第547話 天使VS天使

 不敵な笑みを浮かべて近づいてくる川崎亜土夢ザリオン


「やはり森谷達下等生物には荷が重かったようだな」


「下等生物? 亜土夢、アンタそんなキャラだったっけ?」


 見知ったクラスメイトらしからぬ尊大な態度に、夏希はカマをかけるように軽口を言って反応を窺う。川崎亜土夢の身体が何者かに乗っ取られたなど信じられなかったからだ。


「そんな者はもういない。この身体は既にこのザリオンのモノだ」


「何言ってんの、アンタ……」



「お前、俺の話聞いてたか? 川崎は天使に乗っ取られたと言っただろう」


「天使も肉体を乗っ取るのも、はいそうですかって信じられるわけないでしょ? それと、『お前』っての止めてくれな――」


「ふん、親も親なら子も子だな。身の程を弁えない態度は不快極まりない」


「「……」」


 ザリオンの発言に、レイと夏希が同時に真顔になる。


「アリアが貴様の記憶を見た際には分からなかったが、まさか召喚した勇者と血の繋がりがあったとは。それに、前世より引き継ぐ様々な縁。稀に見る運命力だ」


「女神やお前等が仕組んだことじゃないならな。それに、コイツが俺のガキというのは確定してない。何を盗み聞きしたのか知らんが勘違いするな」


「そうよ! 誰がコイツの娘なのよ!」


「全ての事象は因果によって変動する。出会いや機会が全ての者に均一に訪れることはあり得ない。大概は起伏のある運命が誰にでも訪れるものだが、極端に何も起こらない平坦な人生を送る者や、波乱しかない人生を歩む者も存在する。因果は外部の者が干渉しても、収束する結果は変わらない。これは神であっても管理不能な混沌。いや、それ故、神が存在するともいえる」


「訳の分からんことを……まあ、神が人の人生をコントロール出来るなら今回の依頼自体が発生してない。女神アリアは『ラプラスの悪魔』ではないってことだ」


「何それ? 何の悪魔?」


「地球で囁かれている理論など、所詮は科学的な側面でしか考えられていない。全知全能の存在がいて全てを予測可能という事自体、人の想像力の限界。森羅万象は人間が思う程、浅くは無い。この世界の神であるアリアも一管理者にしか過ぎん」


「だからこそお前の裏切りが成立するんだからな。でなけりゃあ、お前の行動自体、意味が無い」


「え? 何、シカト?」


「意味が無いかあるかは未来が決める……いや、だな」


 ザリオンはレイに向かって更に足を進める。



「天使かどうかはともかく、亜土夢の奴、乗っ取られたっていうのは本当みたいね。男子に無視されたのなんて生まれて初めてかも。傷つくわ」


「お前、いつか後ろから刺されるぞ」


「え? なんでよ?」


「分からないなら口を閉じてろ。それと……邪魔だ」


「は? 言っておくけど私は――」



「我に二度の敗北は無い」


 ザリオンの雰囲気が変わる。


「そういうのを負け惜しみって言うんだよ」


 レイは夏希を無視してザリオンに向かって歩き出す。


「我の一撃で吹き飛ばされたのを忘れたか? 再び血反吐を吐かせてやる」


「素じゃ、俺に勝てないチート野郎が何だって?」


「チートだとっ!」


「それとも、人のモンを盗むことに夢中だったコソ泥野郎の間違いだったか?」


「下等生物がぁ」


 川崎亜土夢の『拳聖』の能力を持つザリオンには、銃は勿論、黒刀も通じない。だが、格闘主体のザリオンもレイに対して有効な攻撃手段を持っていない。勝敗はお互いに『天使化』をどのタイミングで行うかで決まる。


 戦いが長期化した場合、『神力』が尽きて窮地に陥るのは純粋な天使であるザリオンも例外では無い。


 この世に存在するモノは、人や動植物だけでなく、どんなモノでも存在しているだけでエネルギーを消費する。単純な生命維持にだけではなく、『魂』が現世に留まるには非物質である霊的エネルギーが必要だ。


 そのエネルギーが尽きた時、現世から肉体と魂の解脱が行われる。『死』という概念は、解脱の二次的事象であり、突発的な死であろうと霊的エネルギーが尽きた末の現象に過ぎない。


 人はそれを『寿命』と呼ぶ。


 超常の存在は現世に顕現しているだけでも膨大なエネルギーを消費する。そのエネルギー『神力』は現世で得ることは不可能であり、レイもザリオンも天使状態を長時間維持することはできない。


 だが……



 ―『『天使化』』―



 それは突然はじまった。


 レイとザリオンは躊躇なく天使化を行い、夏希が気付いた時には二人の拳同士が衝突していた。


 灰色の瞳が金色に変わったレイ。その瞳孔は縦に割れ、背中に二対の漆黒の翼が生えている。それに対し、黒髪が金髪に変わり、黒目が碧眼になったザリオンには真っ白な翼が生えている。


