第493話 戦場①

 フォーレスの街から街道を馬車で真っ直ぐ進めば、オブライオン王都までは野営込みで三日の距離だ。基本的には徒歩で向かう予定のジーク達は、街道を使ってもおよそ三倍の時間が掛かる。しかし、ジーク達は街道を迂回し、道なき道を進む為、どれくらいの時間が掛かるか分からない。


 それに、魔物に襲われれば、当然時間は更に取られる。


 ジーク達一行は、街道を外れて早々、草原で魔獣の群れに襲われていた。


「ちっ! また魔物か!」

「今度はなんだ? 街を出たばかりだぞ!」

「黒い……大狼?」


「ただの大狼じゃない、見ろ!」


 一行の最後尾にいるジークは、同じく殿に立つ『クルセイダー』のメンバー二人に叫ぶ。襲ってきた魔獣は大狼より一回り小さいが、その黒い狼には首輪をはじめ、頭や背中に武骨な鉄の装具が装着されていた。


「豚鬼と同じだ!」


 首輪を着けているということは、飼われている魔物、もしくは『勇者』に使役されていたとみて間違いない。だが、襲ってきた狼は、先日の魔狼フェンリルとは違う動きを見せていた。


 黒い狼『猟狼ハウンドウルフ』は、馬に乗ったジーク達を囲んで吠え立てるものの、攻撃してくる様子はない。まるで、どこかに誘導しているかのように、一行を追い立てていた。



「はっ!」


 ギャンッ


 馬上から、猟狼を斬り捨てる『クルセイダー』のメンバー。狼の数はそれほど多くない。馬上でも剣の間合いに入れば斬り捨てることは容易だった。しかし、狂暴な魔獣に牙を剥き出しにして吠えられ、騎乗している馬が怯えはじめた。


「くそっ、馬が言う事を聞かねぇ! なんとか森に……」


 視界の端に森が見えたジークは、何とか馬を森へ向ける。


 魔獣に追われて森に入るという選択は普通はしない。その森を熟知していれば別だが、知らない森で馬を全速で走らせるなど自殺行為だ。馬で走りながら排除が可能な相手に、態々自らの機動力を落としてまで逃げ込む必要は無い。しかし、この狼は明らかに使役され、ジーク達を誘導している。このまま草原を進むことは危険だった。


 ギャヒンッ!

 キャンッ!

 グギャッ!


 猟狼達の真下から影が伸び、鋭利な刺突となって狼を貫く。


「どう、どうっー! これくらいで怯えやがって。これだから平地の馬は……」 


 ガーラは一瞬で猟狼を掃討し、手綱を引いて馬を落ち着かせる。他の者も続いて馬を制し、森へ進路を向けた。草原の先には魔獣の飼い主が待ち受けている、そう誰もが察していたからだ。


 …

 ……

 ………


「遅いな」


「閣下、放った猟狼の戻りが遅いということは、もしかしたら排除されたかもしれません。本隊を動かした方が良いのでは?」


「うむ。所詮は魔獣か……使えんな。宜しい、全軍前進せよっ!」


「ではそのように」


「相手は手練れと聞いているが、所詮は冒険者だ。これほどの大部隊を投入しているからには失敗は許されん。いや、戦力差は関係無いな。なんであろうと失敗などあの方々が許されるはずがない」


「仰るとおりで」


「わかっておるなら、さっさと部隊を動かせ! 『鍵』は森に入ったぞ? 必ず確保するんだ」


「承知しました」


 草原の先には、武装した豚鬼の大部隊が待ち構えていた。それを率いているのは『鍵』の探知機を手に持ったザック・モーデル元宰相と、元オブライオン王国第二騎士団団長オーレン・ダイムだ。


 オーレンは、ザックの命令に従い、手を振って豚鬼に指示を出す。すると、豚鬼の軍勢は隊列を維持したまま歩き出した。


 豚鬼の軍勢は約五千。ザックの言うように、十名に満たない冒険者を相手に過剰過ぎる戦力だ。これで失敗しましたなどと、彼らの主に報告できる訳がない。


「敵が森に入ったなら、豚鬼だけでは取り逃がす恐れがありますが……」


「何を言っている? 相手は十人もおらんのだぞ? ……いや、待て。敵が少数だからこそ見逃す恐れもあるかもしれん。不本意だが『親衛隊』に豚鬼共を指揮させろ」


「親衛隊に……宜しいのですか?」


「今回の作戦は儂に一任されておる。で、あれば、全ての結果は儂のものだ。親衛隊の手柄は儂の手柄だ。違うか?」


「仰るとおりかと」


「なら、さっさと指示を出せ」


「はっ」


(この任務を完遂すれば、儂にも褒美が……)


