第551話 天使
「直径は約五十キロ、速度は毎秒十九キロってとこか。距離は……まだあるな」
天使化により、人間を遥かに超える五感や情報処理能力を得ているレイは、迫る隕石を正確に分析していた。
隕石の衝突に関しては地球でも様々な方法が世界中で研究されている。ある程度の大きさなら現代の技術でも対処可能だが、直径四十キロを超える小惑星規模については、その質量を止める手段は存在しない。
「あれ一発でこの星の生物は殆ど全滅だ」
『天使と悪魔がこの世で衝突した際、あれが何発も地上に落ちんした。陸が海に沈むのも無理ないでありんす』
天使一人であれが出来るのだ。当時、天使の数がどれだけいたのかは不明だが、十数人もいれば大陸を消すのは不可能ではなかっただろう。
「千年前にあのクラスの隕石が何発も地上に落ちたなら、数十年に渡って惑星全体の環境が激変したはずだ。この大陸が無事だったとしても、人間が生き残れたのは奇跡だな」
『あの駄女神の仕業でありんしょう』
「だろうな」
恐竜絶滅の原因とも言われる巨大隕石の衝突は、惑星全体に影響が及ぶ。一部の大陸の環境を保全し、生態系を守るなど神の御業と言わざるを得ない。天使化により出来ないことはないと思われるほどの全能感を得たレイでも、そんなことは不可能だった。
『それより、あれをどうするでありんすか?』
「奴に出来るってことは、俺にも出来るってことだ」
『でも、今のレイは純粋な天使と同等の力は無いでありんす』
「何すっとぼけてんだ? それはお前の所為だろうが! ……まあいい、何も奴と同じ力を出す必要は無い。要は隕石がこの星にぶつからなければいいだけの話だ」
『?』
―『流星』―
迫る隕石の側にもう一つ、隕石が現れる。一度目にしただけだが、レイは即座にザリオンの放った究極魔法を再現してみせた。
『随分小さいでありんす』
「あれで十分だ」
レイの生み出した隕石がザリオンの隕石に衝突する。しかし、質量の差や速度差もあり、破壊はおろか、勢いを殺すことも出来ずに飲み込まれた。
が、巨大な隕石は徐々にその軌道を変えていく。
レイの目的は隕石の破壊では無く、軌道を逸らすこと。隕石に衝撃を与えて軌道を僅かでもズラせれば、この星への衝突を回避できると計算して分かっていた。
「防ぐ手段は無いとほざいていたが、破壊することは不可能じゃなかった。俺を煽って『神力』を消耗させるつもりだったんだろう。安い挑発だ。だが、もっと近くで発現されてたらそうするしかなかった」
『なんでそうしなかったんでありんしょう?』
「さあな。落下速度を出す為か、俺を甚振る時間が欲しかったのか……」
(時間? そもそも、奴の力なら隕石なんか落とさなくても俺に勝てると思うはずだ。単純な力の差なら純粋な天使の方が確かに上だ。……なんか引っかかるな)
『普通は阻止されるなんて思わないでありんす』
「なんだ普通って。隕石を落とすのが普通であってたまるか」
そう言って、レイは天使化を解除し、地上に降りて行った。
…
……
………
「ほぅら、どうした! 下等生物! さっきまでの威勢はどこにいったぁ!」
空中でポツンと一人芝居を続けているザリオン。
『哀れなり』
そこへ、どこからともなく声が聞こえてきた。
『あれが我らと同じ天使とは……嘆かわしい』
『人間の傀儡に成り下がった者は天使では無い』
『そうだ。我らが創造主、アリア様に失礼である』
ザリオンを囲むように現れた四人の天使。
いずれもザリオンと同じく、背中に一対の白い翼を持ち、神々しい武装を纏った純粋な天使だ。
『しかし、堕ちた天使とはいえ、あれに幻術を掛けるとは』
『アリア様の使徒か。元は人間の割によくやる』
『おかげで我らの仕事が捗った。我らも顕現できる時間は限られるが故』
『後はアリア様の命を遂行するのみ』
天使の一人が懐から光り輝く宝玉を取り出す。レイが所持している女神アリアの聖遺物と同じものだ。
―『封印』―
ザリオンが宝玉に吸い込まれる。
『任務完了。後は……』
