第6話 リスト

 男の名は矢部浩紀やべひろき


 矢部は三年前、九条彰が召喚の儀を行った日に生死を彷徨った。


 いくら濃度が薄くとも、魔素がある以上は万物に魔力は宿る。地球の人間も異世界の住人のように、呼吸により魔素を魔力に変換している。しかし、その量は僅かであり、地球で生まれた者の魔力保有量は、異世界の平均に遥かに及ばない。


 召喚の儀によって、儀式の周辺にいた人間は強制的に魔力を徴収され、それが無くなると次は生命エネルギーを吸われて殆どの人間が生命活動を維持できずに命を落とした。


 死を免れた極少数の人間は、生まれつき魔力が多かった者だ。矢部もその一人だった。元から持っていた魔力が無くなり、それが回復していく過程で矢部は己の中の未知なる力を初めて認識した。


「……ある日、入院中に女が尋ねてきた。俺のこと素質あるって、力の使い方を教えてやるって……その後は、その女の指示に従った」


 矢部は力無く項垂れたまま、口を開く。


「指示?」


「今みてぇなことだよ。俺らと同じ、魔力に目覚めた奴を勧誘するか……殺すか」


「殺すなんて随分簡単に言うわね」


「金もくれたし、魔力を使えば簡単だろ? それに、断ることは出来なかった。断ればこっちが殺される。あの女は俺より全然強いし冷酷なんだ」


 矢部の言いように頬がピクリと動いた夏希。しかし、感情を押し殺し、質問を続けた。


「その女の名前と特徴は?」


「……」


「次は足でもいっとく?」


 夏希は黙っている矢部の太腿に暗黒剣を突き刺した。暗黒剣は、たとえ斬りつけたとしても夏希の意思が無ければ破壊されない。そのかわり、黒い痣のような呪印が刻まれ、その箇所を夏希の意思でいつでも斬ることが出来る。


 人を殺したという矢部に夏希は容赦するつもりはなかった。


「ひッ」


 矢部は痛みを感じずとも、得体の知れない禍々しい剣に恐怖する。


「知らねぇんだよ! 顔も……なんでか分からねぇけど、よく覚えてねぇし! 連絡先も知らねぇ! 用がある時は俺がどこにいようと、いつもいきなり現れるんだ!」


 夏希と典子はお互いに顔を見合わせる。名前はともかく、顔を覚えていないなど普通は信じない。だが、二人の脳裏に『認識阻害』の文字が浮かんだ。異世界の大きな街の城門や国境では、素性を誤魔化す魔法や魔導具を解除する仕組みがあり、夏希達はそのような魔法の存在を知っていたからだ。


 仮に矢部が言った女が認識阻害の魔法を使っているのだとしたら、魔力の扱いに相当長けている人間ということになる。


 そんな人間がこの世界にいるのかという疑問はあるが、矢部が嘘を言っている様子もなく、女のことは一旦後回しにして、二人は一番聞きたいことを優先する。


「近藤美紀という名前に心当たりは? あのクラブの虐殺は誰が起こした? 事件の後、何故、今日あの場にいて私達を狙ったの?」


「近藤? ……それならスマホに名簿が――」


「解除しなさい」


 間髪入れずに典子が矢部にスマホを向ける。自分達を見るなり、矢部がスマホの画面を見ていたのは二人共気づいていた。予め矢部から取り上げておいたがロックが掛かっていたのだ。 


 …


「何よこれ……?」


 ロックが解除されたスマホの中にあったのは、百名を越える人間のリストだった。自分と夏希の名前を発見した典子は、そのすぐ上にあった『近藤美紀』の名前を見て眉を顰める。


 美紀の名前はグレーに色付けされていた。美紀だけではない。美紀以外にも半数以上の名前が同じように色が変わっていた。


「灰色の名前はもう始末済み……がはっ」


 矢部の態度に堪らず典子が矢部の顔を殴りつける。典子が直接手を出すことは珍しい。他人事のように言う矢部に典子も相当腹が立っていたのだろう。


「ここにアンタの名前もあるわね。クラブで事件を起こしたのはこの中の誰か? それとも、これ以外に他にも仲間がいるのかしら? 少なくともクラブの事件はアンタじゃない。あれは……プロの犯行よ」


 夏希にプロの犯行かどうかを判断できる知識は無い。だが、クラブにあった大量の血と疎らにあった肉片を見て、そうだと直感で思った。人を殺したことのある自分だから分かる。目の前にいる男は、異常者でもプロの殺し屋でもない。そんな男には不可能だと確信していた。


 あれが出来るのは、三年前、自分の父だと名乗ったあの男のような人間だけだ。


「言えねぇ……言えば……俺が殺される」


「何ふざけたこと言ってんのよ。アンタだって人を殺したんでしょ? 何を今さら――」


 典子が矢部の胸倉を掴む。その直後……



 ドッ



 空気の切り裂き音とともに矢部の額に小さな穴が開き、後頭部が爆ぜた。


「「――ッ!?」」


(狙撃ッ!)