「うっ!」


 激突で発生した衝撃波を受け、夏希は咄嗟に腕を上げる。


『ナツキ、スコシハナレタホウガイイデアリンス』


「クヅリ……」


 無敵の防御を誇る『魔黒の甲冑クヅリ』が危険だから離れろと警告するのは初めてだ。


 しかし、変貌した二人の姿から目が離せず、夏希は動けない。


 二人の拳はぶつかったままぶるぶると震え、やがてその均衡が破れる。


 グシャ


 レイの拳が潰れ、指が千切れ飛んだ。


「やはり下等生物! 所詮は人間だなッ! なんだ、その姿は? アリアから天使の素体を貰おうが、そのような不完全な姿とは笑わせる! 純然たる天使である我の敵ではないなッ!」


「パワーで勝ったぐらいで必死だな」


「相変わらず口だけは良く回る!」


 ザリオンは拳を握り、再度レイに放つ。


 レイはその拳を掻い潜り、潰れた拳と反対の手でザリオンのがら空きの脇腹に掌底を放った。


 それを放った拳の反対の手で慌てて受け止めるザリオン。


 ―『発勁』―


 ドパッ


 ザリオンの手が肘まで膨らみ破裂する。


 天使状態のレイが練った『気』は、人間のそれとは比べものにならない。瞬時に膨大な気を流し込まれた肉体は気の巡りが狂うどころか細胞が耐えられずに破裂する。強固な肉体であろうと生物である以上、これを防ぐことは出来ない。


「それがどうしたッ!」


 お互いの手は滅茶苦茶な状態だが、二人はそれに全く気にする素振りは無い。それもそのはず、二人の傷は超スピードで再生されており、次の攻撃を繰り出す頃には既に完治していた。


 二人の攻防は人間が認識できるスピードを遥かに超えている。常人である夏希には二人が何をしているか分からない。だが、二人の攻撃がぶつかる度に血飛沫が上がり、衝撃波が襲って来る。戦っているのだろうとは理解出来た。


「一体何が起こって……」


『ナツキ! ハヤクニゲンショウ! マキコマレンス!』


 レイとザリオンに目が釘付けだった夏希に『魔黒の甲冑クヅリ』が再度警告する。


 クヅリの言葉に、ハッとする夏希。『魔黒の甲冑』を顕現している間は、鎧があらゆる攻撃や衝撃を吸収する。今自分が感じている衝撃波は本来感じるはずの無い感覚のはずだ。それが伝わることの異常さに気づき、クヅリの言葉の重大性にようやく気付いた。


 ミシッ


「え?」


 通路の壁や天井に亀裂が入る。レイとザリオンの戦いの余波が堅牢な地下遺跡を破壊し、通路が崩壊しはじめていた。


「ちょっ、やめ――」


「かぁあああああ!」


 夏希の声はザリオンの雄叫びに掻き消される。


「がぱっ」

「ぐっ!」


 レイの掌底がザリオンの顎を吹き飛ばす。と、同時にザリオンの拳がレイの腹を抉り取った。飛び散る歯や骨、そして血と臓腑。だが、すぐさま再生し、何事も無かったように殴り合う両者。


