第398話 欺瞞

 ゾクッ


 レイは突然感じた強大な存在感と殺気を感じ、刀を振り抜く手が止まった。



「うぬぅぁぁああああ」



 黒焦げになっていた川崎亜土夢が雄叫びを上げながら立ち上がり、焼け爛れた皮膚が急速に再生していく。折れ曲がっていた首がグルンと回り正面を向くと、頭皮から生えてきた新しい黒髪が金色に染まり、黒い目が青く変わっていく。


 それに背中から生えてきた真っ白な羽。誰がどう見ても『天使』だ。


「下等生物ぅぅぅううう!」


 憤怒の表情でレイに向かって叫ぶザリオン。


 レイは、尋常ならざる気配にすぐさま飛び退き、黒刀を川崎に向かって構えた。


「悪魔じゃなく天使? ……お前等は首でも刎ねんと安心できんな」


 そう軽口を言いつつ、レイは驚きと共に迷っていた。殺して燃やしたはずの川崎亜土夢が復活して天使の姿に変貌した。天使の力は自分が良く知っている。川崎が自分と同じように天使の力を行使できるなら、こちらも天使にならねば対抗するのは難しい。


 しかし、気になるのは先程の九条の言葉だ。

 

 『天使になってみるかい?』


 あれは明らかにレイに天使になれと挑発したものだ。天使に対抗する手段があるのか、それとも、こちらが天使として活動できる時間が限られていることを知っているのか、……あるいはその両方。


 迂闊に天使になることは躊躇われた。


 人を遥かに超えるスペックを持つ天使に、人間のままで戦えるか? 魔法の鞄に魔導砲はあるが、天使に有効な砲弾、暗黒属性を付与できるか試していない。そもそも天使と戦うことなど想定していなかった。


(いけるか?)


 その一瞬の間に、ザリオンがレイの視界から消えた。


「ッ!?」


 ゴッ


 瞬時にレイの背後に現れたザリオンは、横薙ぎの蹴りを放ってレイを蹴り飛ばす。吹っ飛ばされたレイは応接室のソファやテーブルを巻き込んで壁に激突した。



 ザリオンの身体は所々の皮膚が爛れ、頭皮も半分程しか再生出来ていない。レイの気功により体の自由が利かない状態で窒息させられ、死を悟ったザリオンは、心臓の鼓動が止まる寸前に天使化を図った。しかし、窒息後に頸椎を捻じ切られ、身体を高温の炎で焼かれるのは予想外だった。何度も致命の損傷を受け、それに抗い、損壊した肉体を再生し続けるのは、いくら天使とはいえ簡単なことでは無く、少なくない神力を消耗することになってしまった。


 肉体の再生は完全では無いが、ザリオンはすぐに冷静になって己の治癒より、課せられた使命と、主である九条の救命を優先する。


 ザリオンはレイを蹴り飛ばした後、両腕を切断され、血の海で蹲る九条に駆け寄り、回復魔法によりその出血を止める。斬り飛ばされた両腕を拾い、それぞれを九条の腕にあてがり、再生魔法を施して繋げた。


「マスター、『鍵』は手に入れました」


 九条の耳元で呟くザリオンの手には、先程トリスタンの腹から奪った『鍵』と、蹴り飛ばす際に奪ったレイの魔法の鞄マジックバッグがあった。


「よくやった。しかし、色々予想外だ。中々計画通りにはいかないね……」


 九条彰の顔は真っ青だ。いくら天使の再生魔法でも失った血液の再生は出来ない。天使の力なら血を増幅させることは可能だが、血液をゼロから生み出すには再生魔法よりも多くの神力が必要だ。天使化できるレイを始末するには、今は最低限の治療で余力を残しておかなければならないとザリオンは判断する。



「ごほっ」


 レイは血を吐きながら、震えた手で腰にある発煙手榴弾のピンを抜き、手前に転がす。それと同時に素早く己の身体を確認して、回復魔法で肉体の修復に入った。


(優先は肋骨の骨折だ……な。内臓と外傷は後回しだ……)


 手足の骨折と違い、胴体部の骨折は命にかかわる場合が多く、放置したまま動くのは非常に危険だ。肋骨もヒビまでなら耐えられるが、完全に折れる、それも複数本が折れた場合は、身体を動かす度に激痛が走り、呼吸は勿論、腕を上げることも困難になる。それに、無理に動けば折れた箇所が高確率で内臓を傷つけ、場所によっては致命傷にもなり得る。


