第427話 列車の旅②
「センセー、何読んでるのー?」
外の景色にようやく飽きたのか、アイシャが志摩の手元を覗き込んできた。
「え? ああ、これはね。どうやら大昔のお伽話みたい」
「お伽話~?」
「天使様と怖ーい悪魔が戦ったお話。悪魔が地上に攻めて来て、それを天使様がやっつけたってお話ね」
「聞かせて聞かせてー」
「フフッ いいわよ。でも、もうちょっと待ってね。まだ全部終わってないから」
「えー」
「『天魔大戦』のお伽話ですか? 終わってないって、翻訳はされてるんですよね?」
その会話にオリビアが紅茶のお替りと茶菓子を持って入って来た。
「知ってるんですか?」
「ええまあ。割と有名ですから」
「そうなんですね。すみません、私は知らなかったので……」
今回の護衛の中で、オリビアだけはトリスタンから志摩恭子が異世界人だということと、アイシャとその他の事情を聞かされている。他のパーティーには志摩は優れた回復術師であり、冒険者ギルドの重要人物としか知らされていない。オリビアは二人の世話係ということと、レイ達と行動を共にしていたこともあり、トリスタンから特別に教えられていた。
オリビアにとっては異世界人という言葉は耳慣れぬ言葉だが、この世界の人間ではないという存在は実感していた。勿論、それはレイの所為だ。
『天魔大戦』と『勇者伝説』はこの世界の人間なら、一度は子供の頃に聞かされたことのある物語だ。親のいない孤児など、それを知らない者も大勢いるが、志摩の様な教養のありそうな人間が知らないのは珍しいと言えるほど、有名な話だった。
『昔々、この世界は今より優れた文明を持ち、人々は幸せに暮らしていました。そこへ突如、人の幸せを妬んだ悪魔が魔界から現れ、人々を襲い、文明を破壊しました。それに怒った女神様は天使様を遣わし、悪魔を滅ぼしました。しかし、天使と悪魔の戦いは壮絶を極め、いくつもの大陸が海に沈み、人々は女神様の導きによりこの地に逃げ延び、なんとか生き残って今に至る……』
「……というお話しです。悪魔は滅び去ったものの、悪魔が放った魔物は生き残って、今も大陸に蔓延る原因だって言われてます。まあ、本当にあった話かは分かりませんが、大昔の古代遺跡には、今の技術では作れない魔導具なんかが眠ってますし、今より優れた文明があったのは確かですね」
「天使と悪魔……」
オリビアの話を聞いて、志摩は手元の書物に目を落とした。
(荒唐無稽なお伽話だけど、私は本当のことかもって思えるようになっちゃったのよね……アイツの所為で)
そう、レイのことを思いながら、オリビアは腰の裏に忍ばせてある、ベレッタM92に意識を向ける。あれから寝る前や時間がある時など、銃の動作訓練は欠かしていない。銃の薬室には弾が装填してあり、安全装置を外せばすぐに撃てるようにもしてある。
「どうかしましたか?」
何やら書物を見て考え込んでいる志摩にオリビアが尋ねる。
「いえ、確かに翻訳された本は今の話の通りなんですけど、少しおかしいんです。古代語に書かれた本の方は時系列が違うような……文法的には天使が先に現れることになっちゃうし……それに、女神が怒っているのは悪魔ではないってことに……これだと、お話と逆だわ……文法が間違ってる? いや、でもここは意味として合ってるから……やっぱりおかしい」
「?」
「うっ」
志摩が痛みを堪えるように額を押さえる。天使と悪魔について、自分の知らない知識がフラッシュバックのように流れ込んできた。
しかし、思い出されるように流れてきた知識は、天使と悪魔の性質や特性ばかりで、志摩が疑問に思ったことの答えでは無かった。
「だ、大丈夫ですか?」
「センセー?」
その様子を見て、オリビアとアイシャが心配そうに声を掛ける。
「だ、大丈夫……大陸が海に沈んだのは確かみたいね。天使も悪魔も、とんでもない存在だわ……」
「「?」」
…
……
………
その夜。
魔導列車の編成中央にある、警備や乗務員用の車両は、他の車両よりも天井が一段高く、四方が見渡せる監視場のような部屋があった。運行中は二十四時間体制で警備の獣人が監視しており、万一、異変を察知した場合は、この部屋から伝声管によって先頭の機関車両や各車両に素早く警告することが出来るようになっていた。
獣人族は人族に比べて視力があり、夜目も利く。中でも猫獣人はそれが特に秀でており、僅かでも月が出ていれば、昼と同じように周囲を見渡すことが出来た。線路が設置された場所の殆どが人里離れた土地であり、人工的な明かりは当然無い。冒険者から獣人の傭兵団に警備が一本化されたのも、列車が夜間も運行する必要性から、こういった種族特性が警備に適していたからだ。
「なんだあれは……?」
警備の一人が線路の先にある異変に気が付く。
「
遥か前方に、一頭の飛竜が線路を塞いでいた。
「先頭車両に連絡っ! 隊長を呼んで来い! 飛竜だっ!」
警備の男がすぐさま伝声管に向かって叫び、隊長のコティを呼んだ。
…
「こんな場所に、飛竜? それも一頭だけ? おかしいにゃ……」
連絡を受け、見張り場所に上がったコティは、視線の先にある飛竜を見て目を細める。この路線で飛竜が確認されたことは今までにない。その上、通常群れを成して行動する飛竜が単独で現れることは珍しいことだった。
進路上に飛竜がいることは既に機関車両に伝えられているが、列車の速度は落ちない。機関士長のスタンはこのまま飛竜を轢き殺す気だ。先頭車両の前面には除雪車のような形状の装甲が取り付けられており、大抵の魔物や障害物は速度を緩めることなくそのまま進むことができる。
飛竜の全長は約五メートル程。それ程の大きな魔物を轢いたことはコティの記憶には無い。しかし、スタンがいけると判断しているのなら、コティはその判断に口出しすることはない。魔道列車のことは機関士達が一番よく分かってるからだ。
「にゃっ!」
何かに気付いたコティは急いで伝声管に向かって叫ぶ。
「人にゃ! 飛竜に人が乗ってるにゃ! スタン! 速度落として、警笛ぃ!」
それを伝声管から聞いたスタンは、慌ててブレーキを掛けて速度を落とし、警笛を鳴らした。
「魔導列車の進路妨害は重罪だぞ! ドライゼンのアホがっ!」
飛竜を使役し、騎乗するのは竜王国ドライゼンの竜騎士だけだ。スタンは飛竜に人が乗っていると聞き、すぐにそれが思い浮かんで、悪態をつき、警笛を鳴らし続けた。
しかし、何度、警笛が鳴り響いても、飛竜が動く気配はない。
「死にてーのか?」
「にゃんだ、アレ……?」
暗闇の中、飛竜に乗った者の手元から光が現れる。
そこには、光り輝く『聖弓』を手にした佐藤優子の姿があった。
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