第515話 謎の男
「静かねー」
「はい」
リディーナはイヴとオブライオン王都上空にいる。
今は深夜。レイが奴隷商を出てから数時間が経っていたが、イヴは責任を感じて、休息を取るも眠ることが出来なかった。それを見かねたリディーナが気分転換に外の空気を吸わせようと連れ出したのだ。
イヴはリディーナに抱えられ、夜空に浮かぶ星を一緒に見上げている。眼下にある王都では骸骨騎士が街中を巡回し、不気味な雰囲気に包まれているが、二人のいる高度は地上から約三千メートル。王都の禍々しさは全く感じられない。
「寒くない?」
「平気です。ですが、その、恥ずかしいというかなんと言うか……」
リディーナは子供を抱っこするようにイヴを抱き、お互いの顔が非常に近い。リディーナの美しい顔が間近にあり、イヴの動悸が激しくなる。
「もう自分で飛べますから」
「フフッ だーめ」
イヴは魔力回復薬を飲んで多少は魔力が回復している。飛翔魔法で空に浮かぶぐらいはなんでもない。しかし、リディーナはイヴを離す気はないようだ。
高度三千メートル上空に生身でいれば、普通なら平静ではいられない。しかし、自ら空を自由に飛べる事と、夜間で地上の景色がはっきり見えないこともあり、二人は落ち着いている。レイからは高高度の飛翔は危険だと警告されてはいるが、風の妖精と契約しているリディーナが限界を超えることはない。
「私達がいた街があんなに小さい。こうして見ると、私達、人なんてほんとちっぽけな存在って思えるわね。悩んでるのが馬鹿らしくなるわ」
「悩み……リディーナ様にもあるのですか?」
「あら、失礼ね。私にだってあるわよ? レイの寿命ってどれぐらいなのかとか、レイとの間に赤ちゃんは出来るのかとか、女神様の依頼が終わったらレイはどうするのかとか……」
プッ
「あ、笑ったわね〜」
「すみません、レイ様のことばかりだったもので」
「それはそうよ。今まで生きてきて特にやりたいことも無ければ、目標も無かった。国から逃げるように、ただ生きてきただけ。勿論、冒険者をしてたから色々あったけど、心を動かされるような事は殆ど無かったわ。それが、レイと出会ってから驚くことばかり。この景色だって、レイと出会わなければ見れなかったはずよ」
「まさか、空を飛べるようになるなんて夢にも思ってなかったです」
「でしょ? でも、当の本人はそんな事より、私達にとっては何でもない事で驚いたり夢中になったりしてるのよ? なんだか可笑しいわ」
「確かにそうですね。冷静沈着、戦神のようにお強い方ですが、何でもない景色や街での散策では子供のような表情をされることもありますね。意外です」
「今回の件が終わったら、レイにはもっと色んな所を見せてあげたいわ。勿論、あなたも一緒にね」
「リディーナ様……」
「私はずっと一人だった。他人に対して警戒ばかりで信用なんてしたこと無かった。でも、レイと出会って、あなたと会った。信頼できる人と一緒にいれることは何より幸せなことだと知ったわ。普通はそれが家族だったりするんだろうけど、義理の両親とは実感できなかった。すごく良くしてくれたし感謝してるけど、なんか違和感あったのよね。似てないし」
「えぇ……」
「イヴ、あなたはどうなの?」
「私もお二人は大事な存在です。リディーナ様も知ってのとおり、私は捨て子でしたし、リディーナのお気持ちと同じです」
「なら、お互い死なないようにしなきゃね。生き残れば次がある、そう言ってる本人は後先考えてないけどっ!」
「それは、レイ様のことですか?」
「そうよ! 色々考えてる割には、自分の命は勘定に入ってないんだから! いつも自分の身体を後回しにして無茶な事……本人は何とも思ってないみたいけど、見てる方は堪らないわ!」
「そうですね」
「心配するのは一人で十分。あなたまで私に心配させないでよ?」
「はい。申し訳ありませんでした。次はご心配をお掛けしないよう、きちんと仕留めます」
「んもう! 分かってないでしょー?」
「フフッ 冗談です。もう無謀な事はしません」
「むー ……プッ」
「ウフフッ」
…
「さ、そろそろ帰るわよ。レイも帰ってきてるだろうし、今夜は久しぶりに三人で寝ましょう」
「はい!」
「おやおや、こりゃまたえらいベッピンさん達じゃのう」
「「ッ!」」
帰ろうとする二人に突然、声が掛けられる。
