第527話 混沌

 赤城香織の実験室を飛び出し、王都上空に浮かんだ『不死の大魔導師モルズメジキ』は、両手を合わせ、禍々しい魔力をその手に集約させていく。



 ―『黒雫ニグスティラ』―



 モルズメジキの合掌した手から一滴の黒い雫がこぼれ、王宮に向かって落ちていった。


「あの小娘には効かぬだろうが、全てが死に絶えた世界で人の身のままどれほど生きられるかな?」


 人は一人では生きていけない。


 自分の他に誰もいなければ、物理的にも生きていくことが非常に困難になる。なにより、人は真の孤独には耐えられない。モルズメジキは夏希以外の全ての人間を葬るつもりだ。


「寿命が尽きるのを待っても良いが、それではつまらんからな。あの生意気な娘が絶望に苦しむ姿もまた一興。まずはこの街からだ」


 黒い雫は城の屋根にぶつかると、みるみる広がって王宮を黒く染めていく。黒いシミに触れた木造部分は腐り、植えられた草花が枯れていった。


 そして、それは城にいる人間にも影響を及ぼした。


 …


 朝になり、城の使用人が動き出す。昨夜は警報が鳴り、部屋から出るなと厳命があったが、今になっても何も音沙汰が無い。せめて上長に状況の確認と指示を仰ぐべく、使用人は自室のドアノブに手を掛ける。


「え?」


 ドアノブを握ったはずの手に感覚が無い。


「あれ?」


 手の肉がズルりと削げ落ち、手の骨が露わになる。


「あひゃぁああ!」


 その後、あっという間に全身の肉が剥がれ落ちた使用人は、ひたすらドアノブを回すだけの骸骨と化した。


 …


 黒い雫は瞬く間に王宮に広がっていき、あらゆる有機物が腐り、生きとし生ける者は骨となって不死者と化していく。



 九条彰から『死霊術師』の能力を授かり、王国の不死者を一手に操っていた男は必死に王宮を駆けていた。


「はぁ はぁ はぁ ……聞いてねぇぞ! なんなんだこれは!」


 自身が制御していたはずの不死者が言うことを聞かない。そればかりか、気づいた時には自身の身体が腐りはじめていた。手の指の肉が徐々に剥がれ落ち、回復薬も効果が無い。


 慌てて城から逃げ出そうと走るも、足の感覚も無くなっていた。


「そ、そんな…………あばぁおわあ」


 足から肉が剥がれ落ち、倒れ込んだと同時に全身の肉が剥がれ、『死霊術師』の男も骨となり不死者の仲間入りとなった。


 …

 

 オブライオン王都。


 既に夜は明けている時間だが、モルズメジキの魔法により王都は夜の様に真っ暗だ。


 目が覚めた住人達も、自分の感覚が狂ったと思い、再び床に就く者。ただ事ではないと窓やドアの隙間から空を見上げる者など様々だが、昨夜の警報は解除されておらず、野外に出る者はいない。


 家の中にいれば安全。そう信じていた住人達は、それがまやかしだったと気づくことになる。しかし、気づいたところで彼らに事態を変えることはできない。



「きゃあああーーー!」


 街を徘徊していた骸骨騎士が突如、民家を襲いはじめた。統制された先程までの軍隊然とした面影は無く、生ある者を憎み、その命を奪うべく、不死者の本能のまま動き出した。


 言うまでもなく、『死霊術師』の男が死んだ所為だ。


 …

 ……

 ………


 実験室。


「大輔、典子、美紀、みんな大丈夫?」


「う、うん」

「ごめん、夏希」

「もう大丈夫」


 夏希は『エクリプス』のメンバー全員の体調を確認すると、すぐに行動に移した。


「みんな、王宮を出るわよ。なんだか悪い予感がする」


「夏希の予感って、ホント外れないから困るよね」


 軽口を叩く『盗賊』近藤美紀。しかし、その表情は笑ってない。先程のモルズメジキを見て恐怖で足が竦んでしまっていた。近藤だけではない、夏希以外の者は、あの姿を見て何も出来なかった。『暗黒騎士』の能力を持つ夏希だけは『不死の大魔導師』が放つ重圧に抵抗できたが、他の者は、モルズメジキを見ただけで金縛りにあったかのように恐怖で動けなかったのだ。


