第540話 意地

 聖炎強化に更なる魔力を注ぎ込み、全身から噴き出す炎の色が白から青く変わったジーク。


 この世界の魔法使いは、魔法を使用する際に魔力量のコントロールをしようとしない。殆どの者はそのことに意識することすらせずに魔法を使用している。ある程度、魔法に熟達した者なら、発動したい魔法に魔力を多く注げば威力や効果が増すと誰もが考える。しかしながら、実現に至る者は極僅かである。


 意図的に魔力量を増やして魔法の威力を上げるには高度な知識と技術を要し、失敗すれば暴発する危険が非常に高かった。また、既に発動している魔法に魔力を加えるのは困難を極め、魔法の発動プロセスを熟知し、緻密な魔力操作が要求される。


 魔術師と名乗る者なら誰でも魔法を使えるが、魔法を真に理解している者は殆どいない。地球において、現代人が機械を操作し様々な現象を起こしているにも関わらず、仕組みや理屈を理解して使っている者が殆どいないことと同じである。


 この世界では長きにわたり戦乱が無かった影響で、戦技同様、魔法の知識と技術の多くが喪失していた。強大な魔物と対峙する一部の者や研究者以外は、日常において魔法の威力を高める必要性が無く、また、過剰な威力や強力過ぎる魔法の知識や技術は封印、もしくは秘匿され、その多くが忘れ去られてしまった。


 『龍』をはじめとする巨大で強力な魔物が存在するものの、それは天災と呼ぶにふさわしいものであり、遭遇する機会が極めて低かった。天変地異に等しい事象に個人レベルで対抗するための装備や戦技、魔法を習得することは、非現実的、且つ非効率なことである。通用するかも分からない、使う機会の無い技術が廃れていくのは必然だった。


 また、既存の魔法を習得することすら普通の者には難しく、魔法の基礎知識が失われた現在において、魔法をゼロから強化、発展させることが出来るのは、専門に研究を行っている者か、一握りの天才だけだ。



 その天才は『身体強化魔法』を強化する魔法を生み出し、魔力を注ぐことで更なる強化を成功させる。


 身体強化魔法は、魔力により筋組織を強化して運動能力を普段の何倍にもする反面、筋組織や腱断裂等の肉体損傷のリスクがあり、未熟な者や長時間の行使はその後に障害を負う欠点があった。


『聖炎強化』は身体強化以上の肉体強化を実現しつつ、体細胞が分裂し続けることにより、強化によって損傷する細胞が再生し続け、身体強化の欠点を克服した驚異の魔法だ。しかしながら、急速な細胞分裂により使用後は肉体が老化するという大きな代償を伴う。


 対人戦闘において、これ以上の魔法は必要無いと思うに十分な効果と大きな代償があるにも関わらず、更なる上の強化は何の為、何を想定して生み出したのかは本人にしか分からない。



 一つ言えることは、この場で天使の武装を纏う『勇者』に対抗できるのは、ジークだけだという事だ。



(このバケモンを殺す時間だけもてばいい)


 ジークは真正面から佐藤優子に斬りかかる。


 その尋常ならざる速度に、佐藤は躱すことも武器を構える間も無く正面から斬撃を受けた。


 ギャリギャリギャリ


 金属のこすれ合う不快な音が響く。ジークの『エクスカリバー』が佐藤の聖鎧とぶつかり発せられた音だ。ジークの剣は佐藤の聖鎧を切り裂くことは出来なかった。だが、『エクスカリバー』はジークの強化した膂力と速度に耐え、聖鎧の強度にも折れることなく刃を保っている。


(上出来!)


 剣が折れずに耐えられたことに満足し、すぐさま飛び退いて佐藤から距離を置く。続いて佐藤の死角に猛スピードで回り込み、再度斬撃を浴びせる。


 その速度に佐藤はついていけない。心眼を開き、感覚を研ぎ澄ませても斬撃の来る方向が辛うじて分かるだけで、反撃はおろか、鎧の隙間や急所を狙われないよう、巧みに身体をずらし、防御するのが精一杯だった。


「速すぎる……」


 思わずそう声を漏らした佐藤優子。


 ジークのスピードは、人が体現できる速度を超えていた。師である新宮幸三のように、人間の死角や錯覚を利用して速く見せている技術などではない。全身から噴き出る青白い炎も相まって、残像のように見えるジークの姿は目で見える以上の速度が出ていた。


