第16話 偽者?
新宿。
西新宿の高層ビル群。その中にある商業ビルの高層階ラウンジにて、金髪の白人女性、ジャネット・ハリスは一人で席に座っていた。テーブルに置かれたコーヒーには手を付けず、サングラスをしたまま英字新聞を読んでいた。
「状況は?」
新聞を広げたまま小声で呟くジャネット。
『こちら監視班。異常なし』
『一階エレベーターホール、異常なし』
『非常階段、クリアだ』
『ラウンジ班、OKです』
『狙撃班、スタンバイ』
耳につけた極小の無線機に、次々と報告が入ってくる。
あの鈴木隆が仕事を依頼したいという話に、ジャネットは万全の体制を敷いていた。
連絡してきたのは日本の
(あの婆さんがボケてきたなんて情報は無かったはずだけど……)
万一、偽者であれば、拘束して尋問するつもりだ。無論、その必要が無ければ即座に始末する。
民間軍事会社『ゾディアック・デルタ』、コードネーム『レイブン』。社内では知る人ぞ知る特別な男だ。その理由は単独での作戦遂行能力の高さにある。暗殺や偵察など、非合法な軍事作戦はしばしば行われるが、狙撃任務であっても最小人数は二人。単独での軍事作戦などあり得ない。
そんな中で、レイブンは単独で特殊作戦を請け負う傭兵だった。有名にならないわけが無い。しかし、その正体が日本人であることなど、詳細は殆ど外部に漏れてない。敵対した者はこの世にいないからだ。
機密性の高い作戦は、その性質上、信頼できる少人数の精鋭で行われる。情報漏洩のリスクから、秘密を知る人間は少なければ少ないほどよく、単独で行動するレイブンには一定の需要があった。
しかし、どんな作戦もことごとく完遂し、生還してきた男の持つ情報は、とてつもない価値になってしまった。本人からの依頼で死後の処理はZOD社が行ったが、依頼が無くとも死亡確認はするつもりだった。
だから、これから来るであろう人間は鈴木隆であるはずがない。
(もし、くだらない理由で名を騙ったなら、私がこの手で殺してやる!)
…
ラウンジには疎らに人はいるが、従業員を含め、客も全て『
ジャネットは時計をチラリと見る。間も無く指定された約束の時間だ。しかし、相手が来る様子はない。このビルにはラウンジのある階層は勿論、一階のエレベーターホールや非常階段に人員を配置しチェックしている。怪しい人間が近づけば、逐一ジャネットに無線が入ることになっていた。
(時間にルーズとか、やっぱり偽物――)
「久しぶりだな、ジャネット。お前が来るとは思わなかった。出世したのか?」
「――!」
突然現れ、ジャネットの前に座ったレイ。
(い、いつの間にッ? なぜ誰も報告してこない!)
自分の名前など調べようと思えば調べられる。しかし、自分を含め、誰も男の出現に気づけなかったことにジャネットは憤る。
「あなたがレイブン? とてもそうは見えないけど」
平静を装い、自分の記憶にある鈴木隆とレイを見比べるジャネット。
「ほう? 随分、日本語が上手くなったじゃないか」
レイの言葉に、ジャネットが目を見開く。自分の日本語が上達してるのは本社のPCをハッキングしたとしても、知りようのない情報だ。
「俺がレイブンだ。整形して別人になることぐらいよくあることだ。気にするな」
「体重はともかく、身長や骨格を変えるのは簡単じゃない。それに、コードネーム『レイブン』である鈴木隆は死んだ。死体を処理したのは私達よ? 名前を語ったのは拙かったわね」
「死んだことにして生きている人間は裏じゃ珍しい話じゃない」
「末期がんで衰弱した人間を偽装できるならね」
自分の死を偽装する人間は裏の世界ではよくある話だ。しかし、病死を装うのはそう簡単ではない。やせ細り、衰弱した様を直に見たジャネットはレイの言い分を即座に否定する。
「……信じる信じないはまあどうでもいい。俺が何者だろうと、レイブンの記憶を持ってることが重要だからな」
「重要? たかが傭兵一人の記憶が取引材料になると思ってるの?」
「思ってるさ。俺が単独で請け負った
「
「作戦コード『N-28251614E』。同盟国に対する秘密作戦。あれが外部に漏れたら大変だな」
そう言って、レイは席を立とうとする。
「待って」
ブラフと分かっていても、レイを引き留めたジャネット。コードを聞いてすぐに思い出せた。自分が初めて担当した極秘作戦。忘れようがなかった。
「どこでそれを?」
「現場は向いてないなジャネット。そこは一旦否定するとこだ。まあいい、言っただろ? 俺は鈴木隆本人だし、レイブンの記憶は全てあると。無線越しでも分かるガチガチに緊張したお前の声を今でも覚えているぞ?」
「……要求は?」
「話が早くて助かるな。相変わらず頭が良い」
「勘違いしないで。まだ、あなたをレイブンと認めたわけじゃないし、仕事を受けると言った覚えもない」
「当然だ。仕事の内容を聞かずに受けるバカはいない。じゃあ、さっさと本題を言う。こいつの出所が知りたい」
