第10話 殺戮

 二日前。


 東京都港区六本木、クラブ『LUXE』。


(へー 貸切なんだー)


 普段はこうしたサークル全員が集まる大きなイベントには参加しない美紀だったが、今回は強引に誘われ六本木まで来てしまった。サークルでクラブを貸し切った為、一人でも多く会費を集めたかったのだろう。


 大学に入り、特にやりたいことも無かった美紀は、友人に誘われるままサークルに入った。休みの度にカラオケや飲み会を開き、海や山でイベントを行う。皆で集まりわいわい騒ぎたいだけの、所謂オールラウンドサークルというやつだ。


 正直言って大学生活は退屈だった。受験勉強から解放され、殆どの学生がキャンパスライフを楽しむことしか考えていない。所詮は三流大学。将来の目標があって勉学に勤しむ者など一割もいなかった。


 無論、美紀もそんな学生の中の一人だ。適当に試験を受けて、受かった大学に入っただけに過ぎない。なんとなく学校に通い、なんとなく仲良くなった学友に合わせ、特に興味も無かったサークルに入った。


 そんな風に流されるまま過ごしてきたのは、平和な日常に早く慣れたかったからなのかもしれない……。



(まあ、適当に時間を潰して、途中で帰ろ)


 ふと、フロアに入った時に手渡されたグラスを見る。カクテル、それもアルコール度数が高めに作られている。


 美紀はフロアにあるバーカウンターに行き、カクテルを置いて、バーの従業員にソフトドリンクを頼む。美紀は酒を飲まない。飲めないのではなく、飲まない。特にこうした人の多い場所では判断力が鈍るようなことは極力避けていた。


 言うまでもなく、異世界での経験が理由だ。


 無論、日本で危険な目に遭うようなことはほぼ無い。気をつけるとしたら交通事故ぐらいだろう。しかし、異世界で何度も死ぬような経験をした美紀は、何年経っても身を守る癖が抜けていなかった。


(こういうとこなんだよな~)


 傍目にはつまらない女に見られるだろう。自分でもノリが悪いと思う。そう自嘲しながら、見知った友人達の元に向かった。



 照明が落とされ、フロアが更に暗くなる。DJが大音量でクラブミュージックを流し、イベントが始まった。


 …


 各々酒が入り、中央のダンスフロアで踊る者、壁際のソファ席で談笑する者、目当ての異性にアプローチをかける者、今年入った新入生達と交流する者、それぞれが思い思いに楽しいひと時を過ごしている。


「近藤さ~ん! 飲んでるぅ~?」


 友人達と談笑した後、壁を背にしてフロアの様子を漠然と見ていた美紀に、一人の男子が近づいてきた。


「げっ、奥村……」


 美紀と同じ学年の奥村幸次おくむらこうじ。容姿は普通。性格は大人しく、普段は目立たないタイプで、特徴が無いのが特徴な男子だ。こうして明るく話し掛けるのは珍しい。


(コイツなーんか嫌なんだよね~ いつも私のことジロジロ見てるし…)


 美紀はこの奥村が苦手だった。見た目ではなく、仕草や行動が怪しく感じるからだ。今も酒に酔ってるように見えるが、どことなく嘘っぽく、演技くさい。


「ねぇねぇ近藤さん! あっちで飲まない?」


 奥村はフロアの隅にあるソファ席を指差し、美紀を誘う。


(ひょっとして、酔った勢いで口説く気? ……普通にキモいんですけど)



「あ、ごめん、私ちょっとトイレ」


 …

 ……

 ………


 フンフフン、フフ~ン♪


 クラブの入口にいた受付係の従業員は、どこからともなく聞こえた鼻歌に、ふと顔を上げた。


 貸切の看板を無視して入ってきた男を、遅れてきたサークルの人間と思い声を掛ける。


「あ、サークルの方――」


 シュパッ


 次の瞬間、受付係の身体がバラバラの肉塊となって床に散らばった。


 男は顔色も変えずに地下への防音扉に手を掛け、大音量の音楽が流れる空間に足を踏み入れる。


「確か、全員殺しちゃってよかったんだよね。フヒヒッ、た~のしみ~♪」



 階段でイチャつくカップル、通路でスマホをいじっている学生、フロア入口で会費の集計をしていたサークルの幹事達、その全員が音も無く透明なナニカに細切れにされていく。


「いるいる♪ 陽キャ共がうじゃうじゃと……」


 クラブのダンスフロアを前に、男の手にしたスマホの画面が光る。画面には近藤美紀の名前と顔写真が映っていた。


「あー これじゃあ、近藤って女が誰か分かんないな。ま、いっか。どうせ、全員殺せば同じっしょ」


 大音量の音楽に掻き消され、その呟きは誰の耳にも届かない。



 そして、狂気の殺戮が始まった。



 男は周囲の学生に溶け込みながら、ダンスフロアの中央に進む。


 ――『鎌鼬かまいたち』――


 男を中心に、フロアにいた数十人の学生が不可視の刃でバラバラに切り裂かれた。


 キャァァアアアーーー!