 モルズメジキの姿が消え、ようやく落ち着きを取り戻したメンバー達。



「神聖国セントアリア?」

「どこにあったっけ?」


「ここからだと北北西に真っ直ぐ行くのが距離的に近いけど、ジルトロ共和国に行って魔導列車に乗る方が時間的には早いわね」


「となると、一旦、逆方向の東に向かうってことか」


「そうなるわね」


「でも、地下にあるあの遺跡に日本に帰れる装置ってやつがあるんでしょ?」


 近藤美紀が夏希の提案に疑問をぶつける。日本に帰れるかもしれない装置があるから、自分達は頑張って地下の遺跡を踏破したのだ。それを放って王都から離れるのはチャンスを逃すようでならないのだ。


「転移装置……二人共、九条の言う事が本当だと思う?」


「でも、実際に軍人みたいな現代人を呼んでたじゃん」


「あれは、私達をこの世界に呼んだのと同じ方法だって言ってたでしょ。それに、召喚と転移って似てるようで全く違うのよ」


 近藤の指摘に太田が答える。『召喚士』の能力を持つ太田典子は、完全では無いが、ある程度『召喚』のメカニズムを理解していた。


「詳しくは私も説明できないけど、『召喚』は今いる自分の位置に、契約した者を呼び寄せるだけ。こっちから別の地点に何かを送ることはできない。でも『転移』は二地点を行き来できる。その違い、分かる?」


「分かんない」


「つまり、移動先の座標と出口が必要なのよ。問題は出口。今いる場所から移動先に出口を作るのって、ぶっちゃけ不可能よ? 私達の能力や魔法じゃ絶対無理。私は聖女に会うって夏希の考えに賛成。過去の勇者を地球に帰した方法、つまり、神の力の方が確実かも。夏希に言われて考えてみたけど、九条彰って私も思い出せなかったし……って、美紀。聞いてる?」


 近藤は太田の話の途中から窓の辺りを凝視している。


「な、なにアレ?」


 じわじわと窓枠が黒ずんでくることに気づいた近藤。それを見た夏希は直感で危険を察知する。


「美紀! 離れてっ! あの骨野郎が何かしたんだわ! 話は後! 急いで城を出るわよ!」


「「「りょ、了解!」」」


 …

 ……

 ………


 王都郊外にある廃村。その中にある古びた教会では、A等級冒険者パーティー『クルセイダー』のトマスが見張りに立っていた。


 「なんだ? 王都の方向? 空が……」


 朝日を遮るように黒い雲が発生、太陽を覆い隠し、辺りは夜に逆戻りした。その様子を見て、トマスは慌てて教会の中に入っていく。



 廃教会の中には、オリビアの他にジークとエミュー、ガーラ、バヴィエッダ、志摩恭子とアイシャが合流し、各々休息を取っていた。


 ガーラは王都に向かうと頑なだったが、バヴィエッダに説得され、渋々、ジークの提案でトマス達と合流している。


 この廃教会は教会暗部の隠れ家の一つだ。アリア教会の暗部は大陸中にこのような隠れ家や拠点をいくつも所有し、外部で活動する異端審問官が利用している。且つて、イヴが異端審問官としてオブライオン王都の任務にあたった際にもこの廃教会は一時的な拠点だった。


「おい、ババア。さっき言ってた王都には近づかない方がいいってのはなんだ? 詳しく話せよ」


 休息を取って体調が戻ったガーラは、意味深な発言をして王都行きを引き留めたバヴィエッダに詰め寄る。


「婆さん、それは俺も聞いておきたい」


 ガーラに追従してジークもバヴィエッダに尋ねる。ジークとしては、いきなり志摩恭子を王都に入れる前に偵察するべきだと考えているが、未来を占えるバヴィエッダがすぐに王都に向かわない判断をしたことが気になっていた。


