第539話 弓聖、再び

 煌々と光る矢が上空に打ち上がる。


(((ッ!)))


 以前に同じ光景を見たジークとエミューは、咄嗟に志摩とアイシャの前に出た。


(((優子? 一体何を……?)))


 一方、『エクリプス』の近藤美紀と太田典子、渡辺大輔は、見知ったクラスメイトの突然の行動に困惑し、打ち上げられた矢を呆然と目で追っていた。



「志摩さん! 結界をっ!」


「は、はい!」


 ジークの指示を受け、志摩は慌てて能力を発動する。


 打ち上がった一本の光矢は志摩達の頭上で無数に枝分かれし、降り注ぐように志摩達を襲った。しかし、志摩の防御結界が間一髪で間に合い、佐藤優子の攻撃は阻まれる。


 無数の光る矢は結界の壁にぶつかり静止し、やがて消失した。


「またそれか……」


 攻撃が防がれた佐藤優子はそう呟くと、城壁から飛び降り真っ直ぐ志摩達の元へ歩き出した。



(ちっ、出来れば二度と遭いたく無かったぜ)


 ジークは佐藤優子との遭遇に舌打ちし、この後とるべき動きに悩む。志摩の結界はあらゆる攻撃を防げるが、今いる場所は森も途切れて見通しが良過ぎた。ここは敵地である。結界越しに睨み合い、対峙したままの持久戦は自滅を待つようなものだ。引き返して逃げるにしても、佐藤優子は、それを許してくれる相手ではない。


(今回ばかりは戦るしかねーが……)


 ジークは横目で『エクリプス』の三人、続いて先程突如現れた東条奈津美を見る。


(数ではこちらが上。全員の能力を見た訳じゃないが、あのバケモン相手にどれだけ戦えるか……普通に考えれば不利なのは向こうの方。なのに、平然と向かって来るってことは……)


 ジークの側には志摩を入れた『勇者』が五人いる。それを分かってる佐藤優子は表情を変えずに向かってきていた。複数の『勇者』が相手でも勝てる自信があるのだろう。


 思案するジークを他所に『エクリプス』の面々は信じられないといった顔で近づいて来る佐藤を見ていた。近藤達は、クラスメイトがいきなり攻撃してきた事実と佐藤優子の変貌ぶりに驚きを隠せない。


「あの優子がいきなり攻撃してくるとか……先生を殺しにきたってのは嘘じゃないみたいだけど、一体どうしちゃったわけ?」


「王宮で会った時も雰囲気が変わったと思ってたけど、完全に別人ね。先生の顔を見た途端にすごい顔になったわよ?」


 近藤達の存在を無視して志摩を睨んでいる佐藤優子。太田典子は後ろにいる志摩恭子にどういうことかと暗に尋ねる。


「佐藤さんは、白石さんを見殺しにしたと私のことを恨んでます。全て私の至らなさです」


 志摩は近藤美紀と太田典子に対し、申し訳なさそうに言う。


「「見殺し?」」


「優子に関しては私にも原因があるわね。響の怪我を治してあげたけど、あの子を利用したのが気に入らないみたい……ほら、私の事を見つけて憎しみ倍増って感じでさらに怖い顔してるでしょ?」


 そこへ、後ろにいたマレフィムこと東条奈津美が口を挟んできた。


「響を利用? 奈津美……アンタ、何したの?」


「ちょっとね。私だって能力人格が安定するまで色々あったのよ」


「優子があんな凶悪な顔してるなんて、ちょっとどころじゃないでしょ!」


「私に文句を言うのはお門違いね。怒りは響を殺した奴にぶつけるべきよ」


「あの響を殺した奴……九条は響が死んだって言ってたけど、『女神の使徒』って殺し屋のこと?」


「誰がやったかは分からないわ。というか、響が死んだことをなんで九条が知ってるのかしら? 一緒にいた私の身代わりだって何が起こったか分からずにやられたのよ? その場にいなかった九条彰が響の死を知り得るはずが無い……」


