第494話 戦場②

「お姉ちゃんっ!」


「え? 子供? いや、小鬼……なの? 何よあれ!」


 アイシャを背負ったオリビアの背後に、どこから現れたのか、迷彩服を着て黒い短剣を手にした小鬼が複数迫っていた。


 その見慣れぬ姿に驚き、一瞬走る速度が落ちるオリビア。この世界の魔物は人型であっても衣服を着ていることはない。オリビアが服を着た小鬼を子供と疑うのも無理はなかった。


 そもそも、オリビアは潜入やスパイ工作が専門だ。冒険者として野外活動の基礎はあるが、魔物討伐専門の冒険者に比べて魔物の知識は浅かった。


 しかし、戸惑いは一瞬だ。すぐに状況を把握し、アイシャを背負いながら片手で剣を抜いて小鬼の襲撃に備える。B等級冒険者として単独で活動してきたのは伊達では無い。小鬼が武器を手にしている程度では、同数以上の野盗が相手でも意に介さないオリビアの敵ではなかった。


 オリビアが走る速度を緩めると、小鬼達がオリビアを囲む。魔物の本能のままに行動する通常の小鬼であったなら、そのような行動はせず、オリビアを見つけた途端に襲い掛かっていただろう。そうであれば、子供一人背負っていてもオリビアなら簡単に対処できた。


 しかし、オリビアを囲んだ小鬼はすぐに襲うことはせず、まるで何かを待っているかのようにオリビアの足を止めるように囲むだけだった。


「なんなの、こいつ等……?」



 ドガラッ



「なんだ、女と幼子ではないか」

「こちらは外れだな」

「まだ、わからんだろ? 捕虜はひん剥いて調べんとな」


「ス、魔軍馬スレイプニール……?」


 森の中からオリビアの前に現れたのは、魔軍馬に乗った三人の騎士だった。


『魔の森』の表層に生息する魔軍馬スレイプニールは恐れを知らない足の獰猛な魔獣として知られ、悪路でも速度を落とさず走破できる強靭な馬だ。多くの者が捕獲して飼いならそうとしたが、魔獣であるが故に気性が荒く、不可能とされている。


 そんな魔軍馬に騎乗していたのは、《元騎士》から選抜された『親衛隊』と呼ばれる者達だった。


「貴公は相変わらず下品だな。老いと共に品性も置いてきたか?」

「何を言っておる? 捕虜は裸にして調べるものだぞ? 特に女というのは隠し場所が男より多いからな」


「それが下品だと言っている」

「お前の時代は知らんが儂の若い頃は――」


「二人共、無駄話は後にしろ。さっさと片付けるぞ」


「「了解……」」


 三人の騎士は二十代前半の若い容姿にも関わらず、話し方を含めて会話の内容に違和感を覚えるオリビア。その真っ黒な鎧や魔軍馬に騎乗していることなど、その異様な様相に息をのみ、アイシャを支える腕に力を込めた。


 …


「……」


「おいおい、たった一人で小鬼が全滅、豚鬼が百体以上やられただと?」

「バケモンかよ……隊長になんて報告すりゃいいんだ」

「高位冒険者か。甘く見てたな」


「……おい、豚鬼共、本陣に連れてけ!」


 魔軍馬に乗った騎士達が、豚鬼に動かなくなったマルコスを運ぶよう命令する。


 マルコスは小鬼を瞬く間に殲滅したが、その後に現れた豚鬼の大軍に囲まれ、数の力に蹂躙された。しかし、豚鬼はマルコスに止めを刺さず、親衛隊の到着を待っていた。


 彼らの受けた命令は、『鍵』の確保であり、殲滅ではない。豚鬼にも敵を殺さぬよう命令してあった。マルコスを殺して鍵を探すことは容易だが、所持していなかった場合、誰が持っているかを尋問して吐かせる為だ。万一、森に隠してあったなら、殲滅してしまえば手柄は探知機を持っているザックのものになってしまう。彼ら『親衛隊』は、ザックではなく、自らの手で『鍵』を確保することに拘っていた。


 それは他ならぬ『褒美』の為である。


『親衛隊』は年老いた元騎士達を集めた部隊だった。戦争が無くなって久しいが、戦い自体が起こらなかったわけではない。他国や他民族との小競り合いは過去に幾度も発生しており、国家間の戦争には発展していなくとも、実戦を経験した人間は過去に大勢いた。勇者は王国の記録から生きている実力者を探し出し、出身を問わず若返らせて配下に収めていた。


