第445話 セルゲイ

 朝。


 教会を監視するレイと別れたリディーナとイヴは、港に停泊しているベッカー商会の船に戻り、拠点となる物件の手配を商会の者に頼んだ。


「それでしたら、商会が所有している物件がいくつか御座いますので、後ほどご案内致します」


「悪いわね。ちゃんと賃料は払うから後で請求してちょーだい」


「いえいえ、とんでもない! ハロルド様から全面的に協力するよう申し付けられておりますので、どうぞお気になさらずご利用下さい」


「「……」」


 商会の者の発言に、リディーナとイヴが顔を見合わす。タダより高いモノは無いというのはこの世界でも変わらない。商会の御曹司を救ったとはいえ、それに見合う以上の好意を受け続ければ、いずれ立場が逆になりかねない。


 しかし、今は時間の余裕も無く、ベッカー商会の他に安全なルートがないこともあって、商会の提案を受けざるを得なかった。


(まあ、仕方ないわね……)


「わかったわ。それじゃあ、お願いするわね」


「それでは、準備が整い次第、お声を掛けさせて頂きますので、まずは朝食をお召し上がりください」


 その後、朝食を済ませたリディーナ達は、商会の用意した物件の下見に向かった。


 …

 ……

 ………


 その日の夜。


(妙だな……)


 一方、教会の監視をしていたレイは、聖堂に人が続々と訪れる光景に目を細めていた。集まって来る者達はどれも成人以上の男女で、冒険者風の剣士や魔術師、漁師などの荒くれ者、娼婦、商人、貴族のような者も従者を連れて来ている。


(こんな夜更けに集会か? 治療や礼拝って訳じゃないだろう。あんな大人数が寂れた教会に集まって、何をするつもりだ?)


 聖堂の中の様子を伺うため、光学迷彩を施そうとしたレイの目に、フードを被った大男に担がれたセルゲイ司祭の姿が映った。


 セルゲイは両手両足を縛られ、口には猿轡をされており、衣服は血だらけだ。


(ちっ、一体どうなってる?)


 どう見ても暴行を受けて拉致されてきた様子に、レイは舌打ちをしてその場を離れた。


 …


 聖堂内。


「皆様、ついに時が来ました」


「「「おおおぉ……」」」


 祭壇の前に立ち、集まった人々にそう宣言するミリア。聖堂内にどよめきが起こるが、それを手で制し、言葉を続けた。


「この世界の救世主、『勇者』様の御言葉どおりに悪しき『女神の使徒』がこの街に現れました。今こそ我々の使命を果たす時です」


「ミリア殿、アリアの使徒はどこに?」


 前列にいた商人風の男がミリアに尋ねる。


「この街のどこかにいるはずです。宿泊先の宿にはおりませんでした。これより使徒を見つけ出し、オブライオン王国への侵入を阻止しなければなりません」


「承知しました、ミリア殿。我が商会の者を使って至急お調いたします」


「いやいや、私が議員特権を使い、街の衛士を動員して調べさせましょう」


 同じく前列にいて従者を連れた貴族風の男が商人とミリアの会話に口を挟む。しかし、ミリアは二人を窘めるように言葉を被せてきた。


「お二方、アキラ様の期待に応えるためにも、協力して事にあたるよう願います。今から使徒達三人の特徴を伝えますので慎重に――」


 ミリアは言葉を止め、くぐもった声で笑っているセルゲイに視線を移した。隣の大男に目線で合図し、セルゲイの口の布を外させる。


「なにを笑っているのですか?」


「なーに、貴様等が使徒様をどうこうできると思ってるのがおかしくてな」


「セルゲイ。地方都市の司祭ごときが随分余裕ですね。貴方はご自分の心配でもしたらどうですか? 貴方のような堕落した者など新しい世界には必要ありません。命乞いをするか、邪神に祈りでも捧げていなさい」


「邪神だと? アリア様をそのように穢すことは許さん。間者共を見つけ出すのにお前を泳がせておいたがお前の方こそもう必要ない。使徒様のお手を煩わすまでも無く、俺がこの場で裁きを下してやる」


 ―『水刃』―


 セルゲイは短縮した詠唱で魔法を唱えると、手足から鎌状の水の刃を生やして四肢を縛っていた縄を切断する。直後に両手を交差するようにして隣に立つ大男を斬り付けると、太った体型からは予想もつかない身軽さでその場から飛び退き、聖堂の中央に躍り出た。


 ―『水壁』―


 間髪入れずに連続して魔法を唱えたセルゲイは、聖堂の扉や窓を水の壁で塞いでいく。床から湧き上がるように出現した水の壁は、徐々に床に溢れ聖堂内を水で満たしていった。


「「「ッ!」」」


「セルゲイっ! 貴様、ただの酔っ払い司祭が悪足掻きを……誰でも構いません、あれを始末なさい!」


 急激に水位が上昇し、聖堂内の者達が困惑する中、ミリアの命令を受けた冒険者の剣士がセルゲイに斬りかかった。


 セルゲイは膝まで水に浸かった状態ながら、流れるような動作で剣を躱し、剣士の振り終わりに相手の手首を片手で掴んだ。それと同時にもう片方の手を下方から肘目掛けて突き上げ、剣士の肘を圧し折る。


