第514話 演技

 レイは全身に纏わり付いたネズミに至る所を齧られ、露出している顔や頭、手の肉を食い千切られていた。ユマ婆特性の衣服は無傷で済んではいるが、襟元や袖から何十匹も侵入され、腕や胸にまで食らいつかれている。


(蟲に食われた時に比べればまだマシだが……クソッ)


 平気そうに振る舞ってはいるが、レイはリズリーとは違い当然痛みを感じる。鍛錬と経験により苦痛に耐えるすべを身につけているとはいえ、全身あちこちから生ずる激痛には何度この場から離脱しようと思ったか分からない。回復魔法や再生魔法で元に戻ると思えばこそ我慢できた。そうでなければ慌てて振り払っていたところだ。


 ネズミの体長は十センチほどで口も小さいが、強固な歯と噛む力は容易に人の肉を抉り取る。激しい痛みは勿論、ネズミに全身を覆われるというおぞましさは、並の人間が耐えられるものではない。


 レイの特筆すべき点は、その常人離れした精神力だ。幼少の頃から過酷な環境で育ち、飢えや暴力に耐えてきた。生きる為に人を殺め、一歩間違えれば死ぬような鍛錬を二十年以上続け、凄惨な戦場や紛争地域を渡り歩いてきたのだ。敵を殺し、生還するのに下水や汚物の中を這いずり、虫に集られても微動だにせずに待ち伏せる。そんなことが当たり前の男に、ネズミの大軍はおぞましいとは思うものの、平静を失わせるものではない。



「嘘でしょ?」


 リズリーはネズミに覆われ噛みつかれながらも、平然と歩き出した男に目を見開いた。


 ネズミが数匹でも身体に這い回れば、大抵の人間はその場で狂ったようにネズミを振り払おうとのたうち回る。齧られる以前に、ネズミが汚い生き物というのはこの世界でも同じ認識だからだ。人が住む場所にはどの世界でもネズミは必ずいる。有害な病原菌を保有しているなどこの世界の人間に理解されているわけでは無いが、ネズミに噛まれたり、触れた食べ物を食べれば病気になるというのは常識だった。



「くそっ、何が死ねだ。アタシを殺したらどうなるか分かってんの?」


 リズリーは、動揺を隠すように話題を変えてレイの反応を伺った。


「何を言っている?」


「アンタ『女神の使徒』なんでしょ? アタシが死んだら王都の、いや、国中の魔物が暴走すんのよ。そうなれば無関係な人間が大勢死んじゃうよ? そんなこと女神の使徒が――」


「だから? 女神の使徒って言っても、俺は殺し屋として女神に雇われただけだ。お前を殺せば魔物が暴走するなら寧ろ仕事が捗る。大歓迎だ」


「どうだか……っていうか、ここからでも血の臭いがプンプンしてるけど、痛いの我慢してんでしょ~? 素直にゴメンナサイすれば解放してあげてもいいけど?」


「ただのネズミをけしかける程度で勝ち誇られてもな。『魔物使い』っていってもこんなモンか……『女神の使徒』が殺しに来るって知ってる割には、俺のことは詳しく聞いてないようだな。まあ、豚の世話係じゃあ仕方ないか」


「テメェッ! 血まみれの癖に何イキがってんだッ! 魔法も使えず、動きも鈍ってんじゃねーか! 打つ手ねーのに強がりやがって!」


「素が出てるぞ? 打つ手ねーのはお前だろ」


「クソがっ!」

 


 激痛に耐え、レイらしからぬ無駄な会話をしているのは理由がある。だが、それはリズリーも同じだった。リズリーは敷地内にいる豚鬼の反応が無いことが分かると、すぐに切り札を呼び寄せた。会話はあくまでも時間稼ぎ、レイへの反応は半分は素だが、もう半分は演技だ。


 口調が荒ぶるも、リズリーは冷静だった。レイの指摘どおり、リズリーもまた、若返った歴戦の強者の一人だ。能力を得て増長してはいても、命のやり取りに油断はしない。勇者から警告されていた相手なら尚更だった。



 リズリーが待っているのは、王都の建設事業に使用することを条件に、勇者に与えられた魔獣だ。その特性により、むやみに使用すると王都が崩壊する危険を指摘され、使役する際には勇者の許可が必要だった。しかし、相手が女神の使徒なら無断使用も致し方無い。リズリーが使役している魔獣は施設にいるだけでなく王都中にいるが、目の前の男を確実に仕留めるには最も強い魔獣をぶつけるのが確実だとリズリーは判断した。


 その魔獣は、静かに地下を掘り進み、レイの真下に到達する。


(来たっ! 死ね! 女神の使徒ッ!)


 ガラッ


 レイの足元の床が突如抜け落ち、ネズミ諸共、レイは地面に開いた穴に落下した。その先には巨大な魔獣が口を大きく開けてレイを丸ごと飲み込んだ。


「キャハハハ! はい、終〜了〜 余裕ぶってカッコつけてたとこゴメンねぇ~ 泣き喚く顔が見れなかったのは残念だったけど、まあ仕方ないわね」


 砂死蟲サンドデスワーム。本来は砂漠地帯に生息する手足の無いミミズのような魔獣だ。その大きさは幼体でも大蛇程もあり、成体ともなれば竜よりも巨大になる。光を嫌い、地中に生息していることから滅多に姿を現さ無いが、一度地上に現れれば遭遇する人や魔物は巨大な口で一飲みされ、生還出来た者は殆どいない。