 魔物の軍勢は短期間で大量に量産できる一方、知能に問題があった。命令には従順だが、自ら思考して行動ができず、現場で指揮する人間がどうしても必要だったのだ。現役の騎士に比べ、実戦の経験と知識、実績のある『親衛隊』は、勇者の侵略戦争で大いに活躍していた。


 …

 ……

 ………


 志摩恭子とエミューを影の空間に閉じ込め、森を疾走するガーラとバヴィエッダ。


 ダークエルフもエルフと同様、森に慣れている。魔素の薄い森など、ガーラにとっては整備された庭園のようなものだ。はぐれたオリビアと、後方の殿についていたジーク達とは既に相当な距離が離れていた。


「もうそろそろ止めときな」


「ま……だ。もう……少し……」


 軽快な足取りとは裏腹に、ガーラに苦悶の表情が浮かぶ。まるで何かに耐えているかのように苦しそうだ。それでも距離を稼ごうと足を止めようとはしない。



「ぶはっ」


 その後しばらく走った後、ガーラは突然倒れ込んで膝をついた。その直後、ガーラの影から志摩とエミューが飛び出してきた。二人共、意識は無いが呼吸はしており命に別状は無いようだ。


「ぜぇー ぜぇー ぜぇー……」


「無茶するんじゃないよ。『妖精』にのまれる気かい?」


「はぁー はぁー はぁー うる……さい」


 ガーラもリディーナと同じように『妖精』を使役する。そのデメリットも同じだ。長時間、もしくは強大な力の行使は妖精にのまれ、自我を失う危険がある。『闇の妖精』の力を行使し、二人の人間を影の空間で維持している間、ガーラは妖精にのまれまいと精神をすり減らしていた。


 その気になれば、街一つ影に沈めて滅ぼせる力を発揮できる一方、それを行えば、人としての理性を失い精霊や妖精と同じように自然と同化してしまうリスクがある。力の行使を多用したり、起こす現象が大きければ精神的疲労は激しくなる。出来る限り使わないに越したことはない力だった。


「その様子じゃ、暫く動けないね。追跡の気配も無い。暫く休んどきな」


「ああ。そうする」


「アタシはその間に、はぐれた小娘でも探しておくさね」


「ったく、あのオリビアって女。面倒かけやがって……」


 …


 ジークと『クルセイダー』のもう一人のメンバー、トマスは、マルコスを置いて志摩達を追っていた。しかし、一行の姿はまだ捉えられない。


「おかしいぞ、ジーク。センセーの足取りが消えた」


 トマスは志摩とエミューが影に沈んだ地点の地面を見て疑問に思う。はっきりとあった志摩の足跡が、ある地点でぱったりと消えてしまっているのだ。


「敵の足跡も残ってないし、こちらの足跡も乱れてない。襲われたわけじゃなさそうだが……」


「生意気な女と婆さんの足跡は辛うじて残ってるが、エミューの足跡もセンセーと同じように消えてる。エミューの方は多少乱れてるが襲われたって感じじゃない。……一体何があった?」


「二人を担いで逃げたと思いたいが、始末した可能性も……いや、それはないか」


「どうしてそう言える?」


「エミューはともかく、志摩センセーの護衛任務は完遂しなきゃ奴らは死ぬ。あの二人に奴隷の首輪があったのは知ってるだろ? あれはギルドの奴隷だ。無茶な任務でも、失敗すればただでは済まないはずだ」


「なら、エミューは殺されてもおかしくないじゃねーか。くそったれ!」


「楽観はできんが、その可能性は低い。あのババアはエミューを知ってる。簡単に始末したりはしないはずだ」


だからか? しかし、誰にも証明はできんぞ?」


「だから楽観してないと言っただろう。あくまでも希望的観測だ。今はガーラとバヴィエッダが二人を担ぐか何かして連れて逃げたのを祈るしかない」


「……アイシャのお嬢ちゃんは? オリビアの足跡は途中で別れていた。あの女、多分はぐれたぞ? そっちはどうする?」


「トマス、お前はオリビアを追え。護衛対象のアイシャを確保したら、予定通り王都近くの廃村で合流だ。俺は志摩センセーとエミューを探す」


「わかった……じゃあ、後でな」


「ああ」



 ジークはトマスと別れ、一人ガーラとバヴィエッダを追う。


 バヴィエッダの足跡は微かだが、ガーラの方ははっきり分かった。本来ならダークエルフであるガーラは痕跡を残さずに森を移動できるが、今のガーラにその余裕は無い。そのことを知らないジークは、エルフ族のガーラの足跡が残っていることを疑問に思っていた。


