第88話 剛力の拳闘士

 「レイ様っ! 」


 「オイオイ、お前の相手はアタシなんだけど? 」


 「がはっ」


 山本ジェシカの拳がイヴの腹にめり込む。手加減しているのか、酔った冒険者を一撃で殺した威力は無く、ニヤけ顔でイヴを見下ろしていた。


 「うっ おえっ」


 血反吐を吐きながら後退り、腹部を押さえながらも短剣を構えるイヴ。


 ボクサーのように拳を構え、小刻みにステップを踏んでイヴを見つめる山本ジェシカ。


 イヴは、山本ジェシカの目を見つめ返し、『炎の魔眼』を発動しようとして、すぐにその考えを捨てた。『炎の魔眼』、強力無比な異能の力も、それには致命的な弱点があった。絶えず動いている対象には発動が不完全になりやすく、消費する魔力も膨大な上、発動前後に隙が生まれやすかった。


 今まで、暗殺者として訓練を受け、殺す相手とまともに戦闘を行うことは殆ど無かった。不意打ちのように魔眼を発動してきたイヴは、レイとの立ち合いで一度もその確実な瞬間を狙えたことがなかった。


 レイの指導により、発動範囲を小さくしてピンポイントで狙うようにすれば、魔力の消費を押さえることができたが、発動前後の隙は改善できていない。


 レイの指摘が思い出される。


 ―『イヴ、魔眼で狙うなら眼球か喉だ。人間は視力を急に失えば動きが止まるし、喉を焼けば魔法の発動も抑えられ、呼吸を阻害できれば長くは生きられない。それと使う際には注意しろ。相手の技量が自分より上だった場合、魔眼持ちとバレれば、全力で殺しにくる。魔眼を使うのは確実に決められる瞬間だけにしておけ』―


 目の前で拳を構える女は、自分を簡単に殺せる力がある、イヴはそう判断した。


 (強者との戦闘では、私はまだ、力不足だ…… )


 シッ


 山本ジェシカのジャブが、イヴの顔面を捉える。


 シッ シッ フッ


 連続で左ジャブを放ち、終わりに右フックを打ち下ろす。


 身体強化を施してるにも関わらず、イヴの鼻や口から鮮血が散る。ボクシングの基本技術テクニック。山本ジェシカのそれは、正確にはキックボクシングではあったが、イヴにとっては未知の格闘技術。それを前に、その拳をまともに受ける。


 「アハッ♪ やっぱ慣れてないんだねーw 初見さんは皆そうなんだよねーw ほらほらガード上げないとw 」


再度、山本ジェシカがジャブを放つ。イヴが顔を守ろうと腕を上げた瞬間、ローキックが放たれる。


 「アグッ」


 「キャハハハハ! 」


 山本ジェシカがその気なら、『剛力』の能力で、初撃で腹部を貫き、顔面を陥没させ、足をへし折ることが出来た。だが、ジェシカは退屈凌ぎと言わんばかりに遊んでいた。


 現代において、拳で殴るという技術に限っては、ボクシングの右に出るものはない。同じボクサー同士でさえ、パンチを一度も喰らわずに済む者など殆どいない。

 

 この世界の住人であるイヴにとって、その技術は見知らぬものであり、そのリズムを掴めずにいた。


 真紅の短剣を逆手に持って反撃に出るも、山本ジェシカの魔金オリハルコン製の籠手ガントレットで、容易に防がれる。炎を帯びた魔法剣である短剣であっても、その籠手には傷一つつけられない。


 「いいね〜w そのキレイな顔が鼻血ブーでボッコボコになってくのは最高にたまんないなぁ〜♪ 」


 プロ顔負けの華麗なステップを刻み、執拗にイヴの顔を殴る山本ジェシカ。


 「オラオラオラッ! ハッ セイッ! 」


 容赦なくジャブやフック、アッパーをイヴに叩き込み、最後にローキックで、イヴを地面に沈める山本ジェシカ。


 「カハッ ゲホッ ゲホッ ハァハァハァ」


 イヴは、地面に膝をつき、口元と鼻の血を拭う。そのまま山本ジェシカを睨み、魔法の詠唱をはじめた。


 『闇の力よ 我が力となり 彼の者の動きを止めたまへ 『麻痺パララセス』! 』


 「おっと♪ 」


 山本ジェシカは、両手の籠手を前面で合わせ、亀のように丸くなって魔法を防いだ。


 「ざぁ〜んねん! この『封魔の籠手』はあらゆる魔法を防いじゃうんだなぁ〜♪てか、この距離で詠唱とかw 実戦慣れしてないのかなぁ? でもまあ、魔法使いなら面倒だからさっさと殺すね♪ 」