 ザック・モーデルは、若き国王ウェインを見限り、勇者達に降った。しかし、勇者に恭順を示した他の貴族と違い、若返りの褒美は貰えなかった。


 ザックは宰相という立場でありながら、他の貴族を差し置いて一早く勇者達に恭順を示したものの、勇者達からは小間使いとして扱われていた。理由は言うまでも無く、勇者達をこの世界へ召喚し、不遇な目に遭わせた一員と思われていたからだ。


 不遇な扱いを打破する為、また、他の貴族のように若返りの褒美を貰うべく、ザックは自ら手を上げ、『鍵』の奪還任務に志願した。



 そのザックを内心で見下しているオーレン・ダイム。彼の指揮していた騎士団はもう無い。王国の騎士団は全て解体、再編され、オーレンのような指揮官は豚鬼兵の指揮と管理を任された。


 騎士団を取り上げられ、醜い豚鬼を押し付けられたと思っているオーレンは、今の処遇に不満だった。だが、それを表に出すことは出来ない。


(ふん。いつまで宰相気取りだ? 用兵に関して素人に何が出来る? 偉そうに指揮官ぶりやがって。何が使えんな、だ。貴重な追跡用の魔獣が無駄になったぞ? 任務が成功するのは決まっている。問題は内容だ。少数の冒険者相手に損耗が多ければ逆に処罰の対象になるのが分かっていないのか? ……まあいい。本人が言うように、全ての責任はこのジジイにある。それに、『親衛隊』が黙って手柄を渡すとは思えん。なんせ、奴等は……)


 …

 ……

 ………


 はあ…… はあ…… はあ……


 森に入ったジーク達は、馬を捨てて森を走っていた。


「まさか、あんな大軍とはなっ!」


 ジークは、草原の淵から現れた豚鬼の大軍を目にし、急いで一行を走らせた。馬を捨てたのは、森の中で無理に馬を走らせれば、馬が転倒して落馬する危険があるからだ。獣道すらない入り組んだ森では人の足で走った方が圧倒的に早い。



 流石のガーラも数千を超える軍勢を相手にはできないのか、豚鬼の大軍を見て、志摩達を先導するように、前を走っている。


「ババア、平気か?」


「年寄りにはキツいさね」


 そう言いながらも、バヴィエッダは軽快に走っている。心配が必要なのは志摩恭子の方だ。


「はあ はあ はあ ……も、もう駄目……です……息が……」


 現代日本で特に鍛えてもいない志摩が、冒険者の走るペースを維持できるわけがない。ましてや、足元の悪い道なき森だ。すぐに息が切れ、足が止まる。


「ちっ この程度で……おい、小娘! センセーを背負ってやれ」


「え? 私? いや、でも……」


 ガーラに言われたエミューは目を丸くする。志摩を背負わなくては移動できないのは分かるが、エミューと志摩では体格差があった。背負うなら他の男のメンバーの方がいいとエミューは振り返る。


 しかし、ジークと二人のメンバーは殿を務めて遥か後方におり、その姿は見えない。


「ジーーーク!」


「バカかお前は! 何、大声出してんだ! さっさとやれ!」


「ううぅ! センセー、私の背中に乗って下さい。あんまり身体強化は得意じゃないけど……」


「え、でも……」


 エミューの小柄な体を前に、躊躇する志摩恭子。この世界の戦士は魔力により肉体を強化できると知っている志摩だったが、中学生のような子供におぶってもらうなど気が引けるどころではない。


「おい、センセー早くしろ。死にたいのか?」


 緊迫した状況の中、戸惑って時間を無駄にする志摩にガーラは語気を強める。


「いや、でも……」


「苛つく女だ」


「え?」


 志摩恭子が足元の影に沈んでいく。あっという間に頭まで沈み、まるでそこに誰もいなかったかのように、志摩の姿が消えた。


「セ、センセーっ!」


「小娘、お前はオレ達と一緒に来い」


「わ、私はジークのとこに……」


「なら、お前も暫く中で大人しくしてろ」


「へ?」


 ガーラから後退るエミューも自身の影に沈み、その姿が消えた。


「行くぞ、ババア」


「……」


「どうした?」


「娘っ子と派手な世話役の女がいないさね」


「……ちっ」


 …


 一方、背中にアイシャを背負ったオリビアは、ひたすら森を走っていた。


「ヤバイ……はぐれた」


「お姉ちゃん……」


「し、心配すんなアイシャ。アンタだけは絶対、私が守るから」


(とは言っても、何なの、この森の雰囲気は? それに、他の連中とはぐれたことにも気づかないなんて……)


