第229話 母

 「あら? こんなところにいたの?」


 「ご苦労さん、どうだった?」


 「とりあえず、動いてる吸血鬼はいないと思うけど、後はここの人達で何とかできるでしょ」


 「それもそうだな」


 長老院の屋根の上に座っていたレイの元へ、吸血鬼の討伐を終えたリディーナが戻ってきた。遠くの空が明るくなってきており、もうすぐ夜が明ける。長老院の屋根からでも王都の風景は良く見える。城を中心に円形に作られた都市は整然として美しく、石造りで統一された建物に這う植物が、都市を幻想的な風景に仕立てていた。


 レイの隣に腰かけたリディーナが、そっとレイの肩に頭を預け、その身を寄せる。


 「随分長く掛かっちゃったわね~」


 「そうだな……。だがまあ、来れて良かったよ」


 「本当?」


 「色々あったが、この景色を見れて良かった。それに、途中にあった集落も。あんな大木を切り抜いた家なんて、俺がいた世界じゃ見たことなかったからな。森も空気も綺麗だし、良い所だよ」


 「ふ~ん、私には田舎にしか思えないけど? あの大樹の家だって、中古もいいとこよ? 新しい家なんて滅多に作られないし、使い回しよ、あんなの。お風呂もないし……」


 「フッ、隣の芝は青く見えるってやつかな。それでも俺には十分魅力的だぞ? いつか、一度は住んでみたいと思うよ」


 「まあ、私はレイとだったらどんな家でもいいけど? でもお風呂は欲しいかな」


 「それは俺も同じだ。風呂は欲しいな」



 「「「フフフッ」」」



 「……そう言えば、義理の両親には会わなくていいのか?」


 「うん。あのエリクってヤツの暴走で、街に結構被害が出たみたいだから、今はちょっとね。両親は無事だったらしいから安心してるけど、今は娘が死んだことを言える雰囲気じゃないし、義妹の遺体がどこに眠ってるのかまだ分からないから……」


 「それはそうかもしれないな……」


 エリクが暴走した爪痕は、ここからでも確認できた。街の一角がポッカリと穴が開いているように無くなっている。人も大勢亡くなった。だが、遺体は無い。そのことが生き残った多くの者を混乱させているだろう。遺体が無ければ、遺族や知人は生きているかもしれないと諦めきれない。レイも生前、爆弾で跡形も無く吹き飛んだ知り合いの死を中々実感できなかった。遺骨も何も無い墓ほど、空しく悲しいものは無い。


 「また、落ち着いた頃に戻って来るんでしょう? 両親にはその時に会うわ」


 「そうか……。じゃあ、その前に妹さんの墓も見つけておかないとな」


 「うん」


 …

 ……

 ………


 ――『長老院 会議室』――


 昼。


 「もう行くのかい?」


 「ああ。元々、保護した子供達を連れてくるのが目的だったからな。『勇者』がいたのは予想外だったが、始末はできた。そこのオッサンの治療と吸血鬼退治はついでだ」


 「オ、オッサン…… ついで……」


 サリム王が、レイの物言いに何か言いたげな顔をするが、自身の命を救ったレイへの恩は大きく、何も言えない。レイの手術を受けたサリム王は、嘘のように咳も収まり、痛みも消えて元気を取り戻していた。側近をはじめ、王の病状を知っていた者からも驚きの声が上がり、レイに対する感謝の声も多く上がっていた。


 「報酬はボクが見繕ってリディーナに渡しておいたよ。どれも市場には殆ど出回らない貴重な物だから、ギルド支部で買い取って貰えばかなりの収入になると思う。まあ、ボクが本部で換金してキミ達の口座に振り込んでも良かったんだけど、使いたい薬草もあるんだろう? だから素材のまま持っていくといい」


 此度の報酬として、王室で保管されていた希少な薬草や木材、鉱石などを受け取ったレイ達『レイブンクロー』。時間停止機能付きのリディーナの魔法の鞄マジックバッグに入れてあるが、人間社会の市場では金貨数千枚以上の価値がある。特に、『エタリシオン』にしか生えないと言われている『妖精樹フェアリーツリー』は、魔術師の杖や、魔導具の素材として最高峰であり、『エタリシオン』国内においても希少な素材であった。

 

 「ついでに、お願いがあるんだけどいいかな?」


 言い難そうにしているサリム王の代わりにトリスタンがレイに言う。


 「ルイの腕を治してやって欲しい。本人も反省してるし、今後も遺恨を残したくないからさ……。何とかしてやれないかな?」


 トリスタンの発言に、レイはルイを見ると、包帯を巻いた腕を押さえながらそっぽを向いているルイがいた。とても反省しているようには見えない。それを見ていたリディーナとイヴも、ルイの態度に不快感を示す。