(罠かもしれんが、今は追うしかない)



 ガーラ達を追跡するジークの背後から馬の蹄音が近づいてくる。ガーラの痕跡を調べるのにジークが時間を掛けていた所為もあるが、相手は馬で真っ直ぐ進んで来る。追いつかれるのは時間の問題だった。



「猟狼には劣るが、魔軍馬の鼻とて、人の匂いを追跡するのは容易い。逃げられはせん」


 親衛隊の一人は、馬上から前方の人影を捉えて笑みを浮かべる。


「しかし、一人か……」

「あれが『鍵』を持ってるといいわね」

「他の奴らに手柄は渡したくないが、こればかりは運だからな」


「足を止めろ」


「了解よ」


 親衛隊の一人の女騎士は、背中に担いだ弓を取り出し、ジークに向けて矢を放った。巧みに木々の陰に隠れながら逃げるジークを正確に狙った一矢だ。


「なにっ!」


 その矢を驚異的な反射神経で回避するジーク。しかし、その矢の飛距離と正確さに驚いていた。それも走る馬上からだ。そんな腕を持つ騎士など、ジークが知る者の中にはいなかった。


(勇者以外にオブライオンにそんな名手がいたのか? それにあの馬、普通の馬じゃない。なんだあの動きは……魔軍馬スレイプニール?)


 森の中でも速度を落とさず、ジークとの距離を縮める親衛隊。その間にも容赦ない矢がジークを襲う。しかし、狙いは下半身に集中しており、それを看破したジークはなんとか回避していた。


(……捕虜にする気か)


「ちょこまかとよく逃げる……仕留めていいかしら?」


 中々当たらないことに苛立つ女騎士。


「あの男が『鍵』を森に隠していたらどうする気だ?」

「あのザックとかいう小賢しい者に手柄をくれてやりたいなら殺せばいい」


「……わかったわよ、本気でやればいいんでしょ」


 女騎士は身体強化を施し、弓に矢を三本つがえてそれをまとめて放った。


「ッ!」


 三本の矢が同時にジークの足を襲い、内一本がジークの太ももに突き刺さる。


「ぐっ!」



 ジークは足を止め、太ももから飛び出た矢じりを掴むと、力任せに矢を引き抜いた。噴き出す血を手で押さえ、回復魔法を施す。


「あら? 強引に矢を抜くなんてお馬鹿さんかと思ったら、回復魔法? ひょっとして冒険者じゃなくて神殿騎士かしら?」


「元、ということもあり得る。しかし、教会を抜けても聖魔法が使える者は珍しい。信仰に迷いが生まれれば聖魔法は発動せんからな」


「それより、私は腰にある業物が気になりますね」


「お主は昔から剣には目ざといな。業物なら我らも持っているではないか」


「配備された黒剣も素晴らしいですが、剣を集めるのは私の趣味ですから」


「集める? 奪うの間違いであろう?」


「そうとも言いますね。ですが、強者を屠った証にも丁度いいんですよ?」


「仕留めたのは私よ?」


「足を射ただけだろう? 止めは私にさせてもらうよ」


「二人共、任務が先だ」



(ガキ共が……)


 親衛隊の大人びた態度と口調に、ジークは不快感を覚える。しかし、冷静さは失っていない。傷の治療に集中しつつ、相手を観察していた。


(あの女の弓の腕は本物だ。他の二人もガキとは思えんほど隙が無い。それに揃いの黒い鎧、ありゃ魔鉄マギアン製だな……魔軍馬も厄介だが、随分硬いモン着てやがる……仕方ねぇ)


 ジークは追いつかれた親衛隊を前に、動じることなく周囲を見渡す。


「誰か探してるのか、小僧? 残念ながら待っていても周囲には豚鬼しかおらん。肝は据わってるようだが、豚鬼共に喰われてもそんな涼しい顔をしてられるかな? 大人しく『鍵』を渡せば苦しむことなく殺してやろう」



「そうかい。なら、遠慮なくを出せるな」

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