第117話 レイの過去②

 濃緑色オリーブドラブの野戦服に身を包んだ鈴木隆(レイ)は、アフリカ大陸の、ある紛争地域の国境付近をヘリの上から眺めていた。


 UH-60 通称「ブラックホーク」と呼ばれるこのヘリは、米軍をはじめ、世界中で運用されているベストセラーのヘリコプターだ。鈴木が乗るこの機体は、所属する民間軍事会社所有の特殊仕様のヘリで、製造番号を削られ、機体マーキングも一切無い秘密作戦ブラックオプス仕様だ。


 鈴木を含め、同乗する他の兵士も、装備している銃や弾薬、食料や救急キットに至る全ての物が、現地で購入できる品ばかりだ。捕縛されたり、遺体となった後も、背後関係を辿られないよう、国籍や身分を示す物は一切所持していない。



 『何度見ても胸糞悪い光景だな……』


 白人の中年、ジャックが無線越しに呟く。ジャックは米陸軍特殊部隊デルタフォースの元隊員で、今は民間軍事会社の傭兵部隊「レイブンクロー」の部隊長だ。俺と同じ「新宮流」の裏道場の門下生でもある。


 『地球の反対側じゃ、テレビを見ながら笑ってメシを食ってるヤツがいると思うと何とも言えないな……』


 『まったくだ』


 国境を低空で通過しているヘリの眼下には、大量の難民の姿と、それを笑いながら銃撃する民兵達。若い女は強姦され、少年少女は縄で縛られトラックに詰め込まれている。泣きながら兵士に縋りつく親達を、その子供の目の前で、平気で銃で撃ち殺している。


 『俺達には関係ねぇだろ? それより早く帰って一杯やりてぇぜ……』


 部隊の中で、一番若い中南米ヒスパニック系のロドリゴは我関せずだ。ロドリゴの他に、黒人の中年、マイクと、若い白人、ロバートの二人は腕を組み、目を瞑って静かにしている。


 俺達「レイブンクロー」は、ある秘密作戦の帰還途中だった。任務自体は簡単なもので、闇に流れた兵器の破壊任務だ。途上国の軍幹部が、小遣い欲しさに最新兵器を横流しする事案は後を絶たない。途上国に配備した先進国の兵器が、そのままゲリラなどの反政府組織や敵対国に売られてしまうのだ。国が絡む事案なので、正規軍を動かすには膨大な根回しが必要になるし、費用も安くは無い。違法に流れた兵器の情報は、世界に警察を自負する米軍やCIAが追跡し、実行には俺達のような傭兵が使われることはよくあることだった。


 無論、サポートもバックアップも無い。失敗しても誰も助けになど来ないし、依頼元の政府は責任なんて負わない。軍事衛星や無人偵察機ドローンでモニターはしているが、手助けは無い。


 俺達は、たった五人の部隊行動だったが、難なく任務を遂行し、迎えにきたヘリで帰路についていた。


 『しっかし、なんで態々俺達が行かないといけねぇんだよ。あんなのドローンからミサイルヘルファイアでも打ち込めば一発で済むじゃねーか』


 『そりゃ決まってる、その一発より俺達の方が安いんだ』


 『タカシ……。俺達ゃミサイル一発以下かよ?』


 『さあな、でもロドリゴ、俺達よりミサイルが安くなれば、仕事が無くなるぞ?』


 『安心しろ、タカシ。そん時ゃ俺達の報酬がもっと安くなるだけだw 


 『『ジャック、そりゃないぜ~』』


 『ハッハッハッ』


 ドンッ


 『『『『『――ッ! 』』』』』


 乗っていたヘリに衝撃が襲う。直後、機内に警告音が鳴り響き、機体が激しく揺れ、急速に速度が低下し高度が下がっていく。


 『RPGィィィィィ! 』


 ヘリの操縦士の叫び声が無線に入る。「RPGー7」旧ソ連製の対戦車ロケット弾発射器で、安価な割に高威力で、旧式ではあるものの、途上国の軍隊や反政府ゲリラ、民兵などが好んで使用する武器だ。無誘導弾で、本来航空機への攻撃には適していないが、数打ちゃ当たるの精神で、ゲリラや民兵達は構わず使用してくる。


 地上からは、激しい銃撃とロケット砲を構えた民兵が一斉にこのヘリに向かって攻撃していた。


 『馬鹿な、話は通ってるはずだぞっ!』


 操縦士が叫ぶ。国境を跨ぐ作戦において、航空機が通過する場合、夜間に低空で秘密に侵入するか、予め黙認されるよう根回しされる。今回のように民兵に攻撃される可能性のある作戦はあり得ない。


 『不時着するっ! 対衝撃体勢っ!』


 操縦士が悲痛な声で叫ぶ。幸いにもロケット弾は胴体には直撃しなかった。直撃してたなら、機体も含めて全員即死だった。


 ヘリは、ジャングルの木々を薙ぎ倒しながら、激しい衝撃と共に地表に墜落した。


 …

 ……

 ………


 「「うぎゃああああああ」」


 「いぎぃやああああああ」


 墜落し、身動きが取れなかった俺達は、民兵達に拿捕された。操縦士一名は墜落時に死亡したが、もう一人の操縦士と俺達「レイブンクロー」五人は、全員怪我こそ負ったものの、命はあった。