 「本人は治して欲しいとは思ってないみたいだけど~?」


 「くっ、出……」


 出来損ない、そう思わず口に出しそうになったルイは慌てて口をつぐむが、周囲の側近や近衛達からは冷ややかな目で見られるルイ。


 「別にいいぞ」


 「「「えっ!」」」


 リディーナ達は勿論、サリム王達からも驚きの声が上がる。頼んではみたものの、まさか、レイが受けるとは思わなかったのだ。


 「その代わり、追加の報酬を貰うぞ?」


 「一体何を……」


 ゴクリとサリム王と側近達が息を呑む。


 「ナヴァ村かメナール村、その近くの郊外に家が欲しい。あの樹木の家だ」


 「「「へっ?」」」


 「ちょっと、レイ、どういうこと?」


 「まあ、セーフハウスの一つにいいなと思ってな」


 「「「セーフハウス?」」」


 「隠れ家のことだ。万一何かあった時に、利用する家の一つだな。今後、教会が敵になるかもしれないし、どこかの国から追われることになるかもしれないしな。念の為だ」


 「「なるほど……」」


 リディーナとイヴが揃って納得するが、サリム王達は、それぞれ複雑な思いだ。この危ない男の拠点を国内に築かれることへの不安感。結果的に王の病を癒し、悪しき勇者と吸血鬼から国を救ってくれたとは言え、そのやり方が正義とも思えなかった。


 「家を用意するのはいいけど、国への出入りはどうするつもりだい? 結界は精霊が見えないと通過できないよ?」


 サリム王達の返答を待たずにトリスタンがレイに尋ねる。


 「それは後から考える。リディーナがいれば通過は出来るし、恐らく他にも方法はあるはずだ」


 「そんな方法があるならちょっと見過ごせないんだけど、まあキミのことだから他には真似できない方法だと思うことにするよ。希望の地域で、住居に適した樹木があるか分からないし、あったとしても樹木を住居にするには色んな儀式が必要だからすぐには用意できないけどいいかい?」


 「ああ、問題ない」


 (最悪、リディーナとイヴだけでも避難できればいいからな)


 

 その後、レイは、不本意そうなルイに無理矢理治療を施し、腕を再生させた。斬り落とされた腕は保管されていたものの、既に壊死しており、接合するには適していなかった。その為、一から腕を再生しなければならず、治療は数時間に及んだ。


 …


 レイがルイの治療をしている間、サリム王は人払いをした部屋で、リディーナと会っていた。


 「余のことは恨んでくれて構わない。だが、これだけは伝えておかねばと思ってな……」


 「伝える?」


 「お前の母のことだ」


 「お母さん……」


 「お前の母、リーナはお前を産んですぐに息を引き取った。生きていれば、お前を放ってはおかなかったであろう。リーナは王族に生まれながらも、古い掟やしきたりに囚われず、自由な女性だった」


 サリム王は、リディーナに亡くした妻の面影を重ねながら言葉を続ける。


 「これはリーナの形見だ。顔も知らぬ母を偲ぶことは難しいとは思うが、自分の命を顧みずに、お前を産んだ母の存在を忘れないで欲しい。本来であれば、成人した際に渡そうと思っていたものだが、遅くなってしまった」


 サリム王が、リディーナの手に深い青色の宝石があしらわれたブローチを置く。その宝石の内側では、ゆらゆらと青い光が揺らめいていた。


 ―『精霊結晶エレメンタルクリスタル』―


 精霊が宿ったとされる鉱物。精霊が豊富にいるとされる『エタリシオン』でも滅多に採掘されない非常に希少な貴石であり、不思議な力が宿っているとされるものである。加工の際に、その輝きが失われる(精霊が霧散する)ことでも知られ、宝飾品として存在しているものは、非常に珍しい。


 「生前、リーナが肌身離さず身に着けていたものだ。大切にして欲しい」


 名残惜しそうに、そっと手を離したサリム王。その様子に、サリム王にとっても大切な物だと察するリディーナ。



 リーナ・エル・エタリシオン

 

 エルフ族は、生涯一人の者しか愛さない。それは王であっても同じだった。数いる妃の中で、それが誰であったか、それを口にすることは出来ない。王自らが王族の掟を破ることも出来ない。サリムが当時、最も信頼する側近にリディーナを預け、王室に呼び戻すことに手を尽くしていたことをリディーナが知るのは、まだ先のことだった。

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