「死が蔓延してる。危ないから暫く近づかない方がいいねぇ~」


「「死が蔓延!?」」


 バンッ


「おい、ジーク! 来てくれ! 外の様子がおかしい!」


 そこへ、外の見張りをしていたトマスが駆け込んで来た。



「それより、ガーラ」


「分かってる。オレの影を踏んだ奴がいる。それも複数」


 ガーラの警戒網に何者かが引っ掛かった。


 その発言に、教会内に緊張が走る。



(『鍵』とやらを追跡してきやがったか……)


 ジークは『エクスカリバー』を手に取り、腰を上げる。


「センセーとアイシャは地下の隠し部屋へ。トマス、エミュー、行くぞ。オリビア、お前も来い」


「なんでアタシが!」


「いいから来い!」



「やれやれ」


「おい、ババア。こいつらのことは?」


「視えなかったねぇ……恐らく異界人さね」


「ちっ」


「気を付けな」


「ババアは?」


「アタシゃ、魔力が戻ってない。ここにいるよ」


「……」


 異世界人が来たというのにバヴィエッダは慌てていない。その先の未来が視えていたのだろう。しかし、そうだとしてもガーラに油断する気は無い。


 …

 ……

 ………


 廃村から約五百メートル程離れた森。


「あれか」


 一人の大男が暗視双眼鏡を構え、木々の合間から廃教会の先端、特徴的なシンボルを見ていた。男は続いて手元の探知機に視線を移す。


「目標はあそこだ。各自、マップは頭に入れてあるな? 衛星画像では建物の中までは分からない。相手の人数は十人前後とのことだが、鵜呑みにするなよ?」


「「「Roger了解!」」」


 地球の米国にある民間軍事会社『エクス・スピア』。その部隊長であるオニール大尉は双眼鏡をしまい、無線機で部隊員達にそう通達する。彼らは九条彰の依頼により志摩恭子の殺害と『鍵』の奪取をするべく廃村に訪れていた。


 地球の最新鋭の装備に身を包み、五人一組の小隊が三つ。廃村に向かって進んで行く。突然夜になったことに部隊は動揺するも、ここが地球ではないと思い直し、夜間装備に切り替えて作戦を続行している。


 その小隊とは別に、一際高い木に登っている二人の傭兵。九条から『狙撃手スナイパー』の能力を授かったサミュエル・ジョンソン軍曹と、もう一人は観測手のケビン伍長だ。

 

観測手スポッターはいらねぇぜ? ケビン、お前は大尉と合流しな」


「え? いや、そういう訳には……」


 狙撃手スナイパー観測手スポッター。二人一組での行動は、狙撃任務において必須である。狙撃に専念している射手に刻一刻と変化する周囲の環境データを観測して伝える役目は狙撃において必要不可欠だ。また、狙撃後の目標を確認するのも重要な役割である。通常、銃の光学照準器スコープは、遠距離であればあるほど視野が狭まり、射撃時には銃の反動で目標を捉え続けることができない。射撃後に、目標に当たったかどうか、着弾は目標のどの部分かを観測する要員がいなければ、狙撃が成功したか撃った人間は確認できないのだ。


 それを当然知っているはずのサミュエル・ジョンソン軍曹、通称サミーは冗談ではなく本気で一人でいいと観測手のケビンに言う。


「こいつを見ろよ」


 サミーの目には十字の照準レティクルが浮かび上がっている。且つての『狙撃手』田中真也と同じものだ。


「なんですか、それ?」


 気味の悪いモノでも見たかのような顔でケビンはサミーの瞳をまじまじと見つめる。


「何度か試したが、こいつで狙ったモノは百発百中だ。面倒な弾道計算も必要無い。見て、撃つだけ。笑っちまうくらいイージーだぜ」


「本当ですか?」


「ああ、こいつが出回るようなことになれば俺達スナイパーは廃業だぜ。お前も一回死んで『能力』とやらを貰えばいい」


「冗談言わないで下さいよ。そんなのゴメンです」


「……まあいい、そういう訳だから俺に観測手はいらない。なんせ、ハズすことはないんだからな。それに距離はたったの550ヤード500メートル。能力が無くてもハズしやしねーよ」