 B等級冒険者のオリビアも、数千の軍勢に追われることなど経験がない。姿は見えずとも、それが発する気配や殺気は尋常ではなく、無意識に重圧を感じたオリビアの感覚が狂うのは仕方の無いことだった。


 この世界の殆どの者が体験したことの無い状況。


 ……それが戦場の空気だ。



 実際の戦場を知らない者は、銃で撃ち合い、砲弾が飛び交う光景だけをイメージするだろう。確かにそれも一部では正しい。だが、それだけだ。殺意を持った人間、それも大勢の人間が作り出す空気は。映像などでは決して分からない。その空気の中では、自分を正常に保つことは非常に困難だ。初めて戦場の空気に触れた者は、雰囲気にのまれて怯えるか、己を奮い立たせる為に誤魔化そうと虚勢を張る。


 戦場でまともな行動を取れるのは、反復訓練で動きを体に染み込ませた者だけだ。軍隊で理不尽とも思える命令に従うよう訓練するのも、戦場という非日常的な状況の中で、兵士に適切な行動を取らせる為だ。


 初めての戦場においても、指揮官の命令に従い、訓練どおりの行動を取れば、少なくとも己のミスによって死ぬことはない。しかし、訓練の練度が低ければ、戦場の空気にのまれた兵士は簡単に己を失い、自滅する。


 皆と同じ方向に逃げていたはずのオリビアが、いつの間にかはぐれていたのは、オリビアだけでなく全員が視野狭窄に陥っていたからだ。冷静なようでも少しの隙でお互いを見失うほど、戦場の空気とは無意識に精神と肉体を蝕む。


 対魔物、対人では百戦錬磨の者達でも、想定外の状況に陥ればその空気にのまれることはある。大軍に追われる経験をした者など殆どいないのだから当然だ。実際の戦場でも歴戦の兵士が予期せぬ状況に思考が停止したり、パニックに陥ることは珍しいことではない。


 …


「くそっ、なんだこいつ……小鬼ゴブリン?」


 一行の殿を務めていたジークと『クルセイダー』のメンバー二人の背後から忍び寄って来たのは複数の小鬼だった。小鬼は迷彩色の衣服に身を包み、黒い短剣を所持してジーク達を追跡していた。


「こいつ等も使役されてるってことかよっ!」


 追跡して来る小鬼に対し、『クルセイダー』の巨漢、マルコスが足を止め、大盾を捨てて大剣を両手で構えた。


「マルコーーース!」


「先に行け! 俺が奴らの足を止める!」



「くっ! ……先に行ってるぜ、マルコス」

「……頼んだ」


「ああ、エミューには宜しく言っておいてくれ」


 お互い、これが今生の別れと察するも、それ以上、言葉を交わす事無くジークともう一人のメンバーはマルコスを残してその場を後にした。長年連れ添った仲間であろうと、緊迫した状況において、感傷で時間を無駄にする愚かさを知っているのだ。


 小鬼は冒険者からすれば、武器を持っていようとなんてことは無い魔物だ。体格は子供ほどしかなく、膂力も人間の大人の方が強い。大して素早いわけでもなく、連携することもない。野生化した子供となんら変わりない貧弱な魔物と言える。


 しかし、ジーク達を追跡してきた小鬼は連携を取っていた。まるで訓練を受けた斥候のように、巧みに身を隠しながら距離を詰めてきている。その特殊な行動に、小鬼だからといって油断するようではA等級にはなれていない。


 それに、本当の脅威はその後方にある。小鬼の来た方向からは、豚鬼の軍勢の足音が地鳴りのように響いてきていた。ここで足を止めれば蹂躙されるのは目に見えており、僅かな時間すら稼ぐことはできないかもしれない。


 それでも、マルコスは足を止めた。人一倍大きな体躯に全身鎧を纏った身では、ジーク達の足についていくことはできない。どうせ追いつかれるなら、息が上がり体力が尽きる前に全力で戦った方がマシという判断だ。



「かかってきやがれ魔物共! 一匹でも多く道連れにしてやる!」

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