『人の問題は人が解決すべき問題だ。後はこの世の者達次第』
『どのような結果になろうと……』
『『『すべてはアリア様の御心のままに』』』
四人の天使は、一人、また一人と次々に姿を消していく。
しかし、宝玉を手にした最後の一人は、そのまま空中に留まっていた。
『……盗み聞きか? 行儀が良いとは言えんが、我らを欺けたことは褒めておこう。だが、このシリオンの目は誤魔化せん』
シリオンと名乗った天使は振り返り、何も無い空間に向かって言う。
「……」
シリオンの前に光学迷彩を解いたレイが現れる。
「気になって来てみれば……天使は二体しか残ってないと聞いてたがな」
『再創造された我らの存在はアリア様しか知らぬ。ここに封印したザリオンと、側仕えのエピオンも知らぬこと。理由は分かるであろう?』
「端から女神アリアは裏切者の存在に気づいていた。信頼できる配下を秘密裏に動かしてたってことか。裏の世界じゃよくあることだ」
『如何にも』
「今まで表立って動かなかったのは情報の為か……勇者共、九条彰が召喚されるまでザリオンは動かなかった。いや、恐らくザリオン本人も洗脳のスイッチは九条がコンタクトを取るまで入っていなかったんだろう。動きたくても動けなかったってとこか」
『察しがいいな。地球人達が召喚される少し前までザリオンやエピオンに古代兵器の影響は見られなかった。ザリオンがどの程度把握しているかを調べる必要もあったが、早期に動けば――』
「九条彰は動かなかった。洗脳した天使というカードがあるから、奴は大胆に動けたんだろうからな。囮として連れてきた他の勇者共がいても、天使を派遣されれば一掃されて終わりだ」
『それが出来ればアリア様はお主を転生させたりしていない。我らにも現世での行動には様々な制約があるのだ』
「すぐにガス欠になることか? 現世に存在するだけで天使は異様に消耗するからな」
『それだけではない。我らは人間と違って自由意志を持っていない。我らは対悪魔用に創られた存在であり、人の問題に対処するようにはできていないのだ』
「あれだけの力があるんだ、当然だな。大陸を吹き飛ばせる存在を自律行動させる程、神も馬鹿じゃないってことか。お前等みたいな強力な力を持つ存在に自由な思考を持たせるのは危険だ。絶対の制御が不可能なことはザリオンが証明してる」
『如何にも。千年前の悪魔との闘いで我らは人間に力を見せ過ぎた。天使や悪魔の特性は当時の人間に調べられ、研究されている。ザリオンを洗脳した古代兵器はその研究成果の一つであり、九条彰もそれを知る一人だ』
「俺に全てを開示しなかったのも情報漏洩の可能性を考えれば納得できる。まあ、ムカつくことには変わりないがな」
『神のお考えは人間に計れるものではない。人が認知できるものなど、所詮は表層の一部でしかないのだ。お主の抱く感情を含め、全ては神の手のひらの上にある』
「あの女神にそんな器量があるようには見えないがな」
『全ては女神アリア様の御心のまま。己の矮小な物差しを嘆くがよい。……それより、いいのか? 九条彰はつい先ほど『鍵』を手に入れた。もう時間は無いぞ』
「ちっ、あの隕石は時間稼ぎだったか……それよりお前等、九条の企みを阻止する気があるのか?」
『我らの役目はこの世ならざる者への対処のみ。あとはお主らの問題だ。古代人の企みを阻止するか、この世界を無に帰すか。どちらの結果も神の視点から見れば大きな差はない。お主を転生させ、人の可能性を残したのはアリア様の慈悲である』
「なら、ご丁寧に時間が無いと教えたのはサービスか? 礼は言わんぞ?」
『礼は不要。我らもザリオンを無傷で封印できたのだから、この程度は些末な事。……用は済んだ。我は帰還――』
「ほーん」
『?』
「暴走天使の捕縛アシストに比べれば、確かに些末だ」
レイは何か思いつき、ニヤリとする。
「殺し屋も傭兵もタダじゃない。帰るのは結構だが差額の報酬は払って貰おう」
…
……
………
同じ頃。
(空にある大きな物体が遠ざかっていく……何が起こってるのかしら?)
