第472話 オブライオンへ②

「旦那、馬車の準備が出来ました」


「了解だ」


 バッツに言われ、レイは『鍵』の探知機を取り出して画面を起動させた。表示にある光点の動きから、ジークの所持している『鍵』が川の対岸に向かって移動しているのが分かる。


「向こうも出たようだな……こちらも出発するか」


 郊外の屋敷の前には、二台の馬車が連結されて、ブランに繋がれていた。その周りにはレイ達『レイブンクロー』の三人と『ホークアイ』の四人、それと、ベッカー商会の従業員達が集まっていた。


 馬車はベッカー商会が用意したもので、商会のロゴも入っている。当初、馬車は無事に返せる保証が無いので、レイは断ったのだが、街の貸馬車は不足していて借りられず、商会も返却は必要無いと提供を薦められたので、甘えることにした。


 レイ達は志摩達と同じように船での移動は選ばなかった。ブランの休憩を考えると、船の方が早いのだが、見通しの良い川の上では尾行が難しく、また、ブランを乗せては嫌でも目立つからだ。


 今回、ブランには地味な馬具を装着させて、なるべく荷を引く馬として違和感のないように誤魔化している。しかし、その巨体と一本角は隠せないので、あくまでも一時しのぎだ。問題があるとしたら国境ぐらいなので、それさえ越えられれば十分と思っている。



「今まで世話になった。商会長には礼を言っておいてくれ」


「いえいえ、とんでも御座いません! レイ殿には商会を救って頂いた御恩があります。まだまだお返しできたとは商会長含め、商会員一同、思っておりません。お帰りの際には、是非、また当商会をご利用頂ければ幸いです」


 そう言って、ベッカー商会の代表者がレイ達に頭を下げる。


「カーベルの大橋にある検問所にはこちらの出国書類をお見せください。既に話は通してあります。オブライオン王国の入国書類はこちらです。それと、これは当商会と取引のあるオブライオン王国の商会と貴族の名簿です。他にもいくつか取引先は御座いますが、この名簿にあるのは口の堅い信頼できる者だけです。現地で何か入用になりましたら、参考にして頂ければと」


「何から何まですまないな」


「とんでも御座いません」


「では、俺達は出発する。ミケル、御者は任せたぞ」


「は、はい!」


『ホークアイ』で唯一、ブランに近づけるミケルが御者席に座り手綱を握る。ブランには手綱は必要ないのだが、これも擬装の一環だ。


 ミケルの隣にはレイが座り、すぐ後ろの馬車にはリディーナとイヴが、最後尾の荷馬車には商会が用意したダミーの商材と商人役の『ホークアイ』の三人が乗り込んだ。


『ホークアイ』は、レイ達が守る商人に扮する擬装要員としてレイに雇われた。斥候パーティーである『ホークアイ』は、その請け負う仕事上、普段から全員が目立たない格好を心掛けており、商人役を任せるのに最適だった。


 レイ達は三人共容姿が非常に整っている。認識阻害効果のある外套があっても、国境の検問では脱がねばならず、単独での行動は嫌でも目立つのだ。護衛依頼中の冒険者を装った方が人の注意が分散されて、幾分マシになる。それに、道中の世話や各種手配など、目立たない優秀な補佐が欲しかったのもある。


 バッツ達『ホークアイ』が、レイからの頼みを断れるはずもなく、泣く泣くその依頼を受けることになったのだ。


(((うう……なんで俺達が……)))


「そんな顔するなよ。心配しなくても、襲撃があったら戦闘は全て俺達が引き受ける。お前達は馬車の手入れとか、宿の手配なんかをやってくれればいい。危険は無い……(たぶん)」


「は、はぁ……」



「よし、ブラン、出発しろ」


『了解っす!』


 …

 ……

 ………


 ―『オブライオン王国 国境の港町クラーク』―


 カーベルの対岸にある、オブライオン王国領の港町クラークは、ジルトロ共和国との貿易拠点だ。しかしながら、街の規模としてはカーベルより遥かに小さい。オブライオン側が、小麦を中心とした穀物を大量に輸出する反面、ジルトロ側からの輸入は品種や量も少なく、市場も発展してない。