「まあ、軍曹がそう言うなら……しかし、周囲の警戒は――」


 しっ しっ


 サミーは手を振ってケビンの言葉を遮り、早く行けと追い払う。


 ケビンは呆れた顔で、渋々地上に降りはじめた。


 本来、傭兵に階級など無いが、『エクス・スピア』社の傭兵の殆どが米軍出身者で構成され、便宜的に以前の階級が部隊内での上下を決めていた。寄せ集めといえど、部隊行動を取る際は必ず命令系統を明確にしておく必要があり、米軍での序列をそのまま採用する方が効率が良かったからである。


(まったく、イカレてやがる。ハイにでもなってんのか?)


 いくら狙撃が百発百中とはいえ、一人で狙撃にあたるなど油断し過ぎである。しかし、ケビンは不気味な目をして妙にハイテンションのサミーとは一緒に居たく無く、内心ではホッとしている。


 戦場で平常心を失った兵士は早死にする。それを経験上実感していたケビンは、サミーに一抹の不安を感じていたのだ。


 だが……


(巻き添えで死ぬのはゴメンだ)


 …


 カチッ


「大尉、目標の建物から複数の人影を確認。数は五」


 無線のスイッチを押したサミーは、ケビンの心配を他所にプロのスナイパーとしての仕事をこなす。狙撃手の仕事は標的を撃ち殺すだけではない。戦場の動きを観察し、指揮官に情報を伝えるのも重要な仕事の一つだ。


―『標的は確認できるか? それと、見張りの男はどうした?』―


「女が二人。それともう一人はフードで顔は見えませんが、体型からして女でしょう。三人共黒髪じゃなく、標的と特徴は一致しません。標的はいませんね。見張りは建物の中に一旦入りましたが、同じ男が五人の中にいます」


―『標的は建物の中か。見張りを放棄して出てきたということは、我々に感づいたか?』―


「ありえませんよ大尉。衛星も警戒装置も無し。おまけに、見張りは双眼鏡すら持ってないんですよ? いくら原始人でもこの距離にいる俺達に気づけるわけがありませんよ」


―『確かにな。だが、この世界には魔法のようなファンタジーがあるのを忘れるな。いきなり夜になるおかしな天候に、お前の『能力』とやらもそうだろう?』―


「確かにそうですね」


―『狙撃は可能か?』―


「いつでも」


―『では射撃を許可する。こちらに気づいていると仮定して一人撃って足止めしろ。だが、一人だけだ。念の為、女は避けろ。それに、分かっているな?』―


「はいはい。志摩恭子標的を確認するまで殺すな、でしょ? 分かってますって」


―『ならいい。狙撃後は速やかに場所を移動して、引き続き周囲の動きを隊に伝えろ』―


「了解……(ちっ、一人だけか)」



 無線を切ったサミーは、構えた狙撃銃の光学照準器スコープを覗き、廃教会の前で打ち合わせをしているジーク達の中から標的を選ぶ。


 サミーが構えている狙撃銃は、消音器サプレッサーを装着したバレット社のボルトアクション式狙撃銃Barrett MRAD(Mk22)。この新型の狙撃銃は、現場で変更可能な銃身・口径変換機能を持ち、様々な口径に対応することが可能である。サミーの使用する銃は7.62x51mm NATO弾ではなく、より強力な.338ラプア・マグナム弾仕様に変更している。


 .338ラプア・マグナム弾は、1,000メートル までの距離であれば高性能な軍用ボディーアーマーを貫くことができ、最大有効射程は 1,750メートル。優れた狙撃手であれば、2,000メートル以上の狙撃が可能である。


 サミーのいる場所から廃教会まで約五百メートル。能力が無くともプロのスナイパーなら人間大の的を外すことはあり得ない。



(イケメンオヤジに平凡顔か……まあ、どっちをやるかは決まってるよなぁ~)


 サミーはニヤリと笑うと、安全装置を解除して引金を引いた。

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