出て行ってしまった。


「ちょっ! 待てぇーーーい!」


 …


(ちっ、こっちに来てもう一ヶ月か。向こう異世界じゃ三ヶ月経ってる計算になる。早く終わらせて帰らねば……)


 足早に歩きながら時間を無駄にしたと後悔するレイ。ZOD社への依頼は何もレイが鈴木として頼まなくてもチヨにさせれば良かったのだが、チヨや裏新宮では依頼を受けてくれない可能性があった。


 他社や他国の開発した最新の軍事技術、または兵器を秘密裏に調べるのはそう簡単な話ではなく、実力で排除される可能性も高い危険な依頼だ。また、スパイ法が施行されてる国では完全な違法行為である。


 新宮流の裏道場とZOD社は人材のやり取りはあるものの、非合法な依頼を頼める関係ではない為、レイ個人が鈴木隆をネタに強引に頼むことにした。


 自分でも調べようと思えばできることだが、手が回らないし、なにより時間が惜しかった。


 言うまでもなく早く帰りたいからである。異世界とは時間の流れが異なり、地球の一日は異世界の三日である。三倍も早く向こうの時間が過ぎるのはレイにとってあまり許容できるものではなかった。


(拙い……帰ったら二人目はとっくに産まれてましたは非常に拙い。それに、別の心配もある……)


「イヴを呼んだが、レーナの面倒を見れるかどうか……我が娘ながらちょっとオカシイからな」


 ブツブツ独りごとを言いながら、歌舞伎町の街を歩く。


 チラリと自分の店だった看板を見るも、バーの営業は夕方から。まだ誰も来ていないだろう。万一、誰かいたとしても顔を出すつもりはない。ジャネットの様子から、自分が死んだ後に何も問題は起きてないことも分かった。


「まあいい、先にもう一人の娘だな」


 レイは防犯カメラの無い裏路地に入り、姿を消した。

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