先程までの空気が一変、リディーナとイヴの警戒レベルが跳ね上がった。今まで決して警戒していなかった訳ではない。だが、ここは高度三千メートル上空。二人の周囲には何も無い。誰かが近づけばすぐに分かるはずだった。それにも関わらず、声を掛けてきた男はリディーナとイヴに気づかれることも無く、突然現れた。
男は地味な外套をゆったりとなびかせ、深く被ったフードで顔はよく見えない。言葉遣いとは裏腹に声は若いが、若者とは思えない雰囲気を漂わせている。
「「……勇者?」」
「勇者か。そうとも言えるし、違うとも言える。まあ、どちらでもいいじゃろ」
リディーナは素早く転進して地上へ急降下する。レイからの警告どおり、未知の敵に対し空中での戦闘は避けたいということもあるが、リディーナの勘が全力で逃げろと警鐘を鳴らしていたからだ。
「リディーナ様、私を放してください!」
「今はダメ!」
「くっ」
リディーナは建物の屋根に降り立つと、身体強化を施すと同時に魔力を練って臨戦態勢のまま逃走ルートを探す。自分達が見つけられたのか、それとも追跡されていたのかが分かるまでは、真っ直ぐに拠点の奴隷商に帰るわけにはいかない。
「すぐに地上に降りたのは褒めてやるぞ?」
「「なっ!」」
気づけば、リディーナ達のすぐそばに男がいた。
「まあ、慌てるでない。偶々見かけたもんでな。『女神の使徒』の連れがどんなものか様子を見に来ただけじゃ。命を取りに来たわけではない……が、少し手合わせしようか」
男はそう言って、人差し指をリディーナに向け、煽るように動かす。まるでかかってこいと言わんばかりだ。
「「……」」
「さっさと娘を下ろして剣を抜け。腕を見てやる」
―『風刃』―
リディーナは無詠唱で『風刃』を放つ。至近距離からの見えない刃。しかも今は夜。予め来ると分かっていても回避することは困難だ。しかし……
「おっと、危ないのう。……無詠唱、しかも魔法を発動する溜めも無い。魔法は一流じゃな。じゃが、ワシが見たいのは魔法ではなく剣の腕でな。悪いが魔法は禁止じゃ」
リディーナの咄嗟に放った『風刃』を易々と避け、男はポケットに手を入れて『魔封の魔導具』を起動させる。
「ほれ、かかってこい。心配しなくても殺しはせん」
イヴを連れたままでは逃げられないと判断したリディーナは、イヴを下ろして細剣を抜く。
「イヴ、下がってなさい」
「……」
リディーナの言葉に無言で従うイヴ。男の只者ではない佇まいに、自分が加勢してもリディーナの足手纏いにしかならないのをすぐに察した。せめて、男を鑑定だけでもしたかったが、魔力を封じられては『鑑定の魔眼』は発動できない。それ以前に、男はイヴの目を見ようとしない。無視しているというより、不自然なほど目を合わせないようにしている。
「青髪の娘。『魔眼』を持つ聖女じゃな? お主は後じゃ」
「何故それを……」
「だから後じゃと言っておろう。まずはエルフのお主じゃ。『光剣』は使えるのか?」
「光剣?」
「なんじゃ、つまらんのう。使えるのなら結界を解除してやってもよかったが、
男は腰にあった何の変哲もない、衛兵が持つような数打ちの鉄製の長剣を抜いた。
リディーナの持つ細剣は純魔銀製だが、魔力を流して使うことを前提にしており、硬度は鋼に劣る。魔力を封じられた結界内では武器の素材による差は無いが、リディーナの細剣はメルギドの名匠が鍛えた世界最高峰の業物だ。大量生産品とは刃物としての性能に雲泥の差がある。腕があれば、ある程度の硬度差は無視できる。
「ほう……」
細剣を半身で構え、ピタリと静止したリディーナの佇まいに、男は感心の声を上げる。
「魔法主体と思って正直期待はしてなかったが、少しは齧ってるようじゃな」
リディーナは表情に出さずも、内心は焦っていた。目の前の男は長剣をだらりと下ろして立っているだけだが、隙が全く見当たらないからだ。無詠唱の『風刃』を避けられたことといい、迂闊に斬りつけることは出来なかった。
「かかってこんのか? ならば、こちらから行くぞッ!」
そう言って、男は予備動作も無く前に踏み出し、同時に下げていた剣を振り上げる。狙いはリディーナの細剣だ。
リディーナは振り上げられた長剣を『霞』でいなし、そのまま男の首に刺突を放った。
「甘い」
男は肘を上げて細剣の腹を小突き、いとも簡単に軌道をずらし、刺突を避ける。
(嘘でしょ?)