 煙幕で姿を消しながら骨折を修復し、立ち上がったレイは、腰にあった魔法の鞄が無いことに気付く。


「天使って奴はスリが得意技なのか? まるでコソ泥だな」


 煙が充満し、互いの姿が見えない中、レイはそう言って相手を挑発した。


「下等生物が……」

「待て。……悪いけど、キミの相手はまた今度だ」


 互いに気配で相手の位置は大体分かるが、発せられた声でその位置を確定させる。


 ―『雷撃』―

 ―『雷撃』―


 レイとザリオンが同時に魔法を放ち、両者の電撃がぶつかり合う。


 奇しくも二人が放った魔法は同じだったが、威力はザリオンの方が勝っていた。


 ザリオンの電撃がレイの魔法を打ち負かし、そのままレイを襲う。しかし、既にその場所にレイの姿はない。


 ヒュッ


 煙の中、九条がいる位置に黒刀が振り下ろされた。


 ガキンッ


 ザリオンが手にした『聖剣』によりレイの斬撃が防がれる。


 元々『聖剣』や『聖鎧』は天使の基本装備であり、当然ザリオンも使える。桐生や九条のものとは形は違うが、モノは同じだ。『剣聖』の白刀や『弓聖』の光る弓もこの天使の基本装備が変化したものであり、使用者の得意分野によってその形状が変わるだけだ。


、用は済んだ。撤収しよう」


「御意」


 黒刀の切っ先から圧が無くなり、聖剣と共にザリオンと九条は姿を消した。



「消えた……」


 …


 発煙手榴弾による煙が晴れ、滅茶苦茶になった応接室が露わになる。


 腹を突き破られたトリスタンの側には、志摩恭子がその治療を行っていた。



 レイは志摩に近づき、黒刀を向ける。


「今は止めてくださいっ! 集中できません! このままだとトリスタンさんが死んじゃいます!」


 トリスタンの治療はレイにも出来るが、時間が経っているので治療は一刻を争う状態だ。レイは志摩に治療を任せるが、始末する気は変わらない。


 しかし、レイには志摩を殺す前に確認することが出来た。志摩が発した、女神の狙いが九条という言葉と、九条が川崎を「ザリオン」と呼んだことだ。


 天使エピオンが裏切者と言った天使ザリオン。そのザリオンが川崎を乗っ取った、もしくはザリオンが川崎に扮していたと考えられる。しかし、天使は脅威だが、九条の未知の能力の方がレイにとっては厄介だった。それに、天使ザリオンが九条に従っているのも不可解なことだ。操られているにしては行動が能動的だったし、そもそも人間が天使を洗脳などできるのかという疑問がある。いずれにせよ、ただの『鑑定士』などではない九条彰について、詳しく情報を集めなければならない。


 を奪いに、また奴等は現れるからだ。


「くそ、あのスリ野郎……」


 …

 ……

 ………


 空間魔法により一瞬で王都に戻った九条とザリオン。


「よろしかったのですか?」


「悪いけど、貧血で辛くてね。それに、は済んでただろう? キミも早く天使化を解くんだ」


「はい」


 天使の姿から川崎亜土夢の姿に戻ったザリオンだが、身体の傷はそのまま残っていた。


「鈴木さんに力を使わせて消耗させるはずが、逆にこちらが消耗しちゃうとはね。少し見くびってたよ……。あのままやっても良かったけど、ボクが足手纏いだっただろ? やっぱ、ボクは戦闘には向いてない。次はちゃんと準備しないといけないね」


「しかし、『鍵』は手に入れました」


「ああ、そうだったね」


 九条はザリオンから『鍵』とレイの所持していた魔法の鞄を受け取る。


「『聖剣』で壊します」


「いやいいよ。これは。誰でも出来る訳じゃないけど、ボクなら所有者のロックを外せる。それに、これはもう製造できないから結構貴重品なんだよ?」


 九条は鞄に手を入れ、魔力操作により登録した使用者にしか開けない中身を開く……が。


「へ?」


 出てきたのは金色に輝く巨大な魔操兵ゴーレム。それしか入っていなかった。

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