 パワーとスピードに勝るザリオンに、レイは技を駆使し、巧みな体さばきでそれに対抗する。


 二人の狙いは短期決着だ。どちらかの『神力』が先に尽きれば勝負は決まる。だが、自らも消耗したのでは意味が無い。お互いにこのまま素手でやり合うつもりは無かった。


 二人は殴り合いながらも、決め手を叩きこむべく機を窺っていた。


 ザリオンの視線がチラリと夏希に向く。


「それでも天使か?」


 ザリオンの考えを即座に見抜いたレイ。


「貴様等人間の価値観と我ら天使は同じではない。それとも人間は下等生物に高潔や卑怯を説くのか? 滑稽なことだ」


 ―聖光魔法『聖斬閃光ホーリーレイ』―


「……あ」


 ザリオンの目から放たれたレーザーのような魔法が夏希の胸を貫いた。


「な……かはっ」


 肺に風穴を開けられた夏希は膝を着き胸を押さえる。『魔黒の甲冑』を貫かれたことは今まで一度もない。その動揺と肺に満ちていく血で呼吸が満足にできなくなる。


「早く治療せねばあの小娘は数分で死ぬ。さあ、どうす――」


「天使ってのは馬鹿なのか?」


「なに? あびゃっ」


 ザリオンの身体が袈裟斬りにされ、胴体が分断される。


「……我を剣で斬る……だと? 現世の武器で天使の身体を……?」


「余所見するからそうなる。相手の気を逸らしたくて自分が逸れてりゃ意味無い」


「ば、ばかな……傷が……再生せんッ!?」


 レイの持つ黒刀『魔刃メルギドクヅリ』の刀身が禍々しい雰囲気を発している。レイが付与した暗黒属性。天使級の力を以って付与した暗黒の力だ。


 ―『復元』―


 ザリオンの半身が瞬時に元の姿に戻った。傷を修復する『再生』とは違い、『復元』は無から元の形に戻す力だ。超高位の存在だけが扱える魔法だが、その代償は大きい。


「回復したはいいが、ガクッと力が減ったな? 分かるぞ」


「き、貴様……実の娘がどうなっても……」


「人質なんてなる方がマヌケなんだ。俺のいた世界じゃ無視がセオリー。躊躇する時点で事態を想定してない半人前、プロ失格だ」


「まぬ……け?」


 倒れて血を吐いていた夏希はレイを恨めしそうに見る。


「それに即死でなけりゃ問題は無い」


「え? あ、あれ?」


 夏希の胸に空いた穴はいつの間にか塞がっていた。


「再生魔法……あり得ん! 天使の再生を阻害する程の暗黒属性を放ちながら、同時に聖魔法を行使しただと? ……そもそも、天使の素体で暗黒属性を行使すること自体あり得んのだ! の定めた摂理に――」


「相変わらず情報が古い」

『神に等しい存在のわっちのおかげでありんすね』


意志ある武器インテリジェンスウェポン……その剣の素材……天使の素体とは思えぬ天使化……まさかッ!」


『やっと気づいたでありんすか?』

「相手の情報収集が足りないと現場で慌てることになる。いい見本だな」


「純粋な天使の身体に邪龍異物を取り込んだのか? なんたる不浄ッ!」


『異物……?』

「何が不浄だ。アホかよ」


 ―『聖斬閃光』―


 ザリオンの両目からレーザーが放たれる。


 それをいなすように黒刀を振り光線の射線を逸らしたレイは、返す刀で再度ザリオンを両断する。その後も斬撃を続け、細切れになるまで斬り続けた。


 ―『復元』―


 また元どおりの姿に戻るザリオン。しかし、その表情は優れない。


「ガス欠か? 意外に早かったな」


 レイは掌に黒い炎を発現させ力を注ぐ。特大の『黒炎の矢』を放ちザリオンを消し去るつもりだ。


「おのれぇ……人間の貧弱な肉体などに受肉しなければ……下等な種族の体の所為で……」


「おいおい、人の所為にすんなよ。お前が死ぬのはお前が弱いからだろ」


「黙れぇぇぇ!」


「消えろ」


 ―『黒炎の矢』―


 レイの手から巨大な黒炎の矢が放たれる。


「おのれぇぇぇえええ! 貴様なんぞにぃぃぃ!」


 川崎亜土夢の身体から白い靄が抜け出し、天井を貫いた。


「逃がすかよ」


 レイは放った矢をコントロールして捻じ曲げ、白い靄を追尾するように空いた天井に入れる。続いて自身も後を追った。


 …

 ……

 ………


「最高位武装形態顕現ッ! 究極魔法発動ッ!」


 オブライオン王都上空に逃れたザリオンは声高らかに叫ぶ。


 その姿は光り輝く煌びやかな天使。身に纏った装具は神々しいオーラを放ち、勇者達が発現させる『聖鎧』とは明らかに別物だった。


 ザリオンは真下から迫る『黒炎の矢』を腕の一振りで払って見せる。今までの攻防が嘘のように次元の違う力だ。



「そいつが天使本来の姿ってヤツか? 形振り構っちゃいないみたいだが、魔法を撃つならさっさとやるべきだったな。大げさに喋って――」


「何を言っている。もう撃ってる」


「何?」


「上を見ろ」


 そう言われて素直に視線を移すほどレイは馬鹿ではないが、自分のいる遥か上から嫌なプレッシャーを受ければ確認せずにはいられない。


「……?」


 レイは目を細め、光を放ちながら落下して来る物体を見る。


「且つて、数千数万の悪魔共を大陸ごと消し飛ばした聖属性究極魔法『流星シューティングスター』。これを防ぐ手段は存在しない」


「馬鹿かよ。大陸ごと消したら地下の遺跡は……」


 レイの呟きにニヤリとするザリオン。


「ちっ」


「『装置』は女神アリアによって封印が施されている。天使や悪魔でも破壊はできない。我が顕現していられるのも僅かな時間となってしまったが、役目は果たした。小賢しい雑魚共と共に消えるがいい」


「させると思うのか?」


「分かっているだろうが、我を殺しても既に発現された魔法現象は消えん。まあ、この姿になったからには貴様ごときに殺されることはあり得んがな」


「ああそうかい」



 レイは黒刀を抜き、『完全状態の天使ザリオン』に斬りかかった。

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