「いなして当然ってツラじゃったが、躱された場合の対処がザルじゃな。……ほれ」
リディーナの太ももに長剣の腹が当たっている。その気なら斬っていたと言わんばかりだ。
「我流なら大した才能じゃが、学んだモノなら詰めが甘いのぅ……無論、教えた奴のな」
「馬鹿にしてッ!」
リディーナは刺突を繰り出し、更に連撃を放つ。魔法を封じられ、身体強化を施していないにも関わらず、尋常ではない速さだ。しかし、その高速の剣を男は難なく躱し続ける。
「ふむ。見込みはある。じゃが、エルフ族は見た目じゃ歳は分からんからのぅ。何百年も掛けてこの程度ならがっかりじゃが、まだ若いのなら鍛え甲斐がある……どうだ? ワシの元に来んか? 今より強くしてやるぞ?」
「誰がっ!」
「行くかっ!」
「このっ!」
リディーナの細剣が虚しく空を切る。
「あー だめじゃだめじゃ。攻撃が杜撰になっとる。足元もお留守だ」
男は細剣を躱しながらも、視線を動かす事無く足払いでリディーナの出足を払った。
「あうっ」
バランスを崩したリディーナは盛大に転ぶ。
「なっとらんのぅ。やはり、こっちはダメじゃな。戦乱が二百年もなければ武の歩みが止まるのも必然か……」
コロンッ
「ん?」
ドォンッ
男の後ろで突如爆発が起こる。いくらバランスを崩したといえ、リディーナが転ぶことはない。それに、足払いなど訓練で何度もレイに食らっている。男の注意を逸らす為にわざと派手に転び、その隙に破片手榴弾を転がしていたのだ。
手榴弾の破片と爆風を至近距離で浴び、男が吹き飛ぶ。
強固な鎧や現代の防爆スーツは、爆発で飛散する破片は防げても、爆発によって生じる衝撃波は防げない。
そう、普通の防具ならば……
「ふぅ……今のは意表を突かれた。まさか、手榴弾とはの。中々良い攻めだ。じゃが、無粋だな」
男の外套とフードの下から光が漏れる。
「まさか……」
「『
ドドドドドドドドドドドドドドドドッ
『魔封の結界』の射程外から機関銃のけたたましい音が鳴り響いた。
イヴの魔導機関銃だ。
魔導銃の発射方式は魔力に依るものだが、発射された弾丸は物理的なものだ。魔法と魔力が霧散する結界内でも、弾丸と運動エネルギーは消失しない。
イヴは『魔封の結界』が展開された後、二人の様子をただ見ていたわけではない。リディーナの援護をする為、密かに準備をしていた。魔導銃の発射に必要な魔力は魔導具の灯りを付けるよりも少ない。魔力が減っている今のイヴでも十分起動できる。
「ちぃ!」
7.62mm相当のライフル弾が雨のように男に降り注ぐ。『聖鎧』によって弾丸は弾かれるものの、男は露出している顔を守るように腕を上げ、射線から逃れようと走り出した。
ドドドドドドドドドドドドドドドドッ
男を追尾するように銃口を動かし、銃撃を続けるイヴ。
毎分800発以上の連射速度を持つ魔導機関銃。200連の弾倉は十数秒で撃ち尽くされた。だが、イヴは弾倉を交換することをせず、弾薬が装填された新たな魔導機関銃を魔法の鞄から取り出し、射撃を続ける。
「ぬぅ、まだあるのか」
弾が切れた銃を捨て、次々に他の銃と交換するイヴに接近する隙は無い。
バキンッ
「ッ!」
男が手に持つ長剣が半ばで砕けた。
「狙撃?」
気づけばリディーナの姿が消えている。
「エルフがいない……まさか……」
ビシッ
上げていた腕の肘の裏、聖鎧の隙間から鮮血が散る。
「ぐぬっ」
肘裏を撃ち抜かれ、男の腕がだらりと下がった。そこへ、イヴの連射が集中する。
「ちっ、ぬかったわッ! ―『土煙』―」
男は『魔封の魔導具』を切り、土魔法を発動して姿を覆い隠した。
ドォーーン!
その土煙にリディーナが雷魔法の『落雷』を間髪入れずに打ち込む。
土煙が生じたと同時に男の気配が消えた。それに気づき、慌てて魔法を放ったリディーナだったが、手ごたえは無く、間に合わなかった。
「ふぅーーー 久しぶりに度肝を抜かれたわい。見たことの無い銃だが、銃をそこまで使いこなしているとはのぅ」
男の声がリディーナの真裏から聞こえる。
背後を一瞬で取られ、リディーナは魔導狙撃銃を持ったまま動くことが出来なかった。
「戦闘は楽しめそうじゃが、ワシの求めるモノとは少し趣が異なる。タカシに伝えておけ。無粋な真似はするなとな」
「タカシ……?」
そうリディーナが呟くも、男の気配は消えていた。
同時にリディーナの全身からどっと汗が噴き出す。今生きているのは男にその気が無かったからだ。他人に命を握られた状況から解放され、身体が無意識に弛緩した。
…
(リディーナ様……?)
土煙を挟んで反対側にいるイヴからはリディーナの様子が見えない。落雷の後から動きは無いように見える。魔導機関銃の引き金に指を当てたまま、イヴは周囲に目を光らせる。
「小娘」
「ッ!」
今度はイヴの背後に男が現れる。
「お主は殺さんと約束してるがの、聖と魔の性質が互いに邪魔しておるのは見るに堪えん……今楽にしてやる」
男はイヴが振り返るよりも先に、その背中に掌底を放った。
「がふっ!」
イヴは血を吐き倒れ、その場で痙攣した後、徐々に呼吸が浅くなっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます