第457話 S対S②

 背後から強烈な重圧プレッシャーを感じ、リディーナとイヴはハッとして振り向いた。


「飛翔魔法?」


「まさか……」


 黒いドレッドヘアをなびかせ、褐色の肌の大男、ベリウスが空を猛スピードで飛んで二人に迫って来ていた。その事実に二人は驚く。自分達以外に空を飛べる存在は他にもいるが、敵として遭遇したのは初めてのことだった。


 そして、二人は再びレイの言葉を思い起こす。



『敵が俺達と同じように空を飛べる場合、戦闘は必ず地上で行え』



 魔法で空を飛べるようになってレイ達はまだ日が浅い。その上、日々の訓練時間は銃器や剣術、体術の鍛錬に費やし、空中戦に関しては一切行っていなかった。当初は空を飛べる『勇者』の存在は確認されておらず、何人も尋問した結果も同じだったことから、レイは空中戦の優先度を下げたからだ。無論、空を飛べる者の存在を無視している訳ではなく、単に優先順位の問題だ。


 あらゆる戦術を万全な状態まで全て訓練することは不可能だ。ただでさえ、体を動かす技術は日々の鍛錬を怠れない。怠ればその練度を維持できないばかりか衰えてしまう。いくら筋がいいとは言え、銃という新しい武器と戦術をリディーナとイヴに指導するのにも時間は掛かる。空中戦を行う相手が想定されていないのにその訓練まで行う時間などないのだ。


 レイは己の前世の経験を活かしつつ、現代兵器が使えない代わりに魔法という未知なる力を使いこなせねばならなかった。それに加えて、リディーナとイヴに銃器の扱いを教え、同時に剣術や体術の指導も行っている。とても空中戦の訓練まで行える余裕は無い。それに、飛行機やヘリコプターなどに実際に乗り、アニメや映画などで『空中戦』というものを想像しやすいレイはともかく、リディーナやイヴにそれと同じ感覚を持たせるには多くの時間を必要とする。


 限られた時間と、情報が不足している相手に、全ての状況を想定した準備をする余裕も時間もないのだ。


 それに、例え空中戦の訓練を行っていたとしても、空中での戦闘は、相手が空を飛べない、反撃する手段がないという前提においてのみしか行うべきではない。一方的に相手を攻撃できる状況以外では、戦闘は避けねばならない。これは地球の航空機での戦闘でも同様で、地上と違い少しのミスでも墜落する危険があり、相手から致命の攻撃を受けなくとも簡単に死ぬ。


 人間は水中で息をすることはできないし、空を飛ぶようにも出来てはいない。実際に空を飛んでレイが思ったことは、空中では思うように体を動かせない。足の踏ん張りも利かず、まともに剣を振るのも至難の業だ。当然だが、剣は腕の力だけで振るものでは無い。全身を使って効率よく剣に力を伝えられるのも、強固な地面に足が接しているからだ。それが無い空中で剣を振るには、全く異なる技術がいる。それを開発する時間もまた無かった。


 それに、レイが二人に空中戦を禁じたのは訓練不足という理由の他にもう一つあった。相手が飛んで襲って来るということは、少なくともを経験している者と予想されるからだ。実戦経験どころか元は高校生である『勇者』であれば条件は同じだが、空中戦は同じ条件ではダメなのだ。必ず絶対的有利な状況でなければならない。



 レイの言葉を即座に思い起こしたリディーナは、すぐにイヴに指示を飛ばす。


「イヴ、急いで屋敷へ向かいなさい」


「リディーナ様は?」


「少し相手の力を確かめるわ。大丈夫、無理はしないから」


「ですが……」


「行きなさい」


「……了解です」


 イヴはリディーナを引き留めることなく、指示に従い一人、屋敷へと向かった。ここで問答しても無駄な時間だということを理解しているからだ。その間にリディーナは魔法の鞄から魔導狙撃銃を取り出し、コッキングレバーを引いて弾丸を薬室に装填する。


 リディーナはいたって冷静だ。レイの言葉も理解しており、空で戦うことの危険性も十分わかっている。


 だが……


 ドンッ!


 一直線に向かって来るベリウスに向かって、リディーナは引金を引いた。


 リディーナに引く気は無い。



「痛ってぇ!」


 弾丸はベリウスの額のど真ん中に当たった。しかし、弾はベリウスの頭を貫くことは出来ず、皮膚をえぐっただけだった。血は出ているが、ベリウスの様子から大した傷ではないことが分かる。


 それを見たリディーナは、即座に銃を仕舞い、魔力を練った。


 ―『風刃』―


 「おうわっ! ……はっ、そんなモンじゃ俺は殺れねーなぁ~?」

 

 「……」


 今まで多くの敵を切り裂いてきたリディーナの無詠唱による『風刃』は、ベリウスにかすり傷程度にしかダメージを負わせられなかった。


 ベリウスが身に纏っている衣服は魔獣の毛皮のようだったが、魔法に耐性があるものではない。風の刃で容易に切り裂けたことからもそれは明らかだ。しかし、その下のベリウスの肉体には数ミリほどの傷しかつけられなかった。


「……思い出すわね」


 ベリウスの尋常ではない体に、リディーナは半年程前のレイと出会う直前のことを思い出していた。剣も魔法も通用しない相手、初めて『勇者』と相対した時のことだ。それまで生き抜いてきた自信が粉々に打ち砕かれ、殺される寸前だった当時のことを。


「あの時とは違うわ」


 銃を仕舞ったリディーナは、外套を脱ぎ、腰の『龍角細剣』を抜いて構える。『風の妖精シルフィー』を憑依させ、その力を使えばベリウスを殺すことは簡単かもしれない。だが、リディーナはあえてそれをしなかった。ここで迎え撃つことを決めたのも、以前の記憶が頭をよぎり、それを振り払いたい思いもあった。


「ま、すぐに殺しちゃったら何も聞けないしね」


 … 


 外套を脱いだリディーナは、金糸のような髪をなびかせ、艶やかな肢体が露わになっていた。そして、その美しい顔からは既に表情はなく、深い青い瞳からは感情が消えていた。


 

「おいおいおい~ えれぇ上玉じゃねぇーか! エルフ族? それよりなんだ? そんな細っせぇ剣で俺を斬ろうってかぁ~? オモしれぇ、犯してやる前に遊んでやろうじゃねーか」


 猛スピードでリディーナに迫るベリウスは、ニヤついた顔で拳を握り、間合いに入ってすぐにリディーナの顔面目掛けて腕を振った。


 その拳をギリギリまで引きつけ、頬をかすめるようにして躱したリディーナは、それと同時に細剣でベリウスの胴を薙いだ。その刃筋は胴を両断するようにではなく、体に沿わすよう腹から背中へとベリウスの身体を斬り裂いた。


 ベリウスの身体から血飛沫が上がるも、その傷は内臓に達してはいない。だが、剣が折れずに相手を斬れたことを知れるだけでリディーナは満足だった。

 

 ベリウスの身体は銃弾でも貫けないほど強靭だ。常識では考えられないような体だが、ゴルブのように刃が通らない特異な身体を持つ者や、『勇者』のように特殊な能力によって物理攻撃が通じない者などを見て来たリディーナは慌てない。浅くとも肉を切り裂き、血が出るのならどうとでもなることを知っているからだ。


 空を切った拳を引き、体を回頭させて再度リディーナに向けて腕を振るベリウス。性的欲求よりも暴力衝動が上回り、リディーナを壊すことしか考えていない。しかし、その攻撃はまたもリディーナに容易く躱された。


 リディーナは体の向きを変える程度の最小限の動きだけでベリウスの攻撃を躱すが、相手の拳が触れていないにも関わらず、擦り傷のような痕が頬や腕につけられる。ベリウスの放つ凄まじい拳風によるものだ。だが、リディーナに動揺はない。


 連続して繰り出されるベリウスの突きや蹴りを、まるで風に舞う絹のように躱し続けるリディーナ。そして、相手の攻撃に合わせて斬撃を放ち、徐々にベリウスの身体を血に染めていく。


「ちょこまかと……」


 一向にリディーナを捉えられないベリウスは次第に苛立っていく。自分の半分ほどしかない細身の女が、恐れるどころか顔色一つ変えずに自身の攻撃を避け続け、反撃までしてくる。


 これほど舐められたのはだった。


 リディーナを攻撃する手数とスピードが徐々に上がり、ベリウスのニヤけた顔が真顔になる。


「クソが……」


 ベリウスは攻撃を止め、一旦、距離を置くようにリディーナから離れた。


 しかし、リディーナは離れない。ベリウスの動きに合わせて体を寄せて追撃の手を緩めなかった。



「ぐっ……」


 堪らず身を縮め、亀のように丸くなるベリウス。


 ドスッ


 その隙をついて、ベリウスの胸にリディーナの細剣が突き刺さった。


 ……が、心臓には届かない。


 ベリウスは刺突を受けた瞬間に刃を両手で掴み、その膂力によりリディーナはそれ以上、刃を押し込めなかった。


(……抜けない)


「ちっ、たかがエルフに本気を出すことになるとはな」


 次の瞬間、ベリウスの姿が徐々に消えていった。


「え……?」

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