第3話 生死

 東京都港区六本木。


「はい、ちょっとごめんよ~」

「すいません、通して下さい」


 山崎と広永の二人が人混みをかき分け、ナイトクラブ『LUXEラックス』のある路地裏に入ってきた。クラブの入口はブルーシートで内部が見えないよう遮られ、周囲の道路はパトカーと関係車両、警察官らによって規制線が未だに張られている。


 クラブから運び出される担架や段ボール。中身は遺体や証拠品などだが、シートに覆われ外からは中身が何かを窺うことはできない。にも拘らず、遠巻きに多くの野次馬がスマートフォンのカメラをクラブに向けていた。


「相変わらず、うっとうしいですね」


 無遠慮にスマホを向けられることに、広永が愚痴を漏らす。


「諦めろ。お互い様だ」


 規制線のそばでは密かに野次馬を撮影している捜査員がいる。事件現場を見物にくる者の中には、事件の犯人、もしくは関係者が紛れていることも珍しくなく、野次馬の撮影は捜査の一環だ。撮影された者は顔認識ソフトにかけられ、犯罪歴などの個人情報を調べられる。


 それとは別に、山崎はそれとなく野次馬を見ており、不審な動きをしている者がいないか自分の目でチェックしていた。


「それよりいいんですか、山崎さん? 聞き込みにいかなくて」


「馬鹿野郎。折角、現場が残ってんだぞ。見ないでどうする。あんな写真なんかじゃ何も分からんだろーが」


「いやいや、十分でしょう。それに、鑑識に失礼ですよ」


「これだから最近の若いモンは……大体、ついて来なくいいんだ。お前は聞き込みしてろ」


「何言ってんですか。単独行動とかダメに決まってるでしょう」


「どうなっても知らんぞ」


「そのセリフ、そっくりそのままお返しします。後で怒られても知りませんよ」


「そういう意味じゃねぇよ」


「?」


 そんなやり取りをしつつ、二人はクラブの中に入って行く。


 事件の現場が一日以上経っても未だ原状回復されていないのは、遺体の数とその状態が原因だ。通常なら現場の保全は数時間で終わり、鑑識も既に撤収しているはずだが、今回の事件では被害者の数が多く、且つ、バラバラにされていたので作業が難航しており、現場には血と臓腑の臭いが未だに漂っていた。


「お疲れ様です」


 現場で指揮している捜査員が二人に挨拶して出迎える。顔馴染みなのか、鑑識作業中に山崎が訪ねて来ても嫌な顔は見せない。


「悪ぃな、ちょっと見させてもらうぜ」


「まだ作業が終わってないのでできれば手短にお願いします……それと、山さん、今回はヤバイですよ」


 捜査員は青い顔をしながら、山崎に近づき耳打ちする。


「まあ、そうだろうな。血の臭いが普通じゃない。何か他に分かったか?」


「報告した以上のことはまだまだこれからです。なんせ、どの遺体も原型を留めちゃいませんからね。しかも、どれが誰のか分からないぐらい肉片が散らかってましたから。ベテランの鑑識も皆堪えてますよ。まだ遺体の搬出は終わってないですし、中を見るのはおすすめしませんよ?」


 捜査員はチラリと広永を見る。


「現場の状況は資料で見てます。ご心配なく」


「そうですか、まあ、くれぐれも――」


「わかってる。邪魔はせんよ」


 … 


 手袋をはめ、髪の毛が落ちないよう頭にネットをかぶり、靴にも袋をかぶせてクラブの中に入った山崎と広永は、そのあまりに凄惨な現場に暫し呆然とした。


 半数以上の遺体が運び出されたとはいえ、ダンスホールの広々とした空間に、夥しい肉片が未だ散乱している。腕や足、内臓が所々に散らばっており、正視できない光景が広がっている。


 山崎は長い警察官人生の中でこれほど酷い現場は見たことが無く、堪らずハンカチを取り出し鼻と口を覆った。辺りには血と臓腑と糞尿の臭いが充満し、惨たらしい現場に慣れているはずの山崎でも、吐き気が込み上げてきた。


