第473話 入国

 半日の船旅の予定が二日も延び、ようやくクラークに到着した志摩達。護衛達はともかく、志摩恭子とアイシャは慣れない船旅で体調を崩し、早くも休息を必要としていた。


「志摩さん、今日は大事を取って、この街で休みましょう」


 気分が悪そうな志摩を気遣い、ジークがそう提案する。


「すみません……」

「お姉ちゃん、気持ち悪い……」


「仕方ないね。ほら、アイシャ、背中に乗りな」


 オリビアがアイシャをおんぶしてやる。志摩もジークに支えられ、辛そうな顔をして船を降りた。


「「……」」


 二人の様子に、ため息をぐっと堪えた顔のガーラとバヴィエッダ。


(ガキはともかく、大丈夫かよこの女。ヤワ過ぎないか?)

(やれやれ、これでも『勇者』の一人とはねぇ)


 護衛依頼において、護衛対象が必ずしも健常者とは限らない。女子供は勿論、病人や年寄りまで様々だ。例え成人男性であっても、冒険者と同じように行動できる者は稀である。しかし、志摩恭子はこの世界に召喚された『勇者』であり、その事実は護衛達にも周知の事実だ。護衛対象とはいえ、二人は訝し気な目を志摩に向ける。


 過去、魔王と戦う為に召喚された精強な勇者達を知るガーラ達にとって、志摩の存在は特異に映った。『勇者』と言うにはあまりにも弱いと感じるのだ。無論、それは志摩の治癒の力や絶対の防御結界を目にしていないのもある。今世の勇者は、過去の勇者のように戦闘に特化した者だけではないのだ。しかしながら、志摩恭子のひ弱さには呆れずにはいられなかった。


 志摩恭子からしてみれば、この世界の生活は精神的にも肉体的にも厳しいものだった。食べ物は何一つおいしいと感じられず、衛生概念の欠片もない環境には、一年経った今も慣れずにいた。元から潔癖というわけではないが、現代日本はあまりにも清潔過ぎたのだ。若い生徒達とは違い、日本の社会人として身についた常識や生活習慣が長い分、未だこの世界の遅れた文明に順応できていなかったのだ。


 それに、冒険者ギルド本部からこれまでの旅も志摩にとっては過酷なものだった。馬車に座っているだけではあったが、その乗り心地は現代人にとっては苦痛でしかない。カーベルでの休息も、僅か三日ではその疲労は回復しようもなかった。


 だが、志摩を疲弊させているのは精神的なものが大きい。


 自分の生徒が人を殺している。それも生徒一人や二人では無い。これまで学校で勉学や部活に勤しんでいた生徒達が、私利私欲のままに人間を殺しているのだ。その事実が志摩の心に重くのし掛かっていた。魔導列車でも護衛の冒険者達や列車の職員達が、佐藤優子に大勢殺された。人が死ぬ光景を何度も目にし、志摩は精神的にも参っていた。


 これまでの道中、志摩は生徒達を説得する方法を考えていたが、佐藤優子の発言と行いに、その考えは揺らいでいた。だが、もう後戻りはできない。レイという、自分達を殺しにきた存在が、逃げること、何もしないことを許さなかった。容赦なく斬りつけられ、殺されかけたことが頭から離れない。一人でも多くの生徒を説得し、大人しくして女神が日本に帰してくれるのを待つ以外に、志摩のとれる道はないのだ。



「まだ陽は高いが、今日はこの街に宿をとって休息しよう。王都までの馬車の手配や情報収集は俺らがやっとくんで、ガーラさん達は先に宿へ行っててもらえますか?」


 ジークがガーラ達にそう提案する。


「分かった。宿はこの街一番のところにするから、後で合流しろ」


「了解です。アイザックさん、行こう。ゲイルも俺達と一緒に来い」


「わ、わかった」

「ああ」


 ジークは『クルセイダー』のメンバーとアイザック、そしてゲイルを連れて街に入った。ガーラはバヴィエッダとアイシャを背に乗せたオリビアと共に、志摩を連れて宿に向う。


 …


「おい、新入りのオッサン、どこ行くんだ?」


「ちっと、腹が痛いんで、用を足してきます。すぐ戻りやすんで……」


「仕事はまだ残ってんだ。早く戻れよー」


「わかりやした~」


 そそくさと船を後にしたセルゲイ。当然、船に戻るつもりなど無い。物陰に入ったセルゲイは、新たな変装を素早く施し、街の雑踏に消えていった。


 …


「おい、ゲイル」


「なんだ?」


 街を歩くジークが、他の者と距離を置いて、ゲイルに話し掛ける。


「あの二人、どう思う?」


「S等級の二人か? ……見た目だけで言っているわけじゃないが、正直、あまり強さは感じない。だが、二人共、ダークエルフだ。見た目どおりの歳じゃないだろうし、『S』という等級を与えられてる以上、相応の実力はあるはずだ。戦闘は手出し無用と言われてるし、まずは様子見ってとこだな」