「何またブツブツ言ってんのよ! もう少し分かるように言って!」



「勇者さん達はのん気なもんだ。のんびりお喋りしてる暇は無いと思うけどな……特に王都から来たアンタ達なら俺の言ってることが分かるだろ?」


 勇者達の会話にジークが割って入る。


「「「不死者アンデット……」」」


「アンタ達がさっき言ってたことだ。王都には不死者が溢れてるんだろ? 不死者の数が数百体ってのはいつの話だ? 奴等は放っておけば恐ろしい速さで増えていくんだぞ? 数百だった数が今頃数千になっててもおかしくないんだ。おまけにそれが操られてるらしいってんなら、いつあの城門が開いて襲ってくるか分かったもんじゃない。いくら強力な結界があっても、数千の不死者に押し寄せられたら終わりだぜ?」


 近藤達はジークの言葉に王都内の光景を思い出す。悠長にこの場に留まることの危険性にようやく気付いた。


「確かに、ここに留まるのはヤバそうね。でも、優子をどうしたら……」


「アレは元々はお友達なんだろ? 説得して丸く収まれば一番良いが、あまり時間は――」


 佐藤優子が結界の前に辿り着く。結界を挟んで膠着状態になることを予想していたジークだが、佐藤の見せた予期せぬ行動に今までの思案は吹き飛んだ。



 佐藤優子は結界の前まで来ると、纏っていた聖鎧と聖弓を解除して素の学生服の姿になる。そして、そのままゆっくり結界に近づき、するりと通り抜けたのだ。


「「「はっ?」」」


 余りに呆気ない事態に唖然とするジーク達。



「世に百下百全無し……おじぃの言ったとおり、かな?」


 この世に完全無欠など無い。どんなに頑強、強固なものでも、必ず弱点や通用する方法がある。それは、新宮流だけでなく武術では当たり前の考え方だ。自身の『聖弓』や『聖鎧』も強力だが、無敵では無いのを佐藤優子は理解している。志摩の結界にも必ず弱点があると佐藤は考えていた。


 あらゆる攻撃を防ぐ強力な結界も、物理的に完全に閉鎖されている訳ではない。もしそうであれば、結界は空気すら遮断することになり、佐藤は志摩が力尽きるのを気長に待っているだけでいい。衝撃に反発するだけのものであれば、全ての武装を解き、生身で入ることによって結界の干渉を受けずに済むはずだ。


 前回の経験から後者の可能性が高いと考えた佐藤優子は、その考えを躊躇わずに実行した。結界に触れて負傷する可能性など微塵も考慮していない。もしダメだったら別の手を考えればいいとしか思っていなかった。


 佐藤優子をすんなり結界内に入れてしまったのは、どんな状況でも結界を張れば攻撃を防げると過信した所為だ。単なる教師でしかない志摩は、戦闘においては素人である。あらゆる状況を想定することも、それに対して能力を適応させることもしていない。己の能力の長所や短所、弱点など把握すらしていなかった。また、結界の特性を理解しないまま、それに頼ってしまったジークのミスでもある。


 それに対し、幼少より古武道を学んでいた佐藤優子にとって、一度受けた技への対処法を考えるのは自然なことだ。同じ手が何度も通用するほど武人は甘くない。



 では、結界内において攻撃はできるのか?


 次に佐藤優子はそう考え、再び『聖弓』を出現させて矢を射る。


 しかし、見えない何かに阻まれ、矢は射出されることなく静止してしまった。


「なるほど……なら」


 聖弓を解除した佐藤優子は、唖然とする面々の中、瞬歩で距離を一気に詰め、志摩恭子の前にいたジークに掌底を放った。


「おわっ!」


 咄嗟に腕を交差させ、佐藤優子の攻撃を防ぐジーク。しかし、その衝撃は骨の芯まで響く威力があり、ジークを驚愕させる。


「くっ! 野郎っ!」


 痛みを押し殺し、ジークが『エクスカリバー』で佐藤に斬りかかる。


 が、剣は何かに阻まれるようにして振り切れない。


 その隙に佐藤はジークの懐に再度滑り込み、ジークの鎧の隙間に掌底を叩き込んだ。


「がはっ!」


「この中じゃあ、武器を出せてもそれを使った攻撃は出来ない、か。体術は得意じゃないけど、ここにいる面子くらい私でも殺せる」


 志摩自身も気づいていなかったことだが、展開した結界内ではあらゆる武器や魔法による攻撃は不可能だった。唯一、行使できるのは生身の肉体による格闘のみだ。


 近藤達やジーク達を見渡し、素手でも全員殺せると発言した佐藤優子。見知ったクラスメイトは当然、見知らぬ現地の者も、徒手格闘において新宮幸三より上であるはずはないと確信していた。


