第382話 獣化

 アレックスの体が急激に膨らみ、全身が金色の体毛に覆われていく。手足の爪と牙が伸び、頭部を含む全身が獅子の様に変容していった。


『グゥォォォォオオオオオオ』


 体長十メートルを超える、巨大な二足歩行の獅子に変化したアレックスは、けだものの咆哮と共に豚鬼の群れに向かって走り出す。


 とても十メートルを超す巨体とは思えない素早さで戦場を駆け、圧倒的な膂力で豚鬼を屠っていく。腕の一振りで十数体の豚鬼がバラバラに吹き飛び、豚鬼を蹴り殺し、踏み潰しながら前へ前へと突き進んでいくアレックス。


 豚鬼の剣はアレックスの体毛に阻まれ傷一つ負わせられず、為す術もなく肉塊へと変わっていった。


 

 その光景を本部の屋上で呆然と見つめる冒険者達。


 しかし、その一方で、同じ『ネメア』のメンバーであるローザだけは表情が優れない。他のメンバーとは違い、ローザだけは『獣化』の危険性を理解していた。


 獣人族に伝わる秘術『獣化』は、己の魔力を肉体の強化に転換する身体強化の一種ではあるが、他の種族には無い獣人族特有の遺伝子、細胞に働きかける禁忌の強化術だ。元々、魔力操作が不得意な獣人族は、身体強化までしか魔法の行使はできない。その理由は諸説あるが、野生の獣の遺伝子が影響しているというのが一般的に語られる。


『獣化』とは、魔力で獣人族特有の細胞を強化し、結果として人を超える身体能力を得ることである。


 しかし、それは己の体を獣に近づけることであり、人を捨てることでもある。肉体の構造が獣に変化すると同時に、人としての理性を失い、本能の赴くままに行動する魔獣と化してしまう。獣化した者が元の人の姿に戻れる例は少なく、禁忌とされているのはそれが理由だ。しかし、身体強化の先の、一つの到達点である『獣化』は、体現できる者が殆どいないことから、その秘術の存在を知る者も稀だった。


 人に戻るには、魔力により、魔獣へと細胞を変化させたことの逆、人の細胞に変化させる必要があるが、獣と化した者がその微細な魔力操作を行えるかどうかは、獣化した本人以外は知る由も無い。


(アレックス様……)


『獣化』の危険性はアレックス本人も理解していただけに、勝算あってのことだと自分に言い聞かせ、ローザは黙って成り行きを見守る。



 しかし……



「あれあれ~ なんかスゴイ魔獣がいんじゃん!」


「ホントだ。でっか! てか、あれライオンじゃね?」


 清水マリアと松崎里沙。二人は漸く豚鬼の軍勢に追いつき、現場に到着した。上空からグリフォンに乗ってアレックスを見た二人は、今まで見たことも無い魔獣に興味深々だ。


「アタシ、あんなの見たことないんだけど?」


「同じく。香鈴は?」



「……」


 林香鈴は青い顔で力無く首を横に振る。香鈴にとっては未知の魔獣のことよりも、里沙に飲まされた寄生虫が、いつ体内で成長して食い破られるか分からず、気が気ではなかった。


「てか、結構、豚鬼共が殺されてんじゃん。全部あのライオンがやったんかな?」


「あれしか暴れてないし、そうじゃね? あっちの六角形の建物が本部っしょ? 屋上に人がいるけど、あれって冒険者?」


「みたいね。探知機の反応もあの建物っぽいよ? たしか、スヴェンって言ってたっけ、あの金髪。いる?」


「うーん、もうちょい近づかないと分かんないかな? でも、アイツって確か、銀ピカの騎士鎧着てたっしょ? それっぽいのはいなそうじゃね?」


「ザ・冒険者って感じの奴ばっかだよね。なんか魔術師っぽいのもいるけどさ」


「どうする?」


「とりあえず、あのライオン邪魔じゃね?」


「だね」


「ってことで、香鈴ちゃんヨロピク」


「え?」


「え? じゃねーよ、行ってこいよ。モフモフはアンタの担当だろ~?」


「で、でも、あれって誰かにテイムされてるんじゃ……それだと、私がテイムできるか分からないんだけど……」


「「知らねーよ」」


「ううぅ……」


「アタシら、準備がてら、あっちで休憩してるから、あのライオンと豚鬼使ってあそこ攻めとけよ」


「そうそう。早くアンタも楽になりたいでしょ? さっさと『鍵』をゲットしてアタシ達も帰って風呂に入りたいんだっつーの」


「わ、わかったよ……」


 香鈴は二人の命令に渋々従い、騎乗するグリフォンを獣化したアレックスに向かうよう指示を出す。


 マリアと里沙はその様子を見届けると、降下して森の中へと消えていった。 


 …


(いけるかな……)


 上空からアレックスを観察していた香鈴は、その強さを見て不安に思う。魔物の使役テイムは、弱く単純な個体はテイムし易く、強く賢い個体は難しくなる。闇魔法の精神支配に似た能力であり、存在値の高い魔物の使役は難度が高くなるのだ。


 香鈴は意識を集中し、獣化したアレックスに能力を発動する。


 ―『接続コネクト』―


 アレックスの動きが一瞬止まり、その身体がビクンと跳ねる。


「…………ダメか」


 能力によりアレックスと繋がった感覚はあるものの、支配には至らなかった。香鈴は、確実な方法を取る為に、周囲の豚鬼に念じて命令を下す。


(豚鬼共……あれの動きを止めろ)


 今まで個々でバラバラに攻撃を仕掛けていた豚鬼が、一斉に一つの狙いを持って動き出した。アレックスの両足に次々に組み付き、その数がどんどん増えていく。足の動きが徐々に鈍くなったアレックスは、両腕を振り回して豚鬼を払うも、数千体に囲まれ、全方向から一斉に組み付かれてついには足が止まってしまった。


『グルォォォオオオオオ』


 雄叫びを上げて暴れるアレックスだったが、数百を超える豚鬼が圧しかかり身動きが出来なくなっていた。


 そこへ香鈴が騎乗するグリフォンと共に舞い降り、アレックスと視線を合わせる。


 ―『支配ドミネーション』―


「……ん? ……人?」


 能力を発動させた香鈴は、今までテイムした魔獣とは違う感覚に違和感を覚える。闇属性の魔法と異なり、使役の能力は人間には効かない。以前、実験的に人に対して能力を発動させた時と似た感覚を目の前の魔獣に感じたのだ。


「ダメだ。完全に支配出来ない。何コイツ……?」


 支配を拒絶する、理性とも言うべき意志を感じた香鈴は、完全に支配することを諦め、命令を強引に刷り込む方向へと能力をシフトする。


 意識を集中し、アレックスの目を見ながら、能力を使って単純な命令を刷り込んだ。



「人間を殺せ人間を殺せ人間を殺せ人間を殺せ人間を殺せ人間を殺せ人間を殺せ人間を殺せ人間を殺せ人間を殺せ人間を殺せ人間を殺せ人間を殺せ……」

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