第458話 S対S③
胸に刺さった細剣を両手で掴んだまま、ベリウスの姿が消えていく。目の瞳孔が縦に割れ、褐色の肌がひび割れるようにして爬虫類のような鱗に変わる。その鱗が一瞬虹色に光ると、空と同じ色に変わっていった。
―『
体の色や形などを、周囲の物や植物、動物に似せることで目立たなくしたり、逆に目立たせて獲物を惹きつけたりなど、自然界にいる生き物の多くが備えている能力だ。カメレオンやカエル、イカやタコなどが有名だが、一部の哺乳類も、夏季と冬季で毛が生え変わって色が変化したり、成長に合わせて模様が変わったりする。
ベリウスの姿が見えなくなったのは透明になったわけではなく、皮膚の色が景色と同化していたからだった。レイの『光学迷彩』とは原理が異なり、血や衣服はそのままだ。
「
リディーナが呟いた七色蜥蜴とは、魔の森の密林に棲む、皮膚の色を変えて森に擬態する大蜥蜴のことだ。その皮は非常に柔らかいが強靭で、魔法への耐性もあり、魔物の皮としては『竜』に次ぐ高級品とされる。リディーナ達の着ている特注の外套も、当初はこの素材が必要だった。
その蜥蜴と同じような変化がベリウスに起こっていた。しかし、相手は「人」だ。魔物ではない。獣人のように体を変化させる種族かもしれないが、そのような人種をリディーナは知らなかった。
(この大陸にはいない種族……死の大陸出身?)
突き刺した細剣がビクともせず、リディーナは剣に雷属性の魔力を流す。『龍角細剣』は炎属性の古龍から作られた武具で、雷属性とは相性が悪い。全ての属性と相性の良い
電撃を受けたベリウスの一瞬の隙をついて細剣を抜いたリディーナは、即座に身をひるがえして地上に降りて行った。
「逃がすかよ」
ベリウスはボロボロになった衣服を全て剥ぎ取り、腰に備えていた水袋で身体を洗う。驚異的な回復力により斬りつけられた傷はすでに塞がり、周囲の景色と完全に同化したベリウスは、リディーナの後を追って地上に降下していった。
…
地上に降りたベリウスは周囲の森の風景に合わせて肌の色が変わり、一見しただけでは人だと判別できない。それに、先程までとは一転して野獣のような気配を断ち、完全に森と同化していた。
スゥ……
(匂うぜぇ~ メスの匂いがプンプンすらぁ~)
ベリウスは鼻を引くつかせ、匂いを頼りにリディーナの追跡を開始する。
森の開けた場所に一人たたずむ美しいエルフ。
まるでベリウスを待っていたかのように物静かな様子は、空中で即座に逃げ出したとは思えないほど落ち着いていた。
目の前のエルフが何故こうも落ち着いていられるのかと、ベリウスは疑問に思う。周囲に人の気配は感じられず、伏兵の存在も無い。魔法や剣では自分に致命傷を負わせられないのは先程の攻防で明らかだ。
「ここなら全力が出せる……やっぱり、空はダメね。踏ん張りがきかないし、レイの言ってたとおりだったわ……」
(全力?)
リディーナの呟きに眉を顰めるベリウス。自分の姿は勿論、気配さえも感づかれていない自信があった。なぜ、自分が現れたタイミングで声を発したのか、全力とは……?
―『
紫電を帯びた風がリディーナの周囲に舞う。金色の髪がなびくと同時に、その姿が消えた。
「消え……」
ベリウスが気付いた時には、左手が手首から無くなっていた。
「は?」
綺麗に切断された手首から血が噴き出す。それに、一瞬気を取られるも、即座に周囲を見渡し辺りを探るが、何も見当たらない。
「バカなっ! 一体どうして俺の居場所が!」
ブシュッ
思わず声を上げたそばから、もう一方の右手も宙に舞った。
(バカなバカなバカなバカなっ!)