 如何に心眼を開いて目に見えぬものを捉えられても、人間の知覚範囲を超える速度には反応できない。人が投げるナイフの速度程度なら見て躱せても、銃声が鳴った瞬間に発射された弾丸を目で追い、捉えることは人間には不可能である。世の中には銃弾を避けた事例がいくつもあるが、その殆どは射手の身体の動きと銃口の向きから弾道を予測した結果に過ぎない。


 ギャリンッ


 ギュインッ


 ガキンッ


 なすすべも無くジークの斬撃をその身に受ける佐藤優子。聖鎧が斬撃を弾き、佐藤の肉体が傷つくことは無かったが、相手の動きについて行けず、鎧のおかげで死なずに済んでいるという屈辱感は、嫌でも佐藤の神経を逆撫でた。


 ビッ


 佐藤のわき腹から鮮血が舞う。冷静を欠いた一瞬防御が遅れ、ジークの剣が聖鎧の隙間を撫でたのだ。あらゆる攻撃を防ぐ鎧も、それに覆われていない箇所や関節部分は生身である。その隙間を狙えば業物でなくとも十分佐藤を殺傷可能だ。


「ふぅー……」


 一瞬でも気を散らせば殺られる……痛みと血を見て逆に冷静になった佐藤優子はそう思い、大きく息を吐いて全神経をジークに集中させる。



 一方、佐藤優子の周囲を超高速で旋回し、すれ違いざまに佐藤を斬りつけるジーク。先程、佐藤に一方的にやられていたのとは逆の展開だ。


(浅い……刃が入った瞬間、身体を捻りやがった。なんてバケモンだ)


 ジークの『エクスカリバー』は佐藤優子の聖鎧を斬るには至っていない。しかしながら、天使の基本武装である『聖鎧』を斬りつけながらも折れず、ジークの尋常ならざるパワーとスピード、その双方が生み出す衝撃に耐えていた。


 ピキッ


 そんな中、ついにジークの斬撃で聖鎧に亀裂が入った。


「まさかっ!」


「まだまだぁぁぁー!」


 更に速度を上げ、斬りつけるジーク。


 バキャンッ


 聖鎧の肩の防具が割れ、吹き飛んだ。破片は宙に舞いながらキラキラと霧散していく。肩以外の部分も亀裂が目立ち始め、生身に刃が入るのも時間の問題と思われた。


 それでも佐藤は動かない。鎧を破壊されたことには構わず、急所を守ることに集中し、反撃する意思を見せない。


(こんな動き、そんなに続けられるわけ無い。いずれ力尽きる……それに)


「鎧をいくら傷付けたって無駄」


 佐藤を包む聖鎧が突如消える。


 そして……


 ―『聖鎧召喚』―


 光り輝く聖鎧が、何事も無かったかのように新品の状態で再び佐藤優子を覆う。


(うそだろ? そんなのありかよっ! ……だが、待ってたぜ。この瞬間をよ!)


 佐藤が鎧を再召喚したと同時に、ジークは剣を投げ捨て佐藤の背後を取り、佐藤の首に腕を回して力の限り締め上げた。


 隙というにはあまりにも一瞬。しかし、ジークはそれを待っていた。初めから剣で佐藤を殺せるとは思っていなかったのだ。


「魔導列車でオメーのことはずっと見てた。まさか、素手の格闘で手も足も出ないとは思ってなかったが、こっちは予想どおりで安心したぜ!」


「――ッ!」


 ジークの腕が首を回った瞬間、咄嗟に手を入れて首が完全に極まるのを防いだ佐藤は、それでも尋常ではない力で絞められ声が出ない。


「武具や技が凄くても中身はガキだ。単純な力比べは得意じゃねーだろ!」


 魔導列車襲撃の際、佐藤優子は取り付いた猫獣人達をすぐに振りほどけなかった。その光景を見ていたジークは、佐藤を倒すには単純な腕力で圧し潰すしかないと考えていたのだ。


 問題はどうしたらそれに持ち込めるかという点だけだった。遠距離は勿論、近接戦でも佐藤に組み付く隙は見当たらない。唯一、隙と言えるようなタイミングは、佐藤が剣や弓、鎧を出現させる時だけだ。


 しかし、それは一瞬。常人からすれば、隙と呼べるような間では無い。ジークは聖炎強化を更に強化し、その一瞬を突く為に全てを賭けたのだ。



―『常に顕現させておけと言ったじゃろう?』―



 佐藤の脳裏に師の言葉が木霊する。『達した者』同士の戦いでは、まばたきでさえ十分な隙となる。師の言葉を佐藤は真に理解していなかった。例え、親切丁寧に教えられたとしても、まばたき程の一瞬を突かれるなど、信じられるものではない。


(うぐっ……こんなもの!)