 軽快なステップで近寄る山本ジェシカに対し、ヨロヨロと立ち上がり、身体強化のギアを思い切り上げるイヴ。



 ―新宮流 『流水演舞』―


 先程までの動きと打って変わって、イヴは素早く流れるような動きで山本ジェシカに急接近する。完璧に習得した奥義とは言えないが、かつてレイから見せられた動きを反芻し、トレースする。同時にレイから教わった様々な知識が頭に蘇る。


 ―『いいか、イヴ、この奥義は、相手との距離をいかにゼロに詰めるかが鍵だ。卑怯でも不意打ちでもなんでもいい、魔法でも動きの緩急でも、どんな方法でもいいから相手に接近する方法を考えろ。それに、相手と同調することが必要だ。相手の動きは勿論、呼吸やリズム、見えているであろう視界も把握し同調しろ。その上で、一手先に動くよう意識するんだ』―


 イヴはただ殴られていた訳では無かった。自分の手持ちの武器や技術、能力でいかに格上の相手を倒すことができるか考えていた。足を止めて殴られ、短縮できる詠唱をワザと長く唱えて、山本ジェシカに自分が「魔術師」であると認識させた。そして、素早く動けることを今の今まで隠していた。


 ―『人体の急所は体の中心にある頭や首、心臓だけじゃない。人間は突然の出来事には、本能的に体の中心、正中線を守るように防御姿勢を取ってしまう。その習性を利用しろ』―


 逆手に持った短剣を握りながら、山本ジェシカの目の前、超至近距離に流れるような動きで入り込み、短剣を正面から滑らすように持ち手の対角線上の腕、籠手の隙間の肘裏を斬りつける。


 ―『肘の裏や脇の下、腿の内側を走る太い血管、動脈を断てば、人は数分で死ぬ』―


 急に目の前までイヴに接近された山本ジェシカは咄嗟に身構えるが、肘の内側への攻撃は予期しておらず、予想外からの軌道を描いた一撃を防ぐことはできなかった。


 「痛ッ」


 急に変化したイヴの動きに、山本ジェシカは、慌ててガードしながらステップで後方へ距離を取る。しかし、その動きに合わせてイヴは歩調を同期させて追尾する。抱きつくように纏わりつくイヴに、窮屈そうに肘を放つ山本ジェシカだが、その瞬間を狙ったイヴは、瞬時に腰を落とし、内腿を短剣で撫でる。


 「ギッ」


 ―『それと、ここ。肝臓と呼ばれる臓器をやられると、同じく数分で死ぬ。太い血管が集まるこの臓器を深く刺されると、身体の内部で激しく出血する。戦闘中に刺されれば、止血は不可能だ』―


 「クソがぁ! 」


 イヴに向かって拳を打ち下ろした山本ジェシカだが、流れるような動きで纏わりつかれ、その拳はイヴを捉えられない。イヴはそのまま抱き着くように背後に回り込み、逆手に持った短剣で肝臓を突き刺す。


 「アグッ」


 イヴが刺した短剣に魔力を流す前に、山本ジェシカは慌ててイヴを突き飛ばし、腹部の裏に刺さった短剣を引き抜く。傷口を押さえた手からは、赤黒い血が溢れ出ていた。


 「はー、はー、はー」


 身体強化を無理に上げた影響で、イヴの体が悲鳴を上げていた。殴られ過ぎて意識も朦朧とする。付け焼刃の奥義で、山本ジェシカを斬り付けるも、どれも傷が浅く、出血はあるものの、動脈まで達していない。それでも肝臓を刺した一撃は浅くはなく、大量の出血により山本ジェシカの命を徐々に奪っていた。


 「クソがぁぁぁ! 舐めやがってぇぇぇ! 」


 腹部の裏を刺され、その出血と急激に体内の血を失う感覚に陥った山本ジェシカは、腰のポーチから水晶を削り出したような容器を急いで取り出す。中には透き通った金色の液体が入っており、その蓋を開けて山本ジェシカが一瞬躊躇するも、それを一口で呷る。


 「この『超回復薬エリクサー』、幾らすっと思ってんだっ! 売れば暫く遊んで暮らせる金貨が手に入ったんだぞっ! ちっくしょー! こんなトコでっ! こんなヤツにっ! 殺すっ! ぶっ殺す! 」


 激高した山本ジェシカの体から、おびただしい出血がピタリと止まり、見る見る傷口が塞がっていく。


 山本ジェシカは拳を握りしめ、肩で息するイヴに向けて構える。先ほどまでの遊んだ表情は消え失せ、本気でイヴを殺そうとその目を凝視する。


 ―『炎の魔眼』―


 「いぎゃあぁぁぁあああ……カッ……ハッ…… 」


 眼球と喉を含む頭部全体を瞬時に焼かれ、悶絶しながら地面にのたうち回り、やがて山本ジェシカは動かなくなった。

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