レイはテーブルにコートと手袋を置いた。
「熱光学迷彩服。それと、刃鋼線射出機能のある手袋だ。こっちは特注の可能性もあるが、服の方はハンドメイド品じゃない。ZOD社なら調べられるだろ?」
ジャネットはテーブルに置かれた服と手袋を見た後、すぐにレイに目を向けた。普通なら、こういった場合、切り札とも言える現物など持ってこない。写真や情報だけ提示して次回の約束に繋げようとする。初対面で契約が決まることなど民間でもあり得ず、信用を築くことがこの世界でもセオリーだ。
「あなた、素人? 現物をポンと出して調べろ? 私がこれを預かったまま消えたら、あなたに私を追うすべは無いと思うけど?」
「チヨから聞いてなかったか? 俺が裏新宮を全て引き継いだ。全世界にいる裏新宮の門下生にジャネット・ハリス元CIA職員を探せと触れを出すこともできる。お前ならこの意味が分かるはずだ」
「ッ!」
新宮流の裏門下生。新宮幸三が武技を教えた特殊部隊員達。その門下生達は今や各国の軍部中枢の至る所にいる。誰もが新宮幸三に心酔し、師と仰いでいるのをジャネットは知っていた。新宮を動かせる人間が一声上げれば、自分がどこに隠れようと見つけ出されるだろう。だが……
「なら、自分で調べればいいじゃない」
「継いだのは一時的なものだ。いずれ返上する。だからなるべく新宮の名は使いたくない。だが、使えないわけじゃないとだけは言っておこう」
そう言って、レイはいつの間にか手にしていたコーヒーカップを口に運ぶ。
(いつの間に? って、それ私の?)
ジャネットの脳裏に昔の記憶が蘇る。新米だった頃、よくこうして気づかぬまま鈴木隆に飲み物を奪われ、揶揄われていた。
「……」
一方、客に扮していたZOD社の男は、レイを見て服の下に大量の汗をかいていた。ジャネットの目の前で、レイは悠然とジャネットのコーヒーカップを手に取り、自分の口に運んだ。それをジャネットは何ら認識していなかったのだ。
(ジーザス! ありゃ、新宮流の『虚空』で間違いねぇ!)
己の存在を消し、対峙する相手に認識させない奥義である。目の前のジャネットに認識させない程の腕を持つ者は、男が知る限り片手もいなかった。
(あのボーイ、
男は頭の中でレイを拘束、または始末する為のシミュレーションを素早く行う。だが、仮に相手が裏新宮の伝位を持つ者なら、ラウンジにいる人数ではまるで足りない。そればかりか、半端な腕の者が何人いようと無駄だった。
いくら新宮流で教えを受けたことがあっても、門下生の中では下位の実力と自覚のある男は、上位の門下生には絶対に敵わないと知っていた。例えこちらに銃があったとしても、有利ではないこともだ。
(せめて重火器のサポート、いや、さっさと狙撃し――)
「ッ!」
またもいつの間にか、男の隣にレイの姿があった。男は視界にレイを捉えていたはずだが、認識できていなかったのだ。人混みの中、行き交う一人一人を認識していないように、レイを風景の一つと捉えてしまっていたのだ。
ポンッ
レイはおもむろに男の肩に手を置く。
「少し見ない間に鈍ったな、エディ」
(ホウリィ~ シィェェーーーット!)
接近に気づかず肩に手を置かれる。新宮流の裏道場で、それは死を意味する。エディと呼ばれた男は、十数年ぶりに抜かれた度肝に危うく漏らしそうになった。
「俺を拘束か始末する命令を受けてるだろ? やってみるか? 勿論、全員でかかってきていいぞ」
裏道場の常軌を逸した日々がエディの脳裏に蘇る。新宮流に年齢や性別、体格は関係無い。目の前の青年が自分より遥かに年下でも、技を極めた者には決して勝てないのだ。
「ノ、ノー! カ、カンベーンシテクダサーイ」
「お前の日本語は上達してないな。それとな、勘弁なんて言葉は道場に存在しない。どこで覚えた?」
「ウウ……ホ、ホントニ、スズキサーン、ナンデスカ?」
(早く撃て! ジャネット、この男は危険だ! 早く狙撃するんだ! シュート、シュート、シュートォ!)
「引き延ばしの会話も下手糞なままだ。待ってても狙撃手なら撃てないぞ? 射角的にここは狙えないからな」
(マイガッ!)
「どうして狙撃があると?」
「ジャネット、俺を馬鹿にしてるのか? 会合場所が決まった時点で狙撃ポイントはチェック済だ。窓際しか狙えない位置取り、それと、タバコが止められない三流スナイパーなんぞ、さっさとクビにしたほうがいい。ここが戦場だったら先に殺してたとこだ」
「タバコ? なんでそんなこと……?」
「ソンナ……ココハ、ムスーノポイントガアッテ、トクテハムリナハズ……」
「エディ、お前はもう寝てろ」
「ウェ――」
バタンッ
エディは突然白目を剥き、意識を失ってテーブルに突っ伏した。
「話は済んだから俺はもう帰るが、他に誰か相手したい奴いるか?」
そう言って、レイは静まり返ったラウンジを見渡した。
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