第4話 残滓

「おいおい、誰が置いたんだ?」


 六本木にあるクラブ『LUXE』の入口に、いつの間にか献花が置かれてるのを見て山崎が言う。既に日が傾き、周囲の道路の規制線は解かれて人の往来が再開されている。


「被害者の友人だそうです。他の捜査員が聴取してますが、被害者の家族から聞いて来たみたいですね」


 山崎が一人で現場を調べている間、外で待っていた広永がそう報告する。


「ったく、事件が世間に知られるのも時間の問題だな」


「遺族にも緘口令を敷いていますが強制力はないですからね。それにネットの書き込みも止まってません。本庁でも事件の内容に関する情報を削除してるみたいですが、イタチごっこですよ。それに、こういうのは消すとかえって興味を引きますし、有力な情報も得られなくなりますから悪手ですよね」


「ゲロ吐きが、一丁前な口聞きやがって」


「酷っ!」


「さて、そろそろ聞き込みをはじめ……ん?」


 クラブの入口を見ている二人の若い女が山崎の目に留まる。野次馬のように好奇心を持った目ではない真剣な目だ。それに、入口にいる制服警官を視線で追っている姿を山崎は見逃さなかった。


「(おい、広永)」


 山崎は小声で広永に声を掛け、二人の女を職質に行くぞと合図した。


 …

 ……

 ………


 渋谷を経由して六本木に来た夏希と典子は、目立たない裏路地にバイクを路駐し、徒歩でクラブ『LUXE』に向かう。


 日が暮れるとともに、街には怪しいネオンが灯り、歩道に人が溢れてきた。


「いつ来てもカオスな街だわ」


「あら、夏希は六本木によく来るの? 意外なんだけど」


「こっちの繁華街はあまり来ないけど、六本木通りにある本屋は洋書が多いからたまにね」


「そういえば読書家だったわね。洋書か……まあ、場所柄そうかもね」


 六本木には外国人が多く集まる。バーやナイトクラブなど夜の街のイメージが強いが、オフィスを含む複合商業ビルも多く、ビジネス街という顔も持つ。また、近隣に大使館や外資系オフィス、高級ホテルも多く、観光客やビジネスマンなど昼間でも外国人が多い。


 必然的に外国人を相手にした商売やサービスが充実し、外国の商品や情報を手に入れたいなら、ネットよりもここに来た方が早いモノもある。無論、外国語が話せることが前提だ。最低でも日常会話レベルの英語力がなければ相手にされない店も普通に存在する。


 夏希は幼少期から東欧系の母親にロシア語と英語を教わり、日本語と合わせて三か国語を自由に操る。和訳されず一般の書店にない洋書を求めて六本木には度々訪れていた。


 しかし、派手な遊びは好きではない夏希は、クラブ遊びなどは一切しない。夜に差し掛かった六本木の街は昼間とはガラリと変わり、夏希にとって未知の領域だ。



「まだ警察がいるわね」


 夏希と典子の視界に入ってきたクラブ『LUXE』。その入り口には、複数の警察官が立っており、クラブへの立ち入りを禁止していた。


「どうする? いなくなるまで待つ?」


「時間が勿体ないわ。裏に回って中に入るわよ」


「一応、ここ日本なんだけど?」


「誰にも見られなければ問題無いでしょ?」


「まあね」


 そう言いながら、二人は裏路地に入っていく。


 …


「(広永、ちょっと待て)」

「(いかないんですか?)」


 夏希と典子に職務質問をしようと二人を追っていた山崎は、広永を制止して物陰に隠れた。


 二人共、大人びて見えるが大学生くらいの若い女だ。しかし、その歩き方に引っ掛かりを覚えた。


(なんだこの違和感は……?)


 長年、刑事として色々な人間を見てきた山崎は、二人が普通ではないと直感で察したものの、それが何かは具体的に言えなかった。


(普通の学生なんかじゃねぇのは間違いねぇ)


「(山崎さん、あの二人、ビルに入って行きますよ)」

「(裏口にも警察官ウチのモンがいるはずだぞ?)」


 慌てて二人を追う山崎と広永。しかし、ビルの裏口に近づいた直後、強烈な睡魔に襲われ、倒れ込むようにして眠りについてしまった。


((……は……な?))