 夏希は咄嗟に典子を押し倒して地面に伏せ、物陰に隠れる。


(一体どこから? いや、?)


 ここは都心のど真ん中だ。周囲に高いビルはいくらでもある。どこからでも狙える。自分達をいつでも狙えたはずだ。矢部を殺した理由は口封じだろうと察しが付くが、それなら自分達を先に殺さなかった理由が分からない。


 狙撃した者の思惑が分からぬまま、夏希は倒れた矢部の死体を見て、狙撃元を探った銃声は聞こえなかったが、矢部の頭に当たった箇所からおおよその方向は分かる。


「典子はここにいて。絶対に頭を上げないで!」


 そう言って、夏希は立ち上がる。


「夏希ッ!」


「私は大丈夫……クヅリ!」


『任せるでありんす』


 夏希の身に付けている黒いピアスやネックレス、ジャケットが蠢いた。擬態した『魔黒の甲冑クヅリ』だ。狙撃されたとしてもクヅリなら銃弾程度は造作もなく防げる。



 自らを囮にして、犯人の場所を掴もうとする夏希だったが、いつまで経っても相手は撃ってこない。


 一時間が経とうとしたところで、ようやく夏希が口を開く。


「逃げられた……」


 …

 ……

 ………


 霊園を出て、停めていたバイクの元へ戻る夏希と典子。狙撃が無かったとはいえ、再度襲われる可能性がある為、警戒は解かない。


 手掛かりは矢部のスマホに入っていたリストだけ。リストは写真を撮り、夏希と典子のスマホに入れてある。矢部のスマホは置いてきた。持っていれば何かの役に立つかもと思ったものの、死んだ人間の所持品を持ち歩くことはやめておいた。


「夏希って、そんなに手際良かったっけ?」


「何が?」


「何がって、スマホの指紋拭くとか……夏希がいつも冷静なのは前からだけど、何て言うか……」


「犯罪者みたい?」


「べ、別にそんなこと言ってないわよ」


「典子も覚えてるでしょ。異世界で会ったあのレイって男。元は鈴木隆って名前でこっちの世界にいた転生者」


「ええ。あのイケメンでしょ。……その……夏希の……」


「父親……そう言われてハイそうですかって納得するわけないでしょう? 色々調べたの……ママには内緒で」


「調べたって……」


「でも、ただの女子学生が調べられることなんてたかが知れてたわ。『鈴木隆』という名前の人間がいたとしか分からなかった」


「どういう意味?」


「同姓同名の人間は結構いたけど、大体の年齢と性別、それに、私達が異世界に召喚された後に死んだ人間を調べたら、一人に絞れた。けど、その男を調べれば調べる程、本当に実在したか分からなくなったのよ。確かに、学歴や役所、経営していたバーの登記まで、同一人物と思われる鈴木隆の名前があったけど、その人物の実在は確信が持てなかった」


「え? なんでよ? 経歴はあったんでしょ?」


「当然、各関係者の中で会える人には会ってきたわよ。死ぬ前に経営してたバーにも行った。でも、話を聞いても人物像とか容姿の特徴が全部バラバラだったの」


「それって、おかしくない?」


「おかしいわよ。鈴木隆の特徴をどこで聞いても一致しなかった。同じ名前の人物なのに、それぞれの場所で別人の話しか聞けなかったのよ。鈴木隆という人間は社会に存在してたけど、実在してたかは分からなかった」


「そんなことある?」


「調べた結果がそうなんだから仕方ないでしょ。流石に警察の記録とかまでは調べられないし、海外の活動までは直接調べに行くことは出来なかったから全部調べたとは言えないけど」


「夏希……まるで探偵みたいね」


「そんなんじゃないわよ。ちょっと人には言えないこともしたけど、別にお金を掛けたわけじゃないし、暇な時に少しずつしか調べてない。でも、私達一般人には想像もつかないような素性の隠し方ってのを見た気がしたわ」


「まさにプロの殺し屋ってわけか。まあ、ただの学生が調べられたら警察はいらないわね」


「もう二度と会うこともないし、どうでもいいけど。とにかく、色々調べた時に、犯罪の手口とかについても調べたからちょっと詳しくなっただけよ」


「ふーん」


「何?」


「なんでもない」


「変なの。ほら、次行くわよ」


 そんなやり取りをしつつ、夏希は停めていたバイクに跨りエンジンをかけた。

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