ブランの背にイヴと乗っているリディーナは上空から視線を前に移した。
「さて、これからどうしようかしら? 安全な場所なんてあるとは思えないけど……」
街には不死者が溢れ、小さな隕石が未だ降り注いでいる。逃げ惑う人々も散見されるが、全てに構ってやることは出来ない。
「レイ様はこの街を離れるよう言われたのでは?」
「危険だから離れろっていうのは分かるけど……」
「あー! いたいた! 姐さーーーん!」
リディーナの遠くから手を振るバッツ。
「あれ? あの子達には一旦王都を離れると言ってたはずだけど?」
「リディーナ様。あのセルゲイという男が一緒のようです」
「あら、本当」
建物の屋根の上にいるバッツ達の後ろには、志摩恭子の護衛から離脱していたセルゲイの姿が見える。その他にも数人の人影が見える。
バッツ達と合流し、結界を張るイヴ。
「これで暫く大丈夫でしょう。先程からの爆発はどうやら空から何か振ってきてるようです」
「空にある大きな物体が何か関係してるんでしょうけど、その前に説明してちょうだい。初めての人もいるようだけど?」
「はっ! 女神の使徒、レイ様の伴侶であられるリディーナ様! このセルゲイ、只今馳せ参じました!」
「姐さん、このおっさんが何やら姐さんに話があるらしくて……」
仰々しい挨拶をするセルゲイを他所に、バッツが補足する。
「おっさんではない、セルゲイだ!」
「オッサンにゃ」
「こらぁ! 何度言えば――」
「あなたは?」
「ミーシャにゃ」
セルゲイの隣には白猫獣人のミーシャがいる。
「奴隷商の牢で見た気がするけど、何故セルゲイと? それに、そこで縛られてるのはユリアンでしょう? レイと一緒だったはずよね? もう一人の男は知らない顔ね」
「はっ! ミーシャは只今、アリア教の信者として教育中でございます」
「違っ――」
「ユリアンはその辺でコソコソしておったので捕まえておきました。レイ様から逃げるなど不敬極まりますので、後ほど教育しておきます」
「ふざけんーー」
「それとこの男は王都付近の森で捕縛した異端者でございます。異端審問にかけたところ、レイ様のお役に立ちそうな情報を持っておりましたので連れて参りました」
男は志摩恭子を襲った傭兵部隊の一人、『狙撃手』の能力を与えられた傭兵の観測手だった男だ。部隊が全滅し、王都の本隊に合流しようとしたところをセルゲイとミーシャに見つかり捕縛されていた。男は苛烈な拷問を受けたのか、身体中傷だらけでピクリとも動いていない。
「リディーナ様、その男、もう死んでる気が……」
「はっはっはっ、何を仰いますか聖女イヴ様! 異端者があれしきの尋問で死ぬはずが――」
「確かにもう死んでるにゃ」
「なぬっ! なんとひ弱な異端者だ! しかし、ご安心ください。そこのユリアンも案内できます。どうやらこの街の地下には巨大な異端施設があるようです。きっとレイ様もそこに!」
「おい、オッサン! 俺は関係無――」
「黙らっしゃい! 使徒様のお役に立つことこそ我らアリア教徒最高の誉れなり!」
「このオッサンに何を言っても無駄にゃ。あきらめるにゃ~ん」
「ぐ……」
「地下の施設……そこに行くしかないわね。このままここにいるわけにはいかないし、街を離れるのも逃げるみたいで気が進ままなかったところよ」
「はっ! では、どうぞこちらへ! ご案内します」
セルゲイはユリアンを立たせる。
(案内するのは俺だろうがっ!)
そう心の中で呟くユリアンだったが、隣で息絶えている男を見て声には出さない。
リディーナ達一行は、ユリアンの案内で王都地下にある古代遺跡へ向う。
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