第18話 治療②

 遠くに大きな炎が見える。


 炎の前には一人の人影。


 アイツ等だろうか? 


 だけど、もうどうでもいい。


 身体が動かない。


 痛い……。


 眠い……。



 女は、再び瞼を閉じ意識を手放した。


 …

 

 目が覚めると、知らない空間にいた。


(テント?)


 身体には毛布が一枚掛けられ、上半身は裸だった。


「痛ッ」


 口内に激痛が走る。左腕は添え木と布が巻かれ、痛みで動かせない。


 無事な右手で顔に触れるが、自分の顔じゃないみたいだ。


 触れる度に痛みが走り、所々感覚が無い。


(夢じゃなかった……)


 アイツ等に襲われた記憶が蘇る。


 自分の顔を鏡で確認したい衝動に駆られる。だが怖い。見なくても分かる。酷い状態だ。



「目が覚めたか?」



 テントの入口から、フードを被り口元を布で隠した若い声の男が入ってきた。入口から覗く隙間から、外は暗く完全に日が暮れていたのが分かるが、瞼があまり開かなく、それ以上は分からない。


 私は痛みを堪え、慌てて身構えた。


「危害は加えるつもりはない。まだ起き上がるな。吐き気は無いか? 本格的な治療は明日するから、まだ寝ていろ」


 男は、そう言うとテントから出ていった。外には焚火の炎が見える。


 どういうことか訳が分からなかった。明日治療する? ここは治療院? 側に置かれた細剣レイピアと、装具ベルトが壊れた胸当てが目に入り、すぐさま右手で剣を取り、胸に抱き寄せる。


 暫く警戒していたが、再度襲ってきた眠気に逆らえず、また意識を手放した。


 …


 翌朝。


 腫れた瞼で辛うじて目を開くと、昨夜の男がいた。


「起きたか? とりあえず、足の骨折は治療してある。一応、頭部と頸椎も問題ないと思うが、後遺症がないか後で確認する。……言葉、分かるか?」


「……」


 相変わらずフードと口元の布で顔がわからない。言葉は分かるが、言ってる意味が少しわからない。ケイツイ? 足? 骨折を治療した? どうやって? 確かにあの時、左足を折られた記憶はあった。少なくとも左足は折れてたはずだ。毛布から出ている左足に痛みは無く、衣服の上からでも何ともなっていないのが分かる。一体どうやって……。


「参ったな。言葉が通じないのか……」


 何を勘違いしたのか、男はそう呟くと腕を組み、何やら思案しているようだ。


『これならわかるか?』


「ッ!」


 驚いたことに男が喋ったのは『エルフ語』だ。


「あ゛、う゛……」


『すまん、無理に話さなくていい。口の中が切れてるだろうし、腫れが酷い。軽く頷くだけでいい。言葉はわかるか?』


 なおもエルフ語で話しかけてくる男。私は、軽く頷き返事をする。


『はっきり言ってかなりの重傷だ。足の骨折は治したから歩けるが、あまり動くな』


 思わず自分の顔を触る。


 腫れ上がり、鼻も潰れている。口の中もズタズタで気が付かなかったが、前歯を中心に歯がいくつも折れて無くなっている。慌てて毛布を頭から被る。誰にも見られたくはない……。


「うっうっうっ…… うぇ……」


 自分の顔がめちゃくちゃになっていることに嗚咽が止まらなかった。鏡を見るまでもなく、自分の顔が酷い状態であることは明らかだ。歯も何本も無くなっている。元の顔に戻ることは無いと理解してしまった。


『まあ治療してやるから心配するな』


 嗚咽が止まらないまま、この男の言葉に怒りが込み上がってくる。


(治る訳ないじゃないっ!)


 回復魔法や回復薬ポーションでは、腫れや裂傷は癒せても傷は残る。潰れた鼻や歯はどうにもならない。同族のくせにそんなことも分からないのか? 女として醜いまま治療されるくらいなら死んだほうがマシだ。私はショックで冷静ではいられなかった。


『もう殺して』


 毛布を被ったまま呟く。


(死んだ方がマシよ……)


 …


『信用できないならこれを見ろ』


『……?』


 しばしの沈黙が続いた後、私は毛布をずらし、そっと男を見た。


 男が自分の左腕を出して巻いてある布を取ると、焼け爛れ、水膨れが酷い腕が出てきた。


 男はさっと手を翳すと、みるみる傷が治っていく。


 暫くすると腕は綺麗に治っていた。


『俺は回復魔法が使える。治してやるから少し落ち着け』


 その後、男は黙って出ていった。


 驚異的な回復魔法だ。今まであれ程の使い手は見たことが無かった。だが、私の顔は回復魔法では元に戻らない。回復魔法が使えるのにそんなことも知らないのだろうか? いや、男なんてそんなものだ。女の気持ちなんて知った事ではないのだろう。


(でも、一体何者なの?)


 …


 暫くして男は湯気が立ち上るスープを持って戻ってきた。


『そのままなら飯も食べ難いだろう。先に口内を治療する。動くなよ?』


 男は私の側に腰を下ろし、両手で私の頬に触れる。


 一瞬ビクッと体が跳ね後退ったが、男は構わず頬を離さず魔力を流してくる。口内の刺さるような痛みが無くなってきた。暫くして男は私の口を開き、口内を確認するように覗き込んできた。気恥ずかしかったが、それより男の瞳を見て驚いた。


灰色グレーの瞳! エルフじゃない……人間?)