(と、得意じゃないだと? ごほっ、これでかよ……)


「志摩恭子。それとそこにいる奈津美には用がある。それ以外に用は無い。けど……」


 佐藤優子は目を細め、改めて新宮流の構えをとる。


「邪魔するなら殺すから」


 …

 ……

 ………


「ぶはっ ごほっ ごほっ……」


 口から血を吐き、ふらつきながらも志摩の前で佐藤の攻撃に耐えていたジーク。その側には同じく口から血を流して倒れている渡辺大輔の姿があった。


 大輔は『エクリプス』の前衛として佐藤優子を止めようと参戦するも、何もできずに佐藤に倒されていた。


(くっ……なんだこいつは? お互い身体強化もできないはずだ。なのに俺の攻撃が全て見切られ、逆に向こうは的確に攻撃を当ててきやがる。弓だけじゃねーのか? バケモンがっ!)


 ジークが最も得意としているのは剣術だ。しかし、幼少より教会暗部で育てられ、あらゆる戦闘訓練を受けている。体術でも並以上の実力はあるはずだが、それはあくまでも戦争が二百年無かったこの世界の戦闘技術である。それに対し、数百年以上の戦乱の中、途絶えることなく武技を継承してきた新宮流。それを全てではないにしろ、幼少の頃より新宮幸三から直接指導を受け、神童と評された佐藤優子の前では技術に大人と子供ほどの差があった。中身は単なる普通の高校生でしかない渡辺大輔など相手になるはずもない。


 ジークは一方的に攻撃を受けながらも、志摩と志摩に抱きつくアイシャの前から一歩も退かない。



 その後ろではオリビアが拳銃をいつでも抜けるよう構えながら、志摩とアイシャの側でその光景を見ていた。


(この距離なら……いや、撃てない)


 撃てばジークにも当たる。むしろ、ジークが邪魔で撃てないとも言える状況だが、ジークがいなければオリビアが銃の照準を佐藤優子に合わせる間もなくやられるだろう。それが容易に想像できるオリビアは動けない。


 それは、遠距離攻撃、魔法を得意とした者達も同じだった。結界内では素手での格闘しか佐藤に攻撃する手段がない。ジークに加勢したくとも出来ず、その場から動けなかった。



(((優子の奴、あんなに強かったの!?)))


 知らなかった佐藤優子の実力に驚く近藤達。佐藤はあきらかに武道を修めた者の動きと素人目にも分かった。魔法や能力では無い、素の実力だ。例え身体強化を施せたとしても、武術に関して素人の自分達では、大輔のように一撃で昏倒させられるのは目に見えていた。