 薄れゆく意識の中、山崎と広永の目に最後に映ったのは、路上に咲く百合に似た綺麗な紫色の花だった。


 …


 裏口からビルの中に入り、地下にあるクラブ『LUXE』へ続く階段の途中で足を止めていた夏希と典子。辺りには紫色の百合に似た花があちこちに生えている。


「召喚解除」


 典子がそう言うと、紫の花が塵のように消えていく。


 裏口のそばやビルの中にいた警官達は、軒並み寝息を立てて全員が床に倒れていた。典子が異界から召喚した『紫睡花ヒュプノリリー』によるものだ。


『紫睡花』の花粉には強力な睡眠効果があり、巨大な魔獣も一呼吸で眠りに落ちる。普通の人間なら何が起こったか認識する間もなく、一瞬で意識を手放すだろう。しかし、花の効果は自分には勿論、仲間にも影響するので注意が必要だ。


「もう息していいわよ、夏希」


「ふーーー。初めて見る召喚植物ね」


「そりゃあ、日本に帰って来てから契約したから知らなくて当然よ」


 太田典子の能力『召喚』は、予め異界の動植物を呼び出し、契約を結んではじめて機能する。


 異界からの召喚は呼び出すにも契約するにも相応の魔力が求められる上、望む能力を持つ召喚獣が呼び出せるとは限らず、必ず契約できるわけでもなかった。しかし、契約に成功すれば呼び出した幻獣や異界の植物を自由に召喚して使役することが可能になる。


「いくら平和な日本に帰ってきたからって、特技を眠らせとく理由は無いわ。別に誰に迷惑掛けるわけでもないし。ただ、異世界向こうと違って魔素が薄いから、あまり多用できないのがもどかしいけど」


「ギリギリまで魔力を消費しても、異世界なら丸一日寝てれば全快してたのが、ここだと一週間以上は掛かるものね」


「夏希も色々やってるみたいね」


「まあね」



 夏希と典子は階段を下り、クラブのフロアに入っていく。所々に捜査員や鑑識が倒れているが、全員が寝息を立てて起き上がる気配は無い。


「酷いわね」

「そうね」


 ダンスフロアは濃密な死臭が未だ漂い、遺体と肉片は運び出されて残ってはいないものの、フロア一面が血の海だった。


「大勢が死んだのは間違いないみたいね」


「美紀は死んだと思う?」


「分からない」


 そう言って、夏希は周囲を見渡す。配管や鉄骨が剥き出しの天井に照明、壁や床を見る。どこも黒色に塗装され、明かりが灯っていても見えにくい。


「夏希」


 典子が天井を指差す。


「傷? よく見ると壁や床にも……剃刀よりも細い切り傷……?」


「まるで風魔法ね」


 典子は自分でそう言ったものの、ありえないとも同時に思った。それは夏希も同じだ。異世界の風魔法『風刃』によく似た傷がフロアのあちこちに見られたが、異世界から帰還した自分達『エクリプス』のメンバーでも風魔法を使用できる者はいない。地球で同じことが出来る者などいるはずがなかった。


『……魔力の残滓が見えんす』


「「ッ!?」」


 突然クヅリが発した言葉に二人は困惑する。やはりという思いと、まさかという思いが入り交じり、考えがまとまらない。


「クヅリ、確かなの? ここで魔法が使われたってこと?」


『消えそうなぐらい微かでありんすが、あちこちから僅かに魔力を感じんす。魔法か魔力を帯びた武器によるものでありんすね』


「「まさか……」」


 あり得ない。そう思いつつも、夏希は思案する。クヅリは嘘を言わない。ここで魔力が使用されたのは間違いないだろう。


「典子、一旦ここを出るわよ。ちょっと考えたい」


「そうね。私も混乱してるわ」


 二人は何も触らず、血だまりを踏まないようにしてフロアを出た。



 ゾワッ


「「――ッ!」」


 ビルの裏口から裏路地に出て、二人は突然の気配に襲われる。


 三年振りに感じる悪意のある気配、殺気だ。

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