 エルフは殆どの者が緑眼だ。だが極稀に私のように青い瞳で生まれてくる者がいるが、他の色はない。ハーフエルフも同様で、瞳の色と耳は、片親の種族に関わらずエルフの特徴がでる。古のハイエルフは赤眼、辺境にいるというダークエルフも榛色ヘーゼルで、灰色グレーの瞳は聞いたことが無い。この男はエルフでは無く、血も混ざっていない。


 人間がエルフ語を何故話せる? エルフ族以外にエルフ語を教えるのは掟に反する。例え親子であろうと他種族との子に対してもエルフ語を教えるのは禁じられている。


 男に対する警戒が跳ね上がる。


(禁忌の子?)


 禁忌の子は、魔物との交わりで生まれた子供のことだ。だがエルフ語を話せる理由にはならない。


(それに禁忌の子が例外なく放つ禍々しい気配はない。いや、むしろ……)


「ッ!」


 注意深く男を観察すると驚くべきことが分かった。


(あ、ありえない……)



『これで食事は摂れるだろう。冷める前に食っておけ』


 顔の腫れも引き、痛みも消えて楽になった。潰れた鼻と欠けた歯はそのままだ。勝手に治療した得体の知れない男に、戸惑いながらも不審と怒りを覚えた。


(どうせ元の顔になんて戻る訳ない。このまま中途半端に、「治した」なんて言われたらこの男が何者か聞き出してから殺してやるっ!)


 そう思いながら出て行った男を睨む。


 …

 ……

 ………


 暫くして襲われたアイツ等のことを思い返す。


 そう言えば、あの三人はどうしたのだろう?


 殴られた後の記憶が曖昧だ。


 ハッとして、下腹部に手を当てる。


 違和感は無い。凌辱はされていない?


 男との経験は無いが、自分が何もされていないのは分かる。


 少なくともアイツ等が私を犯そうとしていたことは確かだ。殴られてる途中で助けられた? どうやって?


 あの男からは邪な視線や気配は感じない。アイツらとは違うということは分かる。


 回復術士がどうやって助けたの? 他に仲間がいるのかしら?


 エルフの成人は二十歳だ。成人までは人と同じように成長するが、成人後は老齢期に入るまで見た目は殆ど変わらない。同じエルフ族同士でさえ若年期は年齢がわからないし、知ろうともしない。あの男はエルフじゃないし、声からして成人前に思われる。しかし、だとするとあの回復魔法の練度が説明できない。他の魔法と違い、回復魔法だけは多くの経験と知識が必要と言われてるからだ。才能だけでは扱えない魔法だ。


 だが、あの男が回復術士であることは間違いない。回復術士は、回復魔法の習得の難しさから戦闘能力が低いものが多い。あの男が単独で『勇者』達から私を救ったとは考えられない。他にも仲間がいると思うが、今は森の中で単独行動をしているのも事実だ。ここがどこの森かは分からないが、森で単独行動を続けるなんて、ただの回復術士ならありえない。


 多少、冷静になり状況を整理する。テントの大きさはどう見ても一人用だ。中にある野営用の道具も、とても複数の仲間がいるようには思えない。



 あの男が私を助けて、治療もしている……?


 

 数時間後、男がテントに戻ってきた。手には紅茶の香りを漂わせた木製のカップを持っていた。


 慌てて身構える。


『なんだ、飯を食ってないのか? 少しは何か入れた方がいい』


 そう言って、カップを手渡してくる。受け取らないでいるとそっと側に置き、


『まあいい。次は腕の骨折を治す。右手を退けろ』


『……』


『はぁ……。いいか? 俺はお前があの勇……、襲ってた連中とどう言う関係か知りたいだけだ。怪我を治すのはついでだ。足は治したんだ。嫌ならどこへでも行け』


『お前の荷物もそれだけだ。他には見当たらなかった。破かれた服は燃やしてもう無い。予備の服なんかないから毛布は持って行っていい』


『それに、お前を追っていた連中は全員死んだ。自由都市マサラだったか? そこにいたヤツも追ってきたから始末してある。安心してどこへでも行けばいい。まあお前が他に痕跡を残していたら別だがな』



『……リディーナ。お前じゃない。それに痕跡なんて残してない』


 気付けば私は自分の名を名乗って、折れた左腕を差し出していた。信用した訳じゃない。だが、追ってきたアイツ等とあの男、キリュウハヤトを始末したとこの男は言った。信じられないことだが、嘘は言ってない目だ。噓でないならこの男には不本意ながら「借り」が出来てしまった。私を助けたこととは別に、私がしなくてはならないことをこの男がしたのだ。少なくともそのことに関して、礼をしなくてはならないだろう。


『そうか。名乗ってもらって悪いが、俺の素性を教えるつもりはない。安心してもらう為とは言え、あいつらを殺したと白状したんだ。察してくれ』


 そう言って、男は無言で添え木と巻かれた布を外していく。


『痛ッ』


『少し我慢しろ』


 男は両手で包み込むように、赤黒く変色し腫れた患部に触れる。暖かい魔力の波動を感じる。


 …


 何時間経っただろうか。フードの隙間から見える、男の額には汗がびっしょりだ。魔力がいつまで続くの? それに何時間も魔法を発動し続けるなんて、驚異的な魔力量と集中力だ。


「ふーーー」


 深く息を吐き出した男。気付けば左腕は元の綺麗な状態に治っていた。


(信じられない……)


『思ったより時間が掛かった……続きはまた今夜……だ』


 綺麗に治った腕に目を丸くしていると、男はふらつきながらテントから出ていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る