第11話 黒火

盗賊シーフ』の能力。


 この能力は、五感が鋭くなり、罠などの危険な仕掛けや魔導具を事前に察知できる他、嘘や偽情報を看破しやすくなる。また、身体強化魔法を用いずとも肉体の素早さが上昇し、気配や存在感を消して隠密行動ができるようになる。


 それ以外にも己の分身体を作り出し、任意に自分と分身を入れ替えることができる『二重身ドッペルゲンガー』、様々な属性、または特性を付与した『七種の短剣セブンスダガー』を生み出せるなど、『盗賊』には複数の能力が備わる。


 ただし、魔力の他に、それなりに集中力や気力といった精神を消耗する為、常時それらの超感覚を発動できるわけではない。それに、どの能力も他の勇者達に比べ、強敵を一撃で倒せるような強力な攻撃手段はない。



(ふーーー)


 美紀は静かに息を吐き、覚悟を決める。


 人を殺すのは初めてではない。だが、どれも自衛の為であり、襲い掛かる危険を排除しただけだ。自ら進んで人を殺そうと思ったことは無い。 


 このまま息を殺して隠れていれば、いずれ警察が来て自分だけは助かるだろう。しかし、目の前で学友が無残に殺され、理不尽な暴力を撒き散らす相手をこのまま見過ごすことはできなかった。


 友人達の無残な姿が視界に入り、血と臓腑の臭いが鼻孔を刺激する。


 異世界で死体には慣れていたと思っていた美紀。しかし、見知った者、親しい者の死体は、美紀の精神を揺さぶった。怒りや悲しみなどの感情が錯綜し、平常心を失わせる。過酷な異世界での経験があっても、美紀はまだ二十歳の若者なのだ。


(みんな……)


 …


 女子トイレを出て男を追う。


 物陰に隠れながらフロアを覗くと、そこには目を覆いたくなるような光景が広がっていた。


 フロアのあちこちに肉片が散らばり、床一面に血の海が広がっている。フロアの中央に男の姿が見えるが、その男以外に生きている者、動く者はいない。それどころか、人の原型を保っている遺体すら無かった。


 あまりに凄惨な光景に、血の気が引き、しゃがみ込んでしまった美紀。先程とは比べられないほどの濃密な異臭に、慌てて口元を押さえる。


「うぶっ……おえッ」


 こみ上げる吐き気に耐えきれず、ついにはその場に吐いてしまった。


 幸いにも男はフロアの死体に注視しており、美紀に気づく素振りはない。


 呼吸を整えて気を取り戻し、口元を拭いながら男を見る。


 男は身長170cmほどの細身の体型。Tシャツにジーンズというラフな格好。歳は若そうだが学生には見えない。爬虫類のような顔つきでその表情はニヤついており、鼻歌まで聞こえる。この状況を何とも思っていないようだ。


 そして、驚くべきことに、これだけの人数をバラバラにして殺しながら、返り血を一滴も浴びていなかった。


「んんー? なんか、まだ生きてる気がするなぁ~」


 ズシャッ


 既に物言わぬ死体に対し、男は不可視の刃を放ち切り刻んだ。殺人や死体の損壊を明らかに楽しんでいる。


(間違いない……風魔法だ)


 風属性の攻撃魔法は、攻撃した本人から強烈な風が発生する特性上、近距離でも返り血を浴びることが無い。そのことから美紀は男が風魔法の使い手であると確信を持った。


(詠唱がない……完全無詠唱? それに、発動まで魔力の溜めもない。そんな超高等技術……アイツ、一体何者?)


 魔法の扱いに長けた人間が地球にいることに疑問が湧き起こる。


 しかし、そんな疑問を他所に、美紀の予想外のことが起こった。



「困りましたね。こんなに散らかして……」


(ッ!)


「あー? なんだ、見てたの? 性格悪いッスね~」


 男に話しかける者の存在。それも、男の口ぶりから男より上位の存在だと思われる。だが、その姿は見えない。そこにいるはずなのに、美紀の目には誰も映っていなかった。


(どういう――)


「それに、肝心の標的がまだ生きてるじゃないですか……


「――ッ!」


 謎の声の発言に思わず後退った美紀。直後にバランスを崩し、尻もちをついてしまった。慌てて起き上がろうと床に手をつこうとして驚愕する。


 美紀の左腕が無くなっていたのだ。


「あ……う」


 咄嗟に右手で傷口を押さえるも、切断された左腕からは血が溢れ出す。


 いつ攻撃されたか、どうやって攻撃されたか、腕を失ったことと大量の出血も相まって、美紀はパニックになる。


「あれ~? コイツ、さっき便所で殺したはずだけど?」


「まったく……標的の顔くらいちゃんと覚えておいて下さいよ黒崎サン。これ、サービスですからね。後はお願いしますよ?」


 中性的な声。それと共に、美紀の左腕が宙に舞って黒崎の前に投げ出された。


「はいはい、すんませんね~」


 黒崎と呼ばれた男は、何も無い空間に軽く会釈する。黒崎も声の主は見えていないのか、会釈した方向とは別の方からまた声がする。


「ボクは次に行かなかきゃいけないんでもう行きますけど、ホント、頼みましたよ? あと、くれぐれも――」


「わーってますって、ちゃんと殺しときますって」


「……では、後ほどまた」


「あーい」


 …

 ……

 ………


「……ったく、ウゼェな~」


 謎の声の主がいなくなったとみて、黒崎は悪態をつきながら美紀に視線を移す。


「ははっ、上手く立てねーでテンパってるな。知ってるか? 人間ってのは、腕が一本無くなっただけで身体のバランスが崩れて、立つことも歩くのも戸惑っちまうんだ。逃げようとしてもムダだよムダ~ つーか、さっき殺したよな?」


