第311話 勇者の国③

 川崎亜土夢の拳は、九条彰の顔をとらえることなく空を切る。そこにいたはずの九条彰は亜土夢の目の前から消え、ヘレン・ウィリアムスの背後に瞬時に現れた。


 吉岡莉奈から強奪コピーした『神速』の能力だ。


「お腹、大分大きくなったね~ 亜土夢の子供だろ?」


 九条は父親の生首の前で蹲るヘレンに向かって、ニヤついた笑顔を見せる。



「テメー! ヘレンに近づくんじゃねぇ!」


 ―『水牢』―


 九条は亜土夢に向かって手をかざし、短縮した詠唱で水魔法による巨大な水の塊を生み出し、放った。九条に向かって来た亜土夢は水の塊にそのまま突っ込むが、水の塊から抜け出すことは出来なかった。


「ただの水球だと思った? 一旦、その中に入ったら君の動きに合わせて動く水の牢屋さ。いつまで息が続くかな? でも安心しなよ。殺しはしないからさ~」


 亜土夢は慌てることなく息を止め、なんとか水の塊を破壊しようと拳や蹴りを繰り出す。


「ハハッ 無駄無駄。やっぱ魔法には弱いよね~ 近接戦闘じゃ無敵の『拳聖』も、使いこなせなきゃそんなもんだよね。他のみんなもそうだけど、与えられた能力のままで満足しちゃってさ。それじゃあ『女神の使徒』には勝てな――」


「やめなさい! 九条彰!」


 志摩恭子が九条の言葉を遮るように叫ぶ。


「心配しなくても殺さないよ、先生~ ちょっと溺れてもらうだけだよ」


「貴方は何故そんなこと知ってるの? 貴方が何者か、私達に何をしたかはともかく、知ってたならみんなに警告するなりしてれば誰も死ななかったんじゃないの?」


「だから今してるでしょ? このままじゃ殺されるって。話聞いてた? 先生? ボクもつい最近までみんなとクラスメイトだった記憶しかなかったんだよ? 女神はボクらの記憶を見れる可能性があったんでね。最初から記憶があったらピンポイントでボクは殺されてた。先生も殺されたくなきゃ、ボクに協力してくれないかな?」


「……貴方が女神に命を狙われる理由は何なの?」


「さあね~ 先生に接触した女神が何を言ったか知らないが、先生の想像してる『神』ってのは絶対的な存在でもないし、人間にとって都合のいい存在でもないのは覚えておいた方がいいよ~」


「どういう意味……」


 ガボッ


 息の限界がきたのか、亜土夢が水の中で肺に残った空気を吐き出す。水を吸い込み、意識を失った亜土夢は白目を剥いて、身体が弛緩する。


 それを見た九条は『水牢』の魔法を解除する。


「さて、これで亜土夢は回収。ヘレン・ウィリアムス、キミは人質だ。お腹の子供諸共ね。先生は……いらないかな?」


「ッ!」


 九条彰は手に『聖剣』を出現させ、志摩恭子に向かって剣を振る。光の刃が剣から発せられ、光速の斬撃が志摩を襲う。


「やめ……」


 袈裟懸けに胴を切り裂かれた志摩は、そのまま吹き飛ばされた。


「ん? ……おかしいな~ 真っ二つになると思ってたけど意外に頑丈だね~」


 ガフッ ゲホッ


 仰向けに倒れ、血を吐く志摩恭子。起き上がることもできず、微かな呻き声を上げて傷口を押さえてはいるが、出血は激しく、はらわたも飛び出している。


「ホント戦闘は苦手だな~ でも、その傷じゃ回復魔法でも助からないね~」


 九条はヘレンに向き直すと、腕を取って立たせる。意識を失ってる亜土夢の元へ向かい、空間魔法を発動させると、二人を連れてその場から姿を消した。



 ―『再生リジェネレイト』―



 志摩恭子の手の平から白い光が発生し、傷が瞬く間に塞がっていく。同時に飛び出していた腸がちぎれ落ち、その下から新たな臓器が再生されていた。


「はぁ はぁ はぁ……」


 傷が塞がっても、その場で蹲り、身を震わせて自分を抱きしめる志摩恭子。今までこんな大怪我を負ったこともなければ、魔法という不可思議な力でその傷を癒したことも無かった。例え、出来ると分かってはいても、実際に行うのは初めてだった。


 志摩は、跡形もなく傷が塞がった自分の体を見て、今までのことは全て夢だと思いたかったが、先程味わった痛みと、恐怖がそれを否定する。


 ―『聖女セイント』の能力―


 あらゆる怪我や病気を癒し、魔を退ける力を持つ。神の声を人々に伝え、導く能力。



 志摩はゆっくり立ち上がり、これから何をすべきか考える。女神の声が聞こえなくなって随分経つ。この世界にアテはない。戦う術もない。九条の言うとおり、『女神の使徒』と接触すれば殺されるかもしれない。しかし、志摩恭子には他に選択肢は無かった。


「センセー!」


「アイシャっ!」


 馬車の中から一人の女の子が飛び出してきた。以前、伊集院から亜土夢によって助け出された子供だ。故郷の村は伊集院によって皆殺しにされ、孤児となったアイシャを亜土夢は保護し、ヘレンの付き人として一緒に行動していた。


「良かった、アナタは無事だったのね」


「お兄ちゃんに馬車から出るなって言われたから……セ、センセーッ! 血、血がっ」


「大丈夫、何ともないわ。アイシャ、こっち、いらっしゃい」


 志摩はアイシャを引き寄せると、街道に放置された生首を見せないように、自身の背で隠すように抱きしめた。


「センセー、お兄ちゃんは?」


「……」


 …

 ……

 ………


「ふ~ん。『再生』か。女神がコンタクトをとれたことといい、やはり『聖女』かな? ハハッ 似合わないねぇ~。……さぁ~て、先生には頑張って『女神の使徒』を探して貰おうかな?」


 九条彰は、志摩恭子とアイシャが歩き出すのを、森の影から不敵な笑みで見送った。

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