第363話 聖女と聖女

 街にいる全ての者が、言葉を失った。


 神聖国セントアリアの象徴とも言える教会本堂が一瞬にして消滅した。先程まで不死者に襲われ、地獄のような混乱が嘘のように、街は静寂に包まれていた。雨が上がり、雲の隙間から太陽の光が幾筋も伸び、幻想的な光景がそこにはあった。天から聞こえた声に、この国に住む全ての人が外に出てそれを目の当たりにして立ち尽くしていた。


 そして、人々は祈り出す。ある者は神への信仰を更に強くし、またある者は神に許しを請うように頭を垂れ、懺悔する。この場にいた全ての者は、神の力の一片『天使の力』を目撃し、それに触れたのだった。



 ―『ローズ家 屋敷』―


 屋敷にいた人間も全員が表に出てその光景に呆然としていた。


 そこへ、光学迷彩を解いたレイが姿を現す。


「「「ッ!」」」


 全員がギョッとした顔でレイを見る。


「なんだ?」


 まるで何事も無かったような顔で声を掛けるレイだったが、誰からも反応は無い。



「「「…………」」」



 そこへ真っ先に動いたのはリディーナだ。走り出し、飛び付くようにレイに抱きついたリディーナは、レイの顔を確かめるようにベタベタと触る。


「本物よね?」


「何言ってんだ? 当たり前だろう」


 以前、魔導船内でレイの『天使モード』を見たことのあるリディーナだったが、今回あまりの超常の出来事に、あのままレイが消えてしまうのではないかと、言い様の無い不安に襲われていた。レイの顔や体を一通り触って確かめたリディーナは、最後に強く抱きしめてレイの存在を確かめた。


「……心配した」


「なにをだ?」


「んーん、なんでもない」


 不思議そうな顔をするレイに、リディーナは安堵した顔で返す。



「……誰よアレ?」


 レイとリディーナが二人の世界に入っているところに、指を差して疑問を投げる女がいた。オリビアだ。


「レイ様です」


「「「旦那だ」」」

『アニキっす』


 オリビアの隣でイヴが答え、『ホークアイ』の三人とブランがそれに同意して頷いていた。


「うっそ?」


「本当です。レイ様はとある事情により子供の姿でしたが、本来の姿はあちらです」

 

「へ?」


「ちなみに先程、空にいた天使様はレイ様ご本人です」


「はい?」


「お若い姿ではありますが、お歳は四十を超えてらっしゃいます。今までレイ様は気にしておられない様子でしたが、以後、口の利き方はお気を付けください」


「……マジ?」


 固まるオリビアを他所に、レイは皆に声を掛ける。


「何が起こったか、今後に関しても聞きたいことがあるだろうが、その内、ケネスとダニエが来る。話はその後だ。……それと、イヴ、少しいいか?」


「……は、はい」


 レイはイヴに声を掛け、リディーナと共に屋敷に入って行った。



「「「……」」」


 屋敷の使用人達もオリビアと同様、呆然と三人を見送る。特に使用人の女性陣は頬を赤くし、レイに呆けていた。


 …

 ……

 ………


 レイ達に用意された屋敷内の客室で、レイとリディーナ、イヴ、アンジェリカとクレアがテーブルを挟んでソファに座っていた。


 レイはテーブルの上に、純魔銀ピュアミスリル淡紅色金剛石ピンクダイヤモンドがはめ込まれたロザリオ『聖女の証』を置く。


 それを見た瞬間、アンジェリカの目線がクレアの胸元に向かう。クレアの胸元にも同じロザリオがあったが、一目でその違いが分かった。ロザリオにはめ込まれた淡紅色金剛石ピンクダイヤモンドは同じようでその輝きに天と地ほどの差があったからだ。