 ――『鎌鼬』――


 次の瞬間、美紀の身体が切り刻まれた。


 だが……


 ――『二重身』――


 美紀は能力で分身を生み出し、瞬時に身体を入れ替えることで黒崎から距離を取った。さらに……


 ――『空の短剣』――


 複数の見えない短剣を黒崎の背に向けて放つ。


「うぎっ」


 黒崎の背中、複数の箇所から血で滲む。


「痛ってぇーな、おい!」


(浅い? まさか、身体強化?)


 相手を殺す気で放った攻撃。しかし、黒崎には短剣の刃先程度しか刺さっていなかった。


「女ぁ……お前、俺の攻撃を躱したのはそれか? 幻術? 分身? ……まあいい。どの道、逃がすわけにはいかねーからな」


 黒崎の表情が変わる。先程までのニヤついていた顔から一変、真面目な顔になった。


ってのも嘘じゃねーみてーだし、本気でいくか」


「な、なんでそれを!」


 ――『芭蕉扇』――


 突如、黒崎を中心に強風が吹き荒れた。あまりの風圧に立っていられず、堪らず美紀は床に伏せる。フロアにあった死体の肉片が浮き上がり、血飛沫が舞ってフロア全体を赤く染めた。


「これでどこにも逃げられねーよ」


 ――『赤の短剣』――


 美紀は真っ赤な短剣を生み出し、強風が吹き荒れる中、黒崎に向かって投擲する。


「はい残念♪」


 しかし、短剣は黒崎に届かない。投げた短剣はすぐに失速し、黒崎の手前の床に刺さる。


 ゴウッ


 刺さった短剣から激しい火柱が立ち、炎が天井まで達した。


「おいおい、あぶねーじゃんか。火事になったらどーすんのっと」


 強風が炎を包み込むように吹き荒れ、やがて炎は圧し潰されるようにして消えてしまった。短剣の炎より風の力が圧倒的に勝っていたのだ。


 ――『二重身』――


 自身の短剣が通じないと悟り、美紀はこの場からの逃走を選択。能力を発動し、フロアの入口扉まで移動する。


 だが、風圧で扉が開かない。


「あー ひょっとして、見える範囲しか移動できない系? まあ、そりゃそうか。どこでも行けるならとっくにここからいなくなってるわけだし……つーか、しょぼ過ぎねー? 異世界帰りとか大したことねーな」


(仕方ない……)


 ――『地の短剣』――


 美紀は土色の短剣を生み出し、投擲する。


「どうせ死ぬなら、あんたも道連れにしてやる!」


 短剣が風に阻まれ、地面に刺さる。


 しかし、何も起こらない。


「うそ? なんで……?」


 気づけば吹き荒れていた強風も消えていた。


「テメー、何し――」


 ギギイィ


 フロアの扉が開き、黒崎と美紀の視線が向く。


「あん?」

「――ッ!」


 黒髪に灰眼、異常なほど整った顔をした青年がフロアに入ってきた。その手にボロボロになった少年を引き摺り、顔色一つ変えずに周囲を見渡す。


「酷いな。殺しを楽しむ奴のやり口だ……」


 腕から血を流し意識が朦朧としてきた中、美紀が目にしたのは『女神の使徒』、レイの姿だった。


「近藤美紀か……丁度いい。話がある」


「あ、あの……」


「誰だ、テメー!」


「誰でもいい。これはお前がやったのか?」


「だったら何だよ? お前も同じようにバラバラにして――」


 ドンッ


 レイは流れるような動作でシャツを捲り、腰に差してあったSIG SAUER P320を抜いて躊躇なく引金を引いた。


「ぎゃあああーーー ひ、膝がぁあああ」


 血が噴き出し、穴が開いた膝を押さえて黒崎が倒れる。


「止めを刺したいなら刺していいぞ?」


 レイは自分で撃った銃の空薬莢を拾いながら、美紀を見る。


「あ……」


 左腕から流れる血が止まらず、青い顔をした美紀は、どうしたらいいか分からず狼狽える。美紀にとってレイとは接点が殆ど無い。突然現れたレイとその行動に戸惑うのは仕方なかった。


「ちっ、その前に止血しないと死にそうだな……」


 レイはポケットから『魔封の魔導具』を取り出し起動を止めると、片手で美紀を担ぎ上げた。


「お前は必要無い」


 ――『黒火』――


 倒れた黒崎に漆黒の炎が纏わりつく。慌てて手で払うも、炎は消えない。炎に勢いは無く、ゆるやかに黒崎の全身を包んでいく。


「あづッ あづい! あづあぎゃぁぁあああ」


 悲鳴を上げ、転げまわる黒崎。風を使っても何をしても無駄だった。バーカウンターに必死に駆け込み、飲み物や水道で火を消そうとしても、纏わりつく漆黒の炎は消えなかった。それに、不思議なことに炎は黒崎以外に燃え移らない。



「魔力は抑えてある。精々苦しんで死ね」

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