 オエッ 


 広永は現場から退出する余裕も無く、その場で嘔吐してしまった。広永も死体や死臭には慣れているし、凄惨な現場の写真は会議室で見たばかりだ。当然、想像もしていたし、自分でも大丈夫だと思っていた。しかし、濃密な死臭が直接胃腸を刺激したのだろう。頭で理解していても身体が拒否反応を起こしたのだ。


「何やってんだ。鑑識に迷惑かけんな」


「す、すいま……ウプッ」


「ちっ、お前は外に出てろ」


 山崎の言葉に広永は慌ててその場から出て行った。


(だが、無理も無ぇ。俺だってこんな酷ぇ現場は初めてだ。直接胃にきやがる……)


「……こりゃ完全に異常者の犯行だ」


 …

 ……

 ………


 東京都武蔵野市。


 美紀の訃報を受け、私は急いで大学を飛び出し、典子が指定した待ち合わせ場所に向かった。


 電話ではこれ以上話せないと聞いて事故や病気ではないと察した私は、駐輪場に停めたばかりの黒いKawasaki Ninja400にキーを差し込み、エンジンをかけた。都内では電車やバスが分刻みで運行していて移動にストレスは無いが、やはり自前の移動手段には敵わない。


 バイクと同じ黒色のSIMPSONヘルメットをかぶり、クラッチを握りながらギアをニュートラルから一速に入れて駐輪場を出る。


「……少し飛ばすわよ。クヅリ!」


『仕方ないでありんすね。フォローしんす』


 日本に帰ってからクヅリの口調が随分流暢になった。それに、言葉も色々覚えたようで、まるで同年代と話しているような気になる。勿論、人前で話すような真似はしない。今はピアスやネックレスなどのアクセサリー等に形状を変えて常に私の身体に取りついている。


 ちなみに、今乗っているバイクのパーツにもクヅリが紛れている。


 大学を出て、下道を抜けて井の頭通りに入り、東に向かってバイクを走らせた。


 …


「久しぶりね、夏希。随分早かったわね」


 待ち合わせ場所の喫茶店に入ると、既に典子が待っていた。テーブルの上に置かれたコーヒーカップから湯気が立ち込めている。典子も来たばかりのようだ。


 吉祥寺の裏路地にある古い喫茶店。店内に人気ひとけは無く、私と典子以外にはカウンターにいる店主のお婆さんが一人いるだけだった。


「バイクならそんなに時間は掛からないわ」


 太田典子。異世界での冒険者パーティー『エクリプス』のメンバーで、『召喚師サモナー』の能力持ち。私と同じくらいの長身に漆黒の長い髪、綺麗系の容姿で落ち着いた佇まいをしているが、黒のゴシック系ファッションも相まって怪しい占師か魔女に見えなくもない。少なくとも私と同じ二十歳とは思われないだろう。


 しかし、典子を見た瞬間、その落ち着いた態度が気になった。


「美紀が死んだって言ってたわよね?」


「……」


 典子は黙って自分の飲み物を口にし、カウンターの店主に視線を向ける。その後、 私のコーヒーが運ばれて店主が去ると、鞄から『防音の魔導具』を取り出して起動させた。


「あのお婆ちゃんに聞かれても別に問題無いと思うけど、念の為ね」


 三年前はよくしていた光景だ。他の冒険者に話を盗み聞きされて痛い目をみたことは一度や二度ではない。遺跡で見つけた有用な魔導具は積極的に利用していた。その多くを『魔法の鞄』を持つ典子が管理している。


「今朝、美紀のお母さんからウチの母親に連絡があったの。大学のサークルの集まりで六本木に行って事件に巻き込まれて殺されたそうよ」


「殺された? あり得ないわ」


盗賊シーフ』の能力。それが近藤美紀が異世界で得た能力だ。危険察知に優れ、罠や魔物の気配を事前に察知できる。それに、能力で生み出す分身『二重身ドッペルゲンガー』や各種魔法を帯びた短剣を生み出し、戦闘能力も高い。なにより、あの古代遺跡の探索で生き残ってきた美紀が地球の人間に殺せるわけがなかった。