ヒュッ
「うがぁぁぁあああ!」
ベリウスは首に迫った斬撃を手首から先を失った腕を上げてなんとか防ぐも、肘から先をさらに両断される。空中で喰らった斬撃より遥かに鋭いその攻撃は、過去に一度しか体験したことのないものだった。
(まさか、聖剣か……? いや、そんなはずはねぇ……たかがエルフが……)
とはいえ、自身の腕を容易く両断するほどの斬撃を、無防備に受け続けることはできない。両腕の出血はまだ止まらず、いくら周囲の景色と同化していてもこれでは意味が無い。ベリウスは体制を立て直す為にも一旦、距離を置くべく、『飛翔』を唱えて上空へと逃れようとした。
―『飛翔』―
―『落雷』―
ベリウスが飛び上がった瞬間に、凄まじい轟音と雷光を伴った雷がベリウスに直撃し、体中から湯気を出してベリウスはその場に倒れた。
そこで、ようやくリディーナが姿を見せる。超高速で動いていた所為か、その額には汗が滲み、息も乱れていた。
「ふぅーーー」
大きく息を吐いたリディーナは、手にした『龍角細剣』の刀身を見る。
(随分無理しちゃったわね。
リディーナの細剣の刀身に細かなヒビのような亀裂が無数についていた。今にも砕け散りそうな有様に、無理して雷属性の魔力を流したことを後悔する。
「く……かか……」
ベリウスの擬態が解け、赤茶色のうろこ状の皮膚が露わになる。全身の至る所から湯気のような蒸気が出て、所々が火傷のような痕ができていた。
「一応、手加減はしたけれど、まだ息があるのは驚きね」
斬ッ
リディーナが倒れたベリウスの足を逃げ出せないように切断しようと剣を振るも、筋肉に食い込むだけで両断できない。
「うーん、ホント固いわね」
ズッ
「ぎゃああああ」
切断できないのなら仕方ないと、リディーナはベリウスの膝に細剣を突き刺す。膝の骨の隙間から十字靭帯を切るようにして剣先を刺し入れ、もう片方の膝も同じように処理した。
そして、魔法の鞄から『魔封の手錠』を取り出すと、ベリウスの両足首にはめて、魔法を封じる。
「これで立てないし、魔法も使えないわね。でもどうしようかしら、尋問はあまり得意じゃないのよね。頑丈な奴だし素直にベラベラ話すような奴でもなさそうだし……後でレイにお願いするしかないわね」
リディーナはベリウスの足首の鎖を持つが、引きずるには重過ぎた。身体強化を施せばなんとなるが、別の方法に頼ることにした。
ピーーー
懐から木製の笛を取り出し、思い切り吹く。
そして、暫くすると、屋敷の方からけたたましい蹄の音が近づいて来る。
『姐さん、呼んだッスか?』
「早かったわねブラン。この男を屋敷に運んで頂戴。はい、これ。ロープを繋いでおいたから」
『おうぇ! なんなんスか、コイツ、めちゃくちゃ臭いんスけど……オイラ嫌っす』
「んもう! いいから、引いて!」
『わ、わかったッス……でも、もうちょっとロープを長くして……』
「いいからっ!」
『ふぁ~い』
(身体の色を変えて擬態できるのは異様だけど、レイに比べたらお遊びなのよね……)
リディーナのように風の流れが読める相手に対して、姿を消しただけでは不十分だ。森の中で風を流し、その中で動く者を捉えるのはリディーナにとっては簡単なことだった。
レイという透明になれる者の存在が身近にいる以上、相手から姿が見えないというだけでは何らアドバンテージにはならない。いくら気配を殺そうとも、実体がある以上、森の中を歩けば風を使わなくてもリディーナなら察知できてしまうのだ。
(でも、銃も効果が薄かったし、普通の剣じゃ殺すのは難しいから『S』認定されたのもその所為かもね。体力もありそうだし、騎士団が討伐に動いても全滅するのは目に見えてるわ。奴隷の首輪をしてるのが気になるけど、大方、トリスタンあたりが危険人物をこれで縛って利用してるんじゃないかしら。性格がクソなんだからさっさと殺しとけばいいのに……)
「まあ、あとはレイが詳しく聞いてくれるでしょ」
あまり拷問は好きではないリディーナだったが、ベリウスに対しては何ら同情する気持ちはなかった。
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