 一緒に踊っていた男子学生が目の前で血と肉塊に変わり、女子学生が悲鳴を上げる。しかし、無情にもその声はフロア全体には届かない。切り刻まれた学生の側にいた学生達は、各々悲鳴を上げ、恐怖に顔を歪めるも、次の瞬間には細切れにされた。


「ハッハッハ、ほらほら、早く逃げないと!」


 突然、人間がバラバラになり、わけも分からずその場から逃げ出す学生達。慌ててフロアの出口に向かった者は、見えない刃で足を斬り飛ばされた。


「ざぁ~んねん! 誰ぁ~れも逃がす気ねーから~ ……はい、おしまい!」


 足を失い泣き叫ぶ学生の首が飛ぶ。


「おいおい、DJさ~ん? もっと激しい曲頼むよ~」


「ひぃ! あばッ」


 DJブースにいたDJは短い悲鳴と共に、ミンチと化した。


「何が……起こって……はびゃ」

「いやぁぁぁああーーーぎゃッ」

「に、にげ……あぎゃ」

「誰か! 誰かぁぁああああああばッ」


 逃げ惑う学生や、壁際のソファ席にいた学生達が次々に切り刻まれる。


「け、け、警察……」


 カウンターバーにいた従業員は、床に伏せながら、震える手でスマホのロックを解除する。


「こんな暗いトコでスマホ見るとかさぁ~ ここにいまぁす! って教えてるようなモンだよね」


「い、いや、や、やめ――」


 ブシュッ


 バーの従業員が肉塊に変わり、大量の血が床に広がった。



「さてと、後は死んだフリしてるヤツとか、他の従業員とか……あー 忘れてた。便所見てねーや」


 …

 ……

 ………


「はぁ……」


 用を足すでもなく、トイレの個室に入ってため息をつく美紀。個室の外では女子達が鏡の前でメイクを直し、どの男が好みかなどガールズトークに花を咲かせており、個室から出るタイミングを逸してしまった。


「なんか静かになったっぽくない?」

「えー なんかのサプライズ的な?」

「うそー 私なんも聞いてないよ~」

 

 ドンッ


 女子トイレの扉が勢いよく開けられ、奥村が入ってきた。


「ちょっ!」

「あ、奥村!」

「ここ女子トイレなんだけど?」


「こ、近藤さんは? キミ達も早く逃げ――」


 奥村の身体に赤い線がいくつも走る。


 直後に全身から血が噴き出し、奥村はバラバラになって床に散らばった。


「「「きゃあああああーーー!」」」


「ハハッ! カッコイイね~」


 男がニヤつきながら女子トイレを覗き込む。


「バイバ~イ♪」


 恐怖に顔が歪んだ女子達は、なす術もなく、男にバラバラにされた。


「ん~? 誰かまだいる~? いい子だからさっさと出て来なよ~ すぐ楽にしてやるからさ~」


 男は扉の閉まった個室に向かって話し掛ける。



(……ちょっ、嘘でしょ?)


 トイレの個室にいた美紀は、床の隙間から流れてくる大量の血を見て驚愕する。この瞬間まで、殺意や悪意をもった気配に気づけなかった。いや、そもそもフロアに流れる大音量の重低音で感覚が麻痺していたのだ。


 こんなところに来るべきじゃなかった。そう思ったが一瞬、すぐに意識を切り替えた。何者かによる襲撃。三年前の日々が蘇る。


 ――『二重身ドッペルゲンガー』――


 美紀は能力を使い自らの分身体を作り出すと、個室の扉を蹴り破って外に出た。


「おっと」


 ――『鎌鼬』――


 個室から飛び出してきた美紀に向かって、男が不可視の刃を放つ。


「はい、終了」


 バラバラになる美紀の


 本体の美紀は個室に入ったまま、息を潜めていた。戦うにしても場所が狭すぎる。目の前で自分の分身が見えない攻撃でバラバラにされたことから、美紀は相手が風属性の魔法を使ったと無意識に推測した。


(ここは日本よ! ……なんで?)


 ここは日本である。異世界ではない。魔法であるはずがないと思いつつも、そうとしか思えない現象に激しく混乱する。


 だが、今はそんなことを考えている場合ではない。逃げるか、戦うか。その判断を即座に下さなくてはならない。


 無残に殺された女子の姿が視界に入る。最早、人の姿を留めていない学友の姿に、怒りが沸々と湧き起こった。


(許せない)


 女子トイレにいた人間を皆殺しにしたと勘違いし、男がフロアに戻っていく。


「……殺してやる」


 遠ざかる男の気配に意識を集中し、美紀は静かに個室を出た。



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