 一方。


「(くそっ、影も使えない……おい、ババア何か手は?)」

「(無いねぇ……結界を解除すれば攻撃できるが、この近距離では魔法や召喚術は放つ前にアレにやられるだろうねぇ……マレフィム様のお考えは?)」


「(そうねぇ……無い事も無いけど、バヴィの言うとおり、まずは結界を解除して貰わないと何も出来ないわね)」


 ガーラとバヴィエッダ、東条奈津美マレフィムの会話中、反対側にいる『エクリプス』の近藤美紀と太田典子もまた、この状況を打破するには結界の解除しかないと考えていた。


「先生っ! 結界を解除して!」


「え?」


「いいから! 早くっ!」


 近藤と太田の声に、志摩は一瞬躊躇するも、一方的にやられているジークに耐え兼ね、結界を解除した。


 ―『召喚 黒薔薇』―


 結界が解除されたと同時に、太田典子が黒い茨を放ち、佐藤を拘束する。


 ―『聖鎧召喚』―


 体感で結界が消えたと分かった佐藤は、即座に聖鎧を身に纏い、強引に茨を引き千切った。


 ―『聖剣召――


「させるかっ!『黒の短剣』!」


 素早く佐藤の背後に回り込んだ近藤は懐から黒い短剣を取り出すと、佐藤の影に向かってそれを投擲する。


「これで動け――」


「なにこれ?」


 バキンッ


 何事も無かったように佐藤は地面に刺さった短剣を踏み折った。


「うそっ! ……ッ!」


 驚く近藤に瞬歩で距離を詰め、出現させた聖刀で胴を薙いだ佐藤。しかし、手ごたえは無く、斬った近藤の姿が霧散した。


「あぶなっ!」


二重身ドッペルゲンガー』の能力で自分の位置を入れ替えた近藤。だが、着ている外套が僅かに切れている。少しでも判断が遅れていれば身体が真っ二つになっていた。


「マジで殺す気? 優子っ!」


「邪魔するなら殺すと言った」


「どうやら正気じゃないようね……」


 …


「(『勇者』の能力が通用しない?)」

「(当然さね。天使系の勇者は闇属性への耐性が極めて高い。あの光る武装に打ち勝つにはあれと同等以上の闇の力が必要なのさ。妖精の力を以て、ようやく……ってところかねぇ)」


「(そうね。天使系の能力は他とは次元が違う。優子の能力は当時の剣聖や弓聖に比べて大分劣るけど、それでも私達には十分脅威よ。殆どの魔法は通用しないし、あの武器から身を守るすべも無い。魔術師系の私達には打つ手なしって所ね)」


「(なにを悠長に……)」


 淡々と話す東条に苛つきながら、ガーラは闇の妖精を憑依させるか悩む。『妖精憑依』は強力だが諸刃の剣だ。それを、通用するか分からない状況で発動するのは躊躇われた。



 その時。



 ―『聖炎強化』―


 白炎を纏い、一瞬で佐藤の背後に回り込んだジークは、同時に『エクスカリバー』を一直線に佐藤の頭上から振り下ろした。


 が、佐藤は振り返ることも無く横にずれてその斬撃をいとも簡単に躱してみせた。


(うそだろっ!)


 斬撃が空振りに終わり、エクスカリバーの剣先が地面に刺さる。


 バキッ


「ごふっ」


 佐藤の肘がジークの胸にめり込む。聖鎧を纏った佐藤の肘鉄は、いとも簡単に魔銀製の鎧を破壊してジークの胸に突き刺さった。


 その直後。


 ―『空の短剣』―


 両手全ての指にガラスのような透明の短剣を出現させた近藤美紀。


 それを一斉に佐藤に向けて投擲した。


(見えない短剣、流石にこれは躱せない。悪いけど少し痛い目に……ってマジ?)


 佐藤は迫る短剣に対し、刀を素早く数振りして全て叩き落してしまった。


「美紀……さっきから舐めてる? それともクラスメイトだから殺せないとか甘い事思ってる? まあ、どっちでもいいけど」


 ―『聖弓召喚』―


 佐藤は聖刀を消し、持ち替えるように聖弓を召喚すると、躊躇せずに近藤に向かって至近距離から弓を射った。


「ッ!」


 瞬時に『二重身』を出現させ、その位置と入れ替わり矢を躱す近藤。


 だが……


「『新宮流弓術【改】飛燕』。そっちに殺す気が無くとも私は遠慮しない。邪魔する奴は全て殺す」


「え? ……あがっ」


 あらぬ方向へ飛んでいった矢が反転し、近藤の死角から襲い背中に命中した。



「近藤さん!」


 志摩恭子が倒れた近藤に駆け寄る。すぐさま治療しようと手をかざすが、その腕を佐藤が矢で撃ち抜き吹き飛ばした。


「あ゛ああぁぁぁーーー!」


「アンタはまだ殺さない。先に『鍵』を――』


「おい」


 いつの間にか起き上がっていたジークが佐藤の背後に立っていた。全身に白炎を帯び、佐藤が振り返ると同時に渾身の拳を叩きこむ。


「ぐっ、このっ!」


 致命の傷を与えたはずのジークが復活していることに驚き、一瞬反応が遅れた佐藤優子。振り返った状態ではジークの拳を躱すことも受け流すことも出来ず、脇腹にまともに受けてしまった。


 聖鎧越しにも衝撃が伝わるほど強力な一撃。佐藤は数歩後り、違和感を覚えて拳を受けた箇所を見る。


(まさか……)


 ジークの拳を受けた聖鎧に亀裂が入っていた。その事実に佐藤は目を見開き、顔を上げてジークを改めて見る。



 そこには身に纏う炎の色が、白から青に変わっていくジークの姿があった。



「悪ぃーが、俺は殺す気満々だぜ」

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