第159話 執事

 人の気配が無く、異様な静けさの屋敷に異変を感じとったピアーズ家の執事は、屋敷の離れにある広場に来ていた。そこは鍛錬場の様な広さがあり、石畳は黒一色で染められ、均一に敷き詰められていた。


 着ていたジャケットと手袋を脱ぎ、首を回しながら独り言のように呟く執事。白髪交じりのオールバックに、初老を匂わせる顔の皺。その老齢に見合わぬ鍛えられた肉体は、とても執事とは思えない、格闘家然とした佇まいだ。


 「随分早いな。屋敷に来る途中で誰にも会わなかったのか?」


 シャツのネクタイを緩めながら、誰もいない空間に話しかける執事。


 「……」


 「どうした? 宿に向かわせた者からここを聞いてきたんだろう? いい加減、姿を見せたらどうだ?」



 「……俺のことを殺したいそうだな」


 レイは、執事の言葉に答えながら、広場の石畳に一歩踏み出す。すると、光学迷彩の魔法と身体強化が解け、腰の刀と防具が途端に重くなった。


 「魔封の素材か? それに……ひょっとして磁石か?」


 「姿を消す魔導具か? 随分良い物を持ってるな。だが、磁石の存在を知っているとは……。この辺りにはまだ無いんだがな。まあいい、で、どうする? 逃げるか?」


 (剣と魔法を封じたエリアで素手で勝負ってか? いくらなんでもこの程度の磁力で剣が振れない訳ないだろう。馬鹿にしてんのか? それに何が「逃げるか?」だ。煽ってるつもりなんだろうか? 態々乗り込んできてるのに逃げる訳無いだろ。外から石でも投げてやろうかな……)


 「まあいいか。乗ってやる。いくつか聞きたいこともあるしな」


 レイは、そのまま執事の方へ歩き出す。


 「フフフ、若いな。だが流石は「S等級」と言ったところか。この私に身体強化も無しに素手で勝てるかな?」


 「お前が誰だか知らないし、興味も無いが、師匠ジジイより強いなら勝てないだろうな」


 「これは失礼。私はピアーズ家の執事を務めている、レスリ―という者だ。師匠という者がどれほどかは知らんが、素手なら私より強い者はいないと思うがね」


 「……。それより、色々聞きたいことがある。俺を殺すよう、チンピラ達に依頼したみたいだが、何故だ? 心当たりは無いんだがな」


 「貴様、自分が「S等級」という自覚が無いのか? 『龍』と同等という強さを持つ人間。それを殺せば、武人としての名声が上がるというもの。それに我が主の目的とも合致したのでな。だが、私も自惚れてはいない。魔法を使われれば敗北もあり得る。こちらが有利な場所までご足労願うのに、金で雇った連中を使ったまでよ」


 「ツッコミどころが色々あるが、まず俺が来なかったらどうしてたんだ?」


 「明後日、いやもう明日かな? 議会に呼ばれているだろう? そこで貴様は、私との勝負を断ることはできない、そういう手筈になっている。だが、その前に殺せれば色々捗るのでな。ようは来ても来なくても結果は変わらんのだよ」


 「……。俺が議会に呼ばれた理由は?」


 「それは私に勝ったら教えてやる。今から死ぬ人間に教えても時間の無駄だ」


 レスリーと名乗った執事が、そう言って腰を落とし、やや半身の体勢で両手を構える。



 (面倒臭そうなオッサンだな。名声がどうの言ってる割には、こんな姑息な手を使ったり、言ってることとやってることがチグハグだ。この世界に「恥」という文化は無いんだろうか? さっさと始末して議員に直接聞くか、コイツを無力化して聞くか迷うな……)


 「しかしまあ、遠慮無しの組手も人間相手には久しぶりだ。付き合ってやるか……」


 レイは、構えもせずにゆっくりとした足取りで、レスリーに向かっていく。


 「舐めるなっ!」


 レスリーは、身体強化をしていないにも関わらず、リディーナの突きに匹敵する拳をレイに放つ。


 (はぁ……マジかよ)


 人間は身体を動かす際、動かそうとする箇所を動かす前に、それ以外の部分に必ずサインが出る。攻撃する場所への目線、肩、腕、踏ん張る足など様々だ。空手の正拳突きの場合、爪先から拳の先の順で流れるように体が動く。無論、それは一瞬の動きだ。だが、武道においてはその始まりの動き、「起こり」を如何に消すかを考える。相対する者が同じく熟練した者なら、「起こり」でどんな攻撃が来るかを察してしまうからだ。


 このレスリーという男は、この初動を消すという基本ができていない。拳の速さと威力を意識するあまり、構えた状態から更に足を踏み込んでいる。何のために構えているのか? 全く意味が無い。これではどんなに速くとも、達人と呼ばれる域に達した者には容易に避けられる。


 レイは、内心ため息をつきながら、レスリーの拳を前に進んで避けると、そのまま膝をレスリーの顎に向けて放つ。


 「なっ!」


 レスリーは、レイが自分の突きを避けたことと、逆に前に接近してきたきたことに、驚き慌てて頭を上げて膝を避けた。


 反射的に上体が反ったレスリーに、レイは振り上げた足を、内腿に向けて踏みつけるように下ろす。


 バキッ


 「はぎゃあああっ!」


 レスリーの足は、外側に向けてあっさり折れ、大腿骨が外に飛び出し、皮膚が裂けて血が噴き出した。


 悲鳴を上げながら、腿を押さえてその場に倒れ込むレスリー。


 レイからすれば、何万回では効かない程、飽きるほど見てきた「パンチ」。町の不良からベテラン軍人まで、殆どの人間が初撃で放つのは、利き腕による突きパンチだ。予備動作やフェイントの無い愚直な正拳突きなど、それこそ人間の知覚能力を超えた速度でも出さない限り、避けることなどレイには目を瞑ってでもできる。


 「うぐぅぅぅ…… バ、バカなぁぁぁ……」


 「何が「バカな」だ」


 バキッ


 「ぎゃあああああ」

 

 レイは、折った足の反対の足を踏み抜き、膝を砕いた。


 

 「さて、色々話して貰おうか……」

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