 最近はオブライオン側の穀物の輸出量が制限され、クラークまで商品を運んできても売れない状況が続いていた。その為、街に訪れる商人の数が激減しており、以前まであった活気は無い。不況が続く都市では貧困と犯罪が蔓延り、治安の悪化は更なる景気の悪化を招いていた。



 レイ達は橋の中間地点で野営し、一泊した後にクラークの検問所に入った。事前にベッカー商会の用意した書類により、大した検査を受けずに済み、何事も無くオブライオン王国に入国できた。


 だが、それは書類の効果だけではなかったようだ。


「緩み切ってるな……」


「ですね。身元確認はおろか、荷物の検査も碌にしないなんて、大丈夫なんですかね?」


 レイの呟きに、ミケルが反応する。


 数か月前、レイがリディーナとオブライオンを出国した際は、きちんと検査を受けた記憶がある。こことは別の検問所だが、地方によって温度差があるのか、国の体制に変化があったからなのかは分からない。だが、どの世界も共通して言えるのは、国境の検問が杜撰ということは、その国、その街の治安レベルは低いということだ。


(賄賂を要求するほど腐ってはいないみたいだが、やる気が無いって感じだな)


「ここに長居するつもりはない。次の街までこのまま進むぞ」


「了解です」


 囮である志摩恭子達と距離が離れるのは避けたいが、小規模な街ではニアミスする可能性もあり、レイは次の目的地である大きな街へ先に進むつもりだ。この国の情報を集める必要もあり、先行して数日の余裕が欲しかった。


 実は、船を利用した志摩達はまだクラークに到着しておらず、『鍵』の探知機でレイもそれは把握していた。船員になり済ましたセルゲイの工作により、航行が遅れているのだ。


 セルゲイがどうしてもレイの役に立ちたいと懇願するので、レイは志摩達の行動を遅滞させるよう指示を出していたのだが、遅れているということは、成功しているということだろう。


(しかし、まさか志摩達と一緒に船に乗り込むとは思わなかったな……バレたらどうするつもりなんだ? あのオッサンのことだから平気で自決しそうな気がするが……いや、考えるのはやめよう)


 …

 ……

 ………


「アイザックさん、半日で着くんじゃなかったのか?」


「そ、そのはずなんですが……せ、船長っ! どうなってる!」


「すいやせん、なんだか船の調子が悪ぃみたいで……」


 ジークにツッコまれて、暑くもないのに汗が止まらないアイザック。予定では、すでにクラークに到着しているはずだ。しかし、相次ぐ船の故障や不調、予期せぬ川の不安定な流れにより、船は遅々として進まず、一日以上を川の上で過ごしていた。護衛達の苛立ちや不審の目を向けられ、アイザックは気が気でなかった。


(な、何で? 今回に限って、一体どうなってるぅぅぅ!)



「ババア、この状況は視えてたのか?」


「そんな訳ないさね。一々、全てを占ってたら魔力がいくらあっても足りないよ。これくらいなんだい、少しぐらい遅れたって死にゃしないよ、辛抱しな」


「ちっ」


 いくらバヴィエッダが未来を予測できるとはいえ、自分達の行動全てを予測することはしなかった。バヴィエッダは要所要所で自分達の生存を確認するにとどめている。魔力消費も理由の一つだが、一々、全てを占っていてはキリが無いからだ。行動の結果を全て予測することは、危険や落胆を回避できる反面、喜びや感動も無い。年老いたバヴィエッダにとって、それは全く刺激の無い生活であり、退屈なのだ。それに、些細な事まで占い、危険を回避することは、ガーラの成長を阻害するとも思っており、それは望んでいなかった。


 故にバヴィエッダはセルゲイの存在は気づいていない。


 流石のジークも、変装の上に認識阻害の魔導具まで使っているセルゲイには気づいていなかった。船の細工や、水魔法による水流操作で船の航行をセルゲイが妨害してるとは夢にも思っていない。


(フフフ、この前は不覚をとったが、このセルゲイの方がレイ様のお役に立てるのだ。わかったか、若造っ!)


 そう、心の中で呟いたセルゲイは、ジークを横目に見つつ、新たな工作をしに、そっと船倉の中に消えていった。

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