「あの二人、ダークエルフなのか? てっきりエルフ族だと思っていたが……」


「エルフ族とは髪や肌、瞳の色が違う。ダークエルフは元々、死の大陸にいた種族らしい。俺も実際に目にしたのは初めてだが、間違いないだろう。まあ、エルフでさえ、滅多に見ないから分からんのも無理は無いがな」

 

「ダークエルフ……か」



「それより、この街の雰囲気はよくない。俺達は女子供が多いんだ。あまり長居はしない方がいいぞ?」


「確かにな。さっきから歓迎されない視線をあちこちから感じる。俺達も舐められたもんだぜ。A等級冒険者をどうこうできると思ってんのかね~」


 先程から、ジーク達には刺さるような視線が街の至るところから発せられていた。身なりのいいジーク達をすぐにでも襲わんばかりの不穏な空気が漂っている。


「それだけ辺境ってことだろう。聞けば、この国じゃ、C等級以上の冒険者は育たないらしいじゃないか。魔素が薄く、魔物も大して出ないんだろう?」


 ゲイルがアイザックに話を振る。


「そうです。オブライオン王国は高等級の冒険者が殆どおりません。原因はゲイルさんのおっしゃるとおり、魔素が薄い所為です。魔物の脅威は他の国よりもないと聞いています。必然的に冒険者は育ち難いのでしょう。この国では高等級の冒険者が請け負うような仕事はないはずです。ですが、その反面、大規模な農業が安定して行える国でもあります」


「本来なら、魔物の脅威もなく、食が豊かな国は発展しそうなもんだが、この街を見る限り、そうではないみたいだな。川一本挟んだだけで、こうも変わるかね~」


 ジークは街を歩きながら、行き交う人々や建物を見て呟く。人々の衣服や街並みは時代遅れと言えるほど、見すぼらしい。


「一般には知られてませんが、大陸の商業ギルドは、豊富な農作物を産出するオブライオン王国に頼らない方針を昔から貫いてます。王国の立地的にも、食料の供給源として最適な国だと思いますが、一国に食を依存する体制は危険だということでしょう」


「まあ、理屈はそうだわな。食料を他国に、それも一国に頼る体制が続けば、いずれ各国はオブライオンに頭が上がらなくなる。いくら安定して食料が生産できるとはいえ、素直に頼ることはできないだろうな。しかし、他の国からこの国に対して厳しい輸出や技術制限があるのはなんでだろうな?」


「さあ、そこまでは分かりません。考えたことすら無かったですね。言われてみれば変な気もしますが、大方、オブライオンに国力をつけて欲しくないんじゃないでしょうか? 便利な魔導具や、技術水準が上がれば食料生産は更に向上するでしょうし、他国にとってあまりいい話ではないでしょう。流石に冒険者ギルドも政治に口は出せませんからね」


「国同士が争う時代じゃないとはいえ、水面下では国同士の牽制はまだあるってことか。俺達、庶民からすればたまったもんじゃねーな」


「それでも、国同士が直接争うよりマシです。ただでさえ、魔物に対する備えは十分ではないんです。それに加えて人間同士の戦争なんてゾッとしますよ。私も資料でしか知りませんが、大昔の戦争なんてのがあった時代は悲惨なんてもんじゃなかったらしいですからね」


「そうみたいだな……」


 遥か昔、この世界の戦争は、人的資源と食料を奪い合うものだった。地球の歴史とは違い、魔物という脅威に晒されている世界では、土地を奪うことよりも、食料の現物と使い捨てのできる労働力、奴隷の確保が主な目的だった。当時は、他国から武力で奪った民を奴隷とし、危険な農作業に従事させて食料を生産、自国民の飢えを凌いでいたのだ。


 当時の戦争は、占領統治など行わず、ただ蹂躙して奪うだけだ。戦争に負けた国と民がどうなるか、想像は難しくない。


 いかなる統治者であっても、国民の食を賄う広大な農地を全て壁で囲い魔物から守ることは不可能であり、それは現在に至っても変わらない。自国民を危険な一次産業に従事させることは、反乱や離反、人口の減少が起こり易く安定した統治は困難だった。他国から奪った奴隷を使用することが、国を維持、発展させるのに不可欠だったのだ。


 今でこそ、人間同士の戦争が無くなり、冒険者や領地の騎士団などの武力を対魔物に集中することができているが、それは他国の侵攻に備える必要が無いというのが前提だった。戦争の懸念があれば、食料生産にかかる防衛と、他国の侵攻に備える程の余裕はどの国にも無いのが現状だ。



「まあ、俺達がそんなこと考えても仕方ないか。とりあえず、目の前の仕事に集中しますかね」


「馬と馬車、この街の様子だと、程度のいいものは期待できないな」


「なーに、経費は全部、本部持ちだぜ? 金に糸目をつけなきゃ、それなりのモンが揃うだろうよ」


「……できれば、常識の範囲内でお願いします」


(私がいる以上、費用が支部に請求される恐れが……)

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