「これが本物の『聖女の証』だ」


 レイはテーブルに出したロザリオを差して言う。


「で、では、クレア様が身に着けている物は……」


「これを模した偽物らしい」


 アンジェリカはレイの意図が読めず、困惑する。


「……レイ殿、一体何が言いたいのだ?」


「クレアは聖女ではない」


「な、何を馬鹿なことを言っているのだ! 私を揶揄っているのか?」


 突然の発言にアンジェリカは声を荒げる。


 レイは教会本堂の地下での出来事を話した。


 …


「あ、亜人からも聖女様が生まれていた? ……長い間、教会はその事実を闇に葬り、偽の聖女を仕立ててきただと? ……クレア様が……作られた存在?」  


 アンジェリカは今にも泣きそうな顔で、頭を抱える。教会の隠していた真実を知らされ、激しく動揺していた。


「言っておくが、クレアには一切、罪は無い。聖女にされる子供は幼い頃より薬物と洗脳で自分が聖女であると思い込まされている。……クレアは教会の被害者だ。お前の気持ちは分かるが、クレアを恨むな。恨むのはそれを行ってきた教会の上層部、教皇やアイツだ」


 レイはそう言って、部屋の隅に放置された、マルセル枢機卿が入っている麻袋を顎で指す。


「あ、ああ……しかし……」


 自分が今まで信じていたことが教会の偽りだったことにアンジェリカはショックを受けていた。クレアが聖女ではないという事実もそうだが、亜人から聖女が生まれるという事実はすんなり受け止められずにいた。リディーナやイヴ、亜人は自分達と変わらない同じ人間だと頭では分かってはいても、幼少より教会に刷り込まれた常識、価値観が未だ心の中に残っていたのだ。


「そしてもう一つ……そこにいるイヴが本物の『聖女』だ」


「――――」


 アンジェリカの思考が停止する。


 イヴは終始視線を下に向けたまま、一言も言葉を発しない。イヴもまた、自分が聖女であると受け入れられてはいなかった。


「イヴ」


「は、はい」


「お前は聖女だ。それはあの天使とダニエが認めてる。その事実は変わらない」


「……」


「だがな、これだけはもう一度、はっきり言っておく。お前が何者であろうと、お前は俺の従者であり、弟子であり、大事な仲間だ。……それに、俺はお前を娘のようにも思ってる。誰がなんと言おうと、お前は俺の大切な存在だ。……今後も俺のそばにいろ」


「ッ!」


 イブが顔を上げてレイを見上げる。


「それとも、聖女としてこの国で生きていくか? それならそれで俺は全面的に協力す――」


 イブは顔を左右に激しく振り、その提案を全力で拒否する。


「なら、そんな顔をするな。お前の敵は俺が全て始末するし、文句を言う人間は全員息の根を止めてやる。胸を張って俺の隣にいろ」


「えぐっ ……ば、ばいっ!」


 イヴは嗚咽を漏らしながら涙を流していた。イヴにとっては、二人のそばに居られるだけで良かった。大切な存在と言われたのは生まれて初めてだ。何より、娘と言われて嬉しかった。家族というものを知らずに生きてきたイヴにとって、その言葉は心に響いた。


「まあ、娘とか言われたら気持ち悪いかもしれんが……」


「んもう、ホント不器用ね~」


「リディーナざば……」


「ほら、涙を拭きなさい。私にとってもイヴは娘みたいなもんなんだから」


 そう言って、リディーナはイヴを抱きしめ、ハンカチで涙を拭う。


「ばい」



「アンジェリカ、イヴが何者であっても俺達は変わらない。お前もイヴを無理して聖女と思わなくていい。イヴにその気が無い以上、俺はイヴを聖女として祭り上げる気は無い。お前はその事実だけ知ってくれていればいい」


「…………クレア様は……クレア様はどうなるのだ……」


 アンジェリカは隣にいるクレアを見る。精神を病み、感情が消えたままのクレア。護衛として側に仕えていた時とは違い、拙いながらもここ数か月の間、片時も離れず世話をしていたのだ。今更聖女では無いと言われても見捨てることなど出来なかった。



 コンコンッ


 そこへ部屋をノックする音が聞こえた。


「失礼します。レイ様、ケネス様とダニエ枢機卿がお見えになりました」


 扉の向こうから屋敷の使用人が遠慮がちに声を掛ける。


「通してくれ」


「「「?」」」


 レイは、部屋に入ってきたダニエ枢機卿が抱えた少女を見て、席を立った。


「クレアのことはあの子と一緒に俺が救う」

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