「日本に帰ってきて三年。遺跡に潜ってたあの頃と同じじゃない。平和な日常で油断はしてたと思うわ。でも、私も夏希と同じで美紀が誰かに殺されたなんて思えない」


「たとえ不意打ちでも美紀を殺せる人間なんて異世界あっちでも何人もいないわ」


「そうよね。だから話を聞いても釈然としなかった。それに、美紀の遺体は見つかって無いそうよ」


「え? じゃあなんで死んだって……」


「事件現場で見つかったのは左腕だけだったらしいわ。腕時計と指紋で美紀の腕で間違いないらしいけど、それ以外は見せられないって警察に説明されたらしいの。美紀の両親は取り乱しちゃってそれ以上詳しく聞けなかったし、どこまで本当か分からないけど」


 私達は三年前の召喚による大量死事件の当事者であり、帰還後に様々な検査を受けさせられた。その際、指紋やDNAなどの個人情報を細かく調べられている。前科があるわけでもない美紀の指紋の記録があるのはその為だ。


 当時、この国の行政は人が突然、大量に亡くなり原因究明に追われていた。私達は詳細を知っていたが、魔力欠乏が原因と教えても証明などできない。それに、自分達のことを言うつもりも無かった。『能力』や『魔法』が使えると知られてどうなるかなど分かり切ってる。何も知らないふりをして黙って検査や聴取に応じた。


「本当に美紀は死んだのかしら? 左腕しか見つかってないんでしょう?」


「でも、警察は美紀が死んだって判断してる。遺族に遺体を見せられないってことは相当酷い状態なんだろうけど、だからこそ信じられない。あの美紀がそんな殺され方すると思う? 私は美紀はと思ってる」


「死んでない、か。腕を切断されてるんだから生きていても重症なのは間違いない。姿を見せてないのは拉致されたか隠れてるか……でも状況が分からないから何とも言えないわね」


「これ見て」


 典子は自分のスマホを操作し、画面を見せてきた。そこにはネット掲示板に書き込まれた六本木で起きた事件についての画像やコメントが羅列されていた。


「まだどこにもニュースになってないけど、六本木のクラブで殺人事件があったらしいわ。美紀が巻き込まれたのは間違いなくこれのことよ。書き込みを見てるとどうやら普通の事件じゃないみたい」


「大量殺人とか書かれてるけど、本当かしら?」


「普通はニュースになってるわよね。でもいくら検索してもこんなネットの書き込みしか出てこない。犯人も捕まってはいないようだし――」


「あっ」


 スマホにあった画像や書き込みが突然消え、エラー表示になった。


「何これ?」


「さっきからこう。六本木の事件とか、クラブの『LUXE』って名前が片っ端から消されてる。警察はよほど公にしたくないのね」


 私は、冷めたコーヒーを飲み干し、脇に置いていたヘルメットを典子に放った。


「行くわよ。行って自分の目で見なきゃ何も分からないし、納得もできない。それに、美紀が生きてるなら急いだ方がいい」


「そうね。流石、夏希だわ」


 …


 店を出て、停めてあったバイクに跨る。


「夏希はいいの?」


 私がノーヘルなのを典子が気遣う。


「クヅリ」


『分かってるでありんす』


 バイクのカウルの一部が典子に渡したヘルメットと同じ形状に変化した。


「……ず、ずいぶん便利になったわね」


「まあね。……それより典子、美紀が死んだか生きてるかはまだ分からない。生きてる可能性を私達は信じてるけど、少なくとも美紀の腕を斬り落とせる奴がいるってことは確かよ」


「分かってる。久しぶりに『エクリプス』の召喚師に戻るわ。油断はしない」


「じゃあ、しっかり掴まっててね」


 そう言って、私はヘルメットクヅリをかぶり、バイクを発進させた。

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