第177話 重圧

 「頼むっ! 私に剣を……、魔法を教えてくれっ!」


 アンジェリカは、レイに向かって頭を下げる。


 イヴはその光景に驚愕する。プライドの塊のような神殿騎士。それもアンジェリカは神聖国でも五指に入る大貴族の令嬢だ。とは言え、人に頭を下げるとは思わなかった。恐らく人に頭を下げることなど、アンジェリカはしたことがないはずだ。


 「断る」


 「「え?」」


 レイは、素っ気なくアンジェリカに言うと、馬車へと戻ろうとする。


 「ま、待ってくれ! 何故……」


 「どうしてですか? アンジェリカ様がレイ様に教われば……」


 イヴは、聖女クレアの今後に関して、当初から危機感を覚えていた。神聖国に行っても、聖女を守ることができるか分からない。洗脳を受けていた神殿騎士を見て、頼りにはならないと見限っていたのだ。それはアンジェリカに対しても同じだった。ローズ家に預けるとしても、側にいるのはこの護衛騎士だ。レイがいなくれば、守れる人間もいなくなる。洗脳を受けた神殿騎士からは勿論、勇者になど到底敵わないだろう。


 「別に意地悪くしてる訳じゃない。単純にだけだ。正規の騎士として、訓練を受けて魔法の教育も受けてきたんだろう? 今から俺が教えても逆に弱くなることもある。魔法に対する考え方も変えられるか分からん。特に、魔法に関しては、迷いがあれば発動しない恐れもある。中途半端はかえって危険だ」


 「そ、それでも……」


 「神聖国まで、後一ヵ月ぐらいか? その間に何を教えてもお前が満足するモノは得られないだろう」


 「レイ様、それでも、このままではクレア様をお守りするのは厳しいと思います。何か一つだけでも……。現にあの二人の子供には……」


 「イヴ、『霞』は習得できたか?」


 「え? い、いえ。まだ完璧には出来ません」


 「俺から教えてもらいたいモノっていうのは、本来、何年も修練を積んでようやく体現できる技術だ。イヴも自分で習得が遅れてると感じてるだろうが、それでも、俺が今まで教えた人間の中でも、イヴは才能が飛び抜けてると言ってもいい。俺から教わってすぐにやって見せるリディーナはちょっとオカシイんだ。あの子供達には単に生きる術を教えてるだけだ。まあ、精霊が見えるのは、エルフの中でも少ないらしいから才能はあるかもしれないがな。魔法に関しても、今まで教わってきた常識を捨てることになるんだ。碌に魔法を教わってなかったイヴや子供達とは根本的に状況が違う」


 「アンジェリカ、いや、お前だけじゃない。自分が今まで信じてきたモノ、常識だと思ってたような考えを、人間はすぐには捨てられない。先入観はそんな簡単に拭えないんだ。以前、聖女を「闇魔法」で治療すると言った時、露骨に嫌な顔をしたな? そんな偏見があれば、俺が教える魔法の習得は無理だろう」


 「なっ! そ、それは……」


 項垂れて、消沈するアンジェリカ。イヴもどうしたらいいか分からないといった表情で、アンジェリカとレイを見る。


 「騎士として自身の力量を上げたい気持ちは分かるが、名家の貴族なんだろ? 俺達には無い「力」は、既にあると思うけどな」


 「「?」」


 「分からないか? 一個人の武力なんて、たかが知れてる。そりゃ、今の俺なら街の一つくらい灰に出来るさ。でもな、それじゃダメなんだ。確かに『勇者』や礼拝堂に現れた『悪魔』なんかは強力だ。まともにやったら騎士団じゃ相手にできないだろう。だが、たかが個の力だ。俺や勇者、悪魔だって、数千、数万の人間に休みなく襲われれば、いずれ力尽きて死ぬ。重要なのは「情報」と「数」だ」


 合点のいかない表情の二人に、レイは追加の説明をする。


 「本当は、神聖国や教皇、ローズ家ってヤツを見るまで判断できなかったから言うか迷ったが、『勇者』を殺るには「情報」が圧倒的に足りてない。居場所は勿論、能力や現在の人間関係など、二十人近い『勇者』の顔と名前しか分からない状況だ。こちらから仕掛けるなんて到底出来ない。冒険者ギルドには手を打ったが、あそこも上層部は今一信用できないしな。神聖国がで、聖女を保護し、『勇者』に対して俺に協力的なら問題ない。だが、そうじゃなかったら、俺は教皇だろうが何だろうが、『勇者』を始末するのに邪魔だと判断したら、全て始末する。国の主要な者がいなくなるんだ。そうなれば、……後は分かるだろ?」


 「……アンジェリカ様に神聖国、騎士団をまとめて、勇者達の情報を集めさせると?」


 「別にローズ家でも何でも信頼出来て、まとめられるなら誰でもいい。俺にとっては『勇者』を始末するのに協力して貰えればそれでいいしな。女神のサポートが期待できない以上、自分達で情報は集めなきゃならない。『勇者』は確かに強いが、能力を把握し、こちらから仕掛けられれば暗殺は容易だ。『勇者』を全て始末できれば、聖女に対しての脅威は殆ど無くなる。昨日の襲撃でも分かったと思うが、常に受け身の状態は、どんなに個の力が優れていても不利になる。脅威の対象を調べる為にも、集団の力は必要だ。だがそれもアンジェリカ次第だ。人を集めて使うには、本人の意思と、周りの人間が納得する背景、肩書が必要だ。俺は手の届く範囲しか力は及ばないが、貴族の力はそうじゃないだろう? 少なくともお前は洗脳されていないし、実情も把握している。教皇が正常なら教皇に任せるが、そうじゃなければお前が聖女を守る為に組織を動かさなきゃならないんだ。剣を振ってる暇なんてないと思うけどな」



 アンジェリカは再度、顔を青褪める。つい先程、吐いて胃が空にも関わらず、吐き気が込み上げてきた。


 レイは、教皇を含めて、操られている者を全て殺すと言っている。そしてそれが可能なのは、自分の目で確認している。本国の神殿騎士団が束になっても、皆殺しにできる力が彼にはある。街一つ灰に出来ると言ったのも比喩じゃないのは、村を焼いた魔法を見ても分かる。回復魔法どころか、火の属性魔法までも完全無詠唱で放って見せたのだ。しかも跡形も無く焼き尽くす程の超上級魔法をいとも簡単に放った。


 だが、そのことよりも、彼は私に、神聖国をまとめろと言っている。勿論、教皇様が洗脳されてなければそんな心配はない。だが、クレア様が操られていたのだ。教皇様がそうではないと言い切れない。事の重大さに、今更ながらに気づいた。剣や魔法を教わるどころではない。国へ帰れば、誰が敵で誰が味方か見極めなければならないのだ。……自分の父も含めて。


 彼は、『勇者』を始末するのに、神聖国、いや、アリア教徒の目と耳を利用するつもりだ。その統制を私にやれと言っている。冗談ではない。あの魑魅魍魎の中枢の者達を私が? 無理だ。……いや、邪魔する者は彼に斬り捨てられるだろう。


 神聖国の中枢が侵されていた場合、主要な者が彼に処分される。その時、国のトップに立つのは自分かもしれない。そう彼に言われ、私は重圧に押し潰されそうになって、再度、嘔吐した。 

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