 墜落時に死亡した操縦士は。苦しむことなく死ねたのだから……。


 俺の目の前では、ジャックとロバートが生きたまま生皮を剝がされ、操縦士は足から家畜の豚に食われていた。


 「ひぎゃああああああ」


 「がああああああああ」


 マイクは焼きごてを体中に当てられており、肉の焦げた匂いが辺りを漂う。


 民兵達は、白人が憎いのか、ジャックとロバートへの残虐行為は執拗で、ナイフで削ぐように顔から皮をゆっくりと笑顔で剝いでいく。民兵達は皆、木の枝を齧っており、目が充血して真っ赤だ。この地域で蔓延している麻薬成分のある樹木の枝で、強い幻覚作用や興奮作用がある。


 麻薬で正常な思考など無いのだろう。俺達の苦痛に歪む顔を見て誰もがヘラヘラ笑っていた。


 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」


 頭と顔の皮を剥がされたジャックを見て、手足から皮を剥がされてるロバートが泣き叫びながら許しを乞う。


 「やめでぐれっ! だずげで! だずげで! だずげで! がみざまぁあああー! 」


 「ヒィッ!」


 ロドリゴはその光景を見て、糞尿を漏らして震えながら泣いていた。俺も恐怖で頭がおかしくなりそうだった。民兵に頭を押さえつけられ、強制的にその光景を見せられた。

 

 いつもなら…… いつも通りの装備と状態ならこんなヤツラは相手じゃない。たった五人の部隊だったが、今までいくつも作戦を完遂してきた。こんな麻薬でラリッた兵士など、一夜で皆殺しにできた。悔しさと恐怖が入り混じり、目から涙が止まらない。だが、折れた腕と足などお構いなしに無理やり縛られ、身動き一つできなかった。


 「ぐああああああああ」


 「ひぎゃああああああ」


 その後も悲鳴は止むことなく、四人の拷問の様子を見続けさせられた。


 俺とロドリゴは牢に放り込まれ、水も食料も与えられずに一週間が過ぎた。ジャックとロバートは死んでいるのか、生きているのか分からないまま、豚小屋に吊るされて、操縦士と共に豚に食われている。操縦士は白目を剥き、すでに事切れていた。マイクは全身を焼きごてで焼かれ、とっくに死んでいた。牢の前に吊るされた死体にはカラスとハエが集っている。目を逸らしても鼻に着く異臭で吐き気が止まらない。


 ここの牢に放り込まれていたのは俺とロドリゴだけじゃなかった。国境で捕らえられた難民も多くいて、その殆どが少年少女だ。彼らも俺達の拷問に劣らぬ扱いを受けている。薬物を飲まされ、互いに殺し合いをさせられる少年達。麻薬でラリった民兵達に何十人と犯され、死体となっても弄られ続ける少女達。大人たちの殆どが遊び半分で殺され、家畜の餌になっていた。


 次は俺の番だ……。そう思いながら更に一週間が過ぎた。雨水が溜まった泥水を啜りながらなんとか俺達は生きていた。


 ロドリゴは精神に異常をきたしたのか、虚空を見つめ、反応しなくなった。


 俺は無意識に「新宮流」の兵法書の一節、「死人」を繰り返し、念仏のように唱えていた。「死」に対する恐怖を抑える自己暗示の文言だが、それを無意識に唱え続けることで、精神の崩壊をなんとか免れることができたのかもしれない。


 人間は何故これほど残虐になれるのか?


 ……答えは「戦争」だ。民族対立、宗教戦争、自分達と違う民族は人ではなく、信じる神が異なれば、自分達と同じ人ではない。同じ人ではないから、家畜のように解体し、犯し、笑って殺せるのだ。日常的に続く長期の紛争と麻薬で民兵コイツラは既に正気ではない。


 俺達の乗ったヘリを撃ち落としたのもただの気まぐれだろう。条約や約束などこんなヤツラには守るなんて倫理観は持っちゃいない。


 戦争は人を狂気で支配する。誰も彼もが正気ではいられない。



 俺もコイツラと同じ?



 今まで殺してきた奴の顔が次々と浮かんでくる。


 俺が殺してきた人間にとっては俺もコイツラと同じなのか?


 違う!違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!


 …

 ……

 ………


 空腹と脱水症状で、やがて意識を失った俺は、目を覚ましたら病院のベッドの上にいた。どうして俺はここにいるのか、どうやって助かったのか、記憶は無かった。


 後に知ったが、米軍から通報を受けた国際連合平和維持軍PKOの進軍により、俺のいた民兵の集落は放棄され、牢に放置された俺は、生きていた難民と共に、通りがかった部隊に保護されたらしい。国境に近い位置にあったことにより偶然だが発見されたのだ。あの時、何故、ヘリが襲われたのかは今も分かっていない。陰謀か口封じか、単なる民兵の暴走か……。末端の俺達のことなど誰も真剣に調査などしない。通報があり、PKOが動いたのだって奇跡的なことだった。


 所詮俺達は使い捨てだ。


 ロドリゴは助からなかった。栄養失調による餓死だった。俺が生きているのは偶々だ。運が良かった? いや、あのまま死んでた方が幸せだったかもしれない。


 地獄の光景が頭から離れない。日本に帰り、平穏な生活を送るも悪夢が消えるどころか日に日に心を蝕んでいった。酒に溺れようが、薬に逃げようが、忘れることなどできなかった。


 …

 ……

 ………


 部隊が全滅してから数年が経った。


 結局、俺は戦場に戻り、敵を殺すことでしか悪夢を紛らわせることができなかった。


 人をはじめて殺したのは生きる為だった。その後は生活の為、殺されない為に人を殺した。今は心を殺されないよう、戦場に赴く。忌まわしい記憶を忘れる為に、戦い続けることを選択した……。


 


 『こちらレイブンワン、これより作戦を開始する』

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