 竜よりも巨大なミミズ。砂死蟲が通った穴は地盤沈下を誘発するとして、王都での使役は慎重を要した。都市工事の一環として勇者が捕獲した魔獣だが、解放されれば街が崩壊する危険な魔獣だ。



 レイは砂死蟲の掘った穴に落下すると同時に、その巨大な魔獣に食われた。砂死蟲は、口腔内と体内に無数の牙のような歯がびっしり生えており、飲み込まれた獲物はすり潰され、強力な酸によって溶かされながら腹の奥へと運ばれる。


 しかし…… 


 ボンッ


 くぐもった破裂音が地下で鳴る。


 ズバンッ


 ズシュッ


 レイは腰につけた破片手榴弾を砂死蟲の腹の奥底へと投げた。爆発の衝撃で魔獣の動きが止まったところへ、黒刀を振るって周囲を斬り裂き、魔獣を輪切りにして脱出した。

 

 カランッ


 部屋に開いた穴から金属筒が投げ出される。


 パンッ!


 その金属筒は破裂したと同時に大音量の爆音と眩い閃光を発し、リズリーの視覚と聴覚を麻痺させた。レイが投げた閃光手榴弾だ。


「初めて生き物に丸呑みされたが、気分がいいモンじゃないな」


 穴から這い上がって来たレイは、黒刀を両手で保持してリズリーの無事な方の腕を斬り飛ばした。無数のネズミに齧られ、欠損には至っていないものの、指が何本も機能していない。両手共、力が殆ど入らない状態だが、『魔刃メルギド』の斬れ味があれば、人の身体を切断するのは刀を落としてやるだけでいい。


 眩い閃光で視覚が失われ、爆音で聴覚が麻痺したリズリーは、体を丸めてその場に蹲ったままだ。痛みを感じない体質の所為で腕を斬り飛ばされても、何が起こったかまだ気づいていない。


「感覚が戻るまでもうちょい掛かるか……」


 レイは黒刀を斬り飛ばした手に握る『魔封の魔導具』に突き刺して壊すと、再生魔法を施し傷の修復に入った。身体中をネズミに齧られ、砂死蟲に飲み込まれた際に浴びた酸と無数の牙によって顔や頭は見るも無残な姿だ。痛みも相応に激しく、一刻も早く治療したかった。


(ふぅー ……さて、次はどう出る? できれば逃げて欲しいもんだが)



 人間を豚鬼の餌にしていた女を生かしておくつもりはレイには毛頭無い。レイがその気なら、とうに銃でリズリーの眉間を撃ち抜いている。しかし、即座に殺さない理由が二つあった。


『魔物使い』の女を殺せば使役していた魔獣が解放される。女を殺す前にレイはこの場にできるだけ多くの魔獣をおびき寄せて始末しておきたかった。王都が混乱すれば仕事がやりやすくなるのは事実だが、標的を殺す為に無関係の人間を巻き込むのはレイの本意ではない。


 もう一つの理由は、女を逃がして勇者の元へ案内させる為だ。女を逃げ出すように仕向け、能力を与えたであろう人物、九条彰の居場所を突き止めたかった。


(この女を追い詰めれば、必ず九条の元へ行く。他の勇者は今は邪魔だ。九条を先に殺せれば後はいくらでも時間を掛けて始末できるからな。……逃げないならこの女に用は無い。自分のしてきたことを後悔させながら殺してやる)



「あ……う」


 感覚が戻ってきたのか、リズリーの目の焦点が目の前のレイに合ってくる。


「いくら痛覚が無くとも、血が失われる感覚はあるはずだ。その腕、放っておけば死ぬぞ?」


「はっ! く、薬っ!」


 リズリーは切断された腕を見て、慌てて腰のポーチに目を落とす。


「探し物はコレか? だがもう無い。ゆっくり死ねばいい」


 レイは薬の入っていた小瓶をリズリーの目の前で振って見せる。再生魔法を施した後、リズリーのポーチから抜き取っていたモノで、中身は捨ててあり空だ。あたかもレイが飲んで傷を回復させたように振舞った。


「お前ぇぇぇーーー!」


「どの道、両腕が無きゃ薬も魔導具も使えん。もっと切り札的なモノは無いのか? さっきのデカいミミズがそうじゃないだろう? それとも、もういないのか? ならゴメンナサイしてみるか? ……まあ、しても殺すけどな」


 余裕の表情で煽るレイ。


 ダッ


 踵を返してリズリーは突如走り出した。激高したかに見えたリズリーだが、瞬時に逃走を選んだ。口悪く叫んだのは意表を突く為だったのだろう。痛みを感じない体質のおかげか、痛みで思考がブレず、冷静な判断だ。


 しかし、レイがわざと部屋の出口と反対に立っていたことにリズリーは気づいていない。



「……ん?」


 リズリーの後を追おうとしたレイの視界に、ベッドに横たわるザックとオーレンの姿が入る。二人共裸で縛られているが、勃起している。


「この状況で……理解できんな」


 レイはそう言って首を振る。残念ながら二人が薬によって勃起させられた場面をレイは見ていない。女と違い、男はその気が無ければ性交は無理だ。魔物相手によく欲情できるものだと呆れるが、だからこそ、ここに連れて来られたのかもと思い至る。


「変態など構ってられるか」


 因みに、草原でレイは二人を目にしている。しかし、二人共当時は全身鎧を着ていた上に、目立つような行動もしておらず、レイの印象は薄かった。それに、ザックに至っては若返っており容姿が異なる。レイが気付かないのも無理は無かった。


 レイは二人を放置し、リズリーの後を追った。



「「ん゛ーーー!」」

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