 ジークの裸締め、所謂チョーク・スリーパーやバック・ホールドなどと呼ばれる技は、背後から前腕部を相手の首下に引っ掛けて喉を絞める単純なものだ。格闘技の種類や武道の流派でそれぞれ微妙に形が異なり、相手を死に至らしめる形から、競技ルールに則り相手を失神、または降参させる余地のある形まで様々な形態がある。


 当然、古流武術である新宮流にも似た技はあり、裸締めの脱出方法も一応は存在する。しかし、新宮流に限らず、相手を殺すことを第一とする軍隊格闘技や古武道の技が完全に極まれば、脱出はほぼ不可能である。相手が熟練者なら足掻く暇さえ無く即座に昏倒、そのまま首の骨を折られてしまう。


 ジークにとって不運なことは、相手の首を絞めるという技術において未熟であること。対する佐藤優子は十分すぎる知識と技術があることだ。立場が逆なら、勝負は既についている。


 だが、佐藤優子はジークの裸締めから逃れられない。


 ジークの見立ては間違ってなかったのだ。


 佐藤は腕を滑り込ませて僅かに隙間を作り、気道と頸動脈が塞がれるのを避けたが、鉄で固められたようにジークの腕はびくともしなかった。身体強化や能力の補正で普通の女子高校生より遥かに力のある佐藤だが、聖炎強化でこの世界の戦士の誰よりも膂力のある今のジークとは大人と子供よりも腕力に差があった。


 佐藤は身体強化を施し抗うも、脱出の為に気を散らせばすぐに圧し潰される勢いで絞められている。新宮流の対処法がいくつも頭に浮かぶ佐藤だが、圧倒的な膂力の前では打てる手は限られた。


 ジークの頭の位置を把握し、親指を立てて裏拳のように指突を放った佐藤優子。


「うがっ!」


 佐藤の親指がジークの目に突き刺さる。


「ぐあ……くくっ……ははっ、痛ぇじゃねーか、よっ!」


 ジークは目が潰されようと力を緩めることなく、更に絞め続けた。


「……かひゅ かっ」


 佐藤の喉奥から僅かに空気が漏れる。ジークの腕が佐藤の気道を塞いだのだ。


 窒息するのも時間の問題。


 だが、ジークは焦ったように魔力を振り絞り、強化を続けて腕に力を入れ続ける。


(もう少しだってのに!)



「誰でもいい! コイツに止めをっ!」


 周囲に向かって叫ぶジーク。


「「「……」」」


 しかし、誰もが固まったように動けない。


 急激に老化していくジーク。その様子に皆驚き、目を奪われていたからだ。


 人の限界を超えた代償。燃やし尽くした命の炎は、まさに一瞬の輝きだった。ジークの身体から発せられていた青い炎は消え、後には抜け殻の様な老人が残っていた。


「何てザマだ……まったく……かっこ……悪ぃ……ぜ……」


 ボギッ


 筋肉が削げ落ち、痩せ細ったジークの腕を佐藤があっさり圧し折り、脱出する。


 最早肉体の感覚も無くなり腕を折られた痛みを感じることもなく、ジークは力尽きその場に崩れ落ちた。


「かはっ はー はー はー」


 ―『聖刀召喚』―


 呼吸を乱したまま聖刀を出現させた佐藤優子は、凄まじい殺気をジークに向けて刀を上段に構える。


「死ね」



 ズンッ



 佐藤がジークの首を刎ねようと刀を振り下ろそうとした瞬間、その身体に衝撃が走った。


「ごぶっ」


 口から大量の血が溢れ出した佐藤優子。脇から首の付け根を青白い穂先をした長槍が貫通していた。



「仲間の仇だ。お前が死ね!」

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