「はぎゃぁぁぁあああ」


 肘の裏から骨が飛び出た剣士は悲鳴を上げ、剣を手放して折れた肘を蹲って押さえた。その間にセルゲイは剣士の首に腕を回し、瞬時に捻じって頸椎を破壊、息の根を止めた。


「「「なっ……」」」


 その一瞬の出来事に、周囲の冒険者や魔術師、荒くれ者達は慌てて剣を抜き、杖を構える。非戦闘員らしき商人や議員は後退り、剣士達に前を譲ると、そそくさとミリアの周囲に身を寄せた。


「コイツっ! ただの司祭じゃなかったのかっ!」

「あっさり一人殺られちまったぞ……」

「まさか……異端審問官?」

「どうでもいい、早く殺せっ!」

「おめーが行けよ!」

「うるせぇ! テメーが行け!」

「くそっ、もう水が腿まで上がってきやがった」

「誰か、この水を何とかしろ!」

「ヤツを殺せば止まるはずだ! 殺せ!」


 手際良く冒険者の一人を素手で殺してみせたセルゲイに、一同、口調とは裏腹に誰もが二の足を踏む。しかし、その間も水位はどんどん上がって来ており、このままでは聖堂内が水で満たされるのも時間の問題だった。


「どうした? かかってこんのか?」



「このっ! 舐めやがって! 『炎槍』!」


 セルゲイの挑発を受けた魔術師の一人が魔法を放つ。


 ―『水壁』―


 ―『水槍』―


 セルゲイの眼前に水の壁が沸き上がり、『炎槍』を防ぐ。直後に魔術師の足元から水の槍が発生し、攻撃した魔術師を股下から貫いた。


「はぎゃ」


 崩れ落ちた魔術師の周囲が血に染まり、その死体が水面にプカリと浮かぶ。



「バカなっ! なんでそんなに連続で魔法が使用できるっ!」


 セルゲイの魔法に他の魔術師が驚きの声を上げる。もうはや誰もがセルゲイを飲んだくれた司祭とは思っていない。だが、剣士を瞬殺する体術と、A等級の魔術師並みの魔法行使力を見せる規格外の実力に、この場にいる全員が息を呑んだ。


「さあ、次はどいつだ?」


 周囲を見渡し、襲ってくる者から殺してやると言わんばかりに威圧するセルゲイ。聖堂内の水の量はその間にも増え続け、既に腰の高さまで水位が上がっていた。


「くそ……全員でかかれば……」


 誰かがそう呟くも、その一歩を踏み出す者はいない。寄せ集めの集団は誰もリーダーなどおらず、連携など取れるはずもなかった。



 ザバッ



 初手でセルゲイが斬り付け、倒したはずの大男が起き上がり、大剣を拾ってセルゲイに向かって行く。


 フードがはだけて露わになった大男の顔は青白く、無数の青い血管が浮き出ていた。セルゲイに斬りつけられた傷は出血が止まっており、ブクブクと泡が発生して急速に傷が塞がりつつあった。


「……情報にあった『鬼人兵』か」


 そう小さく呟いたセルゲイは、向かって来る大男を迎え撃つべく両腕を上げて構えをとった。


 ブンッ


 大男の放つ大振りの斬撃。セルゲイはその初撃を余裕で躱すも、大男の尋常ではない膂力により、立て続けに凄まじい連撃が繰り出され、セルゲイを襲う。


 セルゲイは、その連撃を躱しながら、掌から発生させた水刃で大男を斬りつける。しかし、男の傷からは殆ど出血せず、その傷が塞がっていった。それにも構わずセルゲイは攻撃を続け、男も斬撃を繰り出す。


 部屋の水位は変わらず上昇を続けており、このまま水量が増えれば、この聖堂にいる人間は溺れ死ぬことになる。聖堂内の人間が死ぬのに、聖堂を満水にする必要はない。鎧や厚手の外套を纏った者は、その装備の重さで満足に泳ぎ続けることはできず、背丈ほどの水位があれば溺死するのに十分だからだ。


 二人の周囲の人間達は、上昇する水位に苛立つも、大男の異様な様子と激しい斬撃により、近づくことが出来ず、二人の攻防をただその場で見つめることしかできなかった。


 大男は連撃を繰り出し、セルゲイはそれを躱し、打撃や水の刃を隙を見て当てていく。一見、優勢に見えるセルゲイだが、大男はダメージを受けているようには見えず、セルゲイの表情が徐々に険しくなる。


「バケモンが……」


 立て続けに魔法を行使し、ついにセルゲイの魔力が尽きる。水位の上昇が止まり、扉や窓を覆う水の壁の形が崩れてきた。


「く……そ……だが、ただでは終わらん! 全員、道連れにしてくれる!」


 セルゲイは覚悟を決めて両手を組み、止まっていた水位を再び上昇させるべく、魔力を振り絞った。大男は力を緩めることなく斬撃を放つが、セルゲイはそれに構わず意識を魔法に向ける。例え斬られても、一気にこの聖堂を水で満たせば全員を始末することができると考え、振り下ろされる剣を無視して集中する。


 己の命を落としても、この場の全員を溺死させ、使命を果たすつもりだ。


 

 ザブンッ



 突如、二人の間に水柱が上がった。


 何かが水面に落ちたような音と衝撃。そして、水しぶきを浴びた一人の男の姿が徐々に露わになる。



「おい、オッサン。お前が死んだら誰が俺に情報を寄こすんだ?」



―――――――――――――――――――――――

【お詫び】

 ここ数日、執筆が滞って申し訳ありませんでした。熱中症にやられてダウンしてました。明日も投稿できるかちょっと微妙です。本作を楽しみにして下さってる読者の皆様には申し訳ない思いです。週明けには復活できるよう、しっかり治したいと思